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<東京怪談ノベル(シングル)>


黒眼の邪龍
『黒眼の邪龍』。
 イアル・ミラールがアンティークショップ・レンの店主から解呪を頼まれた同人ゲームソフト、そのタイトルだ。
 制作者は魔力も呪力も持たない一般人なのだが、制作期間の短縮を狙って流用したプログラムがよくなかった。彼は、強力な呪いに侵されていた『白銀の姫』のプログラムを引っぱってきてしまったのだ。
 結果、制作者は解呪専門医のもとへ担ぎ込まれることになる。制作中、ずっと呪いに苦しめられながら完成までこぎつけたそのムダな精神力はすさまじいが……ともあれ。
 呪いのソフトは世に送り出されることなく回収され、イアルの手に収まったのだ。

「あまり気が乗らないのだけれど……」
 イアルは重いため息をつく。
 本でもコミックでも同じことだが、物語に練り込まれた呪いを解くにはその呪いを“目”で探す必要がある。
 だからこそゲームは厄介だ。なんと言っても流し読みができない。外からでは、どのような呪いがかけられているのかもわからない。プレイヤーキャラクターに成り代わり、呪いに突き当たるまで攻略を進めなければならないのだ。
 しかもこの『黒眼の邪龍』、説明書の類いが一切ないため肝心の内容がわからない。
「タイトルからして正統派のファンタジーRPGかしらね……とりあえず、さわりだけでも確かめてみましょうか」
 序盤をプレイしてみよう。なにかあればセーブして戻ってくればいい。
 イアルは同居人にして無二の親友の部屋へ向かう。
 パソコンを持っているのは彼女だけだし、今は仕事中でここにはいない。彼女が帰るまでに今日の探索はすませれば迷惑をかけずにすむだろう。
 イアルはパソコンを起動し、ディスクをすべり込ませた。

                   *

「ここは」
 イアルは頭を振り振り、辺りを見渡した。
 杉とも松とも知れない直立した木々に、申し訳程度の下生え。おそらくは森の中なのだろうが、本物の森ならこのように地面が露出することはないだろう。
「まあ、虫がいないのはありがたいわね」
 制作者の都合でいろいろなものが間引かれたフィールドをイアルは進む。一歩ごとにビキニアーマーがカシャカシャ鳴って、なんとも騒がしい。
「これじゃ隠れて進むこともできないじゃないの」
 それどころか、彼女の美しい体そのものが隠せていないわけだが……一応、このゲームが予想どおりのファンタジーRPGであることはわかった。
「職業は戦士ってところかしらね」
 ご親切にもオートマッピング機能があるらしく、歩くことでフィールドの地形が明確になっていく。
 時折現われる獣型のエネミーを倒しながら彼女は進み。
 木々の狭間に沸き出す泉を発見し。
 そして。
 その清らかな水をその身に浴びる妖艶な女と出逢った。
「……こんなところで誰かと遭うなんてめずらしいこと」
 女は背中ごしにイアルを流し見た。
 今、イアルに見えるのは薄衣をまとう彼女の背だけだが、ゲーム世界に描き出されたその豊満な肢体は質感的で、肉感的で……同性のイアルでさえ目が離せないほど、なまめかしかった。
「あ、あの」
 吸い寄せられるように、イアルが女性へ踏み出した。
 女は完全武装のイアルから逃げることなく、背を向けたままただ待っていた。しかも。
「私の背を流してくれない? 自分では届かないの」
「は、はい。じゃあ海綿か布を」
「私、肌が弱いの。だからあなたの掌で」
 断ることはできなかった。
 イアルは焦る手でアーマーを脱ぎ去り、下着姿になって泉へ踏み入った。
「強くこすってはだめよ。やさしく――」
 イアルの掌が、女性の背を上から下へなでる。
「ん」
 女性が息を漏らし、体を強ばらせる。
 この掌が、彼女を操っている。それがたまらなくて、イアルはよりやさしく掌を蠢かせ、指を立ててやわ肌を掻いた。
「あなた、名前は?」
 息をつく中、女性がイアルに問う。
「イアル、です」
 薄衣の内に指先を這わせながらイアルが答えた。
「私はモリガン。この森を統べる女王よ」
 イアルの指が止まる。
 モリガンといえば『白銀の姫』の登場キャラクターで、アスガルドを治める女神のはず。それがなぜここに?
 と。イアルは思い至った。このゲームへ流用され、呪いをもたらしたデータがこのモリガンであることを。しかし。
 彼女から呪いの気配は感じられない。『白銀の姫』での記憶も持っていないようだし、だとすれば呪いはどこに――
『かような場所にいたか、女王モリガンよ』
 地を低く打ち鳴らすがごとき声音が響き、空が黒く塞がれた。
「黒眼の邪龍!」
 モリガンの声に、イアルは半ば呆けていた自我を取り戻して空を仰いだ。
 そこに在ったものは、硬い鱗でその身を鎧った巨大な黒龍。
『今までは希様の小賢しい結界のせいで近づけなかったが、そこの女戦士のおかげで結界がゆるみ、付け入る隙ができた。感謝するぞ』
 なんともいえない説明ゼリフに制作者のセンスを感じるが……げんなりしている場合ではない。あれだ。あの龍に、このゲームを侵した呪いが封じられている。
『さあ、礼をくれてやろう。我が神殿を永遠に飾る栄誉を』
 邪龍の口から濁緑のブレスが放たれた。
 とっさにモリガンを背にかばうイアル。
 その背にすがるように添ったモリガンが声をあげた。
「いけない! あれは――」
 状況も忘れて甘く高鳴る胸を抑え込み、イアルはモリガンを守るべく身を固めたが。
 予想していたような痛みはなかった。
 ただ、その体にまとわりついたブレスが密度を増し、イアルの体を固めていく。
「魔力の、コールタール。邪龍は、こうして獲物を、レリーフにして、自らの城に、飾る」
 イアル同様に固められつつあるモリガンが、圧迫され、息を塞がれる苦しみの内で語った。なんとか彼女を助けようとするイアルだったが、すでに体は悪臭はなはだしいコールタールに固められ、動けない。
「私の最後の力で、あなただけは!」
 モリガンが魔力を振り絞り、イアルへ注ぎ込んだ。その清らかな力が邪を祓い、イアルに自由を取り戻させる。
「モリガン!」
「早く、逃げて」
 今はその言葉に従うよりなかった。
 駆け出したイアルの背後で邪龍が嗤う。
『女戦士は逃げたか。まあよかろう。女王が手に入った以上はな。それでは案内しようぞ。北の最果てにある黒龍の神殿へ』
 わざとらしい説明を残し、レリーフ化したモリガンをつかんだ邪龍は空へ舞い上がった。
 ――かならず助けるわ、モリガン!
 イアルは誓い、そして北へ向かうための準備に取りかかる。

                   *

 邪龍を倒す。
 それがモリガンを救い、呪いを祓う唯一の方法だ。
 とはいえ今のイアルに邪龍を倒す力はない。現実の世界なら為す術はなかっただろうが、倖いにもここはゲーム世界。今倒せないなら、これから倒せる力を得ればいい。経験値を積み重ね、装備を調えることで。
 ゲーム内に用意されたクエストをひとつひとつクリアし、レベルを上げていく。その都度、肌も露な美少女たちが身を捧げてこようとするのには困ったが……これも同人ソフトならではの、男性プレイヤーへのご褒美なのだろう。とりあえず選択肢に「断る」があって助かった。

 ――白龍の巫女から祝福を得たイアルはついに、邪龍の本拠地である神殿へたどりついた。
 腰に佩いた剣は、龍の鱗をも貫く“白龍の剣”。携えた盾はドラゴンブレスをも無効化する“聖鏡の盾”。体にまとう鎧は、暁の山に封じられていた伝説のピンクミスリルを土妖精の王女が鍛えあげた“魔祓のビキニアーマー”だ。
「結局最後までビキニアーマーなのね……」
 ため息を漏らしながらザコを薙ぎ払い、中ボスを斬り伏せ、イアルは神殿を進む。
 果たして。
『あのときの女戦士か。よくぞここまでたどり着いたものよ』
 広場のただ中で邪龍が黒き翼をはばたかせ、ありがちなセリフを吐いた。
「モリガンを返してもらうわ!」
 龍の返事は炎弾。
 イアルは左にずれてこれをかわし、様子を見る。
 ゲームの敵キャラクターである以上、邪龍にもかならず攻撃パターンが存在する。今の直進する炎弾のほかに、どのような攻撃があるかを見極めなければ。
 炎弾、踏みつけ、翼のはばたきによるノックバック、そして魔力をまとっての絶対防御。初期のパターンはつかんだ。ダメージが重なって別パターンは表出するまでは、絶対防御→ノックバック→炎弾か、絶対防御→踏みつけのいずれかを警戒し、削っていけばいいようだ。
 イアルは邪龍のモーションを読みながら、確実に攻撃をヒットさせていく。
 あるときからパターンが変更され、コールタールブレスや雷ブレスをばらまく範囲攻撃が加わったが、アイテムを惜しまず使うことで対処ができた。
 そして戦闘開始から七分余りで、見事に邪龍を討ち取ったのである。
『ば……か……な……』
 邪龍の体が黒い塵となり、かき消えていく。
 それにつれ、呪いもまたその力を失い、ゲーム世界に平和が取り戻されていった。
「呪いが解けても、この内容じゃ売れないでしょうね」
 さくさく進むと言えば聞こえはいいが、実質やり込み要素のカケラもない、ありきたりで薄っぺらいストーリー。アンティークショップの店長にはそう報告しておこう。
 剣を鞘に収めたイアルは広場の奥にある扉へ向かった。
 あの向こうでモリガンと再会できるはずだ。彼女のデータをこのゲームから解き放ち、すべてを終わらせる。

                   *

 扉の向こうにモリガンはいた。
 緑のタールに固められ、薄暗い部屋に飾られたまま動かない。
「邪龍は倒したはずなのに」
 幾度となく広場や辺りを探ったが、邪龍の復活もなければモリガンを生身に戻すしかけの類もない。
「最後の最後でひどい呪いを残していってくれたものね」
 イアルは肩を落としかけたが、踏みとどまる。
 これが呪いによるものなら、現実世界と同じ方法で解呪できるのはないか?
 イアルは己の内に在る鏡幻龍を呼び起こした。
 彼の者を侵せし呪いを我が身に――
 レリーフとなったモリガンを抱き、唇を這わせて呪いをなめとっていくイアル。
 口に押し入る呪いのコールタールがイアルを序々に石化させ。
 いつしか彼女はタールの像と化していた。

 いくらかの時間の後。
「……ん」
 硬い腕の内でモリガンは目覚める。
 目を開けば、目の前にあるのはイアルの像。
「まさか私の受けた呪いを――」
 出逢ったばかりの自分を救うため、その命を賭けてくれたのか。
 モリガンの内に熱情が沸き上がる。
 なんと愛おしい。それに、なんと甘い香を……。
 モリガンは衝動に突き上げられるまま、イアルの硬い唇に己が唇を重ねた。

                   *

「やっと物語を終えられるわね」
 最初にモリガンと出逢った泉に身を浸し、イアルは深く息をついた。
 モリガンのキスで生身を取り戻した彼女だったが、節々がまだ固まっている気がしてならない。
「すっかり臭いが染みついてしまったわ。この世界から去る前に洗い流せるかしら」
 呪いを解かれ、自身が別世界に在る本体から分かたれた分身のようなものであることを悟ったモリガンもまた、同じ泉で体を清めている。
 それにしても。モリガンの体は見事だ。やわらかく盛り上がった胸に、大きくくびれた腰。そこからまた大きく張り出すヒップラインは、もはや芸術とさえ言えた。
 ふと。見惚れるイアルにモリガンがささやいた。
「肌がタールで染まっていないか、確かめてもらえる?」
 モリガンが薄衣に指をかけ、ずらしながらイアルにねだる。半ば開かれた唇から甘い吐息が漏れ出して――気がつけばイアルはモリガンの肌に手を這わせていた。
「どこにも汚れはないわ……白くて、綺麗」
「もっとよく見て。本当に、どこも汚れていない?」
「本当にない。どこもやわらかくて――ああ、赤みが。どうして? どうして白いはずの肌に赤みが差すの?」
「それは……ん……イアルが……イアルの指が……」
 ふたりの体が重なり合い、そして。

「――あら」
 イアルは目を覚ました。
 まわりを見れば、そこは親友の部屋。
 まだ日は暮れていない。イアルがゲーム世界にいたのは、どうやら三時間ほどだったようだ。
「三時間でクリアできるって、どんなクソゲーよ」
 残念な思いを奥歯で噛み殺しながら画面を見ると、そこにはクリア後のタイトル画面が写し出されていて。
『黒眼の邪龍 〜このソフトは18禁です。18歳未満の方はご購入できません〜』
 ……いろいろと疑問は晴れたが、なにやら釈然としないイアルなのだった。