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<東京怪談ノベル(シングル)>


浴衣の季節


 ペンシルライナー、ビューラー、マスカラ、アイブロウ、チークブラシ、ルージュにグロス。
 OLたちの手にしているそれらが、手術道具に見えて、松本太一は落ち着かなかった。
「あの……」
「はい静かにして下さい。眉毛剃ってますからねえ」
 OLの1人が、にこにこ笑いながら眉用ハサミを使っている。
「手元狂っちゃいますよお。うっふふふ……試しに、バカの顔になってみます?」
「こらこら、やめなさい。松本さんにはね、我が社の一大プロジェクトが託されているんだから」
「この綺麗な顔、もっと綺麗にしてあげなきゃ駄目なんだからねえ」
 OLの1人が、太一の頬をぴたぴたと叩く。
「松本さん、何かまた一段と綺麗になってません? これ50近いオヤジの肌じゃないですよ」
「お身体もほっそいですねぇー。メタボは? 一体何食べてるんですかあ毎日」
 脅すような問いかけに、太一は正直に答えた。
「普通に、ビールと油物とかですよ……まあ、ダイエットはしましたけど」
「ど、どんな事したんですか!? 教えてくださいっ」
 手術道具、いや化粧小物を手にしたOLたちが、目をギラギラと輝かせる。
「一体どんなブートキャンプで、こんなスリムな身体とスベスベお肌を維持してるんですかああ」
「身体を……ひたすら動かしていました。それだけですよ」
 嘘は言っていない。身体は、とにかく動かした。
 銀色や赤色の巨人たちと、戦った。巨大ロボットとも戦ったし、怪獣とも戦った。銀河連邦の宇宙艦隊に、駆除されかかった事もある。
 宇宙的規模の余剰カロリーを、ひたすら消費し続けたのだ。
「くうぅ……やっぱり、楽して痩せるなんて無理なんですねえぇ」
「こういうプロジェクトに、男の人が選ばれちゃう……ねえ松本さん、あたしたちがどんな思いしてるかわかります?」
 プロジェクトって、単なる夏祭りのポスターじゃないですか。
 などと太一に言わせてくれない、怨念混じりの気迫を発しながらOLたちが、悪の組織の科学者のように迫り来る。
 自分はこれから改造手術を受けるのだ、と太一は思った。


 浴衣の柄は、波飛沫である。北斎の絵をアレンジしてあるようだ。夏らしい、とは言える。
 そんなものを着せられ、胸に詰め物をされ、頭にはヘアピースを装着させられた。
 女装という名の改造手術を受けた48歳サラリーマンの撮影会が、つつがなく進行してゆく。
「はいOKでーす。松本さん、お疲れ様でした!」
 撮影監督、を務めていた課長が、終了を宣言した。
 歓声が上がった。
 会社の、会議室である。
 集まっているのは、まず撮影会の主役たる女装サラリーマン1名、撮影スタッフ数名、そして野次馬の社員が大勢。皆、携帯電話やスマートフォンをかざし、撮影を終えたばかりの松本太一を無遠慮に撮っている。
 おかしな画像がネット上に出回るのではないか、と太一は心配になった。
「いいっすね〜松本さん。これ、画像加工無しでいけますよ」
 デジタルカメラで撮ったものを確認しながら、カメラマンが言う。
「うん、いい夏祭りになりそうだ。町内会の人たちも大喜びですよ」
「そ、そうでしょうか」
 地元の人々と、良好な関係を維持する。地域密着型企業としては当然のあり方であると、太一も理解はしている。
 この会社はまあ、それに成功している方であろう。
 夏祭りのポスター作成、などという依頼を、町内会の人々が普通に持ち込んで来てしまうのだから。
「いやあ、ここだけの話ですけどね……我が社の女どもより、松本さんの方がずっといいです」
 言いつつカメラマンが、撮ったばかりの画像を見せてくれた。
 夏祭りのポスターにふさわしい浴衣美人が、そこにいた。
 太一は、悪寒に近いものを覚えた。
 ぞっとするほど自分は、女になりきってしまっている。
 確かに、女性の肉体に変わる事は出来る。『夜宵の魔女』として。
 今回は違う。男の肉体のまま、女装をしただけだ。
「これが……私、ですか? いやあ、気持ち悪いですね」
「そんな事ありませんて、本物の美女にしか見えませんよ。松本さん、しなの作り方とか、すっごい上手いじゃないですか」
「そうねえ……ちょっと上手すぎるねえ」
 画像を覗き込みながら言葉をかけてきたのは、清掃員の老婆である。彼女にも、太一は世話になった。
「どうも……着付けしていただいて、ありがとうございました」
「あんた、いいよ。女形みたいだよ。女の仕草が上手すぎて、本物の女から見ると嫌味だねえ」
 あの魔女たちの誰かにも、同じ事を言われたような気がする。
 男から見た、理想の女らしさだね、あんたのは。本物の女なんて、あんたよりもずっと無様なもんさ。
 その魔女は確か、そんな事も言っていた。
『女装に磨きがかかったわねえ、貴方』
 太一にしか聞こえない声が、頭の中から聞こえてくる。
『色々あったけど、まあ無駄にはなっていなかったと。そういう事ね』
「私、女装の練習じゃなくて情報改変の修行をしていたんですけどね」
 カメラマンと清掃員の老婆が、怪訝そうな顔をした。
 いない誰かと喋っている。起きながら変な夢をみている。そんなふうに思われたかも知れない。
 太一は受付嬢のような営業スマイルでごまかしながら、手を振って2人と別れ、1人で壁際へと向かった。
「最後の方は、何かただの物凄いダイエットにしかなってませんでしたけど」
『まあダイエットと言うか修行の成果は、いずれ試してみるといいわ』
「それより安心しましたよ。貴女がやっと、この身体を返してくれて」
 撮影スタッフが、まだ何やら話し合っている様を眺めつつ、太一は小声を発した。
「ずっとあのままだったら、どうしようかと思いました。貴女に、松本太一として会社勤めをしてもらう……この撮影会も、貴女に出てもらう事になっていましたかね」
『ふふっ。私、貴方ほど……女装が、上手くないわ』
 太一としか会話の出来ぬ女性が、笑っている。
『貴方みたいに、ノリノリになれないもの』
「私、別に乗ってるわけじゃないですよ。社命だから、逆らえないだけです」
 自分にとっては、魔女や悪魔よりも絶対的な力を持つものが存在する。太一は、そう思う。
 それは上司であり、同僚や先輩や後輩たちであり、そして彼ら彼女らが作り出す空気だ。
 これをやらなければ、という気持ちに自然にさせてしまう空気というものが、会社という場所にはある。
 こればかりは、会社勤めをした事のある者でなければわからないだろう。
 会社勤めとは無縁であろう女性に対し、説明出来る事ではない。太一はただ、言った。
「私……サラリーマン、ですからね」