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<東京怪談ノベル(シングル)>


幾度めかの予感

 青々と茂る木々に囲まれ、閑静な場所にその洋館は建っている。
 茶色を基調とした外装で、落ち着いた佇まいだ。外から見る限りでも、内部はかなり部屋数が多く広いことだろうと想像できる。

 午後の陽光が差し込む館内はしんと静まり返っている。その静寂を切り裂き、電話のベルが鳴り響いた。
 そしてそれに応えるようにドタドタと足音が聞こえた。その大きさたるや、屋敷全体を揺らすようなレベルだ。
 はあはあと息を切らして電話にたどり着いたのは満月・美華。彼女はこの洋館の主だ。
 柔らかな午後の光に透けるようにきらきらと光る金の髪。作り物のように美しい緑色の瞳。しかしその腹部は異様に膨らんでいる。一般的な、妊娠している女性のそれとは比べ物にならない。両手で抱えきれないほど、前に大きく突き出した丸い腹部。豊満に垂れた胸。彼女の体重は200キロ近い。

 もし近所の住人が彼女を見れば、その姿に驚くことだろう。驚くどころか、怯える者や憐れむ者もいることだろう。しかし美華はほとんど外出はしないので、普段人目に触れることはない。食材や必要な日用品は宅配で済ませているので、日常生活を送る上では外出をせずとも特に不便はない。それに、彼女の体型では外出は困難だ。

 美華の自室は2階にあるので、毎日必ず階段を使う。しかし巨大なお腹が邪魔をして、階段の昇り降りはかなりの重労働だ。
 体の割には小さな手の平でしっかりと手すりを握りしめ、一段一段、ゆっくりと階段を降りる。美華の体重移動に合わせて、ぎし、ぎしと階段が音を立てる。足元が全く見えないので、手探りならぬ足探りで階段を確認するしか無い。もし一歩でも踏み外そうものなら、手すりを掴んだ手ぐらいでは身体を支えきれない。転がり落ちるしか無い。想像するとゾッとする。だから美華は時間をかけて、慎重に階段を降りる。息が上がり、途中で休憩をする。何度も休憩を挟んで、美華はようやく階下に降りることが出来る。
 そうして階段を降りきったところで電話のベルが鳴り、美華は屋敷を揺るがす勢いで電話に向かったのだ。

「もしもし」
 美華は受話器を耳に当てる。向こうから聞き慣れた声がした。美華の身体の状態を知っているかかりつけの医者だった。
 医者は美華の容態について尋ねてくる。美華はそれにぶっきらぼうに答えた。
 思うように動かない身体に苛立つ。しかし医者には治すことが出来ない。病気ではない。これは、秘術によるものだから。
 美華が望み、自身に施した。しかし、まさかこんな事になるとは思っていなかったのだ。

 美華は医者の質問に終始ぶっきらぼうで答えると、電話を切った。ふと顔を上げると、近くにあった鏡に自分が写っている。その姿を見てため息をつく。
 どうしようもない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 命が一つ増えるたび、その代償としてお腹の中に一つ、子を孕む。実際の胎児ではなく、擬似的なものだ。
 そしてこの秘術の厄介なところは、美華の意思とは関係なく、命がどんどん増え続けてしまう事だ。

 術の解除を試みた事もあるが失敗に終わった。リセットできない。もう後戻りは出来ないのだろうか。
 美華は応接間に向かった。広々とした空間に、アンティークの家具が揃えられている。少しの移動でも美華の身体にはかなりの負担がかかる。ひどく疲れる。美華は重い体をソファに預けた。
 ギィッ、と大きな音をたててソファがきしんだ。悲鳴のような音だ。
 美華は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。バキィィンと金属がはじけ飛ぶ音が響き、美華はその場に転げ落ちた。
 ソファは崩壊していた。
 床に投げ出された美華はなかなか起き上がることが出来ずジタバタともがく。なんとか起き上がる頃には息が上がっていた。とりあえず壊れたソファに腰を下ろす。立っているよりは楽な体勢だ。

 まさかソファが壊れるなんて。
 呼吸を整えると、美華は自分のお腹を見下ろした。
 もしかして。考えたくもない。認めたくもない。しかしそれが美華の現実なのだ。
 美華は腹部を撫でながら呟いた。
「……また大きくなったのかしら?」