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■ とある錬金術師の悪戯 ■
「ティレ、今日“いつも”の女将さんが来るから、お茶菓子を用意しておいてくれるかしら?」
いつもと変わらぬ昼下がり。シリューナの魔法薬屋。その奥にある工房兼倉庫から顔だけを覗かせてシリューナが言った。
「はぁい!」
ティレイラは元気よく答えると持っていた花瓶をそっと廊下の台の上に置いた。太い茎の先に大きな黄色い花を2つ咲かせている。観賞用であり、その花粉は薬にもなる花だった。その見栄えを整えティレイラは早速買い物支度をすると、程なく、暑い日差しの降り注ぐ東京の街へ繋がるその門を開いて外へ出た。
幸いこの東京の街は美食に溢れている。お茶菓子を探すには打って付けだろう。さても洋菓子にしたものか和菓子にしたものか。ティレイラは考えるように視線を右上の方に向けていつもの女将の事を思い出した。
シリューナが調合し売っている魔法薬の材料はもちろんと言うべきか全てを自らが集めてきているわけではない。特にレアリティのさほど高くない大量消費素材などはそれらを集めるハンターや場合によっては栽培などしている生産者から仕入れる事になるのだが、それらを束ね元締めをしているのが“いつもの女将”だった。これは余談だが彼女の店の名前を“いつも”という。
いつもの女将は荒くれのハンターどもを仕切っているだけあって有無も言わせぬ迫力と貫禄のあるスキンヘッドの女性だ。スレンダーボディにハイカラーのシルクで出来たチャイナドレスっぽい服を好んで纏っている。腰まで入ったスリットから覗く艶めかしくも白い足と豊満な胸から醸し出す色香は彼女がいつも手にしている大きな羽扇でも隠しきれないほどの美人であった。
「うーん…月餅とかの方がいいのかなあ?」
中華菓子も似合いそうだと思うともはや何を選んでいいのかわからなくなってティレイラは頭を抱えた。
結局さんざん迷って歩き回った結果、ティレイラは最近マイブームになっているお気に入りの洋菓子屋でケーキを買う事になるのだが。
後になって思えばこの時からケチが付いていたのかもしれない。若干のこじつけも含まれるのかもしれないが、いつもの女将には振り回される運命なのだ、と。
とにもかくにもいつもの女将が来てしまう前に帰らねばと慌てて門をくぐった時、店の前に1人の女性が立っているのに気が付いた。帰ってきたティレイラを見つけて彼女はわざわざ、耳に付けた大きな金色のリングのピアスを揺らしながら駆け寄ってくる。
いつもの女将だ。
「ティレさん! よかったわ、先に会えて」
それはティレイラの台詞だろう。一応、間に合った…でいいのか。しかし“先”に、とは。
「こんにちは、マダム」
ティレイラは両手でスカートの裾をあげて笑顔で一礼してみせた。ティレイラもシリューナも彼女の事を“マダム(女将)”と呼んでいた。
「こんにちは。貴女に渡したいものがあったのよ」
そう言っていつもの女将――マダムは持っていたハンドバックを開いている。中から取りだしたのは……。
「私に、ですか?」
何だろう、見当もつかなくてティレイラは不思議そうに首を傾げた。
「えぇ、是非貴女に使って貰いたくて」
そう言ってマダムは何かを握らせるようにティレイラの開いた手を掴むと、ティレイラを見下ろす金色の長い睫の下の蒼い瞳をいたずらを思いついた子どものように輝かせてこう宣ったのだ。
「使ってくれるわよね!」
◆
錬金術。それは卑金属から貴金属を錬成する研究から始まり、やがて不完全なものから完全なものへ、肉体や魂をより完全なものへと変える研究へと変貌していった。その究極が賢者の石と呼ばれるものであるが、とにもかくにも。
錬金術師たる彼女にとって趣味で行う錬金術は肉体だろうが魂だろうが卑金属だろうが非金属だろうが、ありとあらゆる万物を彼女の寵愛するところの金に変える事だった。
魔法金属などではない。金がいいのだ。
それを愛でるのがいいのだ。だが、この世の全てを金に変えてしまってはそのレアリティが失われてしまうという葛藤もあった。
だから彼女は時限的に金に変える秘術を好んで研究していた。
その大いなる研究は当然、実験と結果のフィードバックの繰り返しの果てに成し得るものだ。
しかしこのプロトタイプ52はその仕様から自らでは扱い辛かった。よって被験者を必要とした。そんな時、旧知から連絡があったのだ。
「魔法素材を頼みたいんだけど」
彼女にとってそれは天啓であった。
▽▽▽
「お姉さま、いつもの女将さんが来ましたよ」
マダムを応接室に案内し、ティレイラが工房の方へ声をかけると「今、行くわ」というシリューナの声が返ってきた。
ティレイラは胸が早鳴るのを感じながらキッチンでお茶の用意をする。やかんでお湯を沸かしながらも、ポットに茶葉を投入しながらも、その視線は何とはなしにそこへ向かった。その視線の先にあるのは青灰色の皮袋。その中には魔法の粉が入っている。
マダムに渡された。彼女の説明によれば、この魔法の粉は触れた者を魔力を帯びた金の像に変えるという。もちろん、短時間で効力は解けてしまうのだが。
マダムはティレイラに囁いた。シリューナを金の像にしてみないか、と。
他者を像に変えてオブジェとして楽しむ、という趣向に今一つ理解の及ばなかったティレイラであるが、以前、魔法鉱石の像に変えられたシリューナの姿を見たとき――今のところはシリューナ限定であるが――アリだと思った。
あの美しい姿と繊細なまでの表情を止め置き余すことなく堪能出来るのだと思うと心揺れないわけはない。とはいえ、それをやった後のシリューナのお怒りを想像すると悩ましいところであった。
使うのか、使わないのか。それが問題だ。
ティレイラは葛藤の中で沸騰するお湯と皮袋を見返した。
黄金に輝くシリューナの姿が脳裏を過ぎる。それはこの前みた魔法鉱石のそれとはまた違った風合いに包まれていることだろう。
トレーの上に並んだソーサーの上にティーカップをのせ、ポットにお湯を注ぐ。
逆さまにした砂時計の砂がさらさらと流れ落ちる間、ティレイラはじっくり考えた。
叱られるだろうか、否。どちらかといえば罰としてティレイラがオブジェにされ、楽しまれるだけのような気がしなくもない。楽しまれる。つまり最終的には楽しんでもらえる。ならばそれは本望か。シリューナも楽しいならいい気がしてくる。――段々論点がずれてきている事に本人は気づいていない。
砂が落ちきるのを見てポットの紅茶をカップに注ぎ。
ティレイラは意を決したように皮袋を握りしめた。
トレーを手に応接室へ。
そこではシリューナとマダムが話をしている。その切れ間を縫うようにティレイラは声をかけた。
「お茶が入りました」
一旦トレーをテーブルの隅に置くと膝を付いて、先ほど買ってきたオレンジとアーモンドののったチーズケーキとお茶を2人の前に並べる。
「あら? ティレの分は?」
2つづつ並べられたティーカップとケーキにシリューナが言った。
「一緒にいただきましょう」
促すシリューナに、だが。
「はい…」
聞こえているのかいないのかティレイラはどこか焦点の定まらない顔で応えた。
口元まで運んでいたカップを持つ手をとめて、シリューナはテーブルの脇に膝をついたまま固まっている風のティレイラを見やる。
このときティレイラはやるぞという意気込みと失敗したらという不安が混ざり合っているのか、それとも既に金化したシリューナが見えているのか、緊張と興奮の絶頂にあったのだがシリューナには知りようもない事だった。ティレイラの皮袋を握る手は汗ばんでいた。
シリューナがティレイラの様子に首を傾げつつも一啜りしたティーカップをソーサーに戻す。
その瞬間を見計らっていたのだろうか。
ティレイラがおもむろにシリューナに抱きついた。
「ティレ?」
驚いたようにティレイラを抱き留めてシリューナが問いかける。
「どうしたの?」
先ほどまではあんなに元気であったのに、何かあったのだろうか。彼女の様子がおかしい事に心当たりはないが、ゆっくり聞いてあげればいい。
ただ。
ティレイラはシリューナの胸に顔を埋めたままこちらを見上げようともしない。訝しみつつシリューナはマダムを振り返った。マダムは大してこちらを気にした風もなく美味しそうにケーキを頬張っている。商談は終わっているし、どうぞご自由にといったところなのだろう。どこかドライなマダムに安堵しつつシリューナはティレイラに向き直った。
ティレイラに抱きつかれているのは悪い気はしないし、自分を慕っても頼ってもくれていると思うと嬉しくもある。
「何があったの?」
シリューナは優しく声をかけティレイラの黒く長い髪をそっと撫でるようにその頭に手を置いた。
その時だ。
「!?」
異変に気づいてシリューナは自分の背中を覗きこむように首を回した。それは既に肩口にまで及んでいる。金色の膜が自分を包みこもうとしている事にシリューナは目を見開くとティレイラの肩を掴んで押しやった。
「どういう事なの!?」
「すみません! お姉さま!! でも、お姉さまも楽しいです!」
過程が省かれたせいか、何がどうなってそういう結論に至るのやら。よくわからない事を叫びながらシリューナの肩を掴むティレイラの手はいつも以上に強く、そしてその顔は興奮にか鼻息荒く頬を上気していた。
思わずシリューナは息を呑みティレイラとマダムを交互に見返した。
マダムに他者を像にしてオブジェとして楽しむ趣味はない事は誰よりもシリューナがよく知っている。但し、その一方で彼女が金をこよなく愛していることも知っていた。
「まさか…」
マダムは相変わらずどこ吹く風だ。楽しんでいる様子もないのが今一彼女を読みづらい。
とはいえ、今はそれどころではなかった。事が事なのだ。シリューナは抵抗を試みる。
押しのけようとするシリューナにティレイラは「えぇい!!」と気合いをいれてシリューナをソファーに押し倒すと、翼と尻尾を出し本気で上から全体重をかけて押さえ込みにかかった。
ソファの上で取っ組み合う2人に、マダムは仲裁に入るでもなく我関せずを貫いている。マダムが何を考えているのかは相変わらず知れないが、これは彼女が仕組んだ事だろう。シリューナはそう察せざるを得なかったが、その時にはもう金の侵蝕は全身にまで及んでいた。
「………」
シリューナの肢体が完全に黄金色に変わるとティレイラはどこかホッとしたように息を吐いて、自分の下で自分を見上げたまま金の像となったシリューナを見下ろした。
やりきったという達成感とシリューナを組み敷いているという複雑な背徳感がティレイラを包み込む。
半ば陶酔したようにティレイラは金の像に指を這わせた。
「はぁ…お姉さま……」
甘い声が自然漏れた。
黄金の美しい光沢が窓から入る太陽の光をキラキラと跳ね返している。
テーブルの向こう側で、カチャリと音を立ててカップを置いたマダムが立ち上がる気配がした。
「素晴らしいわ!」
先ほどまで全く我関せずであったマダムが感嘆の声をあげてティレイラの方へと歩み寄る。
「はい…」
ティレイラは酔ったように応えた。
シリューナの大きな双丘から下腹部へと至る美しい曲線をなぞっていく。やはりお姉さまは綺麗だ、と。
像になるとわかって尚、ティレイラのように慌てふためいたり泣きじゃくったり、そんな表情は残さない。前回の時も今も、その表情は凛としている。それでこそティレイラのお姉さまだ。
ああ、でも今は前回の時と違って少し微笑んでいるようにも見える。やれやれと妹を見守る姉のような、しょうがないわねとため息を吐きながらも受け止めてくれているような。
そんな優しい微笑に手を伸ばす。
ティレイラの目にはシリューナしか映っていなかった。
そのティレイラの耳元にマダムが口を寄せる。囁くような声がティレイラをまるで現実へと引き戻した。
「え!?」
驚いたようにティレイラはマダムを振り返った。
魔法の粉にはティレイラが聞かされていた以上の効力が秘められていたのだ。デメリットとでもいおうか、それは、粉を使った者をも金に変えてしまうという魔法。
「嘘…まさか!?」
マダムは妖艶な笑みを形のいい口の端に浮かべて小さく頷いた。だから、マダムは自ら魔法の粉を使わずティレイラに委ねたのだ。
ティレイラが騙されたのだと理解した時には既にティレイラの羽も尾も黄金色に包まれていた。
「嘘…でしょ!? ……いやーん!!」
硬化していくのを感じながらティレイラはまだ動く唇を動かして自分の迂闊さを嘆くような声をあげたが、それを最後にティレイラの体はシリューナの体を組み敷いたまま黄金の像となった。
「ふふふ」
マダムは満面の笑顔で満足げに2体の金の像を見つめた。組み敷かれたような格好のシリューナはティレイラを優しく見上げている。一方ティレイラは背を仰け反らせ天を仰ぐような格好をしている。
その姿は別々に完成したはずなのにあたかも最初から一対のそれになるように仕上げられていたようだった。
マダムはノートを取り出すと何やら羽ペンを走らせた。
魔法の粉の性能を記録するためだ。
金の純度や魔力の帯び具合などを計測しつつ、かくて2つの重なり合う金の像をたっぷり満喫したのだった。
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これは余談になるが。
金化にはタイムラグがあった分だけ金化が解けるのにもタイムラグがあってティレイラの金の像に組み敷かれたまま元に戻ったシリューナは自分の上に覆い被さるティレイラの金化が解けるまでそのままだった。
ちなみに、シリューナが戻った時にはマダムの姿は既になく、ただテーブルの上には金化した2人の写真がマダムの謝罪と感謝の言葉を添えられて置かれていた。
■■大団円?■■
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