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Hydrangea
クインツァイトの説明を黙って聞いていた万輝が、独自の方法で気配を感じ取り、眉根を寄せた。
「……気が進まないんだけど」
ぼそりとそう告げると、隣に立っていた千影がひょい、と顔を出してくる。
「万輝ちゃんでも、出来ないの?」
自分の分身は、どこまでも純真であった。小首を傾げるその仕草は天然のものだから余計にその効果も高い。
「出来ないわけじゃないんだよ、チカ。僕は厄介事が嫌なだけ。それに、紫陽花が見たいだけなら僕の『箱庭』でいくらでも見せてあげられるし」
千影の頭を優しく撫でつつ、万輝はそう答えた。
「お前のその箱庭ってのは、限られた奴しか入れねぇやつだろ」
千影の代わりに返事をしたのは、彼女の隣に立つナギであった。同行者として千影が指名した一人でもある。
万輝は彼の言葉を受け、静かにナギを一瞥したあとわざと深いため息を吐きこぼし、「そうだね」と答えて視線を逸らした。
「まぁ、居合わせちゃった以上は、仕方ない……僕は僕のしたいようにやらせてもらうよ」
半ば諦めの表情で、万輝はそう言葉を繋げるとクインツァイトが反応するより先にダイヴを開始し、姿を消す。
「あっ、万輝ちゃん待ってよ〜! ナギちゃん、行こ!」
「はいはい。んじゃ、ちょっくら万輝サマの『護衛』として行ってくるわ」
「要らぬ心配だけど、無理だけはダメよ」
クインツァイトの用意したケーブルが使われるのは、このメンバーではナギだけだ。万輝にも千影にもそれは必要なく、事前にそれらを承知しているクインツァイトは何も触れては来ない。
ナギの言葉を受け入れひらひら、と手を振りながら彼(彼女)は、一行の行方を見守るためにモニターへと視線を移し替えるのだった。
降り立ったエリアは、一目見ても乱れている場と分かるところであった。
雨が降ってはいるが、どうにも空気が重い気がする。
頭上に分身の黒兎を乗せて、周囲を視線のみで確かめた万輝は、軽い溜息とともに言葉を漏らす。
「……一から作り直したほうが簡単じゃない?」
「サラッと怖えこと言うなよなぁ。クインツァイトが泣いちまうぞ」
「まぁ……ここは僕の世界じゃないしね」
独り言のような万輝の言葉に、ナギが明後日の方向を向きながらそう言った。その視線の先に、二人の少女が立っていたからだ。
万輝の返事を受け止めてから、彼は少女たちに手招きをする。
一人は水色の少女ミカゲ、そしてもう一人はミカゲと同じ顔でありながらも『属性違い』であるホカゲだ。
「ミカゲちゃん、お久しぶり〜っ! そっちがホカゲちゃんかな? あたしはチカよ、初めまして!」
人一倍のコミュニケーション力を持ち合わせる千影が、迷いもなく彼女たちの前へ進み挨拶をした。ミカゲもホカゲも嬉しそうにしている。
「……何よ、今日はアンタも一緒なの」
スカートの裾をつまみ、可愛らしい挨拶を千影にしたあとで、ナギを一瞥したホカゲがそう言ってきた。
万輝の隣に立っていたナギは、肩をすくめて苦笑しつつ「今日は千影のご指名があったからな」と返し、距離を測る。
「嫌われてるね」
「まぁな。何かと難しいお年ごろってヤツなんだろ」
「……ナギサンの場合は、態度の問題だと思うけどね」
そんな会話を交わしてから、万輝は数歩進み出て、ホカゲの傍へと寄った。
そして彼は自然に膝を折り、彼女の手を取ってその小さな手の甲に軽いキスをしてから顔を上げた。
「初めまして、だね。キミは知っているかもしれないけど、僕は栄神万輝と言うよ。これからよろしく、レディ」
「!」
「おっと……」
万輝のそんな態度に、少女二人とナギが素直に驚きの表情を見せた。全くの予想外であったのかもしれない。
そつのない身のこなしは誰が見ても完璧で、感服するしかなかった。
「は、初めまして……ミカゲの妹、ホカゲよ。貴方はその……チカの主様、よね。色んな意味で完璧だわ」
「それはどうも」
ホカゲ自身が望んでいた行動でありながら、それを完ぺきにこなす存在が今まで現れなかったのか、動揺を隠せないままの返事になっている。視線を合わせられずに、頬を染める姿が万輝の瞳にはどう写ったのかと探りを入れてしまいそうになっているのは、ナギであった。
「ホカゲちゃん、ミカゲちゃんとおんなじお顔なのに、性格は全然違うんだね」
「属性で言えば、私は水で、ホカゲは火ですから……そういう意味でも、性格などは大きく違ってくるのだと思います」
千影がミカゲの隣でそう言った。
彼女はもうすっかり、ミカゲとは『お友達』である。その為に自然と手を取り、握り合っている。そんな状況を静かに嬉しく受け止めているのは、ミカゲ自身であった。
「……千影様は、雨は……お嫌いですか?」
「うんとね、雨が降るとお散歩の時、おひげがへちょってなるんだけど、それでもチカは、雨って嫌いじゃないよ♪」
ふとした問いかけであった。
だが千影は、それに迷いもせずに応えをくれる。
ミカゲはその返事を受け止めて、嬉しそうに微笑んだ。
「チカは万物を愛せる子だからね。……僕とは違って」
「あら、万輝は雨が嫌いなの?」
「どちらかと言うと、得意じゃないかな。これからの季節、どんどん湿っぽくなるし。チカのヒゲじゃないけど、感覚を鈍らされるのが、何とも気持ちのいいものじゃないよね」
「そう……私も苦手よ。ミカゲの言う属性の関係もあって、能力の半分も引き出せなくなるの」
万輝の方は、ホカゲとの会話が自然と数回交わされた。
電脳世界の住人、ということもあり、この姉妹とは波長が合わせやすいのかもしれない。
「――さて、そろそろ問題の根源を探ってみようか」
一拍の時間を置いたあと、万輝がそう言った。
その場にいるメンバー全員がそれに頷き、彼を見やる。
「紫陽花……花言葉は移り気……不誠実」
瞬時にこのエリアの情報をスキャンして、咲かない紫陽花へのイメージを言葉にする。
すると次の瞬間には彼の手がすらりと伸びて、人差し指が一点を指した。
途中で成長を止めたかのような、紫陽花の枝であった。
「ここで、気脈が乱れてる。……これは、見えないほうが幸せかもね……」
「万輝?」
意味深な彼の言葉に首を傾げて名を呼んだのは、ナギだ。
万輝はそれを調度良かったとばかりと捉えて、「それ、抜いてみて」と指示を出す。
「現実世界と同じように……電脳世界にも気脈のような電子の流れが存在するんだよ。これは、霊道っぽいけどね」
ナギは彼の指示通りに膝下くらいしか伸びていない枝に手をかけ、ぐい、と引いた。
土の下には根が当然存在する。
それを疑いもしていなかった彼らは、目の前に現れた光景に絶句した。
どす黒い瘴気を纏った『何か』が、根であるはずのモノになっている。例えるならば、ヒトの髪の毛のようなものだ。ホラー映画に出てきそうな展開である。
「……うげっ、なんだこりゃ!!」
そんな声を上げたのは、ナギであった。
ミカゲとホカゲは表情を厳しくしながら、個々にデータ分析を開始する。
「悲しみ、涙……孤独……」
「激情、怨念……届かない声……」
彼女たちはそれぞれに、そんな言葉を発して現状を把握する。
万輝は黙したままで立体マップを立ち上げ、一つのポイントに指を充てた。その指先から、曲線を描いた緑色のラインが幾重にも伸びて、行き着いた先でバツ印が表示される。
「まぁ、もう言うまでもないけど、これは限りなくマイナスの感情が強く働いた結果、だね。ここは一般サーバーでもあるわけだし、ユーザー間のトラブルでもあったんじゃないかな。その結果、恩讐が地面に蔓延って、花が咲くのを阻止している」
「冷静に分析してる場合かよ。コレ、どう見ても女の髪の毛だよな!? っていうか、すっげーウネウネしてんだけど!?」
「だからナギサンにソレを引かせたんだよ。他の人が引いちゃったら、危ないし汚いからね」
ナギの慌てふためく言葉に、万輝は何処までも冷静さを失わずに返事をした。
そして千影を傍に呼び寄せて、彼女の足元に可愛らしいレインブーツを構築する。
「さぁ、チカ。それを履いてこの辺りを走り回ってきて。あの黒いのが追いかけてくるから、遊んであげるんだ」
「鬼ごっこ? わーい、楽しそう! チカ、ブーツで水たまりを歩くのも大好き!」
千影は何の躊躇いもなく、主の指示に従った。レインブーツを楽しそうに履いて、ポン、と地を蹴る。
すると、恩讐の塊である黒い髪は、彼女を追い始めた。
引き抜いたナギに襲いかからなかったのは、彼自身が咄嗟にシールドを発動していたからである。その風の盾をそのまま千影へと向けようとしたが、万輝が「必要ないよ」と告げて、それを遮ってきた。
「チカは大丈夫……捕まえられないよ。彼女がアレを惹きつけてくれてる間に、根本的な改変をしちゃおう」
「こちらはいつでも対応出来ます」
「私も同じくよ」
万輝と双子の少女たちの息は、面白いほどに良く合っていた。
ナギはそれを見やって、軽いため息を吐く。
「じゃあ、初めよう。マップの上部を北と仮設定して……今のポイントを時計回りに二十度変更。方角を再設定……これを十秒で実行出来る?」
「可能です。リブートが必要ですが、オンのままで行えます」
「その為の『2人』だからね。ミカゲのサポートは私が完璧にやってみせるわ」
自分のエリアではない場所で、創世者であるはずの少女たちを従わせる。
そんな構図を、ナギは少しだけ離れた場所で見守っていた。三人はその間にも、この空間を再構築していく。一瞬だけ視界が揺れたように感じたのは、方角が変わったからなのだろうと思った。
「電脳神……って言葉、どっかで聞いたな」
ボソリと零した独り言は、誰の耳にも届くこと無く溶けて消えたが、それは万輝に向けられたものであった。
彼の行き先は定まっている。その先には、こんな光景が当たり前になるのかもしれない。
「わーい、アジサイちゃん早いんだねぇ〜! チカも負けないよ〜!」
視界の端にいるはずだった千影が、楽しそうにそんなことを言いながら、一瞬で空間を移動する。その後を追う女の髪、という異様な光景でもあったが、それもあと数秒で終わるのだろうとナギはこっそり思う。
万輝のほうへと再び視線を移せば、彼の手には黒い弓が収まっている。それは彼の眷属である黒兎が姿を変えたものであった。
「さぁ、コレで終わりだよ」
万輝は静かにそう言いながら、弓の弦を弾いてみせた。
すると、そこから空気が変わり悪しきものが祓われていくのを肌で感じとった。
その後、水を含んだ千影の足跡の元から地面が浄化されて、見る間にその場が華やかなものに変わっていく。
紫陽花が咲き始めたのだ。
「ミッションコンプリート、ね」
「そのようですね。このエリア内データベースからも先程まで存在していたエラーも消滅しています」
ホカゲとミカゲが、そんな言葉を紡いだ。
彼女達の脳内では、常にデータが動いている――否、この世界こそが、彼女たちの脳内でもある。ここは、そういう空間だ。
「万輝さま、今回もご協力ありがとうございました。とても助かりました」
「……まぁ、毎回好きにさせてもらう面では、僕もありがたく思ってるよ。君たちの世界なのに、逆に悪かったね」
「頼らざるを得ない状態だったんだから、いいのよ」
双子の少女はそれぞれにそんなことを言いながら、並んで万輝に頭を下げる。
彼女たちが完全に信頼を『外部』に寄せるというのは、何気に凄いことではないのか。そんな事を思うのは、ナギであった。
万輝と双子は、そこからさらに専門分野の用語をいくつか出し、情報交換などを行っている。彼らの関係は、今後も良好に続いていくのだろう。
「ナギちゃん、あのね、あっちに虹が出てるの」
「ん、ああ。ほんとだな。こっちの世界でも虹って出るんだなぁ」
いつの間にか自分の隣に足を運んでいた千影が、彼の袖を掴んでそう言ってくる。
ナギは自然と千影の手を取ってやり、彼女の指差す先へと視線を動かし感慨深げに返事をした。
「千影も頑張ったな、お疲れさん」
「うん。ナギちゃんもね」
電脳空間だということを忘れてしまいそうな光景の中。
本来の姿を取り戻した紫陽花のエリアには、それから暫くも虹が七色を放ったままでいた。
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登場人物
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【整理番号 : PC名 : 性別 : 年齢 : 職業】
【3480:栄神・万輝 : 男性 : 14歳 : 電脳神候補者】
【3689:千影 : 女性 : 14歳 : Zodiac Beast】
【NPC : ナギ】
【NPC : ホカゲ】
【NPC : ミカゲ】
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ライター通信
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ライターの紗生です。このたびはご参加有難うございました。
万輝さま・千影さま
いつもご参加有難うございます。今回はNPC3人のご指名も、有難うございました。
ホカゲとは初対面でしたが、何も問題は無さそうでしたね。
大人な対応してくださる万輝くんに感謝しきりです。
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
またお会いできたらと思っております。
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