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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


魔王の牙


 この男の職業は教師。小学校で教えており、児童には慕われ保護者からは信頼されていたようである。
 その小学校で、4年生の女の子が1人、行方不明になった。
 誘拐殺人犯として逮捕されたのは、女の子の自宅の近所に住んでいた無職の青年である。
 女の子を尾け回すように歩いている姿が、監視カメラに捉えられていたからだ。
 世間では今、死刑死刑の大合唱が鳴り響いている。
 何しろ無職で、いささか不潔感漂う外見の若者である。その顔写真が公表された時点で、冤罪の可能性を口にする者は1人もいなくなった。
 好感度抜群の教師である、この男を疑う者も、いなかった。
 警察によって誘拐殺人と断定はされたものの、実は女の子の遺体が見つかったわけではない。逮捕された青年が、殺害を自供しただけだ。
 日本の警察は、やってもいない犯罪を「自白」させる事に関しては世界有数のノウハウを持っている、と雛月は思う。
 遺体が、見つかるわけはなかった。
 何しろ、この男が何週間もかけて、自分の胃袋の中で処分してしまったのだから。
 被害者の少女が特に懐いていた教師として、哀切極まるコメントを発していた、この男が。
 人間である。吸血鬼や食人鬼の類ではない。
 少なくとも生物学的には純粋なホモ・サピエンスである、この男が、日記を遺していた。ブログの類ではなく、手書きのノートである。
 自宅に連れ込んだ女の子を、どう扱ったのかが、事細かに記されていた。
 小説家としても成功していただろう、と思えるほどの文章力で、例えば少女が自分によってどういう目に遭わされていたか、どういう行為にどういう反応を示し、どんな悲鳴を上げていたか、何日間生きていて何日目で絶命したか、その後はどの部分を玉ねぎや人参と一緒に煮込んでシチューを作ったか、どの部分を何時間かけてローストしたのか、いかなる味であったのか、といった事が記録されていたのだ。
 こういう事をしでかす男であるから始末した、というわけではない。正義の味方を気取るつもりが、雛月にはなかった。
 赤系統のワンピースドレスが、それよりももっと生々しい血の赤色を浴びて、ぐっしょりと濡れ汚れている。
 露出した白い肌も、狡猾な女狐か牝猫を思わせる美貌も、点々と血の汚れを帯びている。
 雛月が今、こんなふうに返り血にまみれているのは、この男がある人物と繋がっているらしい、という噂を耳にしたからだ。
 その人物と接触する手段を、吐かせる必要があった。
 男は今、雛月の足元に横たわり、と言うよりもぶちまけられ、人間の原形を失っている。
 自分の教え子であった少女に、この男は同じような事をした。だが無論、料理して食べようという気は雛月にはない。
 結局、口を割らせる事は出来なかった。
 だが結果として、目的の情報を入手する事は出来た。
『おめでとう。ようやく、この番号に辿り着いたね』
 腕利き、である事に違いはないにせよ様々な意味において問題がある事でも知られた情報屋である。
 血まみれの長手袋をまとう繊手で、雛月は携帯電話を握り締めていた。
「僕を……知っている、とでも?」
『楽しい黒魔術を使うお姉さんが、僕を探して動き回っている。人死を出しながら、ね』
 電話の向こうで、情報屋が笑っている。
『そんな愉快な噂は、どうしたって耳に入って来るものさ。で……貴女が一体どうやってこの電話番号を探し当てたのか、参考までに聞いてみたいんだけど』
「あんたを知ってる奴がいてね。そいつをシメて吐かせようとしたんだけど……失敗した。死なせちゃったよ」
 足元に転がっているものを、雛月は軽く踏みにじった。
「まいったよ。こいつ、真っ黒焦げの血まみれになりながらヘラヘラ笑って悦んでやがるんだもの。で、しょうがないから脳ミソの中身を調べてみたんだけど……いやあ、サイコパスの頭の中なんて覗いてみるもんじゃないね。こっちまで気ぃ狂いそうになっちゃってさあ。まだちょっと気分悪い」
 言いつつ雛月は、男の遺品であるノートを、もう片方の手でパラパラとめくった。
 少女の、とある部分のトマトソース煮に関して記されたページに、電話番号が無造作に走り書きされている。
 この番号を自力で探し当てた者にのみ力を貸してくれる、と噂される情報屋である。
「人に知られちゃいけない電話番号を、うっかりノートなんかに書いちゃう奴の……一体どこを気に入って、あんたは力を貸してやっていたのかな」
『そのノート、先生を殺さなきゃ手に入らないものだろう?』
 いかなるノートであるのかも、それを雛月が誰から奪ったのかも、この情報屋は知っているようだ。
『自分を殺した相手へのプレゼント、のつもりだったんじゃないかな。遊び心のある、面白い先生だろう? そういうところが気に入って、僕は力を貸してあげたのさ。他人に罪をなすりつける方法とか、警察に疑われずに済むコツなんかを、色々とアドバイスしたんだけど』
 見事なアドバイスであった、と言えるだろう。
 これだけの事をしでかしながら、この男は警察どころか近隣の住民にさえ全く疑われる事なく、人格者の小学校教師として振る舞い続け、しかもその間に別の人間が犯人として捕まった。
 この情報屋の力は本物だ、と雛月は思わざるを得ない。
『警察からは逃げられても、魔女のお姉さんからは逃げられなかったみたいだね』
「そういう事。僕はね、あんたを逃がすつもりはないよ……教えてもらおうか。僕の知りたい事、それは」
『死んだ人間を、生き返らせる方法』
 情報屋が言った。雛月は、何も言えなくなった。
『もちろん、普通の人間は死んだら終わりさ。生き返る事なんて出来やしない……だけど貴女の生き返らせたい人は、普通の人間じゃない。その屍は腐る事なく、眠っているような状態で、ある場所に保管されている。まさに眠り姫だね』
「あんた……」
 自分が今、電話で話している相手は、情報屋などという生易しい存在ではない。雛月は本気で、そう思った。
『吸血鬼に咬まれながら、吸血鬼になる事を拒んで死んだ……その身に、あらゆる人外化を退ける魔女の秘術を施してね。結論から言おうか。その人を、人間として生き返らせる手段はない。だけど……吸血鬼としてなら』
「吸血鬼になる事を拒んで、あの子は死んだ……今、あんたが言った事だぞ」
『もちろん貴女が今、ゲームみたく狩り殺しているザコ吸血鬼じゃ駄目さ。人外化を退ける魔女の秘術、それを食い破るには……とびきり強力な、本物の吸血鬼の牙じゃないと』
 その牙を突き立てられれば、彼女は蘇る。人間ではなく、吸血鬼として。
 この情報屋は、そう言っているのだ。
『そう、例えば……伝説の「串刺し公」御本人クラスの、ね』
 電話の向こうで、情報屋はニヤリと笑ったようだ。
『そんな吸血鬼を捜し出すとなると、僕の力をもってしても一苦労……誰かの助けが要る。だから、手を組まないか?』


 銃声が聞こえた。
 この国にも、銃を持ち込む手段が全くないわけではない。
 特にこの街では、それほど警察を恐れる必要もなく、拳銃を携行する事が出来る。
「に、しても……少し引き金が軽すぎるようだな」
 ヴィルヘルム・ハスロは声をかけた。
 路地裏である。
 4人いた。全員男で、倒れた1人を他3人が取り囲んでいる。
 その3人が、拳銃を構えたまま一斉にヴィルの方を向く。
 3人がかりで、1人を撃ち殺したところ……いや、倒れた1人はまだ辛うじて生きているようだ。
「怪我人が視界に入ってしまった以上、私は医者を呼ばなければならないが」
 自分に向けられた3つの銃口を見据えながら、ヴィルは言った。
「その前に……君たちと、話をつけなければならないのかな」
「……余計な事に首を突っ込むなよ、一般市民」
 拳銃さえ手にしていなければ単なる勤め人にしか見えない、3人の男が、口々に言った。
「外国人か……この国には、この国の事情ってものがある」
「見て見ぬ振りをして立ち去れ。お前さんにも自分の生活があるんだろう? それを大切にしろよ」
 彼らの足元に倒れているのは、汚れの塊のような男だった。
 異臭が、ヴィルの鼻先にまで届いてくる。かなりの長期間、身体を洗っていないどころか衣服を替えてもいない。
 それだけではない、とヴィルは感じた。
 人間ではないものの臭いが、微かに、だが確かに、混ざり込んでいる。
 若い男だった。ヴィルと、ほぼ同い年であろう。うつ伏せに倒れたまま、苦しそうな顔をこちらに向けている。
 無精髭が薄汚く散りばめられた、その顔に、ヴィルは見覚えがあった。
 会った事がある、わけではない。新聞で、雑誌で、テレビで、大々的に晒された顔である。
「こいつの顔、くらいは知っているだろう。殺されて当然の、腐れ外道だって事も」
 すでに何発か銃弾を撃ち込まれているらしい若者に、男の1人が拳銃を向ける。
「世間の連中が望んでる事を、俺たちが実行してやるだけだ。外人さんが口を出すような事じゃないんだよ」
「……誘拐殺人犯だから殺す、と?」
 責める資格など自分にはない、とヴィルは思う。誘拐で資金稼ぎをしている武装勢力を、いくつも潰してきた。ほとんどの場合、皆殺しである。
 それでも、ヴィルは言った。
「その青年は確か……証拠不十分で無罪の判決が下り、釈放されたのでは?」
 彼を担当した弁護士が、法廷で無罪を勝ち取ったのだ。
 オーストリア人との混血で、海外の死刑廃止団体とも密接に繋がっている、と噂される人権派弁護士だ。当然と言うべきか、世間の人々からは大いに叩かれている。
「……何の話か、わからんな」
 男3人のうち1人が、倒れたままの若者に拳銃を向ける。
「とにかく、この男は凶悪な誘拐殺人犯だ、野放しにはしておけん」
 他2人が、ヴィルに拳銃を向ける。
「邪魔をするなよ外国人……この街ではな、1人2人死んでも大騒ぎにはならん。年間何万人もの行方不明者に紛れて終わりよ」
「そこまでして、その青年を殺さなければならない理由……」
 人間ではないものの臭いを発する若者に、ヴィルはじっと眼光を向けた。
 自分は彼を知っている、という気がした。
「…………た……」
 死にかけた青年が、声を発した。口を開いた。
 牙が、見えた。
「……すけ……て……」
 長く鋭く、人間に咬みついて皮膚を穿つのに実に適した犬歯。
 この世で最も忌まわしい単語を、ヴィルは口にした。
「……彼が、吸血鬼だから?」
「貴様……!」
 引き金を引こうとする男2人の腕を、ヴィルは掴み、捻り上げていた。
 銃を持った相手に対し、さりげなく会話をしながら距離を詰める。
 ルーマニア軍で、恩人である大佐から教わった技術の1つだ。
 男たちの手から、拳銃が落ちた。前腕そのものが、だらりと落下したように見えた。
 2人とも、肘関節が外れている。骨の繋がっていない右腕を抱え、悲鳴を上げている。
 残る1人が、銃口の向き先を、倒れた青年からヴィルへと変更しようとする。
 慌てて避けるような事はせず、ヴィルは軽く手刀を叩き込んだ。男の、頬の辺りにだ。
 顎の関節が、がくりと外れた。
 口を閉じられなくなった男が、座り込んで悲鳴を上げる。
 たとえ拳銃を持っていようが、歯を噛み合わせる事の出来ない状態で戦闘行為を続けられる人間など、そう多くはいない。
「君たちは……日本政府の、関係者か?」
 ヴィルは訊いたが、もはや答えられる者などいない。
 構わず、ヴィルは言葉を続けた。
「吸血鬼たちも、暗躍と呼ぶにはいささか派手な事をしでかしている。その存在を政府に把握されるのも時間の問題だろうと、思っていたところさ」
 顎も肘も、関節を外しただけだ。自力で繋げる事は、不可能ではない。
 そこまでの技術も気力もない男たちが、外れた腕と顎をぶら下げながら、逃げ去って行く。
 ちらりと横目で見送りながらヴィルは、倒れたままの青年を抱き起こした。
「大丈夫……ではないようだな。銃弾が、体内にいくつも残っている」
「……あ……あなた、は……」
 苦しげに牙を見せながら、青年は呻いた。
「……あなたは……僕を、疑わない……の……?」
「さあな。君が犯人であろうとなかろうと、私は今から君を医者の所へ連れて行く。人間であれば、とうの昔に死んでいる状態だ」
「そうだよ……僕は確かに、人間じゃない……」
 吸血鬼である事を、もはや隠す術もない青年が、声を震わせた。
「だけど僕は……あの子を、殺してなんかいない! それは確かに……血を飲みたくて、たまんなくて……後を、尾け回したりはしたけど……だって本当に、美味しそうだったから……」
「そこを監視カメラに捉えられて、証拠にされてしまったわけだな」
「だけど僕は我慢した! あの子の血を吸ってなんかいない! 本当に美味しそうだったけど、我慢したんだ! がまん、出来たんだ!」
「……偉いな」
 異臭を発する青年の身体を、ヴィルは抱き起こしながら軽く抱き締めた。
 吸血鬼が、血を吸わない。吸血衝動に耐える、耐え抜く。
 これがいかに過酷であるかは、理解している。
「僕は……あの子を、助けたい……誘拐されたんなら、助けなきゃ……」
 吸血鬼の青年が、ヴィルの服を掴んで嗚咽している。
「警察は、僕を犯人と決めつけて……あの子を、捜そうともしない……だから僕が……弁護士の先生は、止めようとしたけど……」
「それを、振り切ってしまったか」
「あの子の手がかりが全然、見つからなくて……気がついたら、こんな街に迷い込んで……」
 泣きながら、青年は叫んだ。
「あの子は僕が助ける! 無事でいる、絶対まだ無事でいるに決まってるんだ! だから僕が助けるんだ!」
「……わかった、私も力を貸そう。まずは傷を癒さないとな」
 なだめつつヴィルは、先程から震えている携帯電話をポケットから取り出した。
『ヴィルヘルム氏……今、大丈夫か?』
「ちょうどいい、怪我人です。貴方の所へ、運び込もうと思っていたところですよ」
『そうか、じゃあ連れて来てくれ。そのついで、と言っては何だが……あんたに、頼みたい事がある』
 電話の向こうで、ロシア人医師は思い悩んでいるようだ。頼みごとの内容を、なかなか口にしようとしない。
『……いろいろ考えた。どうやら、あんたに頼むしかなさそうだ』
「うかがいましょう。私に、出来る事があれば」
『あの子を、捜してくれ』
 捜さなければならない女性が、もう1人増えた。
 誰の事であるのかは、訊くまでもない。
 それでも、訊かなければならない事はある。
「私は、彼女の名前も知りませんよ。人の、特に女性の名前を、私のような馬の骨に軽々しく教えるわけには確かにいかないでしょうが」
『人探しを頼む以上、そうも言っていられん』
 そう言って、ロシア人医師は教えてくれた。彼女の、名前を。
 素敵な名前だ、とはヴィルは思わなかった。
 苗字が、ある人物と同じであるのが、いささか気になる。その程度だ。
 女性の名前としては、ごく普通。それが第一印象であった。