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その熱を君は知らない(3)
自らへと向けられた氷細工の矢を、琴美はまるで踊るように軽やかな動きで避ける。標的を見失った矢は彼女の背後にあった壁へと突き刺さり、氷が砕け散るかのように霧散していった。
先の攻撃を追うようにもう一本の矢が彼女の事を狙うが、それもやはり軽快に戦場を舞う少女の事を捕える事は出来ない。その長く伸びた艶やかな黒髪の先にすら触れる事は叶わず、矢は琴美の操る風の力の波に飲まれ静かに落下していった。
「こんなもので、この私を倒せると思っていまして? 甘く見られたものですわね。さぁ、今度はこちらの番でしてよ!」
凛とした透き通った声が廊下へと響き、目にも留まらぬ速さで疾駆した琴美は矢を放った一人の武装した男との距離を一息で詰める。敵が琴美の接近に気付くよりも前に、彼女の拳が相手の体へと叩き込まれる。
少女のグラマラスながらもスレンダーという魅惑的な体のいったいどこにそんな力が隠されていたのか。重く力強い一撃に、男は悲鳴すらあげる事も叶わず倒れ伏した。
相手が動かなくなったのを確認し、琴美は廊下を駆け奥への道を進んで行く。
(全く……入り口の警備は手薄でしたけれど、中には結構潜んでいますわね。まだまだ隠れていそうですわ)
女の艶やかな口からこぼれ落ちる吐息は、彼女の心の色を移しているかの如く純白に染まっていた。忍び込んだ敵の拠点は冷気に覆われており、彼女のロングブーツが床を叩くたびに廊下に薄く張り付いた氷の膜にヒビが入る。
――ここはまるで、氷の城だ。
先日の不審な凍死事件からしばらくして、司令から琴美へと告げられた任務はこの冷気に覆われた敵の拠点にいる者達のせん滅であった。
(この場所に、あの事件の首謀者が隠れているんですわね……)
恐らく前回の事件は、彼らが製造した違法な武器の性能実験のために起こしたものだったのだろう。
(人を殺める武器の性能を試す、ただそれだけのために罪なき人が犠牲になるだなんて、ひどい話ですわ……。これ以上の勝手は、私が許しませんわよ)
拠点内には警備の者達が潜んでおり琴美も先程から倒しながら進んでいるが、どうやら罠の類は仕掛けられていないようだ。恐らく、拠点の場所が琴美達に見つかると敵は思っていなかったのであろう。今はもう廃れた企業を隠れ蓑とし、人里離れた廃墟で活動し息を潜めていたのだ。見つからない自信があったのかもしれない。
(けれど、私達の目は欺けませんわよ)
特務統合機動課の調査力の前では、この場所を突き詰める事など容易な事であった。
侵入者の存在を想定していなかった割には、拠点内に潜んでいる敵の数は多くその一人一人が違法の武器を所持している。普通の人であれば罠がなくとも苦戦は必至だ。
しかし、琴美の強さは普通ではない。エリート揃いの特務統合機動課であっても、彼女と肩を並べられる程の強さを持った者は存在しなかった。人でありながらも人ならざる美貌を持ち、人の届かぬ高みを突き進む、それが彼女、水嶋・琴美なのだ。
だからこそ、彼女は今こうしてただ一人この危険な任務を担っている。司令も調査の段階で今回の敵の強大さに気付いたのだろう。彼はそして悟ったのだ、この敵に立ち向かえる程の実力を持っているのは、この世で琴美だけだという事を。
一人きりの任務。それも命の保証は出来ない危険なもの。それでも、琴美の目に迷いはない。臆する事なく彼女は障害となる者達を倒し、前へ前へと進んで行く。
やがて辿り着いたのは地下室だ。暗い階段を一段一段降りていくたびに、彼女の肢体にまとわりつく冷気が強くなっていくのを感じた。
持ち前の聡明さと観察眼で推理した暗号を扉の近くの機器へと入力すると、ロックの外れた地下室の扉はゆっくりと開いていく。
「これは……悪趣味ですわね」
そこに広がっていたのは、実験室……否、拷問室と言ってもいい程凄惨な光景だった。
傷だらけの体で厳重に縛られている幾人もの瀕死の者達の呻く声が、悲痛なハーモニーを奏でている。白い着物をまとっているその者達の肌は、青白い。けれど、それは寒さや失血のせいではなく元々のものだという事を琴美はすぐに察した。
「彼女達は、雪を操る妖怪達ですわね……」
事件の首謀者は捕らえた彼女達の力を利用し、まるで魔法のような氷の力を持つ武器を製造していたのだろう。
彼女達は妖怪であり、琴美にとってはせん滅の対象だ。しかし、だからといってこのように道具のような扱いをしていいという道理はない。
「これでは、妖かしより人のほうがよっぽど人でなしですわ……」
敵の非道な行いを目の当たりにし、琴美の胸に灯っている決意の炎は更に激しく燃え上がる。その熱を力に変え、どれだけ強靭な悪であろうと必ず自身が打ち砕く事を少女は改めて胸に誓った。
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