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Blood of Loneliness
武器庫が遠い。
ニノマエのコンディションが悪いせい、というばかりではない。物理的に遠いのだ。
ここは山のただ中に建つ製薬会社の研究所。ただし、研究しているのは新薬でもなければ美容品でもない。兵器だ。技術と熱意を尽くし、よりうまく、より大量の人間を殺す兵器を開発し続けている。そして。
ニノマエもまたひとつの兵器だった。人のように考えてしゃべる、人ではありえない人造生命体――ホムンクルス。
「健康のために毎日1万歩歩きましょう、じゃねぇよ」
彼が所属する警備班では統括部長――彼は純然たる人間だ――の趣味により、そのような標語が掲げられていた。
いい迷惑だ。
日々の訓練で1万歩歩くよりずっと運動させられているし、こんなふうにそこかしこで警報がわめきたてる日にはもう、運動どころじゃない目に合わされる。
「どうせならホムンクルス専用お散歩コースでも造ってくれよ」
吐き捨てるニノマエの腰で、戦場仕様の万歩計が26676歩を示したころ。ようやく武器庫の前までたどりついた。
と。
武器庫の重い扉がわずかに開き、知った顔がすべり出してきた。
「なにあんた、ボロボロじゃない。もうどっかでやらかしてきたの?」
声を発したのは少女。強気な細面をゆるくくくった黒髪で飾っている。
「ごきげんよう、ニノマエさん」
少女と同じ年頃の、優美な顔立ちをした少年がしっとりと一礼した。
ふたりともこの研究所の道具、ホムンクルスである。
「これから出勤かよ」
「うん、まーね」
「それでは行って参ります」
ニノマエの横を、ふたりが抜けていく。道具として当然の役割をこなすため、割り振られた現場へ向かっていく。
「なあ」
びくり。ニノマエの声音で斬りつけられたかのごとくにふたりの肩が跳ね、足が止まった。
「なに?」
「申し訳ありません、急いでいますので」
「これから出勤しようって奴らがよ、なんでもう血生臭ぇんだ?」
ふたりがニノマエから跳びすさった。ふたりの目に滾る焦燥と殺気――それは同僚のニノマエに向けていいはずのない、敵意の目だった。
「おまえら、逃げんのか?」
「……あんただってわかってんじゃないの? 外はこんなとことちがう、明るくてやさしい世界なんだって!」
「今日、このときでなければチャンスがないのです。だから、わたくしたちは」
一般人に与える印象のいいこのふたりは、諜報や暗殺といった外回りを主任務としている。そこで勉強してきたのだろう。研究所がどれほど暗く、狂っているのかを。
「さっきの奴らもほかのお客さんも、おまえらがご招待しやがったんだな」
この研究所群のセキュリティは固い。笑顔で来客を歓迎するどころか、銃を突きつけて追い返すのが普通の対応。そう。内側からドアを開いて招き入れる内通者がいない限りは。
「……ま、別におまえらがどうだって構わねぇよ」
少女と少年の目に希望が灯る。
しかし。
「敵は殺す。それだけのことだからな」
希望はすぐに打ち砕かれた。
武器庫へ駆け込んでいく仲間だった敵を追い、ニノマエは武器庫の扉を蹴り開けた。
常ならばホムンクルスの手でぴかぴかに磨き上げられているはずの武器庫の床は、血溜まりでいっぱいだ。
いったいどれだけの人間をぶち殺せばこうなるものかはわからない。わかるのは、転がっている死体――血溜まりの素のひとつが統括部長ということだけ。
これで万歩計ともオサラバだな。喉の奥でつぶやいて、ニノマエは壁のラックに収まっていたブレードを1本適当に引き抜いた。
「武器を取りましたね。……ためらってくれるのではないかと、期待してしまいました。馬鹿ですねわたくしは」
少年が親指の先から指弾を飛ばした。カルシウムを鉄に置き換えられた骨から鉄を抜き出して精製、超重力を付与した弾である。
「警備が俺の仕事だよ。俺は自分の仕事をしてるだけだ」
ニノマエは体を大きく反らしてこれをよける。
1センチにも満たない鉄弾が壁に突き立ち――1メートルもの大穴を開けた。あいかわらずふざけた「重さ」だ。
「あなたは骨の髄まで便利な道具なのですね」
苦しげに言う少年。
彼はもともと“女子”だった。しかし、鉄と重力、ふたつの能力を埋め込まれた際、変えられたのだ。重さを支え、それを振り回せる膂力を備えた男の体へ。
「おまえにだけは言われたくねぇセリフだな」
口の端に皮肉を閃かせ、ニノマエが少年にブレードを叩きつけた。
バギン! 濁った音をあげて折れ飛ぶブレード。
「その程度の刃で、私の鉄は破れませんよ」
鉄で覆われた少年の腕が、棍棒さながらにニノマエの顔面を打ち据えた。
「がっ!」
砕けた頬骨が瞬時に再生し、後には骨を震わせる鈍い痛みだけが残った。ニノマエの体に痛覚を残してくれた研究者は死ねばいい。いや、もう血溜まりのひとつに成り果てているか。
「――そっちばっかり気にしてると、後ろからバッサリよ?」
後ろへよろけたニノマエの背に、数十もの鋭い切っ先が潜り込む。
「ぐ、ああ!」
彼をえぐったのは、彼が噴き上げたものと同じ“血”。
「できれば殺り合いたくなかった。同じホムンクルスで、同じ血刀使いのあんたとはね」
少女の黒髪が濡れたように光っていた。いや、本当に濡れているのだ。彼女自身の血によって。
暗殺を主任務として開発された少女の唯一の能力が、血刀。
それを使うために彼女が自身を傷つける必要はない。自在に血をあふれさせることができるよう、体中の毛穴が改造されているからだ。
「でもね。やるって決めたからには最後までやる」
ニノマエの体内で、少女の血刀が膨れあがってねじれた。
「がああああああ!!」
肉と肺をかきまわされ、ミンチと化してニノマエを内側から圧迫する。
ニノマエはななめ前へ倒れ込んで少女の血刀から強引に体を引きはがしつつ、自分の腹へ折れ残ったブレードを突き立て、かっさばいた。彼が倒れ伏すと同時に赤いミンチが一気に噴き出し、床をどろどろに汚した。
「再生能力があるからって……痛くないわけ?」
「痛ぇよ」
猛烈に痛い。だが、ミンチをそのまま腹に入れておけば、それだけ余計な重さを抱えることになる。
歯を食いしばり、ニノマエが前へ転がった。
そのまわりの床に次々と鉄弾が、そして血刀が食い込み、彼の進路を阻害する。
「っ!」
かっさばいた腹がくっついたのを確認し、ニノマエは少女目がけて跳び。
重さを乗せた鉄と鋭く研ぎ上げられた血とに挟撃されて墜ちた。
「ぐ、ああっ!」
半分ちぎれた胴から潰れた内臓がまき散らされ、深い切れ込みを入れられた心臓から血が噴きこぼれていく。
それでもニノマエは死なない。否、死ねない。
「あたしたちがあんたのこと誘導してたの、気がつかなかった?」
「すみません。これで終わりにさせていただきます」
少年の撃ち出した重い鉄弾が、三白眼をいっぱいに開いてそれをにらみつけたニノマエの頭を砕く――
1、2、3。飛来した銃弾が鉄弾を撃ち据え、弾いた。
「間に合ってしまった。と、いったところかな」
……武器庫の入口に、銃を携えた彼が立っていた。
暗い光を湛える碧眼を気だるげに細めた彼は、一歩踏み出して撃ち、また一歩踏み出して撃ち、少年と少女をニノマエから押しはがした。
「手伝えるか?」
まだ転がったままのニノマエに彼が言う。あなたを手伝おうか? ではなく、自分を手伝えるか? と。
彼の名は青霧・カナエ。この研究所に所属する戦闘要員であり、当然のことながら、ホムンクルスである。
「……なにしに来やがった」
ニノマエの不機嫌な問いに、カナエはただ淡々と。
「武器庫から救援要請が届いた。行けと言われた。それだけさ」
少年の鉄弾をまた撃ち落とし、カナエが前へ。その背中越し、ニノマエに言い残す。
「血刀使い同士で遊んでこい。僕は重さ使いに用がある」
ち。ニノマエは舌打ちし、それでも少女へと向かった。
「というわけで、僕がお相手しよう」
「お噂は聞いていますよ。重力操作の能力をお持ちだと」
「それだけではないけれどもね」
「それも……存じていますよ!」
少年が鉄弾を弾き出した。すさまじいまでの重さを与えられたそれは、辺りの空気を歪めながらカナエへ迫り――ぶわり。唐突に軌道がぶれたかと思いきや、加速を失って落ちた。
「……私の弾のほうが重いはずなのに」
「磁場に重力を乗せた」
鉄である以上、磁力には逆らえない。カナエは鉄を引き寄せるための磁場を形成し、さらに鉄弾を引き込むための重力をかけた。単一であれば止めきれなかった重さを、ふたつの力を縒り合わせて吸い取ったのだ。
「切り替えたほうがいいね。僕はあなたが今まで殺してきた人間とはちがう。ホムンクルス殺しのホムンクルスなんだから」
カナエの肌から霧が忍び出す。捕らえた者の感覚を狂わせるそれが薄く広がり、少年を包み込んだ。
「私には効きません!」
場に残されたカナエの磁場へ跳び込み、少年が口の端を吊り上げた。
彼は体内の鉄に磁気を帯びさせることで磁石化した。そしてその磁石の「狂い」を基に計算を行い、感覚の狂いを修正したのだ。
「さすがはホムンクルスだね。頭の出来が人間とはちがう。でも」
少年の演算能力を讃えたカナエが手をかざした。
室内にぽつり、ぽつりぽつりぽつり……降り落ちる雨。
「強酸霧雨。酸と鉄との相性、計算で覆せるかな?」
一方のニノマエは、また床へ這いつくばっている。
「ふっ」
息を吐いたつもりが、血を吐いた。ダメージが積み重なりすぎて、再生能力が落ちている。破れた内臓が治りきれずに悲鳴をあげていた。
「あたしはあんたみたいに再生とかはできないけどね。あんたにできないことができるのよ」
これまでにイヤというほど思い知った。たった今も思い知らされている。
少女の血刀は、ニノマエが握ったどんな剣より、そればかりか彼の血刀よりも鋭かった。しかもその形状は自在に変化し、さらには彼女の体に触れていなくとも遠隔で操作できる代物だ。
正面からの斬り合いでも、策を弄した戦術の比べ合いでも、ニノマエが少女に及ぶものはない。ホムンクルスとしての完成度――人外の度合がちがいすぎる。
「あんた、もっと早く死ねたらよかったのにね」
ニノマエの背後で血溜まりが跳ねた。少女が殺した研究所員が流した血、そこに潜ませた少女の血が主の指令に反応し、刃と化して伸び出したのだ。
「があああああ!」
脚を斬り落とされて転がるニノマエ。必死で自分から分離した脚を引っつかみ、傷口同士を押しつけた。まだ治る。繋がる。しかし、あと何回同じことができるかはわからない。
「あんたにあたしの刃は止められない。観念したら? 死ぬまで斬り続けてあげるわよ」
ニノマエは三白眼を必死で辺りへ巡らせた。剣も刀も、すべて少女に斬り折られた。最後に残された血刀とて、ニノマエの技では少女へは届かない。
少女の刃を止めなければ。でも、どうすればそれができる?
ニノマエは斬り刻まれながら探し続け。
ついに、見出した。
「問題にはなりませんよ!」
少年が重力をねじ曲げ、カナエの強酸霧雨を自分から反らしつつ鉄弾を撃つ。
「そうだね。そうみたいだ。重さ比べでは僕に勝ち目がないしね」
淡々と述べるカナエの肩を鉄弾が貫いていった。乗せられた重力はほぼ打ち消しているので体を大きく破壊されることはないが、それでも小さくないダメージを負う。
その間にも、虚しく床を濡らす酸雨。
この部屋の床は化学薬品による損傷を防ぐためのコーティングが施されているため、溶け出すようなことはない。そのため、酸はただ流れゆくばかりだ。
「万能を気取るあなたを殺せたこと、これからの人生で何度も思い出すでしょうね」
鉄弾を撃ちながら少年がカナエを追い詰める。
「人造の人外が人の生を語るか」
カナエは為す術なくただ下がり、撃たれ続ける。
しかし。
「!?」
カナエにとどめを刺すつもりだった少年の指が空振った。
鉄弾が、出ない。
「感覚を修正するのにいそがしくて、計算しきれていなかったんだろう。自分の骨に残された鉄の量を」
誇ることも嘲ることもなく、淡々と告げるカナエ。
カナエは見切っていた。少年が自分の鉄の保持量と消費量を把握できていないまま攻撃し続けていたことを。
「血を吸うかい? なにせここにはむき出しの血がいくらでもあるんだ」
少年には、他の動物の血を吸って鉄を濾過し、自分のものとする能力がある。床の血溜まりを吸えば充分な量の鉄を補給できる……
「――そういう、ことですか」
「そういうことだよ」
酸雨だ。少年を侵すことなく床に流れた酸の行き先はすなわち血溜まり。血を吸えば酸も吸うこととなり、少年は体内から破壊されることとなるのだ。
少年はあえぐように顔を振り向け、少女を見た。ニノマエを蹂躙する美しい少女。ともに光の下で生きることを誓い合った、魂の片割れ――
少年が血溜まりに手を突き込み、吸い上げた。体内に酸が巡り、肉を、骨を、内臓を焼く。それでも彼は鉄を精製し、そして。
「私の分まで生きて! 私の分まで長く、楽しく――お願い」
精製した鉄を少女へ飛ばし、その体へ押しつけた。
「っ! なにするのよ!?」
少女に押し当てられた鉄が、重力で伸ばされ、曲げられ、彼女の肢体を包む鎧と化す。
「血を……膜にして……」
かくして少年だったものはずるりと床に落ちて爆ぜた。
「あーあ」
鉄をまとった少女が、深くため息をついた。
「いっしょに生きるって、言ったのにね」
鉄を自分の血で濡らし、赤く染めた彼女が血刀を飛ばし、カナエを斬り飛ばす。
「っ!」
斬られながらも撃ち返すカナエ。だが、その鉛玉は鉄の鎧に弾かれ、火花だけを残して消えた。
「死ねよ。あの子が死んであんたらが生きてるとか、ありえない」
続く酸雨が彼女を濡れそぼらせたが。溶けるどころか煙ひとすじ上がりはしなかった。
「――血を皮膜にして酸の浸食を防いでいる。手は思いつくけど、効果の程までは保証できない。多分、効果が出る前に斬られて死ぬだろうしね。どうする?」
荒い息をつきながら、それでも無表情を崩さずにカナエが言った。
「1回だけ手ぇ貸せ」
カナエよりもさらに荒い息をつきながらニノマエが返した。
「今まで手も足も出なかったくせに?」
「手も足も出なかったからよ、思いついた」
ニノマエが歯を剥いて駆けだした。
「さくっと殺してやるよ。あんたの汚ぇ死に顔、夢に見たくないからさ」
血溜まりから飛び出した血刀が、四方八方からニノマエを斬りつける。
その都度ニノマエはよろめき、倒れ、立ち上がり、また斬られてよろめいて倒れ……立ち上がる。傷口から血を流し、そこかしこの血溜まりを太らせながら少女を目ざす。
「いいかげん死ねよ! うぜぇんだよ! あそこの霧吹き器といっしょに地獄に落としてやるよ!!」
「お気づかいいただかなくてもよ、俺もおまえも地獄にいるぜ……?」
ニノマエの顔に凄絶な笑みが浮かび。
「血の池地獄にようこそ、ってな」
血溜まりに仕込まれていた少女の血が一斉に伸び上がり、今度こそニノマエを両断しようと――
「え!?」
――血刀が、動かない。
「これ、なに? どういうこと?」
何度指令を送っても、彼女の刃は血溜まりの中でかすかに震えるばかり。
「血液型占い、やったことあるか?」
強化された瞬発力で少女へ詰め寄ったニノマエが額を彼女の額に打ちつけ、ささやいた。
「俺ぁ頭悪ぃから、さっきやっとわかったんだよ。ホムンクルス同士の輸血っての、なんで聞いたことねぇのか。おまえの相方がなんでホムンクルスの血を吸えねぇのか」
「あんた、なに言って」
「俺らは俺らが助け合えねぇように、全員血液型変えられてんだ。ムリヤリ混ぜたらすぐ固まっちまう」
ニノマエが見出したものは、彼が流した血が少女の刀状の血に触れたことで固まる様――血液凝固現象であった。
自分と少女の血液型が異なるからこそ起こったこの現象を見たニノマエは実行した。血溜まりに自分の血を混ぜ、少女の血を凝固させる作業を。
「で、もういっこだ」
ニノマエは手を伸ばし、彼女自身の血にまみれた少女の肩をずるりとなでて、
「おまえの血、俺の血刀に塗ったらどうよ?」
掌を裂いて血刀を伸ばした、その瞬間。
「一度だけ手を貸せばいいんだったな?」
カナエが重力をかけ、少女の体を固定する。打ち合わせも示し合わせもなにもない、アドリブのフォロー。
「な、なに――」
少女がもがく。しかし、その鉄の重さを加えられた体は地球の重力とカナエの重力とに縛りつけられ、びくとも動かない。自分の体から血刀を引きだそうともしたが、足元に磁場を形成され、コントロールできなかった。
「ああ。これなら楽に殺れる」
少女の血に反応して硬化した切っ先が、少女の血と少年の鉄を貫き、その奥に守られていた魂を壊した。
「――で、どうするつもりだ?」
カナエの問いに、ニノマエは床へへたりこんだまま答えた。
「得物が残ってねぇか漁る。そんで敵がいねぇか探す。おまえが俺のこと殺すってんなら殺し合う」
信用の欠片もないニノマエの言葉に、カナエは薄く口の端を吊り上げて。
「命じられてもいない任務を遂行したいほど、僕はこの研究所が好きじゃない。ニノマエのことも好きじゃないけど、嫌うほどの興味がない」
踵を返して武器庫を出て行くカナエを見送り、彼の気配が消えたのを何度も確認してから、ニノマエは鉄弾を食らってへこんだままの壁へ背をつけた。
「俺は死なねぇ……もう、絶対に……」
強い眠りの波動に意識が蝕まれ、黒く塗り潰されていく。
腰の万歩計が示す数字は41984。どれほどカウントが増えたところで健康は得られまいが、今日という日をどれだけ彼が這いまわり、転げまわったかの記念くらいにはなるだろう。
しばしの眠りに身を浸しながら、ニノマエは不機嫌そうに血の混じった息を吐いた。
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