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甘き罠は甘く増して
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そこは森のようなたくさんの木々を抜けた先にある廃屋。潰れかけてはいるが、まだ機能しているようだった。その証拠に室内には様々なものが置かれている。綺麗なものから使い道の分からないようなガラクタまで。この廃屋の主のコレクションなのだろう――ただし盗品であるが。
そんな部屋の真ん中で今、一番輝いているのは、翼と尻尾を生やした少女の像だ。ミルクチョコレート色のその像に近づけば、それが本当にチョコレートで出来ていることがわかるだろう。
「お前にしては上出来じゃない」
「ホメラレタ、ウレシイ、ガンバッタ!!」
今、その像の前にいるのは薄い緑色のやせ細った子どもの姿をした者――魔族と、大人の女性だ。女性の方は鮮血のような真紅のドレスに身を包み、襟元にはゴールドのチェーンにジャラジャラと宝石のついたネックレスだけでなく、動物の毛皮を巻きつけている。
「可愛い女の子だこと。魔法のチョコレートだから、いくら室温が上がっても出ることはできなくてよ」
からかうように女性がティレイラの乳房に這わす指先の長い爪には豪奢なネイルアートが施されており、両の手の指にはこれでもかというほど見せびらかすように指輪がはめられている。手首にもゴールドと宝石のブレスレット。いくらなんでもここまで来ると呆れるほどに悪趣味である。
「ふふ、ふふふふふふっ……可愛いけれど無様な姿だこと」
「ゴシュジン、キニイッタカ?」
「ええ、気に入ってよ」
魔族に主人と呼ばれた女性もまた、魔族なのだろう。人型なのは、薄緑の魔族よりも魔力が高いのか種族が違うのかまではわからない。
だが確実なのは、この魔族たちの前にある少女のチョコレート像は、ファルス・ティレイラが魔法のチョコレートでコーティングされた姿であることだ。魔法のチョコレートのもつ甘美な香りに意識を侵食され、甘い夢の中に落ちたティレイラは、満足に抵抗することも出来ずにチョコレート像にされてしまったのである。
だがそれは数日前のこと。固まった状態でも甘い香りを放ってはいるが、固まる前のチョコレートには及ばない。頭に靄をかけるような、周囲に広がるあのあまぁい香りは、今はあの時ほどではない。
(ん、んん……)
ティレイラの頭にかかった靄は、数日かけて徐々に薄れてきていた。決定的だったのは、今、目の前でなされている会話。
(声、がします……)
話し声がする、コーティングされているのでぐももった風に聞こえはするが、小さな魔族の足音や館の外で自然が立てる音とはまた違ったものが聞こえた、それがチョコレートの魔力が薄れてきたことも相まって、ティレイラの意識を引き戻す。
(……!! 私、は……!!)
意識は晴れやかになった。しかし身体は指の一本さえ、尻尾の先さえ動かない。ティレイラは自らの記憶をたぐる。
確か魔女の館の留守番兼警備を頼まれていて、侵入した小さな魔族を追って行ったのだ。設置されていた罠を潜り抜けてこの住処を見つけて――。
(そうだ……私、油断して)
そう、ティレイラは油断したばかりにチョコレートコーティングされてしまったのだ。あの、言葉では表し難い気持ちよさに理性も意識も奪われて。
「ほんと、可愛らしいこと」
女性がティレイラの臀部を撫で回す。チョコレートでコーティングされているというのに、ぞわり、背中に寒気が走った気がした。気持ち、悪い。
(あの時は油断したけど、今なら魔力も戻ってる……なら)
ティレイラは自らの魔力を体外に向くように調整する。そして集中して――大量の魔力を一気に放つ!!
バンッ!!
「きゃあっ!?」
「ヒェッ!?」
突然目の前でチョコレートの像が弾けたものだから、女性も魔族も何が起こったか把握する以前に、チョコレートの破片と魔力の余波からとっさに身を守るような体勢をとった。ティレイラは体表面が空気に触れる気持ちよさを感じたが、それを堪能している暇はない。今ほど、彼らが隙を見せることはないだろう。
(えっと……)
頭をかばうような防御態勢を取ったふたりを視界に収める。
(あっ……!)
その時見つけたものに、ティレイラは一直線に距離を詰めた。そして手を伸ばして掴む。
「アッ!!」
魔族が声を上げた時にはもう遅い。頭をかばった時に落としていた魔族の杖を、ティレイラはしっかりと掴んでいた。
「これがなければもう、悪戯はできませんよね」
(私にも、使えるかしら?)
ふと頭によぎった疑問。この杖は魔力を使うものであることは明らかだ。そして使っていたのは明らかに下っ端の、小物の魔族。だとすれば、必要な魔力は少なく、どんな種類の魔力でも反応するように作られている汎用品の可能性が高い。ならば。
「えいっ!!」
ティレイラは、至近距離でチョコレート像の爆発を受けてしまった女性に向けてその杖を振るった。女性は未だにチョコレートの破片と魔力の余波をダイレクトに受けたダメージから回復していない。
「ちょっ……!?」
身体に絡みつくチョコレートに気がついた女性が顔を上げた。だが、もう遅いのだ。
「何をするの!!」
女性の抗議の言葉を無視して、ティレイラはもう一度杖を振るった。事態を察して自分だけ逃げようと部屋の出口に向かっていた魔族に向けて。
「ギャッ!!」
魔族の醜い悲鳴が上がる。薄緑の身体に魔法のチョコレートが巻きついていた。
「このチョコレートから逃れようともがいても無駄なことは、あなた達が一番良く知っていますよね?」
ティレイラも身を持って知った。だが杖の持ち主である魔族、そして杖を下賜したであろう人型魔族の女性がその効果を知らないはずがない。
「あっ……だめっ……」
いち早くチョコレートに囚われた女性が甘い声をあげる。鼻孔をくすぐられ、甘い香りに脳内が支配されていくのだ。
「グ、コンナ……」
魔族の方もチョコレートから逃れようともがいている。だがもがけばもがくほど、とろとろのチョコレートが肌を這って行くのだ。
「私をあんな目に合わせた罰です」
ティレイラは杖を床につき、ふたりがチョコボールと化していくのを静かに――否、静かに怒りながら見ていた。
しばらくして。
魔族たちの声も聞こえなくなり、ティレイラの目の前には大小のチョコボールがふたつあるだけになった。
「もう、平気……?」
つんつん、恐る恐る杖でチョコボールをつついてみると、はらはらはら、とチョコが落ちてティレイラは思わず身構えた。だがよく見てみれば核となった部分以外の、余分なチョコが落ちただけのようである。
つんつんつん、もう数箇所つついてみる。つついてみるたびに余分なチョコが落ちて、魔族を象った像が姿を現していくではないか。
「楽しいです」
魔族の像の余分な部分を落としたティレイラは、今度は大きなチョコボールに向かう。きっと、余分をそぎ落とせばあの女性のチョコレート像が出てくるはずだ。
つんつんつん、こつこつこつ、つんつん……。
数分後には小さな魔族と人型魔族のチョコレート像が出来上がっていた。
「捕獲成功ですね」
ティレイラがチョコレート像にされてからどれくらいの時間が経ってしまったのかはわからない。もしかしたら、依頼人の魔女がティレイラを心配しているかもしれない。けれども悪戯をする魔族とその親玉を捕らえたとわかれば、喜んでくれるだろう。
「でも、その前に……」
削ぎ落とした余分なチョコは大気に溶けるように消えてしまった。けれども目の前の二つの像からは、チョコレート特有のあまぁい香りが漂っている。
「美術品としても、精緻でよく出来た像ですよね……でも」
甘いもの好きのティレイラにとっては、これ以上ないくらい美味しそうな像だ。漂う香りは魅惑の香り。誘惑に負けそうになる心を精一杯、理性で抑える。
「素晴らしい造形のお菓子ですから、絶対美味しいに違いないですよね……」
ごくり、口内に溜まったつばを飲み込む。
「少しくらいなら、かじってもいいですよね? ねっ?」
ティレイラの問いに答える者は誰もいない。わかっているのに許可を求めようとしてしまうのは、自分を納得させるためか。そっと、像に顔を近づける。
「っ……!! ダメダメっ。いくら美味しそうでも魔族を核にしたチョコなんだから」
直前で理性がティレイラを引き戻す。顔を離し、大げさなほど像と距離を取る。だが。
「……でも」
チラッチラッと何度も像に視線をやってしまう。誘惑を完全には振り払えない。
「……やっぱり」
ゆっくりと、魅入られたように像に近づく。だがすんでのところで理性が仕事を始める。
はたから見たらさぞおかしな光景だろう。
ティレイラは美味しそうなお菓子を目の前にした興奮と欲望、そして理性の間で暫くの間、さまようことになるのだった。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【3733/ファルス・ティレイラ様/女性/15歳/配達屋さん(なんでも屋さん)】
■ ライター通信 ■
この度はご依頼ありがとうございました。
お届けまで多くのお時間をいただき、申し訳ありませんでした。
ティレイラ様が無事に像から介抱されたので安心しています。あとはご自身の欲望との戦いですが……それはともかく、無事におうちに帰れそうなので安心いたしました。
少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
この度は書かせていただき、ありがとうございました。
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