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<東京怪談ノベル(シングル)>


風船結界


 レイリア・ゼノンは街を歩く。ちらちらと太ももをのぞかせるチャイナドレスは、体の前後でひらひらと光沢のある布を揺らしている。すれ違う者たちは皆、レイリアの弾けんばかりの肉体とそれに負けない美貌、着ているだけで目立つ服装に思わず振り返っていた。
 そのような視線たちを横目に、レイリアは形の良い唇をそっと上げる。力の壁を抜けた感覚が、全身をぞわりと撫でつけたからだ。
「かかりましたね」
 女の声がレイリアの頭上がらし、そちらに視線をやる。羽をはやした美少女が、何人も空を舞っている。
 天使たちだ。
 サキュバス狩りを行うため、人避けの結界を張って、待ち構えていたのだ。
「サキュバスといっても、簡単に罠にかかるものですね」
 ふふふ、と嘲笑を交え、天使の一人が言う。ビキニアーマーを着た彼女は、周りにいるレオタードや全身タイツと言った服装を纏う他の天使たちよりも、幾分上の位に見えた。
「あら、いやん」
 レイリアはそう言って、身をよじって見せる。予想外だ、と言わんばかりの動きをし、両手で自らを抱き締める。ちょっとだけ芝居じみていたのだが、天使たちは気づいていないようだ。
「さあ、いきますよ!」
 号令を発すると、天使たちは一気にレイリアに向かってゆく。各々の武器を構え、サキュバスを滅するために。
「いやん!」
 レイリアは声をあげてよけようとするが、それよりも先に天使たちの武器が襲い掛かってくる。槍でレイリアの体を薙ぎ払われ、ばんっ、と結界の壁にたたきつけられる。
 入るのはたやすくとも、出るのが難しい結界だ。
 う、と呻くレイリアを見、他の天使たちも襲い掛かる。
 天使たちはレイリアを取り囲み、武器で攻撃しつつ、確信する。

――やれる。

 天使たちの顔には皆一様に笑みが浮かび、自軍の勝利を確信していた。
「これで、とどめだ!」
 ビキニアーマーの天使が、大剣で大きくレイリアを薙ぎ払った。レイリアの体は逆らうことなく大剣によって、結界の壁へと強く叩きつけられた。
 レイリアの体は、動かない。
 天使たちは「おおおおお」と歓喜の声をあげ、ビキニアーマーの天使に称賛の声を上げる。素晴らしい、素晴らしい、と。


「何が、そぉんなに、素晴らしいのかしらん?」


 声が、した。
 ねっとりと、じっとりと、耳の奥をなめまわすような声だ。厭らしさと、色っぽさとが隣り合わせになっているような、つん、と頭の先がぞわぞわするような、声。
「いやぁね、んもう。服、汚れちゃったじゃない」
 ふふふ、とレイリアは笑った。
 壁に叩きつけられたはずの体は、動かなくなったのではない。動かなかっただけの事。
 叩きつけられたのではなく、結界の構造を書き換えるために障壁を出し、受け止めただけの事。
 ざわつく天使たちをよそに、レイリアはその身に纏うチャイナドレスから、サキュバスの姿へと変わってゆく。胸と尻を誇張した服装に、頭からは四本の角、尻からは艶めかしい尾が、背からは艶めいた黒い翼が生える。
「さあ、始めましょうか」
 レイリアは、ふふ、とほほ笑みながら、さらりとした長い銀髪をたくし上げる。
 その言葉を皮切りに、天使たちは再びレイリアに攻撃しようと各々の武器を握り締める。が、その感触がおかしいことに気付く。
 肉だ。
 己の肉が、膨らんでいる。
 ある者は、胸や尻が膨張していっていた。空気入れで風船を膨らませるように、どんどんとその三つの丸が大きくなってゆく。
 ある者は、全身が膨らんでいっていた。口から空気を入れられていくように、全身のフォルムが丸く変わってゆく。
 ある者は、それぞれの体の部位が膨らんでいっていた。まるで風船で人形を作っているかのような形となっており、そのどれもが丸く大きく膨らんでいる。
 天使たちは一様に叫ぶ。共通しているのは、皆肥大化しているということだ。ほっそりとしていた者も、ある程度ふくよかだった者も、筋肉質だった者も、皆膨らんでいる。
 膨らむ肉体に、服や鎧は耐えきれずに弾け破れる。身を隠す布は殆ど無く、ただただ膨れてゆく肉体を目の当たりにするしかない。
 戻し方も分からぬ。少なくとも、レイリアが書き換えた結界内にいる限りは為す術もない。かといって、結界から抜け出すことは適わない。力の差によるものだけではなく、単純に、動けないのだ。肥大化した体を、肥大化した足は支えきらない。多少なりとも動く指先も、いずれ肉に埋もれて動かなくなるだろう。

――恐怖と、絶望。

 その二つが天使たちの頭を支配し、叫び声をあげる。
「あらあら、皆大きくなったわねぇ」
 レイリアはにやにやと笑いながら、膨らんだ肉たちを見つめる。舌を出し、指をずるっと舐める。
「とっても、とっても、大きくて……厭らしいわ。素敵な格好だものね」
 そこで初めて、天使たちは気づく。
 恐怖と絶望だけではない。恥辱をも与えられているのだと。
 気づいた時には、皆が皆叫んでいた。恐怖に、絶望に、恥辱に……!
「ほうら、こんなにも大きくなって」
 ぷにぷにと、レイリアは膨らんだ肉を揉む。優しく撫でまわす。つつつ、と指先を這わす。
「本当に、素敵ね。ほら、柔らかいし、大きいし、綺麗な色。肌色に、ピンクに……ウフフ」
 天使たちは叫び声と「許して」を繰り返す。レイリアは笑いながらそれらを一望し、すううう、と魔力を吸い上げる。
「ああ、本当に、すてき」
 うっとりとしながら呟き、叫び声と鳴き声と許しを請う声を交互に聞き、肉に触れてゆく。
「助けにきたぞ!」
 勇ましい声が頭上から聞こえ、レイリアはそちらを見る。肉と化した天使たちが、頭上の声に一縷の希望を見る。
「あらぁ、おかわりがきたわ」
 ずる、と舌なめずりをし、レイリアは結界内に招き入れる。

 天使たちは、気づかない。救援など意味がないことを。
 天使たちは、気づかない。どれだけの天使が来ようとも、レイリアを悦ばせるだけだという事を。

 かくして、レイリアは「おかわり」を存分に楽しむことにした。書き換えた結界を、膨らんだ天使たちで埋め尽くすまで。
「いっぱいになったら、ちゃあんとかえしてあげるわよ。あなたたちの世界に、ね」
(ただし、そのままの姿で、強制転移での放り出し、だけどね)
 空からはまだ救援という名の「おかわり」が訪れている。まだまだ宴を楽しむことはできそうだ。
 肌色でいっぱいになる結界を思い、レイリアはにっこりと笑った。
 美しく、艶めかしく、そうして嗜虐的に。


<肌色の風船を作りつつ・了>