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<東京怪談ノベル(シングル)>


アーティストは静かに狂う


 彼女は常に「恐怖」を題材として、様々な作品を生み出してきた。
 絵画、塑像、彫刻……彼女の作品は1つの例外もなく、醜悪であった。
 拙劣ではない。醜悪なのだ。
 誰もが心奪われるような美しいものを作り上げる事の出来る技術を、彼女はしかし醜悪さを表現する事にのみ注ぎ込んでいた。
 もったいない、と響カスミは常々思っていたものだ。本人に直接、言った事もある。
 万人受けを目指すのは、決して恥ずかしい事じゃないと思うわ、と。
 彼女は美大生、カスミは音大生。
 歩む道は違い、そして美醜を判断する感性も根本から異なる2人であったが、仲は良かった。
 酒を飲みながら、青臭い芸術論をぶちまけた事もある。
「語りに入っちゃうのは私の方で、あの子は……ふふっ。酔っ払い相手の聞き役に徹してくれてたわね、今思うと」
 カスミは呟き、微笑み、そしてメールを読み返した。
 久し振りに会いたい。そんな内容のメールが、彼女から何年かぶりに届いたところである。
 お互い、忙しい身である。
 教員が暇な仕事ではないのは無論だが、彼女も多忙であった。
 売れているのだ。数年前までは自称・芸術家の域を出なかった、彼女の作品が。
 到底、世に受け入れられる事はないであろうと思われた、あの醜悪な作品群が。
 世相を反映している、とでも言うべきなのだろうか。
 最近は、雑誌記事等でも彼女の顔と名前を見るようになった。
 旧友としては、祝うべきであろう。祝福の言葉を贈るべきであろう。
 忙しいと言えば、同居人のイアル・ミラールもそうだ。魔女結社の残党狩りに、奔走している。
「ごめんね、イアル。貴女が忙しくしてる最中に私……ちょっと、私的な用事に行かせてもらうわね」
 戦闘がまるで駄目な自分に、イアルのためにしてやれる事が、あるわけではなかった。


 魔女結社は、例えば虚無の境界のようなテロ組織とは違う。
 商売人の集まりである。
 構成員である魔女たち1人1人が、強大な魔法使いであり、優秀な商人でもあった。
 莫大な利益を、上げてはいた。
 だが商社としての魔女結社には1つ、重大な欠陥があった。
 情報管理の脆弱さ、である。
 とにかく、情報があっさりと外部に漏れる。だから虚無の境界やIO2による攻撃を受ける、のみならずイアル・ミラール個人による殴り込みで、重要な取引そのものを潰されたりもする。
 魔女という生き物の、性質の1つであった。強大な魔力を恃むあまり、情報というものを軽視し過ぎる。
 だから、こんなメモを遺してしまう。
「ここね……」
 イアルは見上げた。
 東京郊外。とある芸術家の、自宅兼アトリエである。
 主に彫刻を手がけている人物だ。奇怪な、グロテスクと言っても良い作風で注目を浴びている。
 そして、女性である。イアルも1度だけ、雑誌記事で写真を見た事がある。別に奇抜なところのない、何の変哲もなく美しい女性だった。年齢は確か、響カスミとさほど違わぬはずだ。
 そんな女性芸術家の、名前と住所と電話番号が記されたメモである。あのブティックでイアルが倒した魔女の、遺品の1つだ。
 ブティックの地下で飼育監禁されていた少女たちは全員、救出した。
 だが救出が間に合わず、すでに売り飛ばされてしまっていた少女たちもいる。
 売り飛ばされた先の1つが、このアトリエである。
 建物自体は、普通だ。
 ただ、一軒家にしては敷地が広い。庭が、ちょっとした公園のようだ。
 そのあちこちに、うんざりするほど見慣れたものたちが安置されている。
 石像だった。ブロンズ像もある。
 不気味なほどに出来の良い、何体もの少女像。
 このアトリエに住む女性芸術家の作品、ではない。彼女が購入したものだ。
 あのブティックの主であった魔女から、である。
 イアルが歩み寄ると、ブロンズ像の1つがガタゴトと揺れた。
 神聖都学園の制服もろとも、あの魔法のコールタールで塗り固められた少女。
 助けるにしても、ここの主である女性芸術家とは話をつけなければならないだろう。
「話だけで、済めばいいけれど……」
 呟きながら、イアルは足を止めた。
 少女像、ではないものもあった。
 石で出来た、あるいはブロンズで出来た、だが少女の像ではない、奇怪なオブジェが複数。
 奇怪、と言うより醜悪である。イアルは思わず、片手で口を押さえた。
 吐き気を催すほどの、醜悪さだ。
 奇をてらっただけの作品ではない。それは、イアルにもわかる。
 常人離れした技術と感性がなければ、これほどおぞましいものは作れない。
 これが、これらこそが、ここに住まう女性芸術家の作品なのだ。
「気に入ってくれたみたいね……」
 本人が、いつの間にか、そこにいた。
「誰だか知らないけれど、私のアトリエへようこそ。ゆっくり見ていってね」
「ゆっくり見てたら気分悪くなりそうだから、さっさと用事済まさせてもらうわ」
 カスミとほぼ同い年である女性芸術家を、イアルはじっと見据えた。
 魔力の類は感じられない。魔女でも魔物でもない、普通の人間である。
「この子たち……」
 石あるいはブロンズの少女像たちを、イアルは視線で指し示した。
「信じられないかも知れないけれど、生きた女の子たちが石やブロンズにされちゃったの。貴女は、知らずに買ったのよね?」
「知っていたわ」
 即答された。
「だから注文したの。私が今作ってるものの、材料としてね」
「材料……」
 イアルは一瞬、気が遠くなった。
 どうにか冷静さを保ちながら、視線を投げる。少女像ではない、石あるいはブロンズの醜悪奇怪なオブジェへと。
 おぞましさの中に、しかし確かな人間の原形を感じさせる作品群。
「貴女が今、作ってるもの……って、もしかして……これ?」
「それはまだ実験作だけどね」
 女芸術家が、淡々と語る。
「見た人がね、本気で嫌悪感を感じて、気持ち悪くなって、その場で吐いちゃいそうなもの。心臓の悪い人が見たら即、死んじゃいそうなもの……私が作りたいのは、そういうものだから」
「貴女は……」
 イアルの頭の中で、脳漿が沸騰している。またしても気が遠くなった。
 気が遠くなるほどの怒りを、魔女でも魔物でもない、普通の人間の女性に感じている。こんな事は、初めてかも知れない。
「石になった……ブロンズで固められた、だけどまだ生きている女の子たちを……こんなふうに……」
「生きていて、なおかつ鑿とかノコギリ、ガスバーナーで加工出来る。そんな材料どこにも売ってないからね。あの人たちに、注文するしかなかったわけ」
 女芸術家の口調は、やはり淡々としている。
 魔力の類は全く感じられない、普通の人間の女性が、その知的な瞳の奥で、魔力よりもおぞましいものを渦巻かせている。
 ある意味においては魔女よりも邪悪だが、ある意味においてはこの上なく純粋無垢、それゆえに会話は全く通じない相手と、しかしイアルは会話を続けた。
「この子たち、生身の人間に戻れるのよ……元に、戻さなきゃいけないのよ……」
「あ、いいわねえ。その状態で生身に戻ったら一体、どんなふうになるのかしら」
 自身の手による醜悪奇怪なオブジェ群を見つめながら、女芸術家は言った。
「ねえ貴女、生身に戻せるなら、ちょっと試してみてくれない?」
「…………ミラール・ドラゴン…………!」
 イアルは呼びかけた。
 おぞましく加工された少女たちを生身に戻すため……ではなく、魔女でも魔物でもない一般人の女性を斬殺するために。
 虹色の光が生じ、長剣となってイアルの右手に握られる。
 それを一閃させる事が、しかしイアルは出来なかった。
 相手が、少なくとも生物学的には普通の人間の女性であるから……だけではない。
 響カスミが、そこに佇んでいたからだ。
「紹介するわね。私の、学生時代からの友達よ」
 女芸術家にそう言われても、カスミは何も反応しない。
 イアルを見つめる瞳にも、感情が宿っていない。
 代わりに、凶暴な眼光が漲っている。
 催眠術あるいは洗脳であるにしても、魔力を持たぬ芸術家の仕業ではなかろう。
「魔女の人たちがね、カスミに何か仕掛けをしていたみたい……せっかくだから、ちょっと使わせてもらうわね」
「カスミ……!」
 イアルの叫びに、カスミは応えた。獣、あるいは魔物の叫びで。
 綺麗な唇がめくれ上がり、牙が剥き出しになる。
 石の牙だった。
 優美な背中で、石の翼がはためいた。
 左右の繊手が、石の鉤爪を閃かせる。
 カスミは、ガーゴイルと化していた。
 襲い来るガーゴイルに長剣を向ける事も出来ぬまま、イアルは石の牙を肩の辺りに受けていた。
 激痛と同時に、石化が来た。
 石の牙からイアルの体内へと、石化の魔力が注入される。
 カスミの旧友であるらしい女芸術家が、いくらか申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいねイアル・ミラール。誰だか知らない、なんて言ったけど実は嘘。私、貴女を知ってるのよね。お会いするのは初めてだけど」
 イアルは、もはや返事も出来ない。唇も舌も声帯も、石と化しつつある。
 耳朶も、鼓膜も耳小骨も内耳もだ。ただ聴覚は失われず、声を聞く事は出来る。
「私も一応、美術家の端くれだから……『裸足の王女』を知らないなんて事、あり得ないわけで」