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<東京怪談ノベル(シングル)>


―夢と現実と・12―

 港を出て暫く潮風に当たり、小腹が空いてきたなぁと思う頃合い。
 唐突に濃霧が周囲を覆い、周囲の視界を奪う。あまりに濃い霧のため、方向すら分からなくなる。
「何だよ、急に。霧の出るような天気じゃなかったぞ?」
 操舵を担当する男性が、苛立ちに恐怖心を小さじ一杯加えたような面持ちで呟く。と、その時。
「……な、何で歌声が聞こえるんだ? って、待てよ? このシチュって、まさか!?」
 その美しい調べは、どんどん近づいて来る。そして霧の中に、ぼうっと現れる美女の姿。どうやら、声の主は彼女のようだ……が、船も無いのに、その美女は海の上を漂っている。そして良く見れば、上半身は美しい女性の姿だが、下半身に脚は無い。
 美女は竪琴を鳴らしながら、付かず離れずの距離を保って船の周りを回っている。
「ちょ、ま、待てよ……な、何でこんなトコに、サイレンの魔女が出るんだよぉ!!」
 羅針盤で辛うじて方角を確かめた操舵手が、怯えたような声で叫びながら針路を真逆に向け、後退していく。その姿を見て、美女は『ふぅ』と息を付く。
「上手くいきましたよ、港の方へ帰っていきました」
「それは良いけどさ……重いよ、みなもちゃん!」
「あー、ひっどぉい! これでもダイエット中なんですよ?」
 それまでの妖艶な笑みは何処へやら。接近してくる船を追い返した彼女は、ぷぅっと頬を膨らませながら上空を飛ぶガルダに食って掛かる。
「はいはい、お疲れさん。もう霧は除けて良いかな?」
「あ、もういいと思うよ。有難う」
 ガルダに向けた不服の声とは打って変わって、コロッと明るい笑顔に転じる少女。幻獣ラミアに扮する、海原みなもである。先刻から海上を覆っていた霧は、彼――ウィザードが作り出した目くらましの魔術だったのだ。
 そうして海上付近を視界不良にしておいて、ガルダ――瀬奈雫がみなもの乗った網を上空から吊り下げながら飛んでいたのだ。つまり彼らは3人がかりで、船を襲い海の藻屑と化してしまうという伝承のある『サイレンの魔女』を再現していたのである。
「直接攻撃して追い返しちゃった方が、簡単じゃない。何でこんな回りくどい事をするの?」
 一番の重労働を押し付けられている雫が、不服そうに呟く。それにみなもが呼応する。
「無駄に敵を作りたくないからだよ。この方法なら、あたし達の正体もバレず、近付いて来る船を追い返せるんだよ」
「そうそう。それにこの作戦の利点は、逃げ帰った船の乗員が噂を流し、結果的にこの海域への接近を抑止してくれる事にある」
 みなもの発言をフォローするが如く、ウィザードが補足を入れる。

 ……さて、なぜ彼女たちはこのような事をやっているのだろうか? 話は一週間ほど前に遡る。

***

「……話、だと?」
「そうです。俺たちは貴方を攻撃しに来たんじゃない、どうして貴方が船を襲ってまで島への接近を妨げるのか、その訳を知りたいんです」
 敗戦から立ち直り、再び相まみえた両者が空中で視線を合わせる。行く手を阻むリヴァイアサンは、小型船の軸先に立ち、真っ直ぐな視線を向けて来る少年の声に耳を傾けた。が、それも束の間。再び雷を呼び寄せて迎撃の姿勢になる。
「待ってくれ! 話を……」
「聞く訳にはいかんな。帰れ。さもなくば、再び……」
 と、リヴァイアサンが回答しようとしたその刹那。島の中腹にある密林の中から女性の叫び声が聞こえてきた。
「しまった、伏兵か!!」
「上を取られたんだ、この責任は俺たちにある。償わせて貰う!」
 言うが早いか、既に上空から急降下してくるハーピーの姿を見付けていた雫が、掌から無数の光の矢を放つ。
 間一髪、その攻撃を躱したハーピーが矛先を海上へと変えた。何故か身動きのできない大物を捉えたのに、攻撃の邪魔をされた事で怒りを覚えたのだ。
 ……が、幻獣クラスが相手であればほぼ負けは無いパーティーを相手にして、単独で戦いを挑んだハーピーは愚かだった。
 スピードを上げて船に接近する姿はまるで無防備、狙ってくださいと言っているに等しかったからだ。
「視野狭窄は、大ケガの元……覚えておくといいよ」
 ウィザードの放った光弾をモロに食らい、ダメージを受けたところにジャンプしたみなものクローが炸裂する。
「動けない人を襲うなんて、あたし嫌いです」
 柔らかい口調とは裏腹に、その攻撃は容赦なかった。真正面から斬撃を受けたハーピーは大ダメージを受け、ライフポイントがゼロになって視界から消えた。ゲーム世界に於ける『戦死』である。このハーピーのユーザーは『復活』の為の課金をしない限り、マップ上に舞い戻る事は出来ない。キャラ自体は消滅しないが、ログイン権限が凍結されるのだ。ユーザーが再課金をしても、キャラの復活には時間が掛かる。それだけ大きなペナルティになると云う訳だ。
 こうして自分たちを襲った伏兵を撃退したみなも達に、敵意が無い事はリヴァイアサンにも理解できたようだ。
「……来るがいい」
 声を聞かれた以上、隠し通す事は出来ない。そう判断したリヴァイアサンは、みなも達を密林の奥深くへと案内した。そこで彼らが見たものは、彼らに大きな衝撃を与えた。
「た、卵……!?」
「話には聞いた事がある。異性のキャラ同士がある一定の数値以上まで好感度を上げる事で、子を作ることが出来ると」
「そ、それってつまり、け、け、けっこ……」
 冷静に状況を分析したウィザードの前で、みなもは狼狽した姿を晒していた。然もありなん、ゲーム世界の中とは言え、意中の相手との間に子を作ることが出来ると分かったのだ。年頃の女子が、興奮するのも無理らしからぬ事である。
「……彼女は放っておいて大丈夫、すぐ冷静さを取り戻します。で、この卵は……産まれてどのぐらいになりますか?」
「3週間、と云うところだ。間もなく孵化すると思うのだが」
「個体差がありますからね。なるほど、これでは島を離れる事が出来ないし、外敵を近付けたくないのも合点がいく」
 知らなければ、無視する事も出来た。しかし、彼らは知ってしまったのだ。ここでリヴァイアサンの怒りに触れたら、先刻のハーピーと同じ運命を辿る事は必至であろう。
 こうして、みなも達による幻惑・防衛作戦が展開されるに至ったのである。

***

「ね、好感度ステータス……どこまで上げたら、ああなるの?」
「ん? 一般には『友達』から『恋人』になって、それから先は……って、あ、あのね? 俺、まだ父親になる覚悟は……」
「あ、あたしじゃ、嫌?」
「そうじゃ無くて……こ、交代の時間だ、見張りに立つ!」
 あん、と云う残念そうな声を背で受けながら、ウィザードが雫と交代する為に背を向ける。が、耳まで赤く染まっているのが背後からでも分かるほど、彼も紅潮していた。
「……何話してたか、聞くまでも無いね。あーあ、砂吐くわ全く!」
「か、勘繰るなよ? 俺たちはあのリヴァイアサンたちに中てられただけで、俺たちもいずれ……あ」
「墓穴掘ってるし」
 雫の視線は冷ややかだった。彼でコレだ、あの子は……と考えると、その心中は穏やかでは無かっただろう。これから暫く、居心地の悪い船旅が続く事になる事は明かだったからだ。
 そして、雫が船室に降りて行くと……予想通り、身をくねらせながら悶えているラミアがそこに居た。
「船底には穴を開けないでね?」
 それが、今の雫が漏らせる唯一の言葉だった。

<了>