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<東京怪談ノベル(シングル)>


名無しの霊鬼兵


 司会者が巧みに話題を回し、出演者全員に最低でも二言三言は喋らせている。
 初出演の彼女も一応、当たり障りのない事を言わせてはもらえた。トーク力は、決して低い方ではない。
 だが、彼女の大ファンである女性は怒り狂っていた。
『潰しなさいエヴァ! このテレビ局を潰しなさい、皆殺しにしてしまいなさぁああい!』
「盟主様、落ち着いて盟主様」
 スマートフォン越しにエヴァ・ペルマネントは、虚無の境界の最高権力者をなだめにかかった。
「仕方ないじゃないですか。彼女、実質的には新人みたいなものなんですから」
『あの子を、雛壇に座らせてどうするの! 心霊スポットに単身突入させないでどうするの! 終末大予言の謎を追わせないでどうするの! 宇宙の意思とチャネリングさせないでどうするの!』
 スマートフォンの向こう側で、盟主が怒り喚いている。側近の1人2人は八つ当たりで殺されてしまうかも知れない、とエヴァは思った。
『彼女の使い方を全く理解していなぁあああい! 三ツ星シェフにカップラーメンを作らせるようなテレビ局は、さあ早く貴女が潰してしまいなさいエヴァ!』
「だからね、今の彼女は単独でそういう企画をやらせてもらえる身分じゃあないんです。何しろ今までの芸歴実績なんて無かった事になってるんですから」
 テレビ画面を見つめながら、エヴァは言った。盟主も、同じ番組を見ているようだ。
「名前を奪われるっていうのは、そういう事です」
『魔女結社……この私を、本当に怒らせてくれたわね』
 スマートフォンの向こう側で、盟主がギチギチと親指の爪を噛んでいるようだ。
『いいわ。貴女はとりあえず、あの子の名前を奪い返しなさい。天下無敵のオカルトアイドルを、この世の中に1日も早く復帰させるのよ』
 虚無の境界の盟主が、完全に私情に走っている。
『1日も早く、私の好きな「歴史的人物降霊シリーズ」と「前世少女座談会」を復活させるように。いいわね?』
「企画の内容にまで責任は持てませんが……彼女の名前に関しては、お任せ下さい」
 氷漬けの人魚姫を、盟主がとりあえず解凍し、人間に戻してくれた。
 人間に戻った少女の、しかし名前は魔女たちに奪われたままだ。
 オカルト系アイドルとして大いに知られた名前を、今の彼女は持っていない。
 取り戻す、奪い返すにしても、相手は魔女結社だ。
「難儀極まる相手……だから、ユーに手伝ってもらうわよ」
 盟主との通話を終えながら、エヴァは傍の鎖を引っ張った。
 鎖で縛り上げられた牝獣が、ずるずると引きずり寄せられて来る。
「がぁう……ぐるるる……」
 牙を剥きながら、真紅の瞳でエヴァを睨む牝獣。
 鎖から押し出された胸の膨らみに、尻の双丘と左右の太股に、力が漲っている。
 この獣を鎖で拘束するコツが、ようやく掴めてきた。
 とにかく、戦闘訓練に明け暮れたのだ。
 隠れ家として使っている、この廃ホテルの一室も、あちこちが壊れ、汚れてもいる。
 この牝獣が、縄張りの主張をやめようとしないのだ。至る所に、汚物がぶちまけられている。
 名無しの牝獣。
 氷漬けの人魚姫とワンセットで、エヴァが魔女結社から奪い取った戦利品だ。
「ユー……また、汚れてきたわね。しばらく、お風呂にも入ってないものね。なかなかマニアックな臭いがするわ」
 エヴァは鼻をひくつかせて、牝獣の体臭を確認した。
 ここしばらくは戦闘訓練で疲れ果て、自分の入浴だけで手一杯という有様だったのだ。
「いいわ、ついでにユーの名前も奪い返してあげる。正気に戻って、自分で身体を洗いなさい。そして、この部屋も綺麗にしなさい」


 ホテルの中は、完全な闇であった。
 単に照明が落ちている、というだけではない。暗黒そのものが、悪意を持って息づいている。
 エヴァは、そう感じた。
 魔女結社の拠点である高級ホテルに、押し入ったところである。牝獣を伴ってだ。
「その獣……返してもらうよ」
 闇が、声を発した。
「お宝を奪われたまま、とあってはね。私たち魔女結社の、沽券にかかわる」
「虚無の境界の飼い犬、いずれ私たちの方から出向くつもりだったけど……そちらから、来てくれるとはね」
「飛んで火に入る……なんて安直な事を言うのは、やめておく。お前には、死んでもらうよ」
 闇の声に敵対的な返答をするかの如く、牝獣が唸る。四つん這いで牙を剥き、豊かな尻を上に突き上げながらだ。
 その尻を、エヴァは軽く叩いた。
「ステイ……まだよ、まだまだ」
 闇を睨むエヴァの両眼が、赤く輝き始める。
 霊鬼兵エヴァ・ペルマネントの内蔵する怨霊機が、稼働を開始したのだ。
 直後、闇が様々なものに変わった。炎の渦、電光の雨、冷気の嵐。
 魔女たちの、一斉攻撃であった。
 一方エヴァの周囲でも、闇が変異を遂げつつある。
「ウェイク……ゲシュペンスト・イェーガー!」
 闇が実体化したかの如く、怪物たちが出現した。
 その姿を把握するのは、仮に照明があったとしても難しいであろう。
 とにかく、その怪物たちが、エヴァの楯となって炎に焼かれ、電光に打ち砕かれ、冷気に切り刻まれた。
 際限なく出現し続けるゲシュペンスト・イェーガーたちが、しかし仲間の屍を蹴散らして闇の奥へと殺到し、魔女たちに襲いかかる。
 悲鳴と怒号が、光なきホテル内に響き渡って渦を巻く。
「ゲシュペンスト・イェーガー……それは即席の量産型霊鬼兵。怨霊を材料に、いくらでも作り出す事が出来る。言ったはずよ? ここにはユーたちに恨みを抱く怨霊が、無限にたゆたっていると」
 言いつつエヴァは、牝獣の尻を思いきり叩いた。
「さあ出番よ野良犬ちゃん! ゴォアヘーッド!」
「がぁあああああああうッ!」
 牝獣が、激しく床を蹴る。疾駆か、跳躍か。
 とにかく、獣臭く血生臭い暴風が、闇の中に吹き荒れた。
 魔女たちが、ことごとく叩き潰されてゆく。それは見ずともわかる。
「ふふ……楽ちん、楽ちん」
 エヴァは闇の中から、ロビーの調度品であるソファーを探し出し、半ば寝転ぶように腰を下ろした。
 そんなエヴァの足元に、何かがビチャアッと倒れ込んで来る。
 牝獣に引き裂かれた、魔女の屍……いや、まだ辛うじて生きているようだ。
「……虚無の……境界の、飼い犬……せめて、お前の名前を奪ってあげるわ……飼い犬から、単なるケダモノになりなさい……」
 死にかけの魔女が、何かをしたようである。
 屍になりかけたその身体を、エヴァは片足で軽く踏みにじった。
「……どう? 私の名前、見つかったかしら?」
「お前……お前は……」
 魔女が、絶句している。
「……そう……お前は、すでに名無し……」
「名無しじゃないわよ。私はエヴァ・ペルマネント……盟主様が付けて下さった名前。誰にも、奪えはしないわ」
 エヴァ・ペルマネント以前の名前など、すでに失われている。取り戻したいとも思わない。
 死にかけの魔女は、本当に屍となった。
 その屍から、何かが転がり出す。
 羊皮紙の巻物だった。


 突然、我に返った。
 目覚めた、と言うべきであろうか。
 長らく、妙な夢を見ていたような気がする。
 夢の内容は思い出せないが、悪夢であったのは間違いない。
 とにかくイアル・ミラールは、獣から人へと戻っていた。
「…………ここは……?」
 闇の中である。
 何も見えないが、周囲に屍が散乱している事はわかる。
 手足に、顎に、感触が残っているのだ。人体を、引き裂いた感触。叩き潰した感触。食いちぎった感触。
 自分は今、戦闘と殺戮を行っている。
 それ自体は別に、驚くべき事ではない。戦闘、殺戮。慣れたものだ。
 問題は、この臭いだ。
 血や屍の臭いよりも激烈な、不潔極まる悪臭。
「え……何、これ……私の、臭い……!?」
 野犬も同然の、己の有様に、イアルはようやく気付いた。
「ちょっと何これ、嫌よ! 私、こんな臭いで……」
「ならば気にならなくしてあげるよ、その獣臭さを」
 声がした。
 イアルが人でいられたのは、そこまでだった。
「やはりね、獣のお前に本気で暴れられたら手に負えない……だから一時的に、人に戻してやった」
「さあ、もう1度……私たちの番犬におなりよ」


 再び魔女の番犬と化したイアル・ミラールが、ゲシュペンスト・イェーガーたちを叩き潰してゆく。
 その時には、しかしエヴァはホテルの外にいた。
「二兎を追う者は一兎をも得ず、ってね」
 魔女たちのホテルを丘の上から見下ろしながらエヴァは、羊皮紙の巻物を片手で弄んだ。
 盟主お気に入りのアイドルは、これで名前を取り戻す。
 とりあえず任務成功である。これ以上、無理をするべきではなかった。
「少しの辛抱よ、野良犬ちゃん。待ってなさい」
 牝獣を一時的に人に戻し、動揺した隙をついて再び名前を奪う。
 魔女たちの、そのやり方を確認しながら、エヴァはあの場からひっそりと立ち去ったのだ。
「……ユーの名前は、私が必ず取り戻してあげる」