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<東京怪談ノベル(シングル)>


呪いの奉仕人形


 元々、かなりの高級ホテルであったのだろう。
 掃除さえ済ませれば、長期間それほど問題なく過ごせそうな部屋であった。
 無論イアル・ミラールは長期間、こんな所で暮らすつもりがなかった。
「お世話になったわねエヴァ。私、帰るから」
「ま、まあ待ちなさいな。そんなに急ぐ事もないじゃないの」
 エヴァ・ペルマネントが、何やら執拗にイアルを引き止めようとする。
 引き止められるのは、イアルとしては悪い気分ではない。自分がいなくなれば寂しい思いをする、のだとしたら気の毒ではある。
 自分がいなくなって、あの女教師も少しは寂しい思いをしてくれているのだろうか。オカルト系アイドルとして名前を取り戻した、あの少女はどうか。
 早急に自分の無事を伝えなければならない相手が、イアルには少なくとも2人いるのだ。やはり、いつまでもこんな所にはいられない。
「ねえイアル……ここしばらくの間、自分がどんな事になっていたのか。知りたいとは思わない?」
 あの手この手でイアルを引き止めようとするエヴァが、そんな事を言っている。
「それを知って、私にもっともっと感謝しなきゃいけないと思いなさいな」
「貴女には……正直、あんまり感謝はしたくないけど借りは返すわ。そのうち必ず」
 言いつつイアルは、軽く頭を押さえた。
「自分がどんな事になっていたのか……何となく覚えてる気はするけど、思い出したくない」
「駄目よ、しっかり向き合わないと」
「それは……そうかもね」
 イアルは溜め息をつき、ソファーに身を沈めた。
「……いいわ、聞いてみようじゃないの。私、どんな醜態を晒していたの?」


「イアル!」
 叫びながら、女教師は扉を開けて部屋に飛び込んだ。
 誰も、いなかった。
 誰かいたのは、しかし間違いない。
 廃ホテルの一室とは思えないほど、きっちりと掃除がされている。
 冷蔵庫も作動していて食べ物が入っているし、テレビも点く。水も出る。
「ここに……イアルが……?」
「いたんだとしても、どっか行っちゃったね」
 少女が、困ったように頭を掻く。そしてスマートフォンに話しかける。
「一足、遅かったみたい……イアルちゃんの行き先、何とかわかんないかな?」
『見当はついている。どうやら、虚無の境界の戦闘員と行動を共にしているようだからな』
 スマートフォンの向こう側で、探偵が答えた。
『2人とも、ここまでにしておけ。もう関わらない方がいい……IO2が、動き始めている』


 魔女が兵隊として飼っている怪物を、人骨のチェーンソーで切り刻みながら、エヴァは思う。
 今のイアルと牝獣のイアル、果たしてどちらが強いのか。
「ミラール・ドラゴン!」
 叫びに応じて5色の光が生じ、甲冑となって、イアルの豊かな胸を拘束し、安産型の尻まわりを覆う。
 左腕には楯が、右手には長剣が生じていた。
 防御力など無さそうな、金属製の水着にしか見えない甲冑。だが、身体能力は向上しているようだ。
 肌も露わに武装したイアルの肢体が、牝獣の時と何ら変わらぬ速度で躍動し、長剣を振るいながら楯を叩きつける。
 攻撃魔法を発射する寸前であった魔女たちが、ことごとく叩き斬られて飛び散った。
 魔女の護衛である怪物たちが、叩き潰されて楯に貼り付いた。
「張り切ってるわね、ユー」
 あちこちから毒蛇のように群がり寄って来る触手を、チェーンソーで無造作に切り払いながら、エヴァは声をかけた。
「牝犬ちゃんにされていたのが、そんなに許せない?」
「それもあるけどっ!」
 真正面から襲い掛かって来る、陸生のサメのような怪物の巨体を、同じく真正面から斬撃で両断しつつイアルが答える。
「魔女結社はね、潰さなきゃいけないの。私みたいな目に遭う人を……これ以上、出しちゃいけないし、いるなら助け出さないと」
「そうねえ。手のかかる牝犬ちゃんは、ユーだけで充分だものね」
 触手の発生源である怪物を叩き斬りながら、エヴァはイアルを観察した。
 むっちりと形良い太股の躍動と、美しい腹筋が柔らかく捻れる様に、目も心も奪われた。
(ユーはとっても素敵よ、イアル・ミラール……駄目。この綺麗な牝犬ちゃんは、誰にも渡せない……)
「ま、待って! 待つんだよイアル・ミラール」
 魔女の1人が、命乞いをしている。
「わかった、私たちの負けだ。もう誰にも迷惑かけないように生きてゆくから、どうか見逃しておくれよ。捕まえてある女の子たちも解放するから」
「駄目よ、それだけじゃ」
 長剣を魔女に突き付けたまま、イアルが言う。
「これまでしてきた事の、償いをしなさい。魔女結社の総力を挙げて」
「わかっている、わかっているともさ……イアル・ミラール」
 その名前が、どこか禍々しい口調で発せられたのを、エヴァは聞き逃さなかった。
 だが、すでに遅い。
 イアルの身体が、硬直していた。
「イアル……?」
 エヴァが呼びかけても、イアルは応えない。動かない。
「そうさ、お前は動けない。私たちに逆らえない」
 魔女が笑っている。
「お前に返してやった名前に、ちょっとした呪いを仕込んでおいたのさ。その鍵を今、開いてやった……イアル・ミラール、お前は私たちのメイドだ。生まれた時から、そうだったんだよ」
「はい……御主人様……」
 そんな言葉を呟くイアルの全身で、水着のような鎧が、キラキラと光の粒子の状態を経て、もう少し露出控えめの衣装に変化していった。
 凹凸のくっきりとした魅惑のボディラインが、白と黒のエプロンドレスによって清楚に引き立てられている。
 ひらひらとフリルの付いた、それはメイド服だった。
 エヴァは絶句した。
「か……可愛い……」
 あまりにも愚かな油断。それを自覚した時には、すでに遅い。
 2つの何かが、左右から忍び寄って来る。
 そして、エヴァを包み込みながら合体した。
 円筒形のカプセル。
 ガラス製だが、単なるガラスではない。強い魔力が、練り込まれている。
「お前が得意とする怨霊の力……その中では一切、働きはしないよ」
 魔女が嘲笑うが、その声もすぐに聞こえなくなった。
 毒々しい悪臭を発するものが、どろりと降り注いで来たからだ。
 カプセルの上部に仕込まれていたのか、あるいは外から注ぎ込まれているのかは、わからない。
 とにかくそれは、コールタールだった。
「虚無の境界のガラクタ人形……お前は今から、本当の人形になるのさ。殺しはしないよ。お前みたいなのでも、欲しがる客はいるかも知れないからねえ」


 魔女結社という組織は、例えば虚無の境界のように、世界の滅びを目指しているわけではない。
 基本的には、単なる商売人の集まりである。
 扱っている商品が、法や人倫に反しているというだけの話だ。
 世の人々にとってどちらが有害かと言えば、虚無の境界の方が圧倒的に有害である。
 魔女結社は、ただ商売をしているだけだ。
 イアル・ミラールを、売り物にしているだけなのである。
 やめろ、やめて、やめなさい。
 エヴァは、そう叫び続けた。心の中でだ。
 口の中が、声帯に至るまで、魔法のコールタールによって塞がれている。
 宴会場の片隅でブロンズ像と化したままエヴァは、誰にも聞こえぬ叫びを発し続けていた。
 魔女結社の顧客たちが招かれ、卑猥な宴が催されている。
 イアルは魔女たちに命ぜられるまま、招待客の相手をしていた。
 接待を、奉仕をしていた。
 その愛らしい唇で、しなやかな両手の五指で、豊麗な胸の谷間で、客たちを快楽の絶頂へと導き続けた。
 声を出せない、動く事も出来ない、エヴァの眼前でだ。
(……殺してやる……滅ぼしてやる……ッ!)
 冷たいブロンズ像の中で、熱い憎悪の炎が燃え盛る。
(魔女結社……もはや1匹たりとも生かしてはおかない……ユーたちは、死ぬのよ……お願いだから殺して下さいと、無様に泣き叫びながら……!)