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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢の終わり


 こんなものだろう、と私は思った。
 元々、大して期待をしていたわけではないから、期待以上であったとは言える。
 イアル・ミラールから奪い取った鏡幻龍の魔力は、大いに役に立ってはくれた。様々な研究が、飛躍的に進んだ。
 人体の石化、水晶化、人形化。人面真珠用の、アコヤガイの品種改良。魔本製作。魔法のコールタール・カプセルの性能強化。人造モンスターの開発と量産……その他諸々で、鏡幻龍の魔力を使いきったところである。
 膨大な魔力、とは言え有限の力だ。無限の力など、この世には存在しない。有限の力で、無限の効果を生み出さなければならないのだ。
 私たち魔女は、それを肝に銘じなければならない。
 イアル・ミラールから搾り取ったものは全て、使い果たした。
 搾り取った後の抜け殻でしかない真珠玉は先日、店を訪れた少女に、お買い上げ品のおまけとしてプレゼントした。
 なかなかに美しい少女だった。人魚か何かに作り変えれば、そこそこの値で売れるかも知れない。
 私はそう思ったが、捕える事は出来なかった。
 あの少女がIO2関係者である事は、見ただけでわかった。それも手練のエージェントである。うかつに手を出せば、私はあの場で殺されていたかも知れない。
「ご存じですか、先輩」
 魔女たちが、いくらか不安げな声を発する。
「あの真珠玉、IO2の手に渡ったらしいですよ」
「連中、イアル・ミラールを復活させてしまうのでは……」
 結社崩壊後、私の元に集まってくれた、若い魔女たちである。
 彼女たちが不安を感じるのは当然だ。何しろIO2である。あの真珠玉を元に戻す、くらいの事は朝飯前であろう。
 元に戻ったイアル・ミラールは、しかし魔力も生命力も私に搾り取られた後の、抜け殻でしかない。限りなく、屍に近い存在だ。
 そんな状態のイアルがIO2で保管されている、という話は、私の耳にも届いている。
 腐敗しないだけで、死体も同然のイアル・ミラール。死蝋のようなものだ。
 そんなイアルをIO2が保管しているのは、まあ私たちの力を少しでも解析するためであろう。
「安心するのだね。イアル・ミラールが復活して私たちに復讐するなど、万に一つも有り得ない事……」
 私は告げた。
「鏡幻龍の力は、私が使い果たしてしまったのだからね」


 死蝋。
 今のイアル・ミラールが、いかなる状態にあるのか。最も近いものを挙げるとすれば、それであろう。
 腐らぬ屍と化したイアルが、ベッドの上に横たわっている。
 IO2日本支部、エージェント用の宿舎エリア。
 茂枝萌は、死蝋化したイアルを自室に持ち帰っていた。
 横たわるイアルを見つめながら、しかし彼女のために出来る事が何かあるわけではない。
 否、出来る事はある。
 そんな事を思いながら萌は、生色を失ったイアルの唇を、じっと見つめていた。
「キス……くらいは、出来るよね……イアル……」
 唇だけではない。
 限りなく屍に近いものと化しながら、柔らかさと瑞々しさを失わない、その胸に。
 しなやかに引き締まった二の腕と、美しくくびれた左右の脇腹に。
 青ざめながらも、何やら謎めいた活力を詰め込んでムッチリと形を保った太股に。
 唇を、手を触れる事が出来るのではないか。キスと愛撫を、繰り返す事が……
 萌は、ぴしゃりと自分の顔面を叩いた。
「ちょっと……何考えてるの、私……」
 おかしな匂いを、萌は今更ながら感じた。
 死蝋には本来、独特の臭気がある。
 だが今のイアルは、死蝋と言うよりも、むしろアロマキャンドルだ。
 臭気ではなく、香気を発している。萌の脳神経が、心地良さで麻痺してしまいそうな香りだ。
『イアルを蘇らせるには、命の息吹を吹き込んでもらわねばならん……茂枝萌、お前にだ』
 机の上に置かれた手鏡が、声を発した。5匹の龍で縁取られた鏡。
『そのために、申し訳ないが……お前には少々、狂ってもらうぞ』


 イアルは、隣国の国王に献上された。
 その国は強大な軍事国家で、外交的に機嫌をとっておく必要があったからだ。
 イアルに、拒む事は許されなかった。
 魔女によって、精神操作の魔法を施されていたからだ。
 汚物にまみれ、発狂しかけていたところへ、その魔法を撃ち込まれたのだ。
 イアルは自我を失い、ただ男に尽くすだけの、生きた人形と化した。
 そして軍事国家への貢ぎ物となり、国王に奉仕した。夜な夜な、様々な手管で国王を悦ばせた。
 国王はイアルに溺れた。主従の立場が、逆転するほどに。
 寝床の中で、イアルは国王を完全に籠絡していた。
 強大な軍事国家は、国王がイアルに貢ぐ事によって大いに傾き、腐敗した。
 そして、騎士団による反乱を招く事になったのだ。
「おいたわしや国王陛下……獅子であられた御方が、すっかり豚になってしまわれた」
 豪奢な寝台の上で国王が、細切れの贅肉と化している。
 返り血にまみれた騎士たちが、口々に言った。
「王国随一の英雄が、かくも無様に肥え太って……我が国を、腐らせるとは」
「……こやつか、原因は」
「そうだ……かの国より送り込まれた、傾国の毒婦」
 国王の屍の傍で、イアルは騎士たちの眼光を一身に受けた。憎悪と殺意の眼光を。
「こやつは、こやつだけは生かしておけぬ。偉大なる国王陛下が、こやつのせいで……!」
「……何が、偉大なる陛下だよ。王国一の英雄だって?」
 イアルは、婉然と嘲笑って見せた。
「あたしに言わせれば、ただの男……って言うより、さかりのついた牡犬だね。こう、こんなふうに腰を動かしてやっただけでねえ、可愛らしくキャインキャイン鳴きわめいていたものさ」
 イアル・ミラールの人格は、精神操作の魔法によって封じられている。
 その代わりに、もう1つの人格が覚醒していた。この肉体に元々、宿っていた人格が。
「あんたたちも……ふふっ、飢えた野良犬みたいな目ぇしてるねえ。どいつもこいつも、いい声で鳴かせてやろうか? あたし、1度に6人までなら相手出来るよ」
「このアマ……男なめてんのかああああ!」
 数人の騎士が、鎧を脱ぎ捨てながら襲いかかって来る。
 そして死んだ。背後から、斬殺されていた。騎士団長によってだ。
「男を獣に変える女……か。見事なものだ。私にはとても真似が出来ない」
 血染めの長剣をイアルに向ける、その騎士団長は、女だった。
「うらやましい、と思う。ある意味、女として尊敬すら出来る……が、やはり野放しというわけにもいかんのでな。術師殿」
 女騎士の言葉に従い、1人の男が入って来た。
 ローブをまとう、枯れ木のような細身の男。魔法使いか、錬金術師の類であろう。
「我ら騎士団に所属する、錬金術師殿だ。彼の力によってイアル・ミラールよ、お前は今から……我らの打ち立てる、新たな政権の象徴となる。立派に飾ってやるから、ありがたく思え」
 女騎士の言葉を聞きながら、イアルは石像と化していた。


 自分が茂枝萌なのか、それとも国王に奉仕しているイアル・ミラールなのか。
 萌は、わからなくなっていた。
 気がついたら、ベッドの中にいる。
「……え……あれ? 私……」
「……気がついた?」
 イアルが隣にいて、微笑んでいる。
 死蝋ではない。屍人形ではない。
 生きたイアル・ミラールであった。
「ずいぶん、好き勝手やってくれたわね……貴女の、命の息吹……充分過ぎるくらい、注ぎ込んでもらったわ」
「好き勝手に……私、何を……」
 萌は、呆然と呟いた。
 自分が何をしたのか、全く覚えていない。頭では、だ。
 身体が、様々な恥ずかしい感触を覚えている。
「私、イアルに……えっ、そんな一体……何を、したの……? そんなぁ……」
「知りたいなら、ゆっくり教えてあげるわ」
 軽く萌の頭を撫でながら、イアルは身を起こした。
「あの魔女どもを……叩き潰した後で、ゆっくりとね」