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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


お菓子の国のティレイラ
 商売には“流れ”というものがある。
 時期によって商材の偏りが出るものだし、なんらかの事件や流行によって求められる物品は変わる。もっと短いスパンの話をすれば、時刻によって訪れる客の傾向や数にもちがいが現われるものだ。
 そして朝11時。この時間は商材の納入もなく、朝の駆け込み客も落ち着いて、さらには仕事もなんとなく片付いていて――一日の流れが止まり、淀む時間帯である。
「ううう、私はぁ、ねむくなぃいぃい」
 魔法薬屋の会計卓に肘をつき、ファルス・ティレイラは間延びした声で必死に自分へ言い聞かせた。
 まぶたがその赤い瞳を覆い隠すまで、およそ3ミリメートル。見事なまでの寝落ち寸前の図であるが、しかし。
「お姉様の信用、私が守るんだからぁ〜」
 この店は、魔法の師匠であり、大切な姉さながらの存在でもあるシリューナ・リュクティアのものである。その留守を預かるということはすなわち、シリューナの信用を預かることだ。絶対、寝落ちするわけにはいかない。
 ――空駆ける竜の誇りにかけて!
「絶対寝落ちたりし〜ない〜」
 へろへろと力なく拳を振り上げるティレイラ。……ダメだ。このまま淀みに身を浸していたら、睡魔に負けてしまう。
「流れがないから淀むんだよねぇ」
 だとすれば、流れを作ってしまおう。
 ティレイラは自分の頬をぱぱんと叩き、「よし!」と意気込んだ。
 倉庫の掃除はもう済んでいるが、朝届いた荷物の整理は手つかずだ。本当ならシリューナにどうするか訊いてからするべき作業なのだが……背に腹は代えられない。
「お姉様。私、立派に働き抜いてみせますからね!」
 丸っこい文字で書きつけたお客様宛てのインフォメーションを卓に貼りつけ、呼び出しベルを置いたティレイラは、ふわふわした足取りで倉庫へ向かうのだった。

 冷暗に保たれた倉庫の空気が、ティレイラのなまあたたかい眠気をさましてくれる。
「うん、ちょっと復活。やっぱり自分から動かなきゃだめだよね」
 ふーふふー、怪しげな鼻歌など鳴らしつつ、ティレイラは作業卓の上に置かれた荷を解きにかかった。
「生薬は保存瓶に入れてお姉様の指示待ち。乾物は日付メモつけてほかのといっしょにしといて。本は――本?」
 鑑定依頼で魔法本が送られてくることはままある。
 だが、他の品と共に……というのはめずらしい。文字にはそのひと筆、ひと文字ずつに筆者の念が込められており、量が増すごとにその本の力も増す。防御魔法でぐるぐる巻きにして、単品で送るのが基本ルールである。
「安全、なのかな? んー、ほかの物に影響してるわけでもないみたいだし」
 それほどの厚さもない革装丁の本を慎重に取り出し、卓へ置く。
 特に危険な力は感じない。感じないのに、気になってしかたない。
「だってこれ、魅力的すぎだよー!」
 革の表紙に刻印されたタイトルが『お菓子の国』だったから。
 簡単にめくれないよう、本には魔法で鍵がかけられていたが、ティレイラはあっさりこれを解除――大丈夫。後でかけなおしておけばいい――してしまった。
 悪いお菓子なんてありえない。お菓子は甘くて、いいものだ。だからきっとこの本もいい本にちがいない。
 ひとり納得しつつ、もどかしい指で表紙をめくると。
「ふわぁ」
 お菓子。お菓子。お菓子。すべてがお菓子で作られた不思議な世界が彼女をお出迎え。
 1ページめも2ページめも3ページめも、お菓子。
 夢中でページを繰るうち、ティレイラは本から伸び出した白い光に包まれて。
 この世界から消えた。

「ここ……」
 光に包まれて、目が眩んで――気づいたら、ここにいた。
「……本の、中?」
 先ほどまでティレイラの見ていたお菓子たちが、目の前にある。
 甘い匂いに誘われて、ティレイラは長方形のサブレを煉瓦さながら敷き連ねた路を横切り、道端に咲くチェリータルトの花をつついた。
 指先についた蜜ならぬ透明なとろみを嗅ぎ、舌先に乗せてみると。
「ナパージュ!」
 チェリーの風味が程よく移ったゼラチンは、もうそれだけで看板スイーツとして成立するほどの味わいだった。
 ティレイラは花を摘むようにタルトを一輪手に取ってかじり、「んん〜」と飛び跳ねた。
 どのようなことが起きたのかはわからないが、とにかく見るだけでなく、食べることができるお菓子の国に彼女はいる。
「これは行くしかない……よね?」
 乙女の慎みという名のリミッターを解除。ティレイラはサブレの路を足早に――1ページめへ向かって駆け戻るのだった。

 バイキング形式の食事を楽しむコツは、同じものを一度にたくさん食べないこと。
 外からこの本を見る者がいたなら、ページに詰め込まれたお菓子を全種類、ひと口ずつかじりながら次のページへ移動する少女の笑顔を確認できただろう。
 そうしてティレイラは食べて、食べて、食べて、“森”をテーマにしているらしい13ページめにたどりついた。
 バウムクーヘンの大木の上方で揺れるチョコレートの葉を見上げ、ティレイラはふぅと甘い息をついた。
「おいしくてうれしいけど、ちょっとひと休みしたいかも」
 この世界にあるすべてのものはお菓子。そこに落ちている切り株もブッシュドノエルなので、もし座ってしまったら大変なことになるだろう。
「なら、わたくしの草庵でお休みになればよろしいわ」
 ふと。
 ティレイラの後ろに気配が立つ。
「え?」
 振り返ってみれば、いったいどこから現われたものか、漆黒のAラインドレスに白い体を包んだ貴婦人が微笑んでいた。
「わたくしの描いたお菓子を頰ばるあなたの笑顔に引き寄せられるまま、つい本の中にまで現われてしまったわ」
「え、え? ってことは、この本の、作者さんですかっ?」
 しとやかにうなずく貴婦人の手を取ったティレイラは、何度も何度も上下に振り回し。
「どれも絵じゃないみたいにおいしくてっ! なにをどれだけ食べたらいいのかなって、ずーっと悩んじゃいました!」
 ここまで一気に言い終えた後、ティレイラがはたと笑顔を曇らせて。
「あの、食べちゃって、大丈夫でした? ごめんなさい、私、実はちょっとずつのつもりで思いっきり食べちゃったんですけど……」
 おずおず切り出したティレイラに、貴婦人はかぶりを振ってみせ。
「喜んでもらえて倖いよ。だってお菓子は女の子に食べてもらうために甘くなるのだもの」
 そして。
「さあ、こちらへ。筆によりを掛けた新作があるの。座り心地のいいソファも、香りのいいお茶もね。きっとあなたを今日いちばんの笑顔にしてくれるわ」
 ティレイラにつかまれたままの手をかるく引いて貴婦人が誘う。
 そのひかえめな、しかし事を急ぐ強引さ。普段のティレイラであれば警戒していたことだろうが……甘味で痺れた彼女の頭に、本能が鳴らしたささやかな警報は届かなかった。

 ポム・ランヴェルセを平らげた。
 クラフティーも平らげた。
 濃厚なラプサンスーチョンのミルクティーで喉を潤し。
 ガトー・ブルトンで口直し。
 さわやかなアールグレイティーをお供に、王道のガレット・デ・ロワで締め。
「――ごちそうさまでしたぁ!」
 手の込んだフランス菓子を味わい尽くしたティレイラが手を合わせた。
「わたくしの言ったとおりでしょう?」
 凍頂烏龍茶をそそいだカップを不思議そうな顔のティレイラへすすめながら、貴婦人が微笑む。
「今日、いちばんの笑顔になれた」
 あ。ティレイラは頬に指をあて、はずかしげに縮こまった。
「笑顔を曇らせないで。その笑顔こそがわたくしの求める対価なのだから」
 貴婦人はティレイラのとなりに立ち、その肩に触れた。
「笑って」
 貴婦人がやさしく言う。
「笑って」
 貴婦人が強く言う。
「笑って」
 貴婦人が苛立ちを込めて言う。
「笑え」
 貴婦人がとまどうティレイラの肩を強くつかんだ。
「え」
 ティレイラの口の端が、彼女の意志に反してつり上がる。顔の筋肉が引き攣れ、不自然なまでに大きな笑みを形成していく。
「これでいい」
 神経を引き操られるこの感覚――まちがいない。今、ティレイラは魔力による操作を受けている。しかし、外側からばかりでなく、内側からの干渉を感じるのはなぜ?
「く、うう、う!」
 抵抗を試みるティレイラだが、内外の魔力に板挟まれ、まるで動けない。
「多少は魔法を嗜んでいるようだが、こうも頭がスイーツではな。わたくしの菓子はすべてわたくしの魔力で描き出したもの。それを自ら内へ引き込んだのだ。抗えるはずもない」
 通常であれば幾重にも重ねて初めて機能するレベルの侵食魔法。それをティレイラは大量に食べて、自分の中に取り込んでしまった。
「あ――ああ」
 体に浮いた白い粉が瞬く間にティレイラの肌を覆い尽くし、皮を、肉を、血を、妙なる甘味へと置き換えた。
「竜娘が転じた極上の和三盆。どれほどの味わいを楽しませてくれるものか」
 貴婦人は最高級の砂糖像と化したティレイラの大輪の笑顔へ、冷たい笑みを返した。

「ティレ、ここにいるの?」
 顧客との打ち合わせをすませ、館へと帰ってきたシリューナが倉庫をのぞきこむ。
 ティレイラの姿はなかったが。
「魔力の揺らぎ……」
 揺らぎをたぐりながら進めば作業卓へと行き着き、整理の途中と思しき荷物の小山に行き当たる。そして。
「どうしてこう、がまんできないのかしらねぇ」
 シリューナは卓の上に広げられた本をのぞき込んだ。
 全24ページ、ぎっしりと描き込まれたお菓子の世界。女子ならば誰でも目を奪われるだろうその本の名前は『お菓子の国』。
 ――数百年の昔。さる王国に、魅了と支配の念を絵の具に練り込む術を編みだした魔女がいた。“筆の魔女”と呼ばれた彼女が特に好んだのは、自らの絵の内へ少女を引きずり込み、喰らうこと。その罪により、彼女は処刑されることになるのだが……その念は24ページの“白紙”に自画像として残された。
 魔女の自画像は本体の死後も本の内で永らえ、自らを取り巻く白紙に菓子の世界を描き込んでいった。このお菓子の国は少女を引き込み、喰らうために張り巡らせた蜘蛛の巣なのである。
「魔法書の危険度は文字量に比例する。つまりはどれだけの魔力密度を持つかによるわ。文字はなくともこれだけ細かな筆で描き込んで、塗り重ねられていたら……それは私の元へ送られてこざるをえない呪いの書になるのよ」
 13ページめから登場し、22ページめで砂糖像と化したティレイラへ語りかけ、シリューナはため息をついた。
 魔女(の自画像)によって魔力隠蔽のコーティングが施されているとはいえ、このように危険な書を見過ごし、他の荷物に混ぜて送ってくるとは予想外だったが、とにかく。
 今、23ページめにティレイラが描かれつつある。これが完成すれば、24ページめで彼女が喰らい尽くされた描写がなされることだろう。そうなればティレイラはこの世界からも本の世界からも完全に消失する。急がなければ――でも、その前に。
 シリューナはページを遡りながら、ページごとに指を触れていく。
 そして1ページめにたどりついた瞬間、姿を消した。

「髪先」
 貴婦人――魔女はささやきながら、ティレイラの髪の先に舌を這わせ、粉砂糖をなめとった。
 生前の本体のように、少女をさまざまな料理にしたてるのも悪くはないが、ここはお菓子の国。その流儀に則って喰らうべきだろう。
「その笑顔は最後まで取り置こう」
 喰われる獲物が魔女に捧げる最高の笑顔。その笑顔にかぶりつき、飲み下すことは、魔女にとって最高の快楽だ。だからこそ急がない。ゆっくりと腕を、脚を、体を喰らい、最後にその笑みを刻んだ唇を――
「思ったよりも美しくはないものね。舐めるだけで崩れる儚さ、潔さは評価できるけれど、しょせんは粉。ティレのすべらかさを表現できるものではありえない」
 魔女は顔を上げ、身構えた。
 たった2メートルの先に立つ女。その体からあふれ出るおそろしい魔力に、なぜ自分は今まで気づかなかった? しかも隅々まで自分の魔力を張り巡らせたこの小さな世界で……こんなことは、ありえない。
「入ってくる前に、本の外から魔力隠蔽の術をかけさせてもらったわ。その上で、入ってきた後も自分の魔力を隠蔽したの。自画像さんがティレにしてくれたのと同じようなものかしらね」
 魔女が歯がみする。
 この本に文字としてのストーリーが記されることはない。が、内で起こった出来事は、少なくともそれが完結するまでは絵として残しておく必要がある。そうしなければ魔女が成したことは無効となり、獲物を外へ逃がしてしまうからだ。
 目の前にいる女は魔力を持つばかりでなく、魔女が描いた絵の魔術構造を見て取り、応用してみせた。つまりはそれだけの魔術を身につけた、強力な魔法使いということだ。
「……だとしても、わたくしの世界でどれほどの力が及ぼせる?」
「ここが自画像さんの世界なら、それほどの力は発揮できないわね」
 お菓子だったものがおそろしげな獣に姿を転じ、女――シリューナへ殺到する。
 この23ページめは、魔女が特に筆をこらして描き込んだ、いわば彼女のホームグラウンドだ。
 そのはずだった。
「言ったわよね? ここが自画像さんの世界ならって」
 獣の牙が、爪が、その体自体が、シリューナの柔肌へ触れた途端、砂糖菓子のように割れ砕けて落ちた。
「これはいったい……!?」
 魔女は焦り、その感覚を自らが支配する小さな世界に伸ばした。
 しかし。
「わたくしの世界が――」
 この23ページめ以外のページが感じられない。
 1ページから22ページ、そして24ページめまでもが冷たく固い違和感に押し詰められ、魔女に力を与えないばかりか、魔女の力を受けつけなくなっていた。
「外から石化呪文をかけておいて、仕上げに内から壊させてもらったの。隠蔽魔法は私の気配を隠すためじゃない。それを自画像さんに気づかれないためのものよ」
 シリューナのまわりに無数の石片が浮かぶ。それは22ページめまでに描かれていた、お菓子だったものたちの成れの果てだ。
「最後のページが封じられている以上、自画像さんはティレを喰らい尽くせない。この物語を完結させることもできないまま、終わるしかない」
 石片が魔女を襲い、その体を構成する絵の具を削り取っていく。
「わたくしが――失くなる――消え――」
 炭の代わりにチョコレートで描かれたデッサンが剥き出しになった魔女はうめき。
「甘かったのは絵に描いたお菓子じゃなくて、進歩も学習もできない自画像さんの頭だったわね」
 線のすべてを掻き落とされて消失した魔女の最期を見届けることなく、シリューナはティレイラを解呪するための術式を組み始めた。

「……ごめんなさい」
 正座からの土下座を決めたティレイラ。なぜか三つ指をついているのがおかしくて、シリューナは叱る代わりに笑んでしまった。
「ティレが無事でよかったわ。髪はまた、すぐに伸びるものね」
 3センチほど短くなった髪の先を見やり、ティレイラは「うう」と情けない声を漏らす。
「まあ、私が叱るまでもないわ。あの程度の、しかも生者どころか死者ですらない魔力の残像にしてやられたのだもの。しばらくは自分の甘さを噛み締めて暮らすのね」
「はい……」
 ティレイラがしょんぼりと顔を上げる。
 と。
 シリューナが卓へ放り出した『お菓子の国』。石化し、めくられたまま固定された最後のページは、見事に割り砕かれていた。まるでそう、ティレイラが喰べられてしまうエンディングを拒むように、力任せな一撃で。
 隠蔽魔法の本当の目的はもしかして、これを隠すため――
「お姉様っ!」
「なっ、ティ、ティレ、いきなり」
「私、お姉様にずーっとついていきますからっ!」
「それはいいけど、離しなさ」
「離しませんっ! 絶対!!」
「なによもう――困った子ね」
 再び客足の流れが向く午後まで、ティレイラとシリューナはふたりきりの時間を堪能するのだった。