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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


妙なるもの
「お姉様、お手紙ですよー」
 飾り気のない黒エプロンに白い埃を散らした――掃除の真っ最中なのである――赤瞳の少女ファルス・ティレイラが、開け放したままの書斎のドアをノックし、跳び込んできた。
「手紙?」
 肌触りがやわらかく、それでいてすべらかなシルクダブルガーゼを貼ったプレジデントチェアに背を預け、鑑定依頼品に視線を落としていたシリューナ・リュクテイアが顔を上げた。
 ティレイラが差し出してきたのは、蝋で封がされた古風な封筒。おそらくは直接この館へ届けられたのだろうそれを、シリューナは思案顔で見やる。
「こんなことをする心当たり、ひとりしかいないわね」
 小指の爪先で封蝋を剥がし、メッセージカードを確認。シリューナは小さなため息を漏らした。
「出かけるわよ、ティレ。すぐに着替えて――ああ、正装よ。失礼があってはいけないから」
「ふぇ? あ、は、はい!」

 森の奥、ひっそり佇む古い洋館。
 門にかけられた青銅の看板から美術館であることは知れるのだが……道を知らぬ者にはけしてたどりつけまい。なぜこんな場所で? そもそも運営が成り立つのか?
「リュクテイア様、よくおいでくださいましたわ」
 年の頃は20代後半から30代前半といったところか。高貴なる清楚と成熟した妖艶とを併せ持つ女性がシリューナ、そしてティレイラを出迎えた。
「いえ。それにしても大変なことになっているのね」
 この美術館の館長である女性はシリューナの言に憂い顔をうなずかせ、ふたりを内へと誘った。
「そちらの方は初めてお会いしますわね?」
「はじめまして、ファルス・ティレイラです! お姉さ、しりゅ、シリューナしし、師匠が、いつもお世話になってます」
 噛みながら、それでもシリューナのファーストネームを呼んで、館長よりも自分のほうがシリューナに近いことをアピールする。
「お弟子さんにもお手伝いを?」
「ええ。この子もそれなり以上には使える子だから」
 にへー。思わず笑顔になってしまうティレイラであった。
「――狙われているという品は?」
 古代バビロニアから近代ヨーロッパまで、時代を問わないとりどりの美術品が控えめに飾られた廊下を進みながら、シリューナが館長にたずねた。
「こちらになりますわ」
 廊下の最奥を塞ぐセイヨウトネリコの扉。
「お姉様、この扉」
「ええ。封印が施されているわ」
 セイヨウトネリコは魔法との相性がいいことで知られる。魔法の封印を刻み込むには最適な素材ではあるのだが……。
「内側に収められているのは魔法具ね」
 シリューナに小さくうなずき、呪句を唱えて扉を開ける館長。
 と。
 室内に満ちていた魔力が、とろりと這い出してきた。
「うわ! つまめちゃいそうな濃さの魔力!」
 目をしばたたかせたティレイラが、魔力をたどってその素へと目を向けると。
 そこにあったものは、小さな鉄の十字架だった。
「十二世紀にイスラムから持ち帰られた楔で造られたものですわ」
「まさか、十字軍の持ち帰った聖遺物……?」
 今は“主(しゅ)”と呼ばれるその人を磔にした楔で造られた、十字架。物の真偽は不明だが、後世に人々の真摯な思念を吸い、強い力を宿すに至ったらしい。
「これを世に出してはいらぬ混乱を招きますわ。ですのでどうか、賊からこの十字架をお守りくださいまし」
 ――もともとこの美術館は、世にあってはならない魔法具や呪具、力を宿した美術品を収めるための、いわば保管所だ。そして、心ある者から館長がこの十字架を托されたのはわずか二週間前のことだという。
 館長はその者の遺志を果たすため、強固な封印をもって十字架を護ろうとしたのだが――昨日、十字架を強奪するとの予告状が賊本人から届いたわけだ。
「とりあえず扉の封印を強固なものに。リュクテイア様、お手伝いをお願いいたしますわ」
「まだかけなおさなくていいわ。封印を透過して、扉から十字架の魔力が染み出しているから」
「! リュクテイア様が先ほど、部屋に収められたものを察せられたのも……?」
「ええ。強い魔力に直接さらされていた館長さんが気づかないのは当然だけれど、うちの弟子が気づかなかったのはどうしてなのかしらねぇ?」
「うぅ!」
 体をぎくりと縮めるティレイラをあえて無視し、シリューナは首を傾げた。
「魔力を嗅ぎつけてくる以上、相手は人間じゃないわ。まずはそちらを片づけて、封じるのはそれからゆっくりと」
 シリューナは冷めた笑みを浮かべ、艶やかな黒髪を魔力で躍らせた。

 ゼンマイじかけの時計が23時58分を示す。
 日付の変わる数分間、世界はわずかばかりに惑い、異世界の者の侵入を見逃してしまう。深夜、異形のものを見かける機会が多くなるのはそのためだ。
 扉の前、彫像のように立つシリューナがつぶやいた。
「もっとも、手順を踏んで招かれるのならば話は別なのだけれどね。それをせずに来る者は、それができない後ろ暗さを抱えている。そうでしょう?」
「手続きとかよくわかんないだけだよ。めんどくさいしね。でも、ちゃんと予告状とか出してるし、正々堂々でしょ?」
 闇からにじみ出て形を成したのは、鳥翼を持つ青肌の少女。隠すつもりもないらしい。魔族だ。
「“呪い”つきの予告状が正々堂々?」
 予告状には手にした者の不安や焦燥をかき立て、心の均衡を失わせる呪いが染みこんでいた。館長の心を乱し、扉を開けさせようとしたのだろうが……。
「望みどおり扉は開いたわよ。魔族さんの計算ちがいはたったひとつ。私がここに呼ばれたことだけ」
 少女は顔をしかめ、指先をひらめかせた。
「だったらどかしちゃえばいいだけだよ」
 宙に書きつけられた呪句が、空気の内にある元素を喰らって毒矢と化し、シリューナを襲う。
「呪いの毒は触れなくてもあんたの魂に染みこむよ? 来世じゃ魔族に気をつけてね」
 かまうことなくシリューナは腕を伸ばし、十の指で毒矢をからめとった。そこから呪毒が彼女を蝕んでいく――と、思われたが。
「神の奇蹟は、その存在を信じるあまねくものを救うのだそうよ」
 白光がシリューナを包み込んでいた。やさしく、やわらかく、強い……治癒の光が。
 負の魔力を浄化された矢が、シリューナの指の上で溶け消えていく。
「偽物が氾濫する聖遺物だけれど、残念ながらこれは本物」
 胸元に隠していた鉄の十字架を引き出し、シリューナがため息をついた。
「それをよこせ!」
 魔剣を構え、シリューナへ突進する少女。魔力を放出せず、体内で小爆発させることで爆発的な瞬発力を得ているのだ。これならば浄化される恐れはない。
 果たして。刃を突きだした少女がシリューナに激突した。
「魔族に扱いきれる代物じゃないわ。あきらめて闇の底へ帰りなさい」
 小揺るぎもせず、ただまっすぐと立ち続けるシリューナ。
「なっ、なにっ!? 魔法!?」
「魔法じゃないわ。十字架の愛に阻まれる危険が高いから。ただ――本来の重さと硬さを取り戻しただけ」
 シリューナ本来の姿は異世界の竜である。竜たる重量に加え、希なる硬度と魔法防御力を誇る竜麟をその身に取り戻した彼女は、たかが魔族の小娘ごときに押し込まれ、傷つけられる存在ではありえなかった。
「十字架が欲しかったんでしょう? ほら。しっかりと抱えなさい」
 少女の胸元へ十字架を差し込む。
「が――ああっ! ご、ごあ――!!」
 十字架の力が、魔族を形作る邪気を浄化し、その力をかき消していく。
「お仕置き代わりにしばらくそうしているといいわ」
 と。
「待ちなさぁーい!」
 館の外――上空からティレイラの声が飛んできた。
 どうやら賊はまだいるようだ。
 動くどころか許しを請う言葉すら紡げずに立ち尽くす少女を置き去り、シリューナは踵を返した。
「さて。ティレの仕事ぶりを見に行きましょうか」

「だぁー、しつっこい!!」
「逃がさないんだからぁ!!」
 館を取り巻いて飛ぶふたつの影。言わずもがな、魔族とティレイラである。
「おまえ、そんな大口開けてはずかしくないのかよ!?」
 魔族の少年が蝙蝠の羽ごしに吐き捨てる。
「魔族さん逃がしてお姉様にがっかりされるほうがぜんぜんはずかしいもんっ!」
 自分の言葉と想像を燃料に、紫の竜翼を少年の羽の二倍早く羽ばたかせて加速。ティレイラが少年につかみかかった。
「追いついたぁっ! おとなしくしなさーい!」
「おまっ、やめっ、おちっ、墜ちる!」
「もう堕ちてるんだから墜ちるくらいガマンしなさいよ!」
「なんだその屁理屈ぅぅぅぅぅ」
 もみ合いながら、きゅるきゅると落下したふたり。地面へ腹ばいに叩きつけられた少年の背に膝を立て、ティレイラはその動きを封じた。
「これでもう逃げらんない。十字架が無事で館長さんは安心。お姉様もほめてくれるよねっ! ……なにこの約束された未来。幸せすぎて怖いかも」
 普段が普段だけに、ティレイラは自分の成功をつい疑ってしまった。
 そして魔とはそんな隙間を見逃さず、すべり込むものなのだ。
「おまえさ、どMなの?」
「ふぇ? ええ!? な、なにがなんでなんてこと!!」
「侵食魔法、かけられ慣れすぎだろ? 体ん中に侵入路が仕上がってるぜ? だからこうやってつけ込まれちまうんだよ」
 少年の左手にあるものは呪具。それもかなりの呪力を備えた逸品だ。
 あの十字架を狙う相手である。魔法具や呪具を専門に狙う盗賊であることくらい、最初に気づいていなければならなかったのに!
 瞬く間にティレイラの体が侵食されていく。おそらくは少年の言うとおり、侵食魔法をかけられ過ぎたせいで、体が侵食されやすくなっているのだ。だとすれば原因の大半はシリューナにあるわけだが……うう、お姉様は責めらんないよねぇ!
 半泣きのティレイラを侵す呪力が、彼女自身の魔力を糧に、その体の原子構造を置き換えていく。
「へぇ。いちおう貴金属に変わるくらいの価値はあるんだな」
 白金の彫像と化したティレイラの下から抜け出した少年は口の端を歪め、蝙蝠の羽を広げて――
「金や銀じゃなく、プラチナというところがティレらしいわね。その価値と可能性をひと目で見抜かせないところがけなげだわ」
 少年の羽が虚しく空を打つ。
 彼は空気を捕らえて飛ぶわけではなく、羽に張り巡らせた魔力を空気中に含まれる魔力と反応させ、浮力を生んでいる。これはティレイラも、そして今、腕組みをして冷めた目を少年へ向けているシリューナも変わらない。
 今、シリューナは少年の羽に干渉し、そこにある魔力を解いているのだ。
 もちろん並の業(わざ)であろうはずがない。刻々と変化する魔力の形を読み解き、それに合わせて解呪し続けるなど。
「おまえ何者だよ!?」
「そこで固まっている不肖の弟子の師よ。……まあ、その子の体質がそうなった原因とも言えるのかしら」
 言いながら、シリューナは少年の体を構成する魔力を解き、別の形に結びなおし、鉛に変換していく。
「俺の――体――」
 抵抗しようにも、その魔力自体が解かれていくため、抗えない。少年は引きつった顔を天へ向け、鉛の像へ変わり果てるよりなかった。
「相棒さんよりは格上みたいだけれど、その程度ではあの十字架を持ち上げることもできない。役者不足を朝まで噛み締めるのね」
 かくしてシリューナはティレイラへと歩み寄る。
「この程度の術式なら、十字架を抱かせてあげるまでもない。すぐに解けるわね。……それにしても、心を保っていれば付け入られることもなかったでしょうに。不甲斐ないにも程があるわ」
 降りそそぐ月光を受け、夜闇のただ中に白く浮かび上がるティレイラ。
 それを見やっていたシリューナの目が、情動を映して赤く輝く。
「白金の肌が夜を引き立てて……夜が白金の肌を引き立てる。金では卑しくなるし、銀では月光に紛れてしまう。まさに白金だからこその妙なる彩」
 シリューナの指が、ティレイラの竜尾を先から根元へなぞり、そのまま背をたどって翼を、首筋を、頬をなでた。
「あたたかい。ティレの生命力と魔力が、冷たいはずの金属をこんなにやわらかく――」
 熱い息をつき、シリューナはティレイラの胸元に這わせた指を、その唇に含んだ。
 美しい。美しい。美しい。
 このままティレイラを愛で続けたい。
 すべてを投げ出して、この世界が終わるときまでその美に溺れていたい。
 しかし。わずかにでもこの場、このときからずらしてしまえば、ティレイラが魅せる難解なパズルさながらの美は容易く壊れてしまうだろう。
 ならばこの場にずっと――思いかけて、あわてて振り払う。自分以外の者にこの美を分け与えてやるなどありえない。
 ティレイラのすべては、私が……!
「ああ」
 シリューナは切ない声を漏らした。
 せめて、夜が明けるまでは――このままで――
 ティレイラの硬い体をその腕に抱き、彼女は陶然と目を閉ざす。

 夜が明けた。
 魔族を条件つきで解放し、十字架へ強力な封印による保護を与えたシリューナは、いつもと変わらぬ落ち着いた表情で美術館を後にする。
「あのー、お姉様? そのー、怒ってます……よね?」
 三歩後ろをしょぼしょぼとついてくるティレイラが、おずおず近寄ってきてシリューナの表情を盗み見た。
 それを知りながら、シリューナは無言。
「ううう」
 元の位置にティレイラが戻るのを確かめて、シリューナは思い返す。
 わずか34分52秒の間、ティレイラが魅せた美を。
 ――いつかまた、あの時間を味わえるのかしら。
 それを味わうときは、ティレイラが窮地に立つときだ。そのときシリューナの救いが届かなければ、ティレイラは壊され、永遠に失われてしまう。
 それは絶対にだめ……でも。それでも……。
 シリューナは大きく左右に頭を振り、前を向いた。
 ティレイラのそばにいよう。彼女が独りで窮地へと墜ちていかないように。
 ティレイラと共にいよう。彼女の窮地に、誰よりも早く救いの手を伸べられるように。
 だから。
「ティレ」
「――は、はいっ!」
「帰ったらお仕置きね」
「は、はいぃ。あうー」
 泣き顔のまま、それでもとなりに並ぶティレイラへ向けたシリューナの目は、限りなくやさしい光を湛えていた。