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<東京怪談ノベル(シングル)>


相対
「白鳥・瑞科、参りましたわ」
 艶やかな声音で闇を揺らし、瑞科は指先で髪を梳き整えた。
 人類、そして彼女が所属する『教会』の敵を狩る武装審問官のひとりである彼女。常は人造聖骸布の戦闘修道衣に身を包み、腰に剣を佩くのだが……今はダークスーツを着込み、タイトスカートのスリットから黒いストッキングをまとう脚を伸び出させている。
「ずいぶんと評判がいいようだ。このまま新人の指導を続けてほしいという願いが教育課から七件。営業ならびに接待業務へ回して欲しいという願いが営業索敵課から四件、それぞれ上がってきている」
 役員室を模した部屋の奥で瑞科を待ち受けていた常務――司祭が言葉を投げた。
 ここは教会の拠点のひとつで、表向きは商社ということになっている。が、取引先として挙げられている会社はすべて教会に関連した企業であり、あつかう商材はただひとつ……武装審問官なのである。
「それは光栄、ですわね」
 このところ瑞科は新人の教育係としてバックアップとオペレートを、そして会社の顔役として各関係企業との折衝を“業務”としていた。あるときは教官として、あるときは会社の顔役として、申し分のない働きを見せる瑞科を手放したくないと考える者がいるのは当然のことだが、しかし。
「今世この身はその御心を映す刃であり続けること、主に誓っております。わたくしが生きる場所は戦場であり、わたくしが死にゆく場所もまた戦場ですわ」
 迷いなく答を紡ぐ瑞科に、司祭は少しだけ悲しげな表情を見せ、そして消した。
「……長くは保たんだろうと思っていたよ。擬態を解き、君がまとうべき衣に着替えたまえ。聖戦が君の到着を待ちわびている」
 司祭の言葉に瑞科の口の端が吊り上がる。
 焦らしたりいたしませんわ。すぐに飛んで参ります。
 スーツを脱ぎ落とし、豊満な肢体を戦闘用の修道衣で包んだ瑞科が、編み上げブーツのヒールで高くアスファルトを打ち鳴らした。
「教官、戦いであれば、私たちも――」
 瑞科が受け持つ新人たちが、完全武装を整え、瑞科に続こうとするが。
「邪魔ですわ。わたくしの間合を塞がないで」
 音圧だけで新人の心をすくませて。
「……わたくしと同じ戦場に立ちたいのなら、相対しなさい。そのときは存分に殺し合いを」
 呆然と見送る新人たちを置き去り、瑞科は目ざす。
 彼女が生き、いずれ逝くことになるだろう戦場へ。

 オフィス街の一角にある食品会社の本社ビル、その自動ドアが開いた。
 ロビーへと踏み入った瑞科を見、受付嬢が笑顔を向ける。
「本日はどのようなご用け」
「生者を騙らせたければ、もう少しにおいには気づかうべきですわね。語る口から腐臭が漏れ出していてよ?」
 剣の切っ先で喉を壁に縫い止められた受付嬢が、厚く塗った化粧の下から紫に変色した肉を露わし、穿たれた穴から、口から、濁った汁を噴き上げた。
 と。
 おぼつかない足取りで集まってくるスーツ姿の男女。その腐った体はところどころが破れ、ちぎれ、裂かれている。
「死者同士で喰らいあったのですわね」
 瑞科が剣を壁から引き抜いた。受付嬢を演じていた腐肉がずるずると下へ落ち、瑞科のヒールがカツリと床を鳴らした、次の瞬間。
 損壊した死人の群れが瑞科に殺到した。
 半ば抜け落ちた歯を剥いて噛みつこうとした男をスゥェーイングでかわしつつ、肉が溶け崩れ、骨が突きだした指でつかみかかってきた女の腕にクルスの銀鎖を引っかけて振り回し、他の死者をなぎ倒す。
 そして。雷を這わせた剣を振り抜き、死者たちを焼き払った瑞科が憂い顔を伏せ、天に祈った。
「逝くことも還ることもできず、闇の底をさ迷っていた子羊の群れを今、主の御手へ」
 聖句を縫いつけた革手袋に守られた指で聖印を切った瑞科が顔を上げる。
 罪なき死者たちへの憐れみを押し退け、その面を満たしたものは、無表情。
「――いったい何匹成り仰せたのかしら?」
 散り広がる腐臭の内に気配が閃く。一、二、三。
 グォウ!
 突如中空に現われた、鈍色の体毛で肉を鎧った狼が、牙を剥いて瑞科へ襲いかかった。
「狼」
 狼の顎をななめ下から剣の柄頭で突き上げて逸らし、瑞科は鋭い視線を巡らせる。そして、その端をかすめて迫る、刃のような羽を持つ蝙蝠。
「蝙蝠」
 体を翻して強襲を避けた瑞科の視界が、序々に暗く塞がれていく。
「霧」
 瑞科は大きく後ろへ跳び、自分を取り巻こうとしていた霧から逃れた。
「三匹。思ったよりも多いのですわね」
 通例であれば、“それ”は自らの情報を感染させることで眷属を増やし、使役するものだ。
 しかし、オカルティックな迷信が効力を失くした現代では、人は「そうした昔からの決まり事」に対して強い免疫を持つようになっている。だから、正式な様式に則る必要があったのだろう。
 すなわち、死した後に蘇らせること。
 そして死者同士を壊し合わせ、“罪”を重ねさせることで、“それ”の誕生を成立させたのだ。
『お客様、当社の者が失礼をいたしまして大変申し訳ございませんでした』
 狼が頭を垂れた。
『これよりは私共が折衝を引き継がせていただきます』
 蝙蝠が言葉を継いだ。
『お客様にご満足いただけますよう努めますので』
 霧が収縮して人型を成した。
『よろしくお願いいたします』
 三者が言葉を重ね。
 瑞科へ飛びかかった。
「残念な才能に恵まれてしまいましたのね。そうなってしまっては、天へ昇ることもできず、ただ消滅するのみですわ――」
 瑞科の剣が宙へはしる。
「――吸血鬼」
 十字を描いて飛ぶ刃を、狼は地にすべりこみ、蝙蝠は急旋回し、霧は密度を薄めてやり過ごした。
 未だ人化はできずとも、この三匹は蟲の代わりに死者を使った“蟲毒”を勝ち抜き、その胸に仮初の命を灯して蘇った吸血鬼である。生半な手では、殺せない。
『人間が出せる迅さでは、私どもには届きませんものかと』
 瑞科の影に溶け込み、姿を隠す狼。
 その間に忍び寄っていた霧が瑞科の目の前で急速に密度を増し、その顔に覆い被さった。
『恐縮ですがその血をいただきます。ご容赦くださいませ』
 舞い上がった蝙蝠が瑞科の喉元へ急降下。迷うことなく牙を突き立てたが。
「人の手で造られたとはいえ、わたくしの身を包む衣は聖骸布。その程度の穢れが通るものではありませんわ」
 虚しく白いケープを噛む蝙蝠。体に触れてさえいれば、目を塞がれたままでもどこにいるかがわかる。瑞科は右手の内に生み出した雷をスプレー状に飛ばし、蝙蝠をからめとった。
 雷の網に捕らわれて硬直し、床に落ちる蝙蝠。その胴をヒールで踏み貫きながら、瑞科は顔を覆う霧を左手でつかんだ。
『私には実体がございませんので、つかめはしま』
 瑞科の顔から、霧が引き剥がされる。
『な、ぜに――』
「霧は軽い。軽いものは引かれやすい。それだけのことですわ」
 霧の奥から現われる、瑞科の笑み。
 彼女の左手には重力弾。それを放つのではなく、沿わせることで、掌に重力を発生させたのだ。
 比重の軽い霧はその引力に抗うことができず、引き寄せられ、集められた。
「重さの底へ落ちなさい」
 霧を飲み込んだ重力弾が収縮した。その黒い球体は瞬く間に見えないほど小さくなり、瑞科が握りしめた手の内で消滅した。
 瑞科が造り出したものは、極小のブラックホールであった。もちろん、その重さは本物とは比べものにならないほど軽かったが、霧を引きちぎり、存在をすり潰すには不足なく重い。
「隠れようと、隠そうと。わたくしにはどうでもいいことですわ」
 それは彼女の影に潜む狼への誘いだった。
 狼は悩む。吸血鬼としての本能は、この女を殺せと叫んでいる。眷属としての理性は、この女の力を測り、主へ告げなければとささやく。
 ざん。瑞科の切っ先が、影に突き立てられた。その聖性は、狼の“存在”に当たればその命を削る。悩んでいる時間はない。
 とにかく攻めかかり、隙をついて主の元へ。狼はそう決めて瑞科の唯一露出した顔を狙って跳び上がった。
『――!?』
「会社に篭もりきり、人工の灯だけを見上げてきたあなたにはわかりませんでしたのね」
 狼の前にいるはずの瑞科が、五歩の先に立っていた。
 ガラスを通して、日ざしが差していた。この会社はオフィス街にあって、まわりにもビルが並んでいる。そのため、他のビルを乗り越えて日が昇るには時間を必要とするのだ。
 そして、日が差せば当然影ができる。ななめから照らされた影は長く伸び、瑞科は潜伏する狼から距離を取ることができた。
 剣を突き込んでみせたのは、それを悟らせないためのフェイク。
 あえなくそれにかかった狼は焦って飛びだし、無防備な腹を瑞科に晒し、そして。
 剣閃に断ち斬られ、灰となって吹き散った。
「――行きますわよ」
 この先に、教会が彼女に殲滅を命じた者がいる。
 魔界の奥から這い出してきた“貴種”を自称せし者――原初の時よりそれであり続ける、真性の吸血鬼が。

「配下を顧みず、ひとり暴食の罪に浸るとは。長の器ではありませんわね」
 社長室のドアを開け放した瑞科は、室内から押し寄せてきた色濃い酒気に眉根をしかめた。
「目をかけてやるほどの部下に恵まれなくてね」
 プレジデントチェアにしどけなく背を預けた青年が、スコッチを満たしたグラスを無造作にあおった。
 その傍らには干からびた裸体を晒す男性の遺体が三つ。弄ばれ、血を吸い尽くされた末、投げ捨てられたその無念が、瑞科の心を熱く凍てつかせた。
「速やかに退陣していただきますわ」
「そうだね。僕もこんなところにいるのは飽きた。もう少し力を入れて領地の開拓に勤しもうかな」
 視線に乗せたプレッシャーで瑞科を押し込む青年。
「主の慈愛を拒みし魔に、来世などありませんわよ?」
 その圧力に逆らい、剣を構えた瑞科が一歩踏み込んだ。
「死ななければいいだけのことさ。簡単なことだよ」
 青年の視線が無数の蟲と化し、瑞科にかぶりついた。
「――っ!」
 清らかなる乙女と穢れきった大罪人の血に浸した糸で織りあげ、聖性と邪性を併せ持たせた聖骸布が、蟲の毒に侵され、力を失くしていく。
「本物ならともかく偽物ではね」
 薄く嘲う青年。
 瑞科は重力弾を足元へ叩きつけ、その重さに引きつけられて落ちた蟲どもを雷で焼いたが。
「これはどうだい?」
 青年の巡らせた視線に沿って生じた鼠の群れが、瑞科を取り巻いて駆け、不規則に飛びかかる。
 青年の力は、視線に乗せて放った邪気に形を与え、それを使役するもの。
 視線を追えば使い魔どもの出現場所はわかる。しかし、形を持たない視線を封じることはできず、ゆえに使い魔の発生を抑えることはかなわない。
 ヂィ!
 タンゴのステップを思わせる足捌きで立ち位置を変えながら、瑞科は剣で鼠を掃き、首を飛ばしていく。
「吸血鬼に鼠とは定番ですわね。個性に欠ける殿方は疎まれましてよ?」
「僕はただ気を放っているだけ。それが鼠に見えるのは君の思い込みさ。――ほら」
 鼠が羽を得、蝙蝠に転じた。上空、中空、低空、あらゆる空間を飛び交い、牙と爪で瑞科を斬り裂く。
「見えるのは、わたくしの思い込み……」
 瑞科が迎撃の手を止めた。
 蝙蝠が次々とその美しい肢体へ取りつくことにも構わず、剣を鞘に収め、そして。
 腰を落として身構えた。
「余裕だね。そうしている間に、君の体を守る衣はどんどん侵される。柔肌がさらけ出されたら、もうおしまいだ」
 瑞科が青年に返したものは。
 閉ざした目の縁に称えた、笑み。
「見えようと、見えまいと。わたくしにはどうでもいいことですわ」
 肌に当たる邪気。ただそれだけをたぐって瑞科が右のつま先をすべらせ。そのつま先が床をにじった、そのとき。
 青年の眼前に、刃があった。
 抜き手ばかりか抜く気すらも見せずに敵へ迫り、斬り捨てる、それを突き詰めた抜刀術――居合いであった。
「くっ!」
 青年が身をひねったが、かわしきれない。
 左眼を裂かれた彼が残された右眼で見たものは、わずかに修道衣の損傷を増やしただけの瑞科であった。
「あなたの邪気に形を与えるのは、わたくしのイメージ。それを蟲と思えば蟲になり、鼠と感じれば鼠になる。でも、見ることで形を与えさえしなければ、邪気はわたくしを傷つけるほどの密度にはなりませんのね」
 瑞科にそれを悟らせたのは青年の言葉だが……だからといって、あの場で目を閉ざすなど、誰が予想できる?
 再び開いた瑞科の目が青年の右目を捕らえた。憎悪も愉悦も憐憫も、なにひとつ映らない、ただ静やかな目が。
「どうでもいいことですのよ、生きるも死ぬも。神敵を討ち、主の御心にわずかばかりの安寧を捧げることがかなうのならば」
 瑞科の手から矢継ぎ早に重力弾が放たれる。右、左、上、下……それらのことごとくを避け、最後に青年は跳びすさろうとした。
「っ!?」
 わずか五センチ跳んだ体が、宙に固定され、動きを止めていた。
「重力を重ねることで生み出される無重力、ですわ」
 首を巡らせる青年。
 壁に、床に、天井に、まき散らされた重力弾が爆ぜることなく残されていた。
 それらの重力が互いに干渉し、作り出したラグランジュポイント。彼が捕らわれたのは、その重さの狭間だったのだ。
「灰は灰に、塵は塵に、土は土に。そして……魔は、無に」
 瑞科が蹴り込んだヒール――祝福された槌によって鍛えあげられた銀の聖杭が、青年の不死なる魂を貫き、滅ぼした。

 任を果たした瑞科は帰路を急ぐ。
 修道衣を修繕するために。剣の研ぎなおしをするために。なによりも次の任の拝領をするために。
 一刻も早く戦場へ戻らねば。戦いの中にこそ彼女の生の意義はあり、死の安息があるのだから。