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一夜の甘い夢
ティレイラのお仕事は、主に配達屋さん。今日も夕方に常連のお婆さんの屋敷に出向き、いつものように小包を渡してお代を受け取った。
用事も済んだので「それじゃあ」と踵を返そうとすると、お婆さんが「ちょっと待って」と一冊の本を持ってくる。それはとても不思議な魔法の本だという。枕元に置いて寝れば、一晩だけ本の世界に潜り込めるそうだ。ティレイラは遠慮よりも先に大いに興味が湧き、「ありがとうございます!」と素直に貰って帰ることにした。
彼女が目をつけたのは、その絵表紙である。
そこに広がるのは、お菓子でできたファンタジックな世界。ラムネ色の空に綿飴の雲が浮かび、クッキーの家の傍にはソフトクリームの木が立っていた。とても楽しい夢を見れそうだと、ティレイラはウキウキしながら本を胸に抱え、家路を急ぐ。
しかし彼女は気づかなかった。その木陰に怪しげな人影が描かれていることに……
夜も更けた頃、ティレイラは枕元に本を置き、ベッドの中で眠りに落ちる。
ふと目覚めると、そこは絵表紙とまったく同じお菓子の世界だった。ここは現実ではないので、ティレイラは誰にも遠慮せずに竜の翼と角と尻尾を生やして宙を舞い、見た時から気になっていたソフトクリームの木に指を伸ばす。そして指先についたクリームを一舐め。
「うん、甘い!」
お好みの味がするかどうかよりも、まずは本当にお菓子かどうかの確認が先だった彼女は「うんうん」と頷きながら、今度はじっくりと上空からの眺めを楽しむことにした。本の見た目は二次元だが、今いる場所は三次元。いや、夢であることを考えると四次元になるか。そこに広がる世界はすべてがお菓子。小ぶりな雨雲から落ちてくるのは、小さなラムネ。小さなパン工場の煙突から出てくる煙は、だんだんと大きくなるドーナツ。ティレイラは食べずとも楽しめる本の世界を存分に楽しんでいた。
「すごーい! ホントに全部お菓子なんだ〜!」
すっかりご満悦の竜の娘を、地上から金色の瞳がギラリと睨む。そう、これこそがティレイラが見落とした人影の正体なのだ。
「あれ、あの遠くにあるのは博物館、かなぁ? いったい何を飾ってるんだろう?」
これだけお菓子で作られた世界の博物館となれば、なんだかスゴイ何かがある気がする。もしかすると師匠の店でも見れない物があるかも……そう思うと、ティレイラは行かずにはいられなくなった。
そこへ突如、地上から糸のようなものが放たれる。それもいくつも、だ。
「あ、あれっ? 何、これ?!」
茶色い糸を放つのは、チョコの甲殻を纏う蜘蛛だ。その糸に触れた雲はチョコの欠片となり、地面へと落ちていく。
ティレイラがこの世界で初めて出会う生き物は、自分に明らかな敵意を向けていた。せっかく楽しい夢の中なのに、なんでこんなことになるの……彼女は思わず、心の中でそう呟く。
そんな彼女の悔しさを嘲笑うかのように、褐色の肌をあらわにした魔族の女性が堂々と姿を現した。
「ほーっほっほ! アナタ、とっても可愛いじゃない。このアタシが素敵なお菓子にしてあげるわ」
「褒めてくれたからって、あなたの言いなりにはならないんだからっ!」
「まぁ、そういうと思ったけど。じゃあ、たっぷり使い魔とダンスしなさいな」
敵は掌を地面にかざすと、魔方陣が発現し、さらなるチョコ蜘蛛を召喚。絶好の獲物を確実に捕らえんとする。
とはいえ、チョコ蜘蛛は地を這い、糸で攻撃を繰り返すだけ。ティレイラは慎重に上空からの火炎魔法を浴びせ、これに対応する。相手はチョコなので、火には弱い。少しでも触れればチョコ化する糸どころか、掠っただけで本体までもが溶けていく。
そうしておいて、幾度も魔族の女性を狙う隙を伺うが、問題はこっちだ。相手も次々と倒された分のチョコ蜘蛛を召喚し、決して自分へと到達させまいと応戦する。これを目の当たりにしたティレイラは、思わず焦れてしまった。
「このままだと、本体を攻撃できない……!」
そう思った刹那、木をよじ登っていた一匹のチョコ蜘蛛から不意打ちの糸が飛んでくる。それは不運にも尻尾に巻きついた!
「しまった!」
しかし気づいた時には尻尾に感触はなく、ピンと跳ねた状態でチョコ化してしまった。
こうなるとバランスの問題もあり、飛びにくくて仕方ない。さらに火に弱いものだから、自分の魔法で尻尾を溶かす危険さえある。かといって、尻尾を引っ込めることもできず……という不利な状況を抱えてからは、瞬く間に防戦一方。敵の攻撃をいなすだけに留まった。
そうなれば、後は敵の術中。次は広げた翼を狙われ、そこをチョコ化されてしまう。ティレイラはそのままマシュマロの丘に落下するしかなく、ポヨンポヨンと跳ねている間に、その周囲をチョコ蜘蛛に囲まれてしまった。
「うふふ……ほらほら、まだ立てるでしょ? 最後までがんばって戦いなさいな」
「ううっ……ま、負けないんだからぁ〜!」
いくらティレイラが強がっても、もはや勝負は見えている。
ものの数分も経たないうちに、身体の随所をチョコ蜘蛛の糸に絡め取られ、最後は泣き声さえもすべてチョコにされてしまったのだった。
その後、ティレイラは奇しくも自ら目指していた博物館に運ばれ、その中で飾られた。
この日は、魔族による魔法菓子の展覧会。彼女はその作品のひとつとして、ここで連れてこられたのだ。あの憎き魔族の女性と見事なチョコ像となったティレイラは、どの魔族からも惜しみない賛辞を贈られる。
「いやぁ、素晴らしい。本当によくできたお菓子だよ」
「そうだよねぇ。まさに今にも悲鳴が聞こえてきそうだ」
一部始終を知る魔族の女性は、不敵な笑みを浮かべながら答える。
「それはそうですわよ。ねぇ、アナタ……?」
女に顎を擦られ、ティレイラは心の中で「うう、悔しいー!」と叫んだ。
この夢は、いつまで続くのだろうか。
しかしティレイラは、これが夢であることを忘れるくらい長い時間をチョコ像として過ごしている。そもそも、覚めることに気づいているのだろうか……?
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