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<東京怪談ノベル(シングル)>


Mistake



 ■0■

 宝石や装飾品で過度なまでに飾りたてられた豪奢な玉座に深く腰掛けながら魔王はけだるげに肘に頬杖をつき退屈を持て余していた。
 何か面白いことはないものか。その思考はプログラミングされたものなのかそうではないのか、その答えを求める者はなくただ、魔王はふと新しい余興を思いついたように口の端を歪め配下に命じた。
 程なく、最近捕らえてきたばかりの姫君が連れられてくる。
 姫君は魔王の眼前で臆する事なく毅然と佇み魔王を睨みつけていた。必ずや自分を助けに来るのが現れると信じているのだろう。
 その顔を絶望に変えるのは容易であったが、魔王がやったのは別の事だった。



 ■1■

「今回は、魔王にさらわれし姫を助けだす…だせばいいのね」
 ゲームのパッケージの表と裏を確認しながらイアルは呟いた。
 “今回は”と付いたのはこれが初めてというわけではないからだ。
 かつて大事件を巻き起こした呪われしゲーム『白銀の姫』。そのプログラムを流用してしまったために、その呪い――プレイヤーをゲーム世界に閉じこめてしまう――まで引き継いでしまったゲームソフト。
 それがアンティークショップ・レンに持ち込まれたのはついこの間の事。出回っている数は少ないが売り物になるわけもなく不用意に処分する事も出来ず、こうしてイアルの元に解呪の依頼がくるのだ。
 かくてイアルは依頼人であり同居人である親友のマンションでくだんのソフトをパソコンにセットした。
 経験上、この手のゲームは一度クリアすれば解呪される。最早慣れた手つきでイアルはキーボードとマウスを操作した。
 前回同様気づけばゲーム世界の中だ。


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 赤いビキニアーマー姿の自分にイアルは何とも言えない溜め息を吐いた。女戦士…にしては防御力が心許ない気がしなくもない。それでも視界の片隅に見えるRPG特有のステータス画面ではそうでもないのだから今更か。
 前回のゲームといい今回のゲームといい、制作者は何を考えているのだろう。同じ人物なのだろうか。そんな事を考えながらイアルはとりあえず目に付いた酒場に情報収集に入った。
 そこでは魔王にさらわれた姫君の話題でもちきりだ。
 魔王の城は彼女の現在地の村から比較的近くにあるらしい。樹海を越えた向こうに見えるという。魔王には四天王と呼ばれる部下が魔王城の東西南北それぞれにいて、周辺を常に脅かしているようだ。ベタといえばベタな設定である。しかし魔王城を護るように彼らがいるようなのに、彼女の現在地はその支配下よりも内側だった。
 今すぐにでも魔王城に忍び込めるほどに。
 とはいえ、RPGのセオリーを考えれば今の初期レベルで魔王城に乗り込めるわけがない。
 まずは雑魚魔獣を倒して経験値を稼ぎ四天王を順に倒して魔王を最後に倒し姫君を助け出すのが王道というものだ。
 イアルはそう決断すると酒場を出て旅に出た。
 雑魚魔獣を倒し経験値を積み、NPCの仲間を集め、旅先でいろんなトラブルに巻き込まれながらイベントをこなし、四天王を順に討ち払いつつ最強の装備を手にし、最強の防具もビキニアーマーである事はあまり深く考えないようにして、魔王城に乗り込んだ。
 かくて。
「姫君を返しなさい!!」
 勇ましく魔王の前に立ったのである。
 そんなイアルに魔王は大した感慨も受けぬ顔でおもむろに玉座から立ち上がるとこう言った。
「それほど姫君に会いたいなら先に会わせてやろう」
 魔王の指が鳴る。
 その瞬間、イアルの足下に真っ暗な空間がぽっかりと口を開けた。
 



■2■

 驚愕にただただ目を見開く事しか出来なかった。無意識に何度も生唾を飲み込む口の中は唾液で粘ついた。信じ難い、いや、信じたくない光景に怖じ気が足を半歩後退らせていた。現実を――いやこの世界がゲームの中なら現実ではなく仮想現実なのだが、そうであっても――受け入れ難い事実にイアルは呆然と立ち尽くした。
 魔王と対面し1人落とし穴にハマったイアルは気づけば魔王の城の庭に迷い込み、そこで見つけてしまったのである。
 鬱蒼と木々が生い茂る樹海の片隅で粗相し、それを体に擦り付け他の木々へとまるでマーキングするかのように擦り付けている人の形をしたモノ――ケモノを。
 魔王は言った。先に会わせてやろうと。
 “あれ”は…“あれ”が姫君だというのか。
 これまで解呪の依頼でイアルが出会ってきた美しくも聡明であって気高く麗しい姫君――女神モリガンの今の姿は、最早そんな面影すら残さぬほどに別人と変わり果て、イアルの前に汚れきった肢体を晒していた。
 背中にじんわりと汗が滲む。
 落とし穴に落とされた時、言い放たれた魔王の声が今、再び直接脳に響いてくるような錯覚を覚えた。
 ――その獣を倒してここまで来るがいい。

 このゲームは魔王にさらわれた姫君を助け出すことだ。そのためには魔王を倒す必要があって、だが魔王を倒すために姫君を…倒せというのか。
 ゲームを始めた時に2つの選択肢が提示されていた。
 例えば、RPGで敵とエンカウトした時の選択肢のように「たたかう」「まほう」「にげる」があったとすれば、普通は「たたかう」を選ぶだろう。「にげる」という選択肢が正解などというのは、何度も戦って勝てないと確信した時ぐらいだ。最初から「にげる」を選ぶなんて事はない。
 それが当たり前だと思っていた。
 まさか。
 あの時、選ぶべきは魔王を倒すために経験値を積む事ではなく、先に樹海を越え魔王城に乗り込みどこかに幽閉されているであろう姫君を救い出して、魔王の追っ手から逃げながら姫君を守りつつ経験値を積んで最後に諸悪の根元たる魔王を倒して安寧を勝ち取る選択だったとは。前者がセオリーだと思っていた痛恨の選択ミスだった。
 モリガンは魔王の精神魔法により野生化されたのだ。それは最悪で最凶の禍々しい魔法だった。魔王城の周囲の森で野良犬同然の生活を強制され、プレイヤーが経験値を稼げば稼ぐほどモリガンの野生化が進行するという。

 頬を冷たい汗が伝う。呼吸が荒くなっていた。初対面であり、そうではない。女神モリガンを倒すのか。倒せるのか。
 目の前にいるのは本当にあのモリガンなのか。
 だがぼろ雑巾のようになった服だったものの断片は確かにパッケージにあった姫君のものだ。
 堪えきれない何かがこみ上げてきて叫びだしたい衝動にかられる。イアルは胃の内容物を吐き出しそうになって、飲み込むようにして口元を手で押さえた。
 どちらが上でどちらが下か平衡感覚も失ってよろめいた先で小枝を踏む。
 ポキリと折れる音にそれまでマーキングに勤しんでいた彼女がこちらを振り返った。
 ギラついた目がイアルを捕らえる。両手足で緑に苔むした地面を掴み下から睨めあげるようにしてモリガンは、野獣のようなうなり声をあげた。
 心臓が胸からはみ出そうな程の勢いで早鐘を打つ。イアルは動揺と衝撃で折れそうになる心を奮い立たせるように最強の剣を抜いた。
 悲壮感に苛まれながら剣を構える。
 先に動いたのはモリガンだった。
 彼女は両手両足で大地を蹴ってイアルに飛びかかってきた。
 鋭い爪がイアルを襲おうとする。それを迎え撃つにはまだ覚悟が足りなかったか、剣で受け止めつつも防御に徹してしまう。倒さなければ倒されるだけなのに。
 彼女の尋常ではない膂力に圧倒されイアルは勢いに呑まれるように押し倒された。モリガンがイアルの上に覆い被さる。モリガンの恐ろしいほどの力がイアルを地面に押しつけていた。
 肩口にモリガンの両手の爪が食い込む。
 視界の片隅のHPゲージがゆっくりと減り緑からオレンジ、黄色と変わっていく。
 その喉笛をカッ切らんと歯茎も剥き出しにモリガンが顔を寄せてきた。その呼気が放つ悪臭にイアルは思わず顔をそむけたくなる。だがそんな余裕があろうはずもない。全力で抗わなければ抗い続けなければ即座に頸動脈が血しぶきをあげ、自分は命を落とす事になるだろう。
 モリガンの開ききった口から涎が垂れイアルの首筋を汚す。ゆっくりとゆっくりとモリガンの顔がイアルの首へ近づいた。
 イアルとて経験値を積み最強の武器を携えてきたのだ、純然たる力の差は実際のところそれほどなかっただろう。だが、メンタルによって明確な差が生まれていた。
 イアルにとっては長い時間であったが、それはほんの数秒ほどの事だったか。
 野生と化したモリガンの歯がイアルの肌に突き刺さった。それは首ではなく少し外れた肩だったが。
 食いちぎられた肉に鮮血が舞い飛ぶ。
 イアルの喉の奥から迸ったのは絶叫。
 激痛にイアルが暴れるとモリガンはイアルを弄ぶかのように離れた。荒い息を吐きながらイアルは上体を起こす。左肩から滴り落ちる血が赤いアーマーと白い肌をよりいっそう紅く染め上げた。
 血の気がひき顔色は更に蒼さを増して、目尻に涙が浮かぶ。
 残りわずかのHPゲージは赤く点滅し危険を訴えていた。
 威嚇するように低く唸りながらイアルの周囲をゆっくりと巡るモリガンにイアルは立ち上がる事すら出来ず剣で上半身を支えているのが精一杯で。
 次にモリガンが地を蹴った時には万に一つの勝ちも消えていた。
 痛みは麻痺し走馬燈のように最近の出来事が脳裏を駆け抜ける。薄れる意識の片隅で、死ぬのか…と思った。夢だったらいいのにと願った。



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 だが、これはあくまでゲームだ。モンスターと対戦したらアイテムや魔法でいとも簡単に蘇ったり傷が癒えたりする。
 次に目を覚ました時、だがイアルは教会などではなく魔王の玉座の前にいた。
 悪夢がまだ続いていることを物語るように四足歩行でぺたんぺたんと足音を立てながらモリガンがイアルの周囲を徘徊している。
 イアルは動けなかった。
「実に残念だよ」
 ちっとも残念そうではない物言いの魔王をイアルは睨みつける気力もなく見ていた。世界が絶望に塗り替えられていくようなそんな錯覚すら覚える。
「レリーフとして私のコレクションに加えるとしよう」
 刹那、イアルの足下から何かが這い上がってきた。緑色のゲル状の魔法物質がその体を飲み込みイアルを塗り固めたのだ。
 それでもイアルの耳には魔王の声が聞こえた。モリガンの唸り声が聞こえた。その景色を見ることが出来た。
「さあ、姫君。これは君の新しい玩具だよ」
 そう言われてモリガンがイアルのレリーフに近づいてくる。
 レリーフにマーキングするように汚穢をまき散らし、それを全身でレリーフに擦り付ける。その擦られる感触も、汚穢が放つ汚臭も、その一部始終も、レリーフとなったはずなのに、イアルははっきりと知覚する事が出来た。
 だが微動も出来ず、イアルは目を閉じることも、鼻を覆うことも、耳を塞ぐことも出来なくて、感覚を遮断することも、気が狂うことすら出来ず、姫君を助けられなかった罰でも受けるようにモリガンと共に汚され続けた。


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 ゲームの解呪は失敗した。
 誰かがこのゲームを解呪するまでそれは続くのだろう。
 誰もいない部屋のPC画面にバッドエンドのエンドロールが流れていたが、それを見る者はなかった。






■END■