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<東京怪談ノベル(シングル)>


 愚女が縋るは賢女の藁


 その洋館を訪れるのは初めてではない。碇・麗香は門前で洋館の外装を眺め、小さく息をついた。昔訪れた時よりも明らかに寂れている。前庭や外観の手入れが行き届いていないあたり、この屋敷の住人の今の状況を物語っているようだった。
(もう二度と、ここには来ないものだと思っていたけど)
 麗香はドアベルを鳴らす。静寂の中に響き渡るその音。そして応答をまたずに玄関扉を開けた。
 メールに書かれていたのだ。『ドアベルにすぐに対応するのは難しいので、扉を開けてエントランスで待っていて欲しい』と。

 そもそも麗香がこの屋敷を訪れるきっかけになったのは、一通のメールだった。職場の自分のパソコンでメールをチェックしていたところ、意外な人物からのメールが届いていたのだ。
 そのメールの送り主は、今はもう麗香とは繋がりがないはずの者だった。いや、向こうが勝手に繋がりを断ったのだ。
「……今更なんの用があるというの?」
 思わずそう、独り言を呟いていた。
 メールの送り主、満月・美華はかつて麗香が編集長を務める『月刊アトラス』にて、心霊現象のコラムの連載を持っていた。彼女の祖父の死後、彼女は一方的に連載をやめてしまったのだ。
 身内の死が精神的にダメージを与えるものであると、勿論麗香は理解している。ゆえに2度までの休載は許した。だが肝心の美華とはとは連絡が取れなくなり、屋敷まで様子を見に行った麗香が憔悴しきった美華から受けた言葉は『連載はやめる』という無責任なものだった。最初は優しくなだめて連載を続けてもらう方向へと持って行こうとしていた麗香も、しまいには我慢ができなくなった。人として、社会人として無責任な態度を貫こうとする彼女が許せなくて、説得する気も失せた。一方的に皮肉を投げつけて、玄関扉を思い切り閉めて屋敷を去ったのを覚えている。
 そんな彼女からのメール――再び連載をしたいそんな虫のいい内容だったら即座にゴミ箱に捨てるつもりだった。
 だがその内容は、麗香の想像の上をいくものだった。だからこそ、麗香は今、この屋敷にいるのだった。

「ちょっと、満月美華、いるんでしょ。来てやったわよ」
 エントランスに響く麗香の声。するとどこからかギシリと床のきしむような音が聞こえた。その音は、次第にエントランスへと近づいてくる。
 ごくり、麗香は息を呑んだ。外見上はいつものクールで余裕のある麗香の姿を崩してはいないが、内心ではいつ何が起こっても大丈夫なよう、体勢を整えている。

「――いらっしゃい、麗香さん」
「……!?」

 しかしひときわ大きく軋む音が聞こえて姿を現したのは、麗香を呼び出した当人である美華であった。だが――。
「……美華さん? あなた……」
 麗香が言葉を失うのも無理は無い。今の美華は麗香が最後に見た、線の細い美女ではなく、ふくよかという表現を通り越した体型となった彼女だったのだ。特に顕著なのはその腹部。子を宿している――いや、例え多胎児を宿しているとしてもその大きさは異常だ。その常識を超えた大きなお腹は両手で抱えねば歩くのが難しいらしく、美華は「こちらへどうぞ」といいながらもよたよたと緩慢な動きで麗香を案内した。
(どうなっているというの……でもこれは上手く行けば使えるわ)
 美華が突然連載をやめてしまったことで穴埋めには苦労させられた。そのお返しだ、使えるものなら仕事に使ってやる――そんな心持ちで麗香は美華の後をついていった。



 居間へと通された麗香は、美華がワゴンを押して来てなんとか紅茶を注ぐのを黙って見ていた。
「時間がかかってごめんなさい。この身体だから」
 向かいのソファにどっぷりと腰を沈めた美華を、麗香はいつもの鋭い瞳で見据える。
「で、用件は……そのお腹のことよね? どう見ても自然現象には見えないわ」
「……ええ」
 本来なら今更麗香さんにお願いできる立場じゃないのはわかっているのだけれど……他に頼れる人がいないのだと美華は言う。
「確実にあなたを助けられるかはわからないわよ。けれども詳しく事情を聞かせてくれれば、力になれるかもしれないわ」
「ありがとう。少し長くなるけれど……」
 美華は訥々と語り始める。
 自らの持っていた死への恐怖――それが祖父の死によって抑えきれないほどになってしまったこと。
 なんとか死から逃れるために祖父の遺した文献をあさってて見つけた『ガイアの書』のこと。
 その書によって『命のスペア』を入手出来て安心していたこと。
 けれどもいつの間にか、そのスペアの数字は勝手に増えていき、ついには30に達してしまったこと。
 なんとか術を解除しようと試みたものの、弾かれてしまったこと。
 今も、肥大し続けているこの腹をなんとかしたいということ――。
「私にはもう打つ手が見つからなくて。顔の広い麗香さんなら、解決策や手がかりを知る能力者や術者などに心あたりがあるのではと思いまして……」
「紹介して欲しい、というわけね」
「……はい」
「虫のいい話ね」
「……」
 虫のいいことを言っているのは他の誰でもなく美華自身が一番良くわかっているだろう。それをわかっていながらも、麗香はスラリとした足を組んで腕も組み、見下ろすようにして美華を見つめる。
 ぐっ、と腹の脇に置いた手を美華は握りしめた。高圧的な麗香は昔から苦手である。仕事を受けている間もそうだったが、原稿に関することは担当編集を介していたため直接関わることは少なかったので耐えられた。けれども直接相対するとやはり苦手意識が強く出る。けれども背に腹は代えられないのだ。
「それはわかっています。でも、お願いします……」
 絞りだすように声を出した。そんな美華の態度に満足したのか、麗香は冷めた紅茶のカップに手を付け、一口含んだ後に口を開いた。
「わかったわ。その手の能力者を手配しましょう。ただし、交換条件を飲んでもらうわ」
「……」
「こちらから出す調査依頼や記事の作成など、ここを出なくてもできるような仕事を請け負ってもらいたいのよ。いいかしら?」
 口調としては尋ねる形ではあるが、美華に拒否権はない。麗香ももちろん美華にいい印象を持っていないので、利用できるものは利用してやる、そういう気持ちなのだ。
「……わかりました。その条件で、どうかお願いします……」
 苦味が口の中に、胸の中に広がる。美華は渋々その条件を飲むことにした。否、拒否することはできなかった。麗香の助けを借りられねば、手詰まりなのである。
「契約成立ね。すぐにあたりをつけてメールで連絡するわ」
 麗香はカップを置き、すっと立ち上がる。
「見送りはいらないわよ」
 そう告げて今の扉を開けて出て行く。まるで一秒でも早くこの屋敷から出て行きたい、そんな様子だった。
「はぁ……」
 リビングに残された美華は深く息をつく。肥大したお腹をゆっくりと撫でながら思い浮かぶのは、これからのこと。モザイクが掛かったように見えぬ先の事を思うと、ため息しか出てこないのであった。



 屋敷の外へ出た麗香は大きく息を吸って吐いた。なんとなく、屋敷の空気は淀んでいた気がして、穢れを払うかのように。

「……哀れな女」

 それが今に至るまでの美華の経緯を聞いた麗香が、ただ一つ抱いた思いであった。




                     【了】




■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【8686/満月・美華/女性/28歳/魔術師(無職)】



■         ライター通信          ■

 この度はご依頼ありがとうございました。
 続きをかかせていただけて、とても嬉しいです。
 細かいご指定のなかった部分はこちらで創造させていただきました。
 今回は少し趣向を変えて、麗香の目線から書かせていただきました。
 少しでもお気に召すものとして仕上がっていることを願いつつ。
 これから先が気になりますね。

 この度は書かせていただき、ありがとうございましたっ。