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<東京怪談ノベル(シングル)>


綴られるもの
 羽毛を詰めたベッドの上へ仰向けに寝かされ、天涯としっかり結びつけられた絹帯を両手でつかんだ響・カスミは、下腹部をペンチかなにかで無理矢理こじ開けられるような激痛に顔を歪めた。
「女王陛下」
「今少しで」
 女王陛下? 今少し? って、誰がなに?
 脂汗にまみれながら、カスミはまわりから途切れ途切れに耳へ飛び込んでくる言葉の意味を考える。……痛すぎて、それどころではない。
「おいきみくださりませ! おいきみくださりませ!」
 おい君? ちがう。御いきみ――「いきめ」と丁寧に促されているのだ。
 いきむって、子どもでも生むみたいね。こちとら純潔の乙女だっていうのに……
「おお、御頭が」
「もうおひといきみにござります! あとおひといきみ!」
 御一いきみでおひといきみか。まわりくどくてわかりにくい。そう思いながら、カスミは下腹に力を込めて。
「ご生誕! ご生誕!」
「すぐに国中へ知らせを! 今日より三日の間、王女様誕生の祭を開く。ふるまい酒の手配をせねば」
 痺れる体からそっと力を抜き、荒い息をつくカスミ。それにしても、体が裂けるかと思った――と、その目の前に、赤く平たい小さな顔が現われた。
「女王陛下。御初子は、天に咲く花さながら、お美しき姫君にござりますぞ」
 それほど美しいとは、さすがに生みの親でも思えないが……ともあれ私は女王としてもっとも重要な使命のひとつを果たしたわけね。
 って、私が女王で出産!?

                   *

 話は数時間前に遡る。
 土曜日の昼下がり、カスミは神田の古本屋の隅で本を探していた。
 家には新しい家族となった少女がいる。これまで狭い暗がりへ閉じこもり、息を潜めて生きてきた彼女を、たくさんの出逢いが待つ学校へ行かせてあげたい。
 学力については正直イアルよりも少女のほうが高いくらいだ。
 問題は、情操。さまざまな他人を受け入れ、自分を律して和を保っていく――それに必要な想像力が、孤独だった少女にはまだまだ欠けている。
「情操教育の第一は読書よね」
 登場人物が物語においてなぜそう思ったか、どう感じたか、それを問うていくことで「このような場合、どうするべきなのか」を学ぶ。教育の場で行われているその問答を、家でやってみようというわけだ。
 ただし、どれほど有用なことであれ、押しつけては意味がない。
 少女が興味を持ってくれるような本を探さなければ……。
「ん?」
 児童文学作品の中にまぎれていた古い本。いや、ここにあるものはすべて古本なわけだが――他とは比べようもないほどに古く、重厚な背表紙がカスミの目を奪った。
 それは革で装丁された羊皮紙の写本だ。
 官僚ですら紙を使うことのできない、活版印刷すらも存在しない時代の書物。どころどころインクが削れ、滲んでいる文字は古くさい英語だ。
 数百年を経たこの時代に、これほどぞんざいな扱いを受けてなお健在であることは驚いたが、それよりも。彩色の褪せた挿絵の数々が、今も女子の心を高鳴らせる美麗さを保っていることに惹きつけられた。
 少女のこれからに役だってくれるだろう英語で書かれた、中世の物語。うん、これでいいだろう。いや、これがいい。
 ……そこそこの金額と引き替えにこの本を持ち帰ったカスミは、気合を入れて本と向き合った。
 少女へ渡す前に翻訳をすませておかなければ。
 内容が助詞向きでない可能性はあるし、なによりも少女から単語や文法について訊かれた際、すました顔で答えられるようにしておく必要がある。

 そして気づけばカスミは豪奢な天蓋つきのベッドへ寝かされていて、第一子を生み落としていたわけだ。

                   *

 うやうやしく手渡された王女を胸に抱き、カスミは混乱する。
 自分が女王で、出産したことはわかった。生まれたての赤ちゃんはそれほどかわいらしいものでないことも理解した。ついでに、自分の子どもだと思うと、かわいらしくないはずの赤ちゃんがなにより愛らしく見えることも――
「女王陛下! 火急の事態なれば、畏れ多きことながらご容赦くださりませ!!」
 国民へ王女生誕を告げに駆け出していったはずの大臣が、再び転がり込んできた。
 丸顔を脂汗にまみれさせた彼はベッドへにじり寄り。
「隣国の侵攻にござります! 彼奴らめ、もっとも我らの警戒が薄くなるこのときを待ち受けておったのです!!」
 カスミの頭の中に、知らないはずの情報があふれ出す。
 隣国とは長年この国と戦を繰り返してきた間柄であり、カスミの王配(夫)を殺したのもその隣国の王である。
 覚えのない憎悪が胸を満たし、唐突に生じた情愛が体を突き動かした。この子だけはなんとしても守らなければ!
 出産直後の不自由な体を無理矢理動かし、あわてて駆けつけた臣下たちの手に支えられてベッドから降りる。
「この子を頼みます」
 王女の乳母となる女官に泣き叫ぶ王女を托し、カスミは臣下へ指示を飛ばした。
「敵の狙いは仇敵であるこの私。私が敵を引きつけます。皆は機を見てお逃げなさい」
 臣下たちの応えは。
「囮を務めるならば、大臣の一匹程度はお供せねば様になりますまい!」
 丸顔の大臣が胸を叩き。
「それがしは囮が囮と気づかれぬよう、派手に暴れまわるといたしましょう」
 将軍が髭をひねり上げ。
「王宮まで攻め寄せられたということは、すでに戦は終わっておりますな。……部下ばかりを先に逝かせるわけにまいりませぬ」
 騎士団長が腰の剣を引き抜きつつ、将軍に続いた。
「歳若き者は王女殿下をお守りせよ! 急げ!」

 かくして臣下とともに王女の逃亡を助けたカスミは逃走劇を演じた後、縄を打たれて敵の前に膝をつかされる。
「……子を生み落とした直後とは思えぬ逃げっぷりよな。思わぬ手間をかけさせられた」
 冷たく整った面に薄笑を浮かべ、隣国の王がカスミに言葉を投げた。
「言葉よりも刃を。私たちの間にはそれしかないはずでしょう?」
 絹のネグリジェのところどころにはしる裂け目から柔肌を、そして素足を晒したカスミの返答に王はまた笑い、唐突に言った。
「子はどうした?」
「王女殿下は天より降り立ち、天へと還られた!」
 同じく縄を打たれた大臣がすかさず答える。
 王は目を細め。
「なれば嘘であれ真であれ、我らの間に障壁はなくなったわけだ」
 不穏な空気を感じ、カスミが顔を上げた。
「なにが言いたいの?」
「刃を交わすほどに民は疲弊し、国は廃れる。が、刃を情に変えればどうだ?」
 カスミが息を呑む。
 まさかこの男は、私を――
「民がため、国がため、その身と心を余に捧げよ。――今すぐに答えよとは言わぬ。我が王都へ着くまでに決めよ」
 覚悟を。言外に含まれた王の意図を感じながら、カスミは天を仰いだ。
 わけもわからないうちになってしまった親だけれど、あなたの無事を心から祈ります。

 数日の後。敵国の王城、その城内広場にてカスミは王に問われる。
「返答やいかに?」
 カスミは顔をまっすぐにもたげ、言い放った。
「この身も心も、あなたごときに売り渡せるほど安くはありません」
「……ならば永劫に苦しむがいい」
 王の傍らにいた魔女が進み出、呪文を唱えた。
 それにともない、素足の先から石と化していくカスミ。
 洗練とは程遠い、粗野な石化魔法に侵される激しい苦痛に耐えながら、カスミはただただ我が子と国の行く末を案じ続けていた。

 時は流れる。
 跪かされたまま石化されたカスミは城内広場にそのまま晒されていて。
 隣国に吸収されたカスミの王国民は虐げられ、半ば奴隷のように扱われていた。
 最近の貴族の流行は、王国民をカスミの石像の前に立たせ、罵詈雑言を強要する遊びだ。
 王国民の表情を見るたび、石の内に封じられた心が痛む。自分はなにを言われてもいい。しかし、自分が王国民を虐げる道具になっていることがたまらなく辛い。
 なにもできないまま、カスミは祈るよりなかった。
 民が責め苦から解放されるようにと。
 王女が健やかに育ち、安らかに生きていってくれるようにと。

                   *

「カスミ?」
 少女とともに帰宅したイアル・ミラールが、先に帰っているはずのカスミを探す。
「どこにもいない、わね」
 カスミの靴はすべて玄関にある。出かけているわけがないのだが。
 と。
 イアルはカスミの部屋で一冊の本を発見した。
 実に曰くありげな古い本。調べてみるまでもない。魔力とカスミのにおいがする。
「……本に取り込まれたのね」
 イアルは一度本から手を離した。この手の魔書はページに触れることで封じられた魔力を解放するからだ。
「わたし、カスミを迎えに行ってくるわ」
 まったく。なぜあの女はこう度々トラブルに突撃してしまうのか。
 ため息をつきながら、イアルは少女に手を合わせてみせ。
「お風呂沸かしておくね」
 少女もまた、悟った顔をうなずかせたのだった。

                   *

 本の中に引き込まれたイアルがまず気づいたのは、自身が白鉄の軽甲冑をまとっていることだった。
 次いで悟ったのは、ここが敵国の王都であり、イアルは亡国の王女として成すべきことを成すため、潜入していたこと。
「――今こそ簒奪者の手から女王陛下の御身を奪回し、民を解放するときですぞ!」
 薄暗い部屋の中、厳つい男が大きく拳を振り上げて声をあげる。彼は二十年前に滅ぼされた王国の将軍の息子であり、落ちのびた王女を守ってきた者のひとりだ。
「すべての手はずは整っております」
 歳にそぐわぬ深い皺を面に刻んだ文官がうなずいた。小生意気な新人官僚だった彼も、敵国に飲まれた祖国の有志を影ながら支える任をこなす中で、その才能を大きく開花させていた。
 これより王女――イアルは敵国の王を討ち、石像とされた母・カスミを取り戻す。そして民を救い、祖国を再興する。
 考えてみれば、ただそれだけを教え込まれ、この日にのぞまされた王女はあまり幸せではなさそうだ。王女の記憶を探ってみても「肉の切れ端は最高のごちそう」、「甘いものをねだると臣下の財産が質屋に消える」、「一定水準の文武を身につけなければ敵に殺される」等々、楽しげなものがまるで見当たらない。
 しかしながら、それが王族の務めなのだろうと納得するよりない。王女の二十年はただ奪回のためにあり、王女の倖いは民の倖いにこそあるのだから。
 そしてそれを差し置いても、カスミを救うためには今日この日、敵国の王都を陥落させる以外にないのだ。
「義勇兵たちに合図を。時をかけず、一気に王城を落とします」
 イアルが臣下をともなって部屋を出ると同時に、王都のあちらこちらから火の手が上がる。
 悲鳴をあげて逃げ惑う人々を押し割り、街にまぎれこませていた有志が王城への道を拓く。
「出陣!」
 鬨の声をあげ、王女の軍勢が駆ける。
 馬がないのは単純に維持費が捻出できなかったためだ。
 それでも意気だけは盛んに、王女と千の義勇兵は防御のために迷路化された路地を最短で抜けて城を目ざした。
「王女殿下! こちらです! こちらですぞ!」
 固く閉ざされていた王城の大門が歯車をきしらせながら開かれていく。
 二十年前のあの日、女王に最後まで付き従った大臣。敵国の馬番に身をやつし、敵兵どもに嘲笑われながら、ただこの日を待ち続けてきたのだ。
 大臣と同じように城内で潜伏活動を担ってきた者たちの手引きを受け、なだれ込んだ軍勢はその勢いで敵兵を飲み下していく。
 生まれ落ちてわずか数分で引き離された母の元へ駆けつけたい。王女としての心に沸き上がる衝動を抑え込み、イアルは先陣を切って敵兵を切り伏せた。
 すべては速度が命だ。時をかければ近隣から続々と兵が駆けつけてくる。数で上回られないうち、敵王の首を獲る!
 果たして王の間にたどりついたイアルは、玉座についた敵王へ名乗りをあげた。
「我が母と国を今こそ返してもらうわ!」
「……かようなことを許すと思うか」
 王が指を掲げると。
 イアルの左脚が、序々に石へと変じ始めた。
「――女王陛下を石へと変えた魔女めですぞ!」
 大臣の声を受けたイアルは意識を集中させる。この魔法は邪眼に乗せて放つ類いのもの。だとすれば、この部屋のどこかにいるはず。
「そこっ!」
 イアルが長剣を投げた。
 王の間の内で唯一、露となっていながら人ひとりを隠すに易いもの――玉座へ。
 敵王が身をかわし、残された玉座へ剣が突き立った。
 しかして世にもおぞましい悲鳴が響き渡り、おびただしい血が噴き上げて……魔女がその邪なる命を失った。
 残るは敵王ただひとり。
「剣を取るなら取りなさい。わたしが望むものは決着、それだけよ」
 かくして敵王は王女に討ち取られ、物語は終幕を迎える。

 城内広場では、女王が魔女の死によって呪いから解き放たれようとしていた。
「お母様……」
 王女の声に、女王が笑みを返した。
 その体には風雨の穢れがこびりついてはいたが、それをしてなお女王は気高く、美しかった。
「私たちの国へ帰りましょう。併呑をし返す気はありません。娘がいて、民がいる。私の望む“これから”は、たったそれだけの小さな幸せだから」
 女王の言葉に歓声があがり。
 王国再建の第一歩がここに踏み出されたのであった。

                   *

「私の注意が足りなかったのは認めるけど……あんな本が普通の古本屋に紛れ込んでるなんて思わないわよ」
 風呂場で体をこすりながら、カスミは唇を尖らせた。
 その体に石化の痕はない。どうやらあの本は、読者に登場人物の行動を体験させるだけの魔法書であったようだ。
「それはそうだけれど。――まあ、結婚前に出産の予行練習ができたのはよかったわね」
 いっしょに湯を使うイアルが意地悪く笑んだ。
「ちょっと! あなたを生むのにどれだけ痛い思いをしたと思ってるの!? 本番は絶対、無痛分娩にするんだからね」
 ここで先に湯船へ使っていた少女が勢いよく立ち上がり。
「読むとイアルを生めるの? じゃああたし、イアルを生む!」
 ……大人ふたりがかりで少女をなだめるまで、半日が消費されることとなった。