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<東京怪談ノベル(シングル)>


航海の果てに
「そこのお方。なにやら悩んでおられるご様子。よろしければひとつ見させていただきまするが、いかに?」
 私立神聖都学園からの帰り道、響・カスミはいかにも怪しげな黒ローブの女から声をかけられた。
「――あなた何者? なにかしようっていうなら人、呼ぶわよ」
 警戒し、一歩退くカスミ。
 その様子に女は大げさに肩をすくめてみせ。
「占いですよ占い。辻占いってやつです」
 先ほどのように低く作った声ではない、響きの高いメゾソプラノ。これはカスミより若そうだ。
「いえね、どう見ても怪しい身の上ですので。それだったら思いっきり怪しくしようかなと。逆効果でしたけどね」
 女のあけすけな言葉に、カスミは思わず笑みを漏らす。
「なるほどね」
「まあ、ここで遭ったのもなにかの縁ということで。よければ占わせてもらいますよ。お代は結構。代わりにSNSか口コミで拡散お願いします」
 軽妙な女の語り口に引き込まれ、カスミは女と共に道の脇に置かれた小さなテーブルの前に座ってしまった。
「さて。ご家族が待ってらっしゃるようですし、早めにすませましょうか」
「? どうして家族がいることがわかるの?」
「これは占いでもなんでもありませんがね。手の袋の中身、トンカツが三枚でしょう? あなたが大食いか、家族がいるか、二者択一なわけですよ。で、大食いの人だったとしても、ひとりで三枚食べるんですかと訊かれたらまあ、いい気はしません。言い当てるにしても相手のメンツを守るにしても、占い師が言うべきセリフは一択です」
 感心するカスミに、占い師はさらに言葉を重ねる。
「ついでに。トンカツ三枚のうちの一枚だけ小さい。でもあなたの年頃で生めるお子さん用にしては大きいし、そうなると歳の離れた妹さん用かなと。だってご家族って言ってましたしね」
「――そうね。家族が増えたの。大事な家族が」
 カスミは目を細め、新しい家族のことを思う。数ヶ月前、イアルとふたりきりだった家に新しく加わった少女を。
 静かだった生活は、今や少女のおかげですっかり騒がしくなった。女が三人寄れば「姦しい」とはよく言ったものだ。
 思いに沈みこんでいくカスミを引き上げたのは、女の指先。
「ここからが占いです。気分をフラットにして、この水晶玉をよく見て」
 テーブルの上に置かれた水晶玉を差し、カスミの目を招く。
 カスミはそれにつられて水晶玉をのぞき込み。
 意識を失った。
「……すいませんね。それもこれも上からの命令ってことで。ま、来世はこんな簡単に騙されないよう注意してください」

                   *

 気がつけば、カスミは上下に揺れる空と海の狭間にいた。
 目が動かない。
 両眼は前を向いたまま固定されていて、どこへも動かすことができなかった。
 必死で視界の端に映るものを見、情報を集める。まず、自分の体が石化されていることを知った。どうやらその自分が、なにかの先――おそらくは船の穂先にくくりつけられていることもわかった。
 ある意味ではガーゴイル化されたときと同じ状況ではあったが、大きく異なるのは時間感覚や五感、記憶等は正常なまま、ただ体だけが石化されているということだ。
 どうなってるの? どうしたらいいの?
 苦悶を映して固められた顔に波しぶきがかかった。冷たい。
 石の頬の上に残された雫が日ざしで乾き、塩の粒を貼りつかせる。ピリリとしたかゆみが頬にはしるが、カスミにそれを拭うことはできないのだ。
 その後も波は半裸の石肌に点々と貼りついては塩を残し、カスミの体を鈍いかゆみで疼かせた。
 なのに、叫ぶことができない。
 訴えることもできない。請うこともすがることもなにも。

 水平線はどこまで進んでも彼方に在る。
 貼りついた塩はカスミの石肌の半ばを覆い、たまらない圧迫感で彼女を苦しめている。呼吸などしていないはずなのに、ひどく息苦しい。
 さらに塩の粒に埃や塵、鳥の糞が引っかかり、カスミを汚し始めてもいた。臭いはまだ慣れるからいい。問題は目だ。開きっぱなしの目になにかが当たれば痛い。汚れが積もれば痛いばかりでなく、視界すら塞がれてしまう。身じろぎひとつできないこの状況で目まで塞がれたら――考えたくもない。

 海上に雨が降る。
 待ち望んでいた雨。これで汚れは落ちる。体のかゆみから解放される。
 そう思いきや、汚れの一部は雨に溶けて流れ落ちたが、残りはさらに強く石肌へしがみついた。この後日に当たってしまえばさらに固まり、少しこすったくらいでは落ちなくなってしまうだろう。
 雨が少しでも長く続き、頑固な汚れをふやかして落としてくれること、カスミは祈るしかなかった。

 雨はあがり、晴天が広がった。
 溶け出したはずの塩が薄く溶かれた状態で全身に広がっており、乾くことで今までとはまたちがうかゆみをもたらした。
 かゆいかゆいかゆいかゆい……どうにもならない憤りがカスミの心を黒く燃え立たせる。私をこんな目に遭わせた奴をゆるさない。殺す。殺してやる! 奥歯を噛み締めてうめきたいのに、それすらもゆるされない。まっすぐに水平線を見つめ続ける以外にはなにも。

 嵐にあおられた高波がカスミを叩く。
 風に乗って加速した雨粒が固まった汚れの隙間から露出した石肌に突き刺さり、バチバチと嫌な音を立てた。
 彼女が感じるものは息詰まる痛み、そして寒さだ。
 身を縮めたいのに縮めることかなわず、カスミは広げた体を冷たい水に打たれ続けた。
 そしてさらに、普通であれば高所へ落ちるばずの雷が、吸い寄せられるようにカスミへ迫る。果たして、黒天を白く焦す雷撃がカスミを打った。
 ギ!
 神経のすべてが引き攣れ、思考が強ばって停止する。
 どうしようもなく熱かった。それでいて次々とカスミのまわりに落ちる雷撃はこの雨風よりも冷たくて。彼女は音にならない悲鳴をあげた。
 熱い。寒い。それだけが不規則に繰り返されて、カスミの正気を削っていく。なのに狂うことができない。正気のまま、ひたすらに苦しみ続けるよりなくて、カスミは胸の奥で叫び続けた。

 嵐が行き過ぎ、海に平穏が戻った。
 荒波に弾かれ、カスミへ降りかかった木片や海藻、油が塩と共にこびりつき、猛烈な痛がゆさと臭気とをカスミにもたらすが、不快に思うだけの気力がない。
 ただ、疲れていた。
 誰が自分をこのような目に合わせたのか、なぜこのような目に合わなければならないのか、それすらも考えられないまま、カスミは船を導く船首像として在り続ける。

                   *

 カスミが消息を断って半年、イアルは手を尽くしてその行方を追い続けていた。
 失踪してすぐ、学園にはカスミの休職届が届けられたというが。筆跡をどれだけ似せたところで、魔力のにおいは消しきれない。裏で魔術に関わる何者かが関与していることは確実だ。――カスミがガーゴイル化された、あのときのように。
 同時に。カスミを救うことばかり考えて突っ走り、迂闊にも犬へ堕とされた過去をイアルは噛み締める。
「今度は繰り返さない」
 灯を消した部屋の内、イアルは強く言葉を紡いだ。
 と。
「……電話」
 少女がためらいながら部屋へ入ってきて、コードレス電話の子機をイアルへ差し出した。
 その態度に感じるものがあり、イアルは「誰から?」と訊くと。
「あたしの、メイド――」
 イアルは少女からむしり取る勢いで子機を受け取り、耳にあてがった。
『お久しぶりです』
 ひどく遠くから吹き寄せてくるかのような、メイドの声。
 かつては少女の唯一の味方であり、実は敵であり、結局はかけがえのない保護者であった魔女の、声音。
『手短に。響様を拉致したのは魔女結社という組織です。私もその一員ではありますが……』
 メイドの言によれば、魔女結社は文字どおりに魔女が構成する秘密結社であり、元は魔女狩りから逃れるための互助機関であったという。それが代を重ね、今や歴史の陰で権力を握るまでになった。
 彼女らの売り物は研鑽した魔術、そして美しい女性を変化させた美術品や“獣”。
『響様は結社が所有する帆船の船首像とされ、今は買い手を探す途に』
「カスミはどこにいるの!?」
 メイドはためらい、息をのみ、決意して言葉を次いだ。
『現在は欧州よりこの日本へ向かう海上にあります。何事もなければ明日中には』
 港へ着くでしょう。
 続けて港の位置を告げたメイドは電話を切った。
「あのメイドならなにか知ってるかもって思って、探してたの」
 少女がおそるおそる言う。
 この半年、イアルは家族として迎えたはずの少女の顔を満足に見てもいなかった。それなのに少女はカスミを取り戻すため必死に――
 メイドにしても、今の時点でこちらと関わる気はなかったはずだ。しかし、少女の行動をどこかで知り、放っておけなくなった。所属する組織を裏切ってまで連絡を取ってきたのは、すべて少女のため。
「ごめ」
「ごめんとかいらない。家族だから、心配なの、あたりまえだし」
 イアルは少女を強く抱きしめ、うなずいた。
「私は絶対にカスミを連れて戻るから。あと一日だけ待ってて」
「うん。お風呂の準備しとくからね」

                   *

 個人所有のクルーザーが並ぶ、一般人の立ち入りが禁止された夜の港。
 紫のドレスで正装したイアルがコンクリートにヒールを打ち鳴らし、進む。
 どこかのクルーザーで毎夜開催されるパーティーのひとつに向かうかのような顔で、しかしその裏では焦燥と激情を必死に抑え込みながら帆船を探す。
 この時代に木造の帆船は目立つ。普通ならば目くらましの魔術がかけられているだろうが、顧客へのアピールが主目的であれば剥き出しになっている可能性が高い。
 果たして、港の先で帆船は見つかった。
 見張り兼客対応係なのだろう魔女が、まっすぐに向かってくるイアルを見、声をあげかけたが。
「――っ」
 イアルが召喚した魔法銀のロングソードで喉を貫かれ、ぶるりと震えて崩れ落ちた。
「容赦はしない。情けもかけない」
 今夜は徹底的にやる。
 魔女結社がどれほどの組織だとしても、この時代、魔女としての素養を持つ者は貴重な存在のはず。それを減らすだけの力と覚悟があることを示し、イアルが敵に回すには厄介な存在だと思わせなければ。
 大切な家族を取り戻し、守る。そのためならば、この手が人の血で汚れることも厭わない。
 イアルは船首を見上げた。
 そこに在るものは、苦しげに虚空を見つめるカスミ――。

 船に踏み入った途端、電撃がイアルへ降りかかった。
 カイトシールドを掲げてこれを受け流したイアルはすべるように踏み込み、電撃を放った魔女の心臓を刺し貫く。
 船内の通路は狭く、剣を振り回すことは難しい。だからこそ突くしかないわけだが、突き終えた後にかならず引き戻す必要がある。
 船に控えていた魔女たちは、イアルの突き終わりを狙って魔法を放ってくるが、しかし。
 イアルは魔法銀の盾で魔法をいなし、弾き、叩き落とし、突撃。盾の面で先頭の魔女を吹き飛ばし、続く魔女の鎖骨を打ち下ろした盾の縁でへし折り、その反動を利して剣をアッパースイング、三人めを屠った。
 そして先ほど盾で打ち据えた魔女どもにとどめを刺し。
「差別はしないわ。区別もね」

 かくて十数人の魔女を殺し尽くしたイアルはついにカスミへとたどり着いた。
「カスミ」
 石像と化したカスミは応えない。しかし、その風雨と潮に晒され続けてくすんだ体には、確かな生気が感じられる。
 イアルはカスミを抱き、「帰りましょう」。それだけを告げた。

                   *

 風呂場に設置したカスミに少女が沸かしておいてくれた湯をかける。こびりついた汚れをふやかしながら、少しずつ、少しずつこすり落としていく。
「漂白剤を使えたら楽なのだけれど……」
 汚れを落とされるカスミがかすかに震えているのがわかる。つまり、石と化した肌に触感があるということだ。感覚を残しながら動けぬ石像に変えるとは……魔女どもの卑劣さにあらためて怒りを覚えながら、それでも手はやさしく、カスミをこすり続ける。半年もの間苦しめられ続けてきたカスミに、これ以上の痛みを与えないよう細心の注意を払って。
 少女の手を借りて三時間、落とせる汚れをすべて落としきった。
「あなたにかけられた呪いを祓う」
 イアルの唇がカスミの唇に重なった。
 イアルの内に在る鏡幻龍が目を覚まし、カスミの呪いを吸い取り、そしてイアルの心身を守るためにその肢体を石へ変えていく――
「イアル!」
 一瞬意識を失っていたカスミが少女に揺り起こされ、石と化したイアルを見て、すぐに唇をイアルの唇に押しつけた。
 乙女のキスはイアルの呪いを解く唯一の鍵。キスをして、キスをされて。イアルとカスミはついに再会を果たした。

「そんなことがあったのね……」
 自身の体験した怪奇現象を気絶によってすべて忘れ去る特技を持つカスミは、すでにこの半年間のことを記憶から消してしまっていた。
「それでいいのよ。憶えている必要なんてないから」
 やさしく笑んだイアルは表情を引き締め。
「魔女結社がこの後どう動いてくるかわからないけれど、家族を守るために力を尽くすわ」
 そしてカスミと少女を抱きしめたのだった。