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<東京怪談ノベル(シングル)>


その熱を君は知らない
 ジェラートのひんやりとした甘さに、自然と水嶋・琴美は心が安らぐのを感じた。秋も近いというのに、依然として外はうだるような暑さである。久方ぶりの休日、どこに行こうか迷った末に先日同僚に教えてもらったおすすめのジェラート店に足を運んだのは正解だったようだ。無理に味の主張を押し付けてこないあっさりとした口当たりは食べやすく、定番のピスタチオのフレーバーの香ばしい風味と滑らかな舌触りは残暑の暑さを忘れさせてくれた。
(ふふ、今度あの方に会ったら勧めていただいたお礼を言わなければいけませんわね)
 一口一口、丁寧な仕草でジェラートを麗しい口元まで運び柔らかな笑みを浮かべる琴美の姿は他の客の視線をさらうが、手の届かないどこか神聖な雰囲気を感じるのか近づいてくるような愚か者はいない。そうして、琴美の休暇は誰にも邪魔される事なく穏やかに過ぎていく……はずであった。通信機が通信を告げる音が、彼女の耳に届くまでは。
 その電子音が響いた瞬間、琴美の表情は瞬時に真剣なものへと変わる。通信を入れてきたのは琴美の予想通り、彼女の上司の男であった。
『緊急の任務だ。頼めるかね? 水嶋琴美くん』
 周囲に人がいない場所まで移動し通信を繋げると、相手の低い声が彼女の名をなぞった。琴美は先程ジェラートを口に含んだ時よりも、満足げな笑みを浮かべ言葉を返す。
「もちろんですわ。ちょうど、退屈していたところでしたの」

 ◆

 司令室へと赴き任務の詳しい内容を聞いた琴美は、訝しげにその整った眉を寄せた。街のとある公園で遺体が見つかったのだが、どうにも不可解な点があるのだ。
「凍死……でして?」
 夏であろうが、状況や場所によっては凍死してしまう場合もある。しかし、今回の状況はそのどちらにも当てはまらなかった。被害者は何せ発見されるたった数十分前に、会社の同僚と話をしていたのだ。昼の街中、巨大な冷凍庫も何もない公園でまるで体中の温度を奪われたかのように冷たい体で見つかった男。原因は一切不明であり、酒を飲んだ痕跡も要因になりそうな事も何もない。たった数十分の間にいったい何が起こったというのか。非常に不可解な事件である。しかし、すぐにとある可能性に思い至った琴美は、冷静な声音で呟いた。
「魑魅魍魎の類か、あるいはまだ表には出されていない新種の兵器での犯行ですわね」
「話が早くて助かるよ。つまるところ、私達の出番というわけだ」
 自衛隊、特務統合機動課。自衛隊の中に非公式に設立された暗殺と情報収集等の特殊任務を目的にした部隊であり、魑魅魍魎のせん滅等の任務も引き受ける。それが琴美の仕事であった。
 悪を倒すこの仕事は、彼女の誇りであり生きがいだ。命が関わる危険な任務も多いが、琴美は恐れる事なく常に自信を胸に堂々と現場へと向かう。
「敵はまだ周辺に残っているかもしれん。水嶋には現場へと向かい調査をし、もし敵がいた場合はそのせん滅をお願いしたい。出来るかね?」
 今回とて例外ではない。琴美の夜を歩く黒猫のような色をした愛らしい黒い瞳の中に、不安や怖れといった感情はなかった。彼女は自信に溢れた笑みを浮かべ、まっすぐと司令の方を見つめながら言葉を告げる。
「私に不可能な事があるとお思いで? 必ず、最良の結果を司令の元に持ち帰ってきますわ」
 琴美の頼もしい一言に、普段は厳格な司令も思わず頬を僅かに緩めた。

 ◆

 現場に行く前に琴美が向かったのは、基地にある彼女の私室だ。ワードローブを開くと、琴美の私服や表向きの仕事の時に着用するスーツ等が出迎える。けれど、今用事があるのはそれらではなく、奥の方にある隠し扉を開いた先にある衣服だ。隠されていたその場所にあった服一式を取り出し、琴美は慣れた手つきで着替えていく。
 彼女の魅惑的な体を首下からぴったりと包み込むのは、黒のラバースーツだ。美しいボディラインを浮き立たせるそれは機能的で動きやすく、彼女の力の足枷になる事は決してない琴美専用の戦闘服である。その上に纏うのは、同じく戦闘に適した素材で出来ているミニのプリーツスカート。黒色のそれは闇夜に紛れやすく諜報活動に向いているが、単純に可愛らしくもあり琴美のお気に入りである。
 格闘術を扱う琴美にとって、靴というものは防具でありながらも重要な武器の一つでもあった。この編上げのロングブーツは、彼女の御眼鏡にかなった自慢の一品である。膝下を覆うそれを履き終えれば、全ての準備は完了だ。

 廊下をブーツが叩く軽快な音と共に、部屋を出て前へ前へと歩いて行く彼女の瞳に迷いはない。ジェラートを食べていた時の彼女の美しさは可憐な令嬢のようなものだったが、今の彼女は人々を守るために戦場へと向かう戦乙女のそれだ。どちらにせよ、彼女の美しさが崩れる事はない。
(いったい今回の相手はどんな方なのかしら……。楽しみですわ)
 必ずや敵を倒してみせるという決意と、強敵と戦えるかもしれない期待を胸に彼女は向かう。季節を考えぬ冷たき敵の待つ、戦場……今宵の彼女の舞台へと。