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<東京怪談ノベル(シングル)>


ワイルドな日
「お客様、ですか?」
 あたし――海原・みなもの視界がななめにズレました。思わず小首を傾げてしまったからです。
「ああ。すまないがコーヒーを頼む」
 なんだか気取った声で草間・武彦さんがあたしに言って。
(いちばん高いヤツ、ネルドリップでな!)
 こっそり付け加えてきました。どうやら本物のお客様みたいです。
 ――ここは草間さんが所長を務める草間興信所。あたしはバイトの女子中学生です。もっとも普通の女子じゃなくて、南洋系人魚の末裔なんですけれどもね。
 まあ、それはともあれ。
 コーヒーを銀のお盆に乗せて応接スペースへ。合革製のお安いソファに座っていらっしゃるお客様と草間さんにお出ししました。
「ありがとうございます……」
 お客様はOLさんでしょうか? 金に染めた髪を綺麗に巻いていらっしゃいます。あたしの学校は脱色も髪染も禁止ですので、ちょっとまぶしく感じますよ。
「ああ、こちらはウチの助手でして、海原といいます。いっしょに話をうかがわせていただいていいですか?」
 お客様がうなずいてくださいましたので、「失礼します」と、草間さんの隣へ腰を下ろします。
 さて、今日はどんな事件と出逢うことになるのでしょうか?
「あの……なんかうち、まじヘンなんすよ」
 あら、お客様のお言葉が崩れました。実はギャルの方? というより、元ヤンの方でしょうか?
 でも草間さんは顔色ひとつ変えず。
「コーヒー、熱いうちにどうぞ。――変とは?」
「なんか夜寝れねーし? 仕事あるんで眠剤飲んでムリヤリ寝るんすけど、起きたらハダシで外にいたりとか? 部屋帰ると寝るとき着てたジャージ破れてっし、クーラーかけっぱで窓全開とか……なんか、まじやべーす」
「心療内科の受診は? ――あ、コーヒー熱いうちに」
「医者はもう行ってて、夢遊病だってんでクスリもらってきたんすけど……まじ治んねーんすよね」
「コーヒーが冷める前に。……心身症の可能性が高そうですけどね。なんでウチに?」
 草間さん、斬り込みました。
 この興信所は普通のお仕事も引き受けるのですけれど、持ち込まれる事件のほとんどが普通じゃありませんから。『怪奇探偵』の異名は伊達じゃないのです。
 お客様は少しためらってから、ぐっと細眉に力を入れました。「まじハラ決めたし」って顔です。そして。
「彼氏がカメラとか持ってるってんで、夜? 自分の部屋撮ってみたんすよ。そしたらなんか、ヘンなもん映ってて」
 お客様ご持参のUSBをノートパソコンに差して、映像を再生します。
「こりゃすごい。最高品質の盗撮用カメラだぜ」
 思わず素に戻る草間さん。でも、最高品質の盗撮用って彼氏さん、どうしてそんなカメラを持っていらっしゃるのでしょうね? ――いけません。画面に集中です。
 動画に映っていたのは、真っ赤なシーツをかぶって寝ていたお客様がもぞもぞ動いて、シーツを跳ね上げた途端、ものすごい速度で窓へ跳んでいく姿というか、残像でした。
 高性能カメラで残像しか写せないなんて、いったいどれくらいの速さで動いているのでしょう?
「なんかヘンじゃなかったか?」
 草間さんがぽつり。あたしの制服の襟をつまんで引っぱります。
 合点承知のあたしはすぐに動画を巻き戻してリピート再生――見えました。跳んでいく残像を靄みたいに覆うこれは。
「毛? 髪じゃなくて……」
 体毛です。
 草間さんもうなずいて、お客様へ向きなおりました。
「確かにこれはウチの領分みたいですね。今夜そちらへ伺いますよ。部屋には入りませんから、ドアの鍵は閉めておいてください。で、今すぐコーヒーを飲んでもらえますか」
 その後細かい説明をして、お客様には一旦お帰りいただきました。
「これって多分アレだよなぁ」
「はい。あたしもそう思います」
 あたしも草間さんも体験した、人狼化でしょうね。感染源はわかりませんけれど、奇妙なご縁があるものです。
「……しかしイヤな依頼者だぜ」
「? 依頼ではなくて、依頼者の方がですか?」
「ああ。コーヒー飲まねぇで帰りやがったぞ、あの女!」
 なんだかなぁ、です。

 現在の時刻は23時30分。
 あたしと草間さんはお客様の住んでいらっしゃるマンションの前にいます。俗に云うところの、張り込みってやつなのです。
「眠そうだけど海原、おまえちゃんと起きてられんのか? 寝ちまったら置いてくぞ?」
 なんという屈辱! あたしはきゅっと両手を握って力を込めました。
 込めました。
 ちょっとゆるめました。
 力、抜いちゃいました。
 先ほどお休みになったお客様ですけれど、肝心の動きがないのです。
「薬が効いて寝つくまでの辛抱さ」
 草間さんは口の中にスヌース(細かく刻んだ煙草葉と甘味料、香料をティーバッグ状の小袋に詰めたもの。歯茎と口の間に挟んで使用)を放り込んでため息をつきます。
 煙草はあれですけれど、あたしもなにかこう、暇と眠気を追いやれるものが欲しいです……。
「動いたな」
 は。
 寝ていません。あたしは寝てなんかいませんですぞ?
 あたしはしょぼしょぼする目をこすってお客様のお部屋の窓を見ました。
「うぉっふぉっふぉっす!」
 頭のところだけ金色の、あとは黒い体毛で覆われたあの体と最後の「す」。まちがいありません。お客様です。
「やらしくもなんともねぇなぁ」
 なんとも言えない顔で、草間さん。
 まあ、お客様は裸体なわけですけれども、全身獣毛で覆われていらっしゃいますし、お顔も狼さんですしね。
 そんなお客様が、窓を豪快に開け放ったお客様が夜空へひとっ跳び。音もなく家の屋根から屋根へ飛び移っていきます。
「追っかけるぞ」
「了解です」
 あたしと草間さんは別ルートで追跡開始です。なにかありましたら携帯で。
 お客様の体が空気をかき混ぜて、そこに含まれる水が揺らぎます。あたしはそれをたどって追いかけるのですけれど……この揺らぎ、かろやかに弾んで、うずうずウキウキ楽しそうで。あたしがアタシ――人魚狼だったときのこと、思い出してしまいました。

 そうして15分。お客様がついに道路へ降り立ちました。
「うぉんす!」
「うぉふぅあぇ」
 人狼形態のお客様がすかっと手を上げると、ふわっとシッポを振って答える人狼さん。
 ――人狼さん同士で待ち合わせ、してたみたいですね。
「うぉふぉうふす?」
「うぉうぇん」
 何事か語らいながら、人狼さんたち全力ダッシュ。腕なんか組んでらっしゃいますけど、まさかもうひとりの人狼さんって、彼氏さん?
 あたしは草間さんに「GPS」とだけ連絡して、全力で追っかけます。これで草間さんはGPS機能を作動させてあたしを追っかけてきてくれるはず。
 あたしに気づかないまま――と言いますか、多分眼中にないのでしょうね――人狼さんたちはバーベキューなんかもできる大きな公園に駆け込んで、そして。
「うぉっふぉっふぉっす!」
「うぉふふぉふふふ」
 どこから持ってきたのでしょうか、ワイヤーロープで綱引きなんか始められました。
 引っぱって、引っぱられて。
 引っぱって、引っぱられて。
 あ、わかりました。これ、綱引きではないですね。犬科のみなさんが大好きな「引っぱりっこ」というものです。あたしのときはひとりぼっちだったのでできませんでしたけれど、同じく人狼化していたときの草間さんといっしょだったりしましたら……まちがいなくやらかしていたことでしょう。
 あのおふたり、普通の人間さんだったころは追っかけっこなど嗜んでいらっしゃったのでしょうか? なんでしょう、あたしの胸の奥が薄暗くなってきました。ちくしょうって感じです。いえ、あのおふたり、今は半分畜生なわけですけれども。
 あーもー。やってられませんよー。
 と。
 彼氏さん(多分)がいきなりこちらを向きました。――あたしとしたことが、心を乱して潜伏失敗するなんて!
「うぉうぉ」
 はい? 彼氏さん、あたしを手招きしてらっしゃいます。
 もう見つかっていますので、知らんぷりはできません。なにがあってもいいように身構えつつ、接近していきましたらば。
「うぉふ」
 彼氏さんにワイヤー、渡されました。
 で。
 あたしとお客様で引っぱりっこですよ。
「うぉっふぉうふぉふっす!」
 もっと強くと言われている気がするので、人魚パワー全開でお相手します。
 その間中、彼氏さんは木の陰からずーっとこっちを見ておられました……。人狼化しても業は捨てきれないものなのですね。
 ヴヴヴ――マナーモードにしていた携帯が振動で着信をお知らせ。あたしはワイヤーを引っぱりながら電話に出ました。
『海原おまえなにやってんだ?』
 あら。向こうのほうで、あきれた顔の草間さんが。
「お客様のご要望にお応えしていましたらばこのようなことに……」
『なんでもいいからこっち来い。どうも危険はねぇみてぇだしな』
 あたしは彼氏さんにワイヤーをお返しして一礼。手を振ってくださる人狼さんたちと分かれて草間さんのところへ向かいます。
「もう一匹いんの、あれ誰だ?」
「おそらくは彼氏さんではないかと。お客様と引っぱりっこしてらっしゃいましたし」
「引っぱりっこ? なんだそりゃ」
「!? 犬のみなさんが大好きなエキサイティング且つ紳士的な――」
 草間さんは鼻息であたしの言葉を断ち切って、デジカメでおふたりの姿を撮影しました。
「とりあえず朝まで様子見るか。……それにしても仲いいなおい。中学生かよ」
 引っぱりっこに続いてフリスビー遊び――おひとりが投げたフリスビーをもう一方の方が追いかけて口でキャッチする、やっぱり犬のみなさんが大好きなアレです――に興じる人狼さんたちは、どこまでもむつまじくて健全でした。
「うまくお話できないみたいですけれど、知能的にも情緒的にも普段のままのようです。なのにどうして人に戻ったときに憶えていらっしゃらないのでしょうね?」
 あたしの疑問に、草間さんは頭を掻き掻き。
「普通の人間だからだろ。人間ってのはな、自分の範疇を超えちまうようなことは認識できねぇもんなんだよ。今のあいつらは自分がもともと人間だって認識はねぇ。だから人間だったときの記憶もねぇのさ」
 なるほど。普通の人は狼にはなりませんし、なれません。だから、憶えていられないというよりも、狼化した自分の心体の変化を認識しきれないものなのでしょう。
 あたしは人魚で、変身するのは日常的行為です。
 草間さんは怪事件に深く関わっているうち、人外の常識をわきまえるに至られています。
 あたしたちが人狼化していたことを憶えていられるのは、認識できる範疇が普通の人よりずっと広いから……ということですね。
「もっとも人狼化が長引きゃ、そのうちに気づいちまう。自分がただの人間じゃなくなっちまったことにな。そいつを認識しちまったらもうただの人間にゃ戻れねぇ」
 ……人狼化、それほど悪いものではないと思うのですけれども。おふたりともあんなに楽しそうですし。
 あたしは不満そうな顔をしていたのでしょうか。草間さんがいつにない真剣な顔で言いました。
「人にも人外にも“分”ってもんがある。そいつを破っちまった輩の末路、おまえはよくわかってんじゃねぇか?」
 わかって……います。人である草間さんより、ずっと。
 人でなくなった者は闇に潜むしかなくなって、二度と光の下には戻れないのです。
 ですから。
 あたしはもう一度だけ、楽しそうにじゃれあうお客様と彼氏さんを見ました。
 憶えていられないおふたりの代わり、あたしがちゃんと憶えておきますから。

 一週間ほどお客様の様子を追跡して、あたしたちはお客様にご報告しました。
「最近肩こりなくなったし、まじちょーしいい感じなんすけどね」
 お客様の笑顔が少し寂しそうに感じたのは、あたしの感傷というもののせいなのでしょうか。
 ――ともあれ。あたしたちは、草間さんの人狼化を治療してくださった呪医さんのところにお客様と彼氏さんをお連れして。事件は解決したのでした。

「聞き取りしててわかったんだけどよ、依頼者と彼氏? 例のアイツに噛まれたらしいぞ。公園でボート乗ろうとしたとき見かけて手ぇ出したらガブっとな」
 公園でボートって、昭和かよ! 草間さんはうあーっとソファの上で暴れています。
 それにしても、人間さんのときも人狼さんのときも、おつきあいのしかたは変わらないおふたりなのですね。
 それと、例のアイツとは、あたしと草間さんを人狼化したあの“お嬢さん”のことです。ずいぶん積極的に活動されているようで、ちょっと頭が痛いですよ。
「あんのクソ狼、とっとと森に帰りやがれ! おい海原煙草くれよ吸わなきゃやってらんねぇよ」
 と、あたしが取り上げた煙草をねだりにくる草間さんの手は断固拒否です。仙人さんになれない草間さんは、煙よりもごはんを食べるべきなのです。
「――引っぱりっこはどうでしょう? 煙草のこと、忘れられるかもしれませんよ?」
 ふと思いついて提案などしてみました。
 草間さんはものすごい顔をしましたけれど、いいのです。健康のため、そして狼だった夜を忘れないため、今日はハードボイルドよりもワイルドに参りましょう。