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<東京怪談ノベル(シングル)>


炎の魔女たち


 炎上した。
 人間世界の事ではないから、コメント欄に罵詈雑言を書き込まれるだけでは済まない。
 呪いのウイルスや、サイバーゴーストの類を送りつけてくる輩もいる。
 それらがネット回線内で暴走し、無関係な人々の端末にまで実害をもたらしているという。
「それで責任取れ、って言われてもねえ」
 問題となったブログの主である魔女が、苦笑している。
「ちょっと、お仕事の報告しただけなのに。みんな大げさに騒いじゃうんだから」
「お仕事の報告、ですか」
 松本太一も、そのブログは閲覧した。
 アップされていた画像の中で、魔女本人が、大型犬2匹を両脇に抱いて楽しそうにしていた。
 読んでみたところ、犬ではなく狼であるという。
 それも人狼。元々は人間であったのだが、この魔女によって狼に変えられてしまったらしい。
 何故そんな事をしたのか、それに関してもブログに記されてはいた。
 とある村に一組の母娘がいて、母親の方が難病に罹っていた。
 娘が、魔女にお願いをした。母の病気を治して欲しい、と。
「善い魔女で通ってるから、あたし」
「その善い魔女さんが、病気を治してあげた結果……お母さんも娘さんも、人狼になってしまったと」
 今の太一は、冴えないサラリーマン48歳の姿をしている。
 筋肉の乏しい細腕を、貧弱な胸板の前で組みながら、太一は疑問を口にした。
「物凄いミッシングリンクがあるような気がしますが」
「だって人間が罹る病気でしょ。なら人間じゃなくしちゃえばいいじゃない? でね、人間じゃなくて人間に近くて、出来るだけ健康な生き物って言ったらもう人狼しかないわけで」
「……何故、娘さんも?」
「お母さんと一緒にいたい、同じになりたいって言うから」
 年齢不詳の魔女が、不機嫌な少女のように頬を膨らませる。
「ね、わかるでしょ? あたし人助けしたのよう。なのに、どいつもこいつもさ……とりあえず他人を叩いてりゃ幸せって連中ばっかよね、今の世の中」
『どうして叩かれるのか全然わかっていないのね、貴女』
 太一の中から、声を発する者がいる。
 この魔女とは旧知の間柄である女性が1人、今は太一の中に住み着いているのだ。
『人助けだろうが何だろうが、自分のやった事ブログで自慢したりするからよ』
「ブログって、そーゆうもんじゃないのよう。自分の子供自慢ペット自慢友達沢山自慢しか書く事なかったり、とりあえずお料理の写真載っけてみたり、何か語りに入っちゃったり、寒いポエム晒しちゃったりする連中より全然マシだと思うけどなー」
 この人は何をしても何を書いても炎上してしまうのではなかろうか、と太一は思った。


「で結局、こうなっちゃうわけ……なんですけど」
 胸の重さに耐えながら、太一はぼやいた。
 薄い胸板が、今は2つのたわわな膨らみに変化している。胴はくびれて尻と太股はふっくらと優美な曲線を有し、髪はさらりと伸びて、今は寒風に揺らいでいる。
 若返りつつ女体化した全身に紫系統の衣装を貼り付け、その上から毛皮のマントを羽織った『夜宵の魔女』。
 そんな姿で太一は、さくさくと雪を踏みつけ、歩いていた。
 この先に、人狼となった母娘の家があるはずなのだ。
「まったく、我ながら嫌んなります。何で私って、こういう事に首突っ込んじゃうんでしょう」
『まあ、気が済むまでやってみるといいわ』
 姿なき女性が、太一の中で言った。
 人間に取り憑く悪魔、というのが本人の自己紹介である。
 悪魔あるいは天使などと安易にカテゴライズ出来る存在ではないのだろう、と太一は思う。
 とにかく彼女のおかげで自分は今、普通の人々から見れば全知全能に等しい『夜宵の魔女』として力を使う事が出来る。
 人狼に変えられてしまった母娘を人間に戻すなど、容易い事だ。
『戻してあげるの?』
「……御本人たちに会ってから、決めようと思います」
 太一は決意を語った。
「先輩のお仕事の、後始末……なんて大それた事をするつもりはありませんけど、助けられるなら助けてあげたいですよ。だけど助けが必要ないなら何もしません。私、自分でそれを確認したいんです」
 語りながら、足を止めた。きょろきょろと、見回してみる。
「はて……この辺りのはず、なんですけど」
『あるじゃない、目の前に』
 女悪魔が言った。
『……焼け跡が、ね』
「焼け跡、ですねえ」
 黒焦げの木材が何本か、黒焦げの地面に突き刺さっている。火災に遭った、民家の残骸であった。
「あんた何しとる、そんなとこで」
 村人が、声をかけてきた。随分と遠くからだ。
「そこには近付かん方がいいよ。何しろ、病人の家じゃったけんね」
「病人って……お母さんと娘さんの二人暮らし、ですよね」
 太一は、いそいそと村人に駆け寄り、詰め寄った。
「あの、まさかと思いますけど……病人だからって、家に火をつけて焼き殺しちゃったんですか? それ、ひどくないですか!?」
「や、焼き殺しちゃおらん。おっ母も娘っ子も、狼になっちまってなあ。もう人間の家は必要ないっちゅうて、自分から出て行ったんよ」
 いくらか言い訳がましく、村人は言った。
「火ぃつけたんは……だって、しょうがなかろ?」
「そんなに、ひどい病気だったんですか……」
 村人たちが流行り病を警戒するのは、当然であった。
「狼らしく、今は森で暮らしとるよ。そっとしといてやりてえのは山々だけんど……村の男衆で気ぃ荒いのが何人か、狼のバケモンなんぞ生かしちゃおけんっちゅうてなあ。鉄砲持って森へ行ったきり、戻ってこんのよ。何ぞ血生臭え事になってなきゃいいがなあ」


 大いに、血生臭い事態であった。
 森の中の、いくらか開けた場所である。
 あちこちに、村の男たちが横たわっていた。と言うより、ぶちまけられていた。何丁もの猟銃と一緒にだ。
 女悪魔が、太一の中で嘲笑う。
『馬鹿な連中……狼じゃなくて人狼なのよ? 鉛の鉄砲玉で殺せるわけがないじゃないの』
「なるほど……人狼さん、ですね確かに」
 一見、単なる狼である。
 だが、よく見ると人の体型をしている。それも艶かしい丸みを帯びた、女性のボディラインだ。
 2匹の、牝の人狼。今は食事中であった。周囲にぶちまけられたものを食いちぎり、咀嚼している。
 片方、いくらか小柄な方の人狼が、食事を中断して太一を睨み、牙を剥いた。
「お前も……! お前も、お母ちゃんを虐めに来たのかッ!」
「やめなさい。この方はね、あの魔女様のお仲間なのよ」
 母親の人狼が、娘を押しとどめるように進み出て来る。
「そうでしょう?」
「……見ただけで、わかっちゃうんですね。はい私、善い魔女さんの知り合いの、悪い魔女です」
 太一は言った。
「お食事中ごめんなさい。貴女たちに、ちょっと確認したい事がありまして」
「おっしゃるまでも、ありません……お気持ちだけ、いただいておきますわ」
 狼の顔である。表情は、わからない。
 だが彼女は微笑んだのだ、と太一は思った。
「私たち、ご覧の通り獣です。暖かい毛が生えておりますから、家がなくとも冬を越せます。こうして自力で獲物を捕る事も出来ます。もちろん病気も治りました。これからは娘と2人で生きてゆけます……全て、あの魔女様のおかげですわ」
「人間に……戻らなくて、いいんですか?」
「村の連中、病気だからって、お母ちゃんを虐めた」
 答えたのは、母親ではなく娘である。
「人間に戻ったって、また虐められるだけ。今、あたしたち狼だから。虐めに来た奴、こうやって食い殺してやれるから」
 この少女の父親は、この母親の夫は、どうしたのか。
 ふと太一は気になったが、訊ける事ではなかった。
 この母娘には、もはやお互いしかいないのだ。


「あの人には……こうなる事が、わかっていたんでしょうか」
 森の奥へと去って行く人狼の母娘を見送りながら、太一は呟いた。
「たとえ病気が治っても、人間でいる限りは幸せになれない母娘だから……」
『どうかしらねえ。まあ確実に言える事はただ1つ……炎上騒ぎは全然、解決してないって事』
 女悪魔が、面白がるように言った。
『ちなみに……炎上しちゃった時、一番やっちゃいけない事は何か。貴女わかる?』
「……謝罪と削除、ですか?」
『わかってるじゃないの。そうそう、後で消さなきゃいけないような事なら最初から書かない。書いちゃった以上は、炎上上等でね』
 この女悪魔も、何やら色々と炎上させた事があるのではないか、と太一は少しだけ思った。