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<東京怪談ノベル(シングル)>


 ご使用はご注意あれ


「わぁ、たくさんありますねぇ〜」
 問題の部屋に通されたファルス・ティレイラは室内を見るなり、素直に感想を声に出した。
 職業柄、たくさんの美術品、魔術品が集められた場面に遭遇することが多いティレイラではあったが、毎回色々な品物を見ることができて楽しくもあった。いろいろな種類の美術品屋や魔術品を見ることができる、それが楽しいのである。たまに……ちょっと失敗してしまうこともあるけれど。
「そうなのよ〜。たくさんあるから、ひとりで引越し準備するにはとても大変で〜」
 今回の依頼者である女性はおっとりとした口調で困ったように首を傾げる。すると緩いウェーブの掛かった肩口までの栗色の髪が揺れて、シャンプーの香りが舞った。
「なるほどー。確かに扱いが難しそうなものがたくさんですね。壊れやすそうなものもたくさんありますし」
「ティレイラちゃんにお願いしたいのはねぇ、ここにあるものの梱包なのよ〜。引っ越しの下準備のお手伝いねぇ」
「あ、はい、引越のお手伝いというご依頼でしたからそれは構わないのですけど……」
 この女性からティレイラにされた依頼は、引越の下準備のお手伝いということだった。彼女が今言った通り、荷物の下準備ということで梱包作業が主になるだろう。だが……梱包する品物はたくさんあるのだが、きょろりと室内を見回してもこの部屋に入ってくる前の廊下の様子を思い出しても、一般的な梱包材のようなものは見当たらなかったのだ。
「ああ、これを探しているのねっ!」
 ティレイラの様子を察知して女性がうふふと微笑んだ。そして手に持っていた紙袋から取り出したのは、高さにして20cmほどの缶。先端部分がキャップのようになっていて、まるでスプレー缶のようである。自信ありげに取り出してくれたところ悪いのだが、ティレイラが探しているのは……。
「い、いえ、私が探しているのは梱包に使う資材なのですけれど……」
「ふふふ」
 困惑顔のティレイラに対し、女性は意味深に微笑んで缶のキャップを外す。そして小首を傾げるティレイラの前でテーブルの上の古ぼけた壺へと缶を向ける。そしてシュ〜〜〜!! と缶の中身を噴出させた。
「きゃっ……」
 思わず小さな悲鳴を上げて2、3歩後ずさったティレイラだったが、視線は噴出された液体をたっぷり浴びた壺に釘付けだ。
「……ええっ……」
 それまで液体だったものが薄い膜のようになり、それを全体に浴びせかけられた壺は全体を薄い膜でコーティングされた状態になってしまった。
「便利でしょ?」
 女性が壺を手に取り、ティレイラへと手渡す。受け取ってみれば薄い膜のようなものは薄手のゴムのような触感で、こすればキュッキュと音を立てそうだ。
「この缶に入った魔法液が特殊な作用をするのよ。ほらぁ」
 そう告げて女性は、あろうことかティレイラが両手で持っている壺の上に思い切り拳を振り下ろしたのだ!
「あっ……!?」
 ティレイラは思わず壺から手を離してしまった。この部屋の床は板張りだ。いくらゴム膜でコーティングしているとは言え、古い壺が落下したら無事で済むはずはない。割れる音を予測して、身構える――だが。

 ドゴッ。

「えっ……」
 聞こえてきたのはぐももった鈍い音。そっと足元を見れば、壺は落下した位置でそのまま止まり、ヒビすら入っていないようにみえる。
「安心してねぇ。この魔法膜は外からのどんな衝撃も吸収するのよ〜。更に魔力も遮断してしまう優れもの! ゴミも出ないから、引っ越しの梱包に最適なのよ〜」
「なぁんだ……びっくりさせないでくださいよぉ」
 ティレイラの反応を楽しんで上機嫌の女性。反対にティレイラは大きく息を吐いて胸をなでおろした。しゃがんで、壺を拾う。本当にヒビすら入っていないから驚きだ。
「でも便利でエコですね!」
「ええ。あなたにはこのスプレーを使ってこの部屋にあるものを全部梱包してほしいの。スプレーの予備はここに入っているから、お願いできるかしら?」
 女性から紙袋を受取り、ティレイラは頷く。引っ越しの下準備だと言うからもっと肉体労働的なものを想像していたが、これは思ったよりも楽そうだ。
「はい、任せてください!」
「お願いね〜」
 ティレイラの笑顔に安心したのか、女性は他の部屋での作業があるからとティレイラを置いて部屋を出ていった。



 最初は簡単な仕事だと思っていた。こんな簡単な仕事でお給料を貰っていいのかななんて思ったりもして。
 机に乗っている小さなものにスプレーをくまなく噴射して、魔法液が魔法膜へと変わるのを見る、それがとても楽しかった。膜で覆ったものを空き段ボール箱に詰めていくのも、他に梱包や緩衝材を詰める必要がなかったので楽だった。もちろん魔法膜があるからといって適当に詰め込んだり投げ込んだりはしていない。壊れるのを恐れているというよりも、ティレイラの性分がそうさせていた。
 いくつスプレーで『梱包』しても楽しさは衰えず、むしろルンルン気分で作業を続けていたが、段ボール箱にはいるサイズの物をすべて詰め終えてからふと気がついたのだ。

 魔法膜は緩衝材になってくれるけど、物自体の重さが変わるわけではないことに。

「お、も……」
 ガムテープで段ボール箱の上部を止めて、箱を部屋の隅に置く。他にもいくつも箱はできていたので、同じように封をして最初の箱の上に乗せる。だが、基本的にどの箱もそこそこの重さがあって、持ち上げて運ぶのに結構力が必要だった。ティレイラの身長からすると、3箱縦に重ねるのが限界で。それでも詰め終わった箱を一箇所に纏めねば、箱に入らないサイズのものを梱包するのに邪魔だから頑張った。
「はぁ……」
 一休みしようにもこの部屋にはテーブルや棚はあれども椅子はなくて。板張りの床に直接座り込むのも気が引けて、テーブルに寄りかかって息を整えた。
 部屋を見回せば、まだ三分の一程度しか梱包を済ませていないことに気が付き、簡単な仕事だと思ったあの時の自分を反省させたくなったティレイラである。
「よし、頑張っちゃいましょう!」
 自分に活を入れるように声に出して、寄っかかっていたテーブルから体重を移動させる。ダンボールに入らないものは梱包だけ済ませればいいと聞いていたが、大きなものほど全体に魔法液が行き渡るようにすべく、移動させて何度もスプレーしなくてはならない。勿論重くて大きいものは向きを変えるのも大変そうだし、魔法道具は下手に触って変に動作させてしまっても困る。梱包前は壊れやすいものもあるだろう。まだまだ体力と気力の出番は続きそうだった。



「ふぁ〜……」
 数刻後。ティレイラの口から無意識に声が漏れた。
「これで最後、のはずです……」
 子どもがひとり余裕では入れそうな大きさの壺(これが異様に重かった!)を5個ほど梱包し終えたティレイラは、ゆっくりと室内を見渡す。四肢も関節もだるいがそれだけでなく、頭もなんだかフラフラする。ぼんやりと思考に靄がかかったようで、自分でも『ああ、疲れているんだ』と認識できた。張り切りすぎて休憩を入れずに作業に没頭してしまったせいだ。よく品物を壊さなかったなと自分でぼんやりと思う。
「作業終了……の報告の前に、少しだけ、休憩……」
 よろりふらりとティレイラは、空いた棚へスプレー缶を置こうと手を伸ばした。この後はまた少しだけテーブルに体重を預けよう、そう考えながら手を離すと――。
(あれ?)
 物を置いた感触は感じられなかった。ティレイラがスプレー缶を置くのに失敗したことに気がついたのは……。


 シュワァァァァァァァァァァッ!!!


「きゃぁぁぁぁぁっ!?」
 床に落ちた衝撃で、スプレー缶が魔法液を激しく噴霧し始めたときだった。
 まるでスプリンクラーのように激しく噴射される魔法液。ティレイラはそれを足元から容赦なく浴びせかけられてしまっている。
「やっ、ちょっ……」
 スプレー缶を拾って事態を収めようと思っても、噴射の勢いが強くてしゃがむことすら難しい。だが、幸か不幸か、スプレー缶の中の魔法液の残量はそれほど多くは残っていなかったらしく、程なく噴射は自然に弱まり、そして止まった。
(もう、大丈夫でしょうか……?)
 スプレー缶の様子を見よう、そう思い体重を動かしたティレイラだったが。

「あれ……?」

 何か皮膚が引きつるような感覚。思うように体が動かずに、そのまま板張りの床に転がってしまった。
「ええっ!?」
 全身の皮膚が、ゴム状の被膜と一体化してしまっているのだ。そう、ティレイラが浴びた魔法液は、次第にゴム状の魔法膜に変わる――。
「ちょっ、まっ……困り……」
 なんとか皮膜を破ろうと身体を動かそうとしてみる。だが少しでも動くと、くすぐったいような感覚と、気持ちよさに似た妙な感覚に襲われるのだ。
「ん、あっ……なに……こ、れ……」
 でもこのままでは困る。皮膜をなんとかしなければ――しかしもがけばもがくほど、快楽が脳を刺激し、思考に靄がかかって判断力が奪われていく気がする。
「……たぁ、す、け……ひぁっ……んんっ……」
 大声で助けを呼びたい。だが大声を上げるだけの力が入らないのだ。くすぐったさと快楽がティレイラの邪魔をする。


「あら? あらあらまぁまぁ!!」


 助けだ、ティレイラはそう思った。彼女の作業の進捗具合を見に来たのか、はたまた休憩の誘いに来たのかは分からないが、依頼人の女性が部屋の入口に立ってティレイラを発見してくれたようだ。
「た、す……」
 救世主が現れた、そう思い視線で救援を要請する。女性はひと目でティレイラの身に何が起こったのか理解してくれたようで、近づいてくると床に倒れているティレイラのそばでしゃがみこんだ。そして。
「ひぁっ!」
 おもむろにティレイラのウエストから太ももに掛けてをなで始めた!
「や、め……た、すけ……」
「大丈夫よぉ。いずれ勝手に膜が溶け落ちるからぁ」
 のんびりと告げつつ、彼女はティレイラのあんなところやこんなところを撫でくり回す。そのたびにティレイラは女性の愛撫の手を避けようともがくものだから、くすぐったさと気持ちよさが襲い来て。
「さ、わらな……で……あ、んっ……」
 ティレイラの抵抗と懇願むなしく、女性は早急に彼女を助けてくれる気はないようだった。






                   【了】



■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【3733/ファルス・ティレイラ様/女性/15歳/配達屋さん(なんでも屋さん)】


■         ライター通信          ■

 この度はご依頼ありがとうございました。
 お届けまで多くのお時間をいただき、申し訳ありませんでした。
 ティレイラ様の災難の一幕を書かせていただき、ありがとうございました。
 私事ですが引っ越しすることが多かったものですから、こんなスプレーがあったら便利なのになーと思ってしまいました。
 少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
 この度は書かせていただき、ありがとうございました。