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<東京怪談ノベル(シングル)>


瞬く星の上を(5)
 化物の肉体の一部が、長く巨大な腕へと変形し琴美の身体に掴みかかろともがく。けれど、その醜悪な手は彼女の美しき柔肌に触れる前に四散した。琴美が放ったナイフが、その腕を切り裂くほうが早かったからだ。
 突風のように化物の動きは素早く、嵐のようにその攻撃は過激である。だが、琴美の速さはそのスピードをも上回る。颯爽と相手の攻撃を避ける彼女の動きは、無駄がなく華麗であった。第二撃を加えようとしてきた相手の攻撃を、まるでステップを刻むかのように軽快な足取りで琴美は避けてみせる。彼女の動きを追いかけるように、長く伸びた艶やかな黒髪の先は宙に綺麗な軌跡を描いた。
「さっきからちょこまかと……よく動く人間ね。いつまでその体力がもつのか、見ものだわ」
 ふふふ、と笑声をあげながら、再び化物は腕を形成し振り下ろす。ふわり、と黒のプリーツスカートが揺れた。化物の一撃を叩き込まれ、床には大きな亀裂が入る。跳躍し攻撃を避けていた琴美は、それを見てどこか楽しげに口唇を上げた。
「確かに、凄い力ですわね。想像以上ですわ」
「そうよ、凄いのよ。私は凄いの。貴女だって、この力を手に入れてみたいでしょ? 追いかけっこはもうやめにして、さっさと楽になりなさいよ!」
「生憎、私にはその力は不要ですわ。それに、どれだけの威力があろうとも、私を捉える事が出来なければ意味がなくてよ!」
 疾駆。言葉を告げ駈け出した琴美のラバースーツに包まれた魅惑的な肢体を、化物の腕が慌てて追いかける。響き渡る音は、破壊の音だ。化物が腕を振り下ろすたびに、衝撃に床は悲鳴をあげる。
 ついぞ一度も相手に触れさせる事を許さずに、琴美は相手の懐へと潜り込んだ。まずは、一撃。彼女の拳が、敵の醜い身体へと叩き込まれる。息を吐く間も与えぬ内に、ニ撃目がそれを追う。琴美の今までの戦闘経験と類まれなる才能、そして努力が乗ったその拳の重さに化物は苦悶の声をあげた。
 駄々をこねる赤子のように、化物は無作為に暴れ始める。特定の形を持たぬ彼女は自由に身体を変形させながら、四方八方からその毒手を振るう。それでも琴美はその動きを完璧に見切り、全て避けてみせた。僅かな隙を見つけ、彼女は片足を軸にして身体をひねる。長く伸びたしなやかな足に操った風の力を纏わせ、琴美は渾身の回し蹴りを化物の身体へと叩き込んだ。
 衝撃が敵の身体に浸透する。人智を超えた頭脳は悟っていた。嗚呼、もうこの身体はもたないのだ、と。
「そんな……私には力が……力があるのに……。それしか、ないのに……」
 最期にかすれた声でそう呟いて、失敗作はようやくその活動を停止する。
「貴女にだって前は色々と大事なものがあったはずですわ。それを忘れてしまっていただけ。さぁ、もう悪い夢はおしまいでしてよ。……安らかに、お眠りなさい」
 澄んだ琴美の優しき声が届いたのか、否か。化物はもう口を閉ざしてしまっているので、真実は誰にも分からない。けれどその身体からこぽりと音を立てて流れ出る体液は、まるで怪物に成り果ててしまった少女の涙のようだった。

 ふぅ、と琴美は息を吐き烏の濡れ羽色な髪をかきあげる。戦いは終わった。後の始末は、それ専門の隊員達が迅速に処理してくれる事だろう。
 不意に窓の外を見ると、そこには夜の街が広がっていた。街の明かりは、まるで夜空に輝く星々のように見える。彼女はいつもこの星を見下ろしながら研究に明け暮れていたのだろうか。もう二度と、彼女自身はその輝きの中には溶け込めぬというのに。普通の少女として生きる事が出来なくなった哀れな実験体の亡骸を見下ろし、琴美はその整った眉を悲痛げに寄せた。
 だが、任務は確かに成功したのだ。街の平和は琴美の手により守られ、今後この悪趣味な実験の犠牲者が出る事はない。そして、似たような悪をこの世からなくすためにも、琴美はこれからも戦い続けなくてはならなかった。胸を刺す悲しみを次の任務への決意に変え、琴美は瞬く星の上を後にする。
 やがて彼女のロングブーツが床を叩く音も聞こえなくなり、そこには悪意にまみれた一つの実験が失敗に終わったその結果と、静寂だけが残された。