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<東京怪談ノベル(シングル)>


荒野に流れる歌


 命中はしている、ようである。
 巨大な影、のような怪物の姿が、雨の日の水面のように揺れている。
 銃弾が当たっても、波紋が生ずるだけであった。
 全身に波紋を浮かべながら、怪物が襲いかかって来る。
 茂枝萌は、サブマシンガンを腰に戻した。
 そして、何も持たぬ右手を怪物に向ける。そうしながら攻撃を念ずる。
「チャージ……」
 気力が、少女の右手に集中してゆく。
 たおやかな五指に囲まれた掌が、白く、激しく、発光する。
 その光が、放たれた。まるで矢のように。
「サイキックアロー……」
 萌が呟いた、その時には、黒い影のような怪物は閃光の矢に穿たれ、切り裂かれていた。
 四散した怪物の姿が、黒い靄のようになって消滅する。
 他に敵の気配がない事を確認しながら、萌は見上げた。
 案の定、魔女結社が怪物を差し向けてきた。この宝物を、奪うために。
 とある港湾施設である。
 時代がかった帆船が、埠頭に繋留されている。
 ずいぶんと長い航海をしてきたのであろう。船全体が、潮臭さと磯臭さにまみれている。
 特に、船首像がひどい。
 薄気味悪いほど精緻に彫り込まれた、石の女人像である。まるで生きた女性がそのまま石化し、船首に拘束されているかのようだ。
 潮臭い苔を生やした、その有り様は、腐乱死体のようでもある。
 こんなものを、あの魔女結社が狙っているのだという。
 実際、あのような怪物を放ってまで奪おうとしている。
 だからIO2は、帆船及びその関係者を護衛すべく、こうしてエージェント数名を派遣した。
「魔女結社……」
 萌がその名を耳にするようになったのは、最近である。
 IO2の監視対象としては、虚無の境界と並ぶほどの組織であるらしい。
 そんな大物が、このような苔むした石像を狙っている。手段を選ばず、入手せんとしている。
 この薄汚れた船首像に、それだけの価値が、秘密が、あると言うのか。
 見上げたまま、萌は目が離せなくなっていた。
 潮臭さと磯臭さの中から、そうではない匂いが漂い出している、ような気がしたのだ。
 悪臭に紛れてしまう事のない、ふんわりとした甘い芳香。
 萌の視界の中、船首像が一瞬だけ、石像ではなくなった。
 石像ではない、生身の乙女が、痛々しく拘束されている。
 一瞬、そんなふうに見えたのだ。
 助け出してあげたい。そして、キスをしたい。
 そんな思いが生じたので、萌は激しく頭を横に振った。
「馬鹿馬鹿しい……私、何を」
 もう1度、見上げてみる。
 それは、苔むした石の船首像でしかなかった。


 あれを、会った、とは言わないだろう。萌は、そう思う。
 石像に変えられていたイアル・ミラールを、ただ見上げていただけだ。
 イアルと会って、会話を交わしたわけではない。
 イアル・ミラールが一体いかなる人間であるのかを、いささかなりとも知る事が出来た、わけではない。
 だが、萌は思う。これは違うだろう。これは、イアルではない。
 それは、何の根拠もない確信だった。
「ふん……何だってのさ、こんな格好させて」
 拘束寝台に手足を固定されたイアル・ミラールが、不敵に笑う。
「男どもが大勢、あたしの上に乗っかって来るのかと思いきや……男に乗っかられた事もなさそうな可愛いお嬢ちゃん1人で、あたしをどうこうしようってわけ?」
「……IO2は、そういう組織ではないわ。少し黙っていなさい」
 萌は言った。イアルは、黙らない。
「あたしは男でも女でもいけるからさぁ……いろいろ、教えてあげるよ?」
 氷の棺に閉じ込めたイアルを、ここIO2本部の研究施設で解凍した。
 動けるようになった途端、彼女は手当たり次第に男性職員を襲い始めた。
 だから、こうして動きを封じておかなければならなかった。
『お前が思っている通りだ、茂枝萌』
 5匹の龍で縁取られた手鏡が、卓上で言葉を発した。
『この女はイアル・ミラールではない。イアルは眠り、そして……目覚めてはならない女が、目覚めてしまったのだ』
 鏡幻龍が鏡を通じて、イアルの状態を伝えてくる。
『頼む……眠っていてくれ、名無しの女傭兵よ。お前は、この世にいてはならないのだ』
「よくわからないけれど……この人格を、眠らせればいいのね」
 動けぬイアルの頭に、萌は記憶捜査用のヘッドギアを装着させた。
 人間の記憶から情報を抽出するための装置だが、使い方次第では、洗脳に近い事も出来なくはない。
「ふん……王国の連中と、同じ事をやろうってのかい」
 ヘッドギアで頭部の上半分を隠されたままイアルが、露出した口元をニヤリと歪める。
「何をやっても無駄、あたしを消す事なんて出来やしないよ……これは、あたしの身体なんだからねえ」


「奪い取ろう、なんてのは虫が良すぎたよ。良い物は……やっぱり、お金を払って買わないとねえ」
 魔女が、そんな事を言いながら、あたしの頬を撫でた。髪を撫でた。まるで犬でも愛でるように。
「IO2の腕利きが、きっちりと守りを固めているんだ。奪えるわけがない……事も、ないだろうけど」
「そうね。奪うための戦力を整えるよりは、こうして合法的に購入した方が」
「安上がり、というもの……ですわねえ」
 1人ではない。何人もの魔女が、まるで仔猫を弄り回すかのように、あたしを扱っている。
 気に入らない連中だ。全員まとめて、骨抜きにしてやる。ひいひい泣かせてやる。
 あたしはそう思うが、身体が動かない。
 あたしの身体が、あたしの身体ではなくなっている。
 ぼんやりと、思い出しつつある。
 あたしは何故、こんな所にいるのか。
 少し前までは、海にいたような気がする。船に乗っていた……と言うより、船首に固定されていた。
 そう、薄汚い石像として。
 今は、生身である。生身の女体として、魔女どもの玩具になっている。
 ひいひい泣きながら骨抜きになっているのは、あたしの方だった。
 いや違う、あたしではない。イアル・ミラールとかいう、無力な小娘だ。
 こうして魔女どもに弄ばれ、恥ずかしい泣き声を張り上げるしかない小娘が、あたしを押しのけて、この身体を乗っ取っている。
 あたしから奪った身体を、魔女どものなすがままにしている。
「感謝するんだねえ。お前を生身に戻してやったのは、私たちさ」
「こうして生気を吸い取ってから……また、石に戻しちゃうのだけどね」
「それまで……ふふっ、束の間の快楽に溺れさせてあげるわ」
 魔女どもが笑い、指を動かし、舌や唇を這わせてくる。
 イアル・ミラールが、無様に泣き叫ぶ。
 どけ、引っ込め。あたしは、そう叫んだ。
 お前じゃ話にならない、あたしに代われ。こんな魔女ども、まとめて昇天させてやる。
 だから、お前は引っ込め。この身体を、あたしに返せ。
 あたしは叫び続けた。誰にも届かない、叫び声だった。


 気がつけば、また石になっていた。
 あたしは石像と化し、何だかよくわからないものたちと一緒に、よくわからない場所に並べられている。
 展示か、陳列か。
 とにかく今あたしは、見せ物になっているのだ。
 怒り狂う、べきなのだろうが、あたしは怒る気になれなかった。
 歌が、聞こえてきたからだ。
 まあ普通に上手いと言える程度の歌唱力ではある。だが、妙に心に沁み込んで来る歌声だった。
 あたしの心は、例えるならば無法の荒野である。人を食らう獣や魔物がうろついている。物盗り・追い剥ぎの類もいる。
 あたしの心に入り込んで来た者は、こいつらによって骨までしゃぶられるのだ。
 その獣や魔物、物盗り追い剥ぎの群れが、このわけのわからない歌に聞き入っている。そして涙を流している。
 そんな気分だった。実に、気に入らない。
 本当に気に入らない歌を歌いながら、その女は、あたしの目の前で立ち止まった。
 呆然としている。陶然としている。あたしに、見惚れているのか。
 否。あたしではなくイアル・ミラールに、心を奪われているのだ。
 それもまた、気に入らない。
 その女が、石像に唇を触れてくる。
 石像が、石像ではなくなった。生身に戻った。
 あたしが、ではなくイアル・ミラールがだ。
 本当に、気に入らない事ばかりが起こる。
 つい今まで石像であった女体を、女が優しく抱き止める。
 まだ名も知らぬ、この女を、いつかメチャメチャに弄んで辱め、慰みものにしてやる。
 あたしは、それだけを思った。