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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


かくてシリューナは贖えり
 透度を上げるよりも日ざしをやわらげることを目的に、翡翠の澱を含ませた窓硝子。
 そこから室内へとにじみ入ってくる朝の光に肢体を沈め、シリューナ・リュクテイアは静かに息を吐いた。
「いい気持ち」
 肌に当たる日ざしがやわらかい。少々どころではないギャラをガラス職人に叩きつけてやった甲斐があったというものだ。
 ふと。彼女は珪化木(化石化した樹木)でしつらえたプレジデントデスクの上から青花(唐後期に作られた、藍青に発色した模様が特徴の染付の陶磁器)の皿を取り上げ、日を当ててみた。
「朝日の白に、青がよく映えること」
 美術品を日にさらす。コレクターが見れば激怒するだろう。なにもわかっていない、希なる芸術をなんだと思っているのか、などと。
 くだらないことだ。
“品”とは飾り置くためのものではない。目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、肌で触れ、器として使って味わう――五感をもって感じ尽くすもの。置いておくだけなどというもったいない真似ができるものか。
 今夜はこの皿に鱧を盛りつけてみようか。梅雨明けの鱧の淡泊なうま味が、花なる青をこの上もなく引き立てるだろう。
 と。
 シリューナはデスクの隅に投げてあった懐中時計の銀鎖を指先に引っかけ、引き寄せた。ハンターケース(懐中時計の盤面を保護する上蓋)を開き、時刻を確かめる。そして。
「遅いわね」
 彼女がこの書斎へ篭もるのを見送り、倉庫の掃除へ向かったはずのファルス・ティレイラがまだ戻らない。おかげで存分に青花の美に想いを馳せることができたわけだが、いくらなんでも遅すぎる。
 本業の魔法薬屋の弟子であり、大切な妹分であり、同じように異世界から渡ってきた竜族であるティレイラ。少々好奇心が強すぎることから失敗することも多い彼女だが、その本性は竜である。滅多なことで窮地に陥るようなことはあるまいが、しかし。
「……またなにか、やらかしたのかしらね」
 シリューナは美術品たちへしばしの別れを告げ、書斎を後にした。
 廊下に敷き詰めたシルクのペルシア絨毯、そのアラベスクを踏みしだき、シリューナは口の端を薄く吊り上げた。
 なにが起きたものかはわからないが、なんであれティレイラが関わっている以上、どう転んでいたとしても、それなり以上に楽しめることだろう。

 ここで少々、時は遡る。
「じゃあね、ティレ。私はしばらく書斎にいるから」
「はーい! ごゆっくりどうぞ、お姉様〜!」
 書斎のドアを閉めるシリューナを笑顔で見送ったティレイラは、いつものとおりに魔法薬屋の倉庫へ向かった。
「絨毯は……ケバも毛玉もありません! 後でコロコロかけとかなきゃね。壁は水拭きでー、天井はハタキかけてー」
 廊下のあちこちを見回しながら、ブツブツ。今日の掃除手順を確認する。
 このシリューナの作業場であり、店舗であり、巣である館には、美術品な希少品ばかりでなく、彼女の美学が詰め込まれている。だからティレイラは、この館をお姉様と同じように扱わなければならないのだ。
「まずはから拭きからだよー」
 生薬や魔法薬などの保存に注意をともなう物品が収められた倉庫。
 ティレイラは魔法の灯を点灯し、かわいた布巾でガラス瓶や鉱石の埃を拭き取っていく。毎日丹念に掃除してはいるが、こうしていろいろなものを綺麗にしていくのは楽しい。なぜならこれらの物は、いずれシリューナの手ですばらしいなにかに生まれ変わる“種”なのだから。
 ――いつか私にも作れるよね。誰かの役に立つ薬とか、アイテムとか!
 それらはどのように、誰の役に立ってくれるだろう? 考えるだけで心が躍る。
 躍って、しまった。
 彼女は盛り上がるあまり、うっかり本性を漏らしてしまったのだ。すなわち、竜の角と翼と尻尾を。
「うわわ、いけない!」
 3点セットをあわてて体内にしまいこむティレイラ。倖いにして翼や尻尾がどこかに当たるようなことはなかったが、それらが巻き起こした風までは止められなかった。
 果たして。
 風に巻かれて床に落ちた品々が固い音をたてる。銀細工の小さなオブジェ、ブリリアントカットを施されたダイヤのプラチナリング、懐中時計のハンターケース裏にはめ込むための肖像画――素材が収められた倉庫の中ではめずらしい完成品たち。
「こ、壊れてない、よね?」
 ティレイラはひとつひとつを拾い上げ、丹念に確認するが。
「うう、わかんない」
 目に見えて歪んでいたり欠けたりしているなら彼女にもわかる。しかし、この倉庫にあるということは、これらの物はただの品ではないはずだ。
 どうしよう、衝撃でどこかに隠されている魔方陣がズレたり、怪しげな呪いが発動したりしていたら……。
 途方に暮れながら、彼女は必死で品々を見続けて。
「――なにが起きているのかしら?」
 いつの間にか後ろにシリューナが立っていて。
「説明なり言い訳なり、してくれるのよね?」
 酷薄な笑みを称えた唇で、ティレイラの心をじわじわ追い詰め始めたのだった。

「い、言い訳は、しません……」
 床に正座したティレイラが、頭を垂れたまま絞り出した。
 対するシリューナは無言。
 こちらからなにか言ってしまえば、終わってしまう。この世界においてシリューナの感情を大きく動かす数少ないもの、ティレイラとの時間が。
 だからシリューナは待つのだ。ティレイラのさらなるあがきを。この貴重な時間をもっと楽しめるなにかが起こることを。
「で、でもでも、これだけっ!」
 あら。ここで粘ってみるのね。
 声をかけたくなるのをこらえ、シリューナは小首を傾げてみせた。私はなにも言わないから、しないはずの言い訳を……
「ごめんなさい」
 深く頭を垂れるティレイラ。
 言いたかったことが、それ? たったそれだけを言いたくて、すがったの? なんていじらしい。なんてかわいらしい。なんて――
「顔を上げて」
 ティレイラが落としてしまったものは、鑑定や修理を頼まれた魔法具で、シリューナによる保護魔法がかけられている。だから、落としたくらいで壊れるものではありえない。でも。
「ティレがうつむいていたら、そのかわいらしい顔が私に見えないじゃない?」
 シリューナの視線に乗せられた石化魔法がティレイラを蝕んでいく。
「あ、お姉様――あ、ああ」
「粗相をしでかした子にはお仕置きが必要でしょう? ティレが石になるまであと10秒。さあ、立ちなさい」
「う、あ、は、はい」
 石へ換わりつつある四肢に力を込めて、ティレイラが立ち上がり。
 自分がしてしまった失敗への申し訳なさと、石に変わる恐怖、そしてシリューナへの懇願をその顔に映したまま、動きを止めた。
「ティレ?」
 答えはない。竜の魂まで石と化したティレイラに、シリューナの声は届かないから。
 シリューナがゆっくりとティレイラ――石像のまわりを巡る。ああ、まるで上質な白磁のようになまめかしい。この美をながめているだけなんて、できるものか。
 そっと、ティレイラの腕に触れてみる。いつもはやわらかく彼女の指先を弾く肌が、今はただただ、拒むように硬い。頬も、首筋も、唇も、冷たくて硬くて……変わらないのはそのすべらかさだけ。
 シリューナに剥製を愛でる趣味はなかったが、今なら少しだけ理解できる気がする。愛すべきものの最高の“一瞬”を切り取り、生涯そのものの一瞬を愛で続ける。それはきっと歪んだ独占欲なのだろうが、それでも。
 ――なにものにも代えがたい悦びを得られるでしょうね。
「書斎へ行きましょうか。薄暗い倉庫の中に閉じ込めておくなんて、その美に対する冒涜だわ」
 シリューナがティレイラを抱えて歩き出す。
 誰にも触らせない。誰にも味わわせない。ティレイラの「このとき」は、私だけのもの。

 書斎の窓際にティレイラを立たせ、シリューナは先ほどの魔法具の鑑定にかかっていた。
 その途中、指輪をティレイラの硬い指にはめてみた。アクセサリーをつけさせてみた。オブジェに囲ませてもみた。しかし。
 そのどれもが、ティレイラの「このとき」には及ばない。むしろ「このとき」を穢し、貶めているように思えて、シリューナは不機嫌な手でそれらを倉庫へぶち込みに行くはめに陥った。
「……ティレを飾るに足るものはあるのかしら?」
 窓硝子に溶かし混ぜた翡翠の碧により、ほのかに色づいた日ざしがティレイラの姿を浮き上がらせた。
 光の内でこちらへ物言いたげな石の瞳を向けるティレイラ。それは光に晒されていることへの抗議のようにも、なにかをねだる哀願のようにも見えて、ますますシリューナを惑わせる。
「いったいティレはどうしてほしいのかしらね。いったい私はどうしたいのかしら?」
 五感のすべてをもって愛でる。ただそれだけで満たされるものだと思っていた。
 しかし今、シリューナはたまらなく不満であった。無二の美を差し出したティレイラに、自分がなにひとつ贖えないことが。
「白日なら、どう?」
 彼女は窓を開けてみた。青い空から降りそそぐ白い日ざしと、木々の葉をすり抜けるうちに匂いづいた風。それらは確かに美しかったが、ティレイラの美に沿わせるにはまるで足りていない。
 ティレイラの「このとき」を飾るもの。飾れるもの。それはなにか。なにがある?
 ……。
 ……。
 ……。
「もう!」
 シリューナは窓を閉ざし、そして、唐突に拳を叩きつけて割り砕いた。
 再びなだれ込んでくる日ざしの中、星のごとくにまたたきながら散る碧。
「ああ」
 碧のまたたきがティレイラを光の羽衣さながらにやさしく包み込み――散り落ちた。
 一瞬の昔、確かにそこに在ったはずの美。シリューナは息をするのも忘れ果て、その美を思い出し続けたが。
「これは……いけないわね」
 かぶりを振って、ティレイラの石化を解いたのだった。

「……お姉様? その、なにかあったんですか?」
 シリューナの憂い顔と大穴の開いた窓とを交互に見やり、ティレイラは首を傾げた。
「気にしなくていいの。それよりも硝子職人に連絡をしてちょうだい」
 疑問符をたくさん頭上に飛ばしながら、それでもシリューナの言いつけにうなずいたティレイラが書斎から駆け出していく。
 その背から目を反らし、シリューナは深いため息をついた。
 結局のところ、「このとき」という一瞬に及ぶものは同じ一瞬しかないのだ。
 だから彼女はティレイラという美を味わい尽くすため、最高の出来映えだった窓硝子を砕かなければならなかった。そしてその碧が失われるまでの一瞬へ、彼女はおそろしいまでに魅せられてしまった。
「ティレを石にするのはこれで最後にしておくべきね」
 ティレイラを石にするたび、シリューナは貴重ななにかを打ち壊さずにいられないだろう。あの一瞬の法悦を得るために。
 ――これから幾度となく、シリューナは今日のあのときを夢に見ることだろう。その夢はその度に彼女を駆り立て、そそのかすだろう。
「武士は食わねど高楊枝、と言うけれど、私はどんな心持ちで満足した気になればいいのかしら……?」
 窓の穴から風がすべりこみ、彼女の頬をなでる。
 それは彼女の葛藤をからかうように感じられて――シリューナは眉根をかすかにしかめ、書斎を後にした。