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二律背反
チリチリチリ……銀のベルが澄んだ音色で来客を知らせ。
「どちら様?」
このガラス工房の女主人が扉を開ける。
扉の外で待っていたのは――艶然と薄笑みを浮かべる黒髪赤眼の麗人、シリューナ・リュクテイアだった。
「いそがしいようでなにより。ご注文いただいた魔法薬を届けに来たわ」
「リュクテイアちゃん! ちょうど今、それが欲しいところだったのよ!」
女主人がシリューナを内へと招く。
そこは展示場になっており、守護魔法をかけられたショーケースにとりどりのガラス細工が飾られていた。
「それにしても、ずいぶんと知れ渡ったものね」
シリューナが目立つ場所に置かれたケースを指した。
そこに収められているものは、清水よりもなお澄んだガラスの花。
――この工房から“幸運をもたらすガラス花”が売り出されて三ヶ月。その造形の美しさが見る者に幸せをもたらしてくれるとの評判が瞬く間に拡散し、女手ひとつで切り盛りしている小さな工房の名は今や世界中に知られることとなった。
「魔法薬のおかげでお客様をお待たせしなくてすむのはありがたいわねぇ。あなたには本当に感謝してるわ」
ふたりは展示場の奥にある工房へ。作業卓の上には多数の生花が横たえられており、壁際はガラスならぬ錬金工房さながらの精製機器が並んでいる。
「希釈しておくわ。あなたは作業を」
シリューナは注文を受けて届けに来た魔法薬をケースから取り出し、慣れた手つきでプラチナのビーカーへあけ、次いで溶媒を加えて魔力で攪拌した。
横からそれをのぞいた女主人は「さすがね」と感嘆し。
「あたしだとそんな綺麗に混ぜられないのよね! やっぱり餅は餅屋、魔法薬は魔法薬屋よねぇ」
対するシリューナは肩をすくめ。
「私はあなたほど綺麗に細工ができないもの。魔法薬は魔法薬屋、ガラスはガラス細工師。同じことよ」
「だとしたら、あの子は細工師もできそうねぇ」
卓のほうを振り向き、女主人が笑む。
「そうね。秘めた才能というやつかしら。もっと早くに弟子入りさせてあげるべきだったわ」
シリューナもちらり。目線を投げた。
そこにはシリューナの魔法の弟子であり、魔法薬屋の店員であり、大切な妹分であるファルス・ティレイラがいて。
両手を上げて猛烈な存在アピールをシリューナへ送っていたのだった。
「お姉様はいじわるです!」
ぷりぷりしながらティレイラはミスリルの筒にぷぅと息を吹き込んだ。先からにゅうっと出てきたのは、魔法薬でシャボン玉状に「解かれた」ガラスだ。
その魔力をたっぷりと含んだ玉に花をくっつけると、花は見る間に内へと取り込まれた。
ここからが肝心。ティレイラが玉内の魔力を慎重に吸い上げる。すると玉はしぼんで花へまとわりつき、形をそっくり写し取った――その瞬間。
ブレイク! ティレイラが火魔法を発動し、花を焼き消した。
果たして。
あとには透き通ったガラスの花だけが残される。
「魔力を吹きこむより吸うのが難しいのよねぇ。ティレイラさん、ほんとに才能があるわ」
女主人が今回ティレイラに手伝いを頼んだのは、魔法薬の配達に来たティレイラがガラス花作りに強い興味を示したので遊びでやらせてみたところ、実に見事な作品を生み出したことによる。
「やっぱりティレは細工師になるべきね。この才能を潰してしまうのはもったいないわ。少し寂しくなるけれど、配達にくればまた会えるものね」
「お姉様のいじわるーっ!!」
半泣きですがりついてくるティレイラをぶらさげたまま、シリューナは工房の出口へ向かった。
「邪魔をしたわ。私はこれで」
「お姉様ぁ。お姉様ぁ」
「ああ、それならお茶くらい飲んでいって。ティレイラさんのおかげで今日のノルマは達成ずみだしねぇ」
「あら。それならお言葉に甘えようかしら?」
「お姉様、私も! 私もお茶をぉ!」
「それなら師匠にお許しをもらって――」
「お姉様は邪竜ですぅーっ!!」
半泣きから本泣きへ突入しそうなティレイラがシリューナにしがみつく。
シリューナは息をつき、彼女の黒髪をなぜた。
「いじわるが過ぎたわね。ティレ、使った道具を片づけてからいらっしゃい」
「ぁ゛ぃ゛っ゛!」
多量の水気で濁った声音を絞り出し、すさまじい勢いで片づけに向かうティレイラ。
シリューナとともに工房を出た女主人が苦笑した。
「言い得て妙よね、邪竜。リュクテイアちゃん、あの子にもう少しやさしくしてあげたら?」
シリューナもまたかすかに頬をゆるめ、言葉を返した。
「それができないからこそ邪竜なのよ」
*
「一秒でも早く! 完璧に片づけてお姉様とお茶っ!」
などと唱えながら、竜人化したティレイラが工房を駆け回る。角や翼、尻尾はちょっと邪魔だが、ここで重要なのはそのあたりの剣よりはるかに斬れ味の鋭い鉤爪だ。
新鮮な水に浸けた生花の茎の先を、爪先でななめに「えいっ」と切り落としていく。普通はハサミを使うところなのだが、爪のほうが速いし楽。
「これで明日も綺麗なお花が作れますよー。で、次は魔法薬ね。希釈した後の薬液は酸化しないように真空パックする、と」
薬液で満たされたプラチナのビーカーを持ち上げようとしたが――予想以上に軽かった。竜人化したことで大幅に上がった身体能力のことをうっかり忘れていたのだ。
「わ、わわっ、わぁっ」
左のつま先でなんとか踏みとどまろうとするティレイラ。が、すでに勢いづいてしまった体勢を立てなおしきれない。反射的に翼を広げたが、こんなところで羽ばたいたら工房内が滅茶苦茶になってしまう。
「あああーっ」
結果、ビーカーを抱きしめたまま床に仰向けに倒れることとなり。
ビーカーの中身が、もれなくティレイラにぶっかかったのだった。
「――のだったじゃないっ! このままじゃ」
閉じ込められちゃう!!
焦るティレイラの魔力を吸い、ガラス玉がふくらみはじめていた。当然、中心にいるティレイラは玉に閉じ込められることとなるわけだが。
「だっ、脱出っ! 逃げなくちゃっ」
鉤爪で玉を内側から割ろうとした。そして爪先は見事に玉の膜をぷつりと貫き通したが。
「ええっ!?」
小さな穴から魔力が抜け、玉は収縮し始めたのだ。まるでそう、先ほどティレイラが花をガラスでパックしたように。
「だめっ! ちょっと、やめてっ」
ティレイラは闇雲に爪を振り回す。その度に玉へ傷が入り、魔力が抜け出しては塞がりを繰り返して、ガラスの膜がどんどんティレイラの体へまとわりついてくる。
「あ」
足先が、無意識に羽ばたこうとして広げた翼が、ぴんと立てられた尻尾が、上向いた角が……ガラスの膜に覆われていく。
動けない。そのことがとにかく恐ろしかった。
なのに、肌にぴたりと貼りつく冷たさにからめとられ、締めつけられて固定される。その感覚がたまらなく心地よかった。
この世界には真空パックで体を拘束するプレイがあるらしいが、そんなことをしたがる人の気持ちが少しわかるような……
と、ぼんやりしている場合じゃない。助けを呼ばなければ。
「――」
開いた口に膜がすべり込み、速やかにパッキング。
声を出せないまま、ティレイラは躍動感あふれるガラス像と成り果てたのだった。
*
いつまで経ってもティレイラが姿を現わさない。
それどころか、物音ひとつ聞こえてこない。
女主人とともに、シリューナは工房へと戻り、そして。
「あら」
竜人と化したティレイラの、焦りと恐怖を押し固めたガラス像を見つけたのだった。
「あの魔法薬を頭からかぶったのね。うっかり転びでもしたのかしら? 困った子。素材の仕入れ値と加工費用、知っているはずなのに」
「リュクテイアちゃん! そんなことより早く出してあげないと!」
「少し待って」
「ええっ!?」
「あれ、見て」
ティレイラをぴたりと包み込んだガラスに、ほのかな白光が灯っていた。
このガラスは今なおティレイラの魔力を吸い上げ続けており、それを動力源にして光を放っているのだ。
「こうなることは知っていた?」
「いえ……花は型にするだけですぐ燃やしてしまうし、そもそもあんな光、見たことがないわ」
女主人は大きくかぶりを振った。それでも目を、光るガラス像から引き離せない。
「生体の魔力を光に変換していることはまちがいないのだけれど……」
シリューナはガラスの内で発生している魔法式を読み解いてみるが、しかし。この式がティレイラのなにと反応し、光を生んでいるのかはまるでわからなかった。
「それなりに魔法も美も識ったつもりになっていたけれど、まだまだ一端に触れた程度のものだったわけね……」
女主人がシリューナの顔を見、眉を跳ね上げた。
シリューナが笑みを浮かべていたからだ。
時折見せる薄笑みではなく、たまらない高揚を映した心からの笑みを。
女主人の驚きに気づかないまま、シリューナはティレイラと魔法とが編み上げた無二の美に、ただただ心を奪われていた。
と、思いきや。
「――お茶をいただけるかしら?」
「あの、リュクテイアちゃん?」
「ガラスはもう固まっているから、密着が解けて隙間ができれば自力で脱出できるわ。ようするにこのままダイエットすればいいだけ。だからそれまでに」
シリューナがまた笑んだ。
「心ゆくまでティレの美を堪能しておかないと」
その笑みの邪さに、女主人は思わずつぶやいた。
「邪竜――」
ガラス花を求めて訪れる常連客はやはり女性が多い。そのため、女主人はフレーバー茶を各種取りそろえている。
「龍須茶があればそれを」
シリューナのリクエストに応え、女主人がガラスのティーポットを用意した。
……一般には工芸茶と呼ばれるこの龍須茶は、花のまわりに芽茶を配し、根元を糸で結わえて作った中国茶である。この茶をポットに満たした湯の中に置けば、まさに花がほころぶがごとくに茶が“咲く”。
「この大輪にして奥ゆかしい茶の花。まさにティレを讃えるにふさわしいわ」
窓を雨戸で封じた展示場へティレイラを設置したシリューナは、像のまわりをゆっくりと巡りながら指先で触れ、なぞっていく。
やがてその指はティレイラの開かれた口へと達し、さらにはその奥の歯、口腔、舌をなぜた。
「どこに触れてもガラスは均一の厚さ。ティレは細工師だけじゃなくて、ガラス像の才能にも恵まれていたのね――」
女主人はシリューナに酒を勧めてもみたのだ。どうやらこの師匠は弟子を本気で極上の美術品だと思っているようだったから。しかしシリューナは「酒に痺れた五感では、ティレの美に酔いしれることができないから」と断った。
女主人はここで自分の思いちがいに気づいた。シリューナはティレイラを物扱いしているのではない。あくまでもティレイラという存在に魅せられ、こんなことをしているのだと。
「私が魔力を与え続ければ、ティレはいつまでも像のままでいられるわ。そうしたらずっと……私を悦ばせてくれる?」
女主人はそっと展示場を後にした。
「同じ場所にいたら妖しい癖に目覚めちゃいそうだし」
その昔、生きた人間を蝋で固めて人形にする怪奇小説があった。それをガラスで――などと考えてしまうのが細工師の性というものだが、それよりもなによりも。
「ふたりきりの時間を邪魔したくもないしね」
シリューナがティレイラに対して素直に自分をさらけ出せるのは、おそらくティレイラがああなったときだけなのだろう。特定の相手にしか見せない友人の本性を横からのぞき見するのは、女主人の本意ではなかった。
――たとえその本性が邪竜のそれであったとしても。
「じゃあ、よろしくお願いするわね」
シリューナは仄赤く染まった顔を女主人に向け、言った。
「ほんとにいいの? せめていっしょに連れて帰ってあげたら?」
「いいのよ、貴重な魔法薬を浪費した罰も兼ねているから。自分でガラスを砕いて出てこれるまで、展示品として飾ってあげてちょうだい」
ふと。シリューナが声なき声をあげ続けるティレイラの唇に触れた。
「充分反省したら戻っていらっしゃい」
シリューナが身を翻した。
その目が最後までティレイラを見つめていたこと、女主人は気づいていた。
*
シリューナはひとり帰路につく。
頭の内を満たすものは当然ティレイラのガラス像――ではなかった。
ティレイラが笑う。
ティレイラが驚く。
ティレイラが泣く。
ティレイラが怒る。
くるくると変わり続けるティレイラの表情、声音、姿。それらはどれほどの名匠であれ再現することのできない、その瞬間のティレイラだからこそ生み出しうる美だ。
「おかしなものね。ティレを永遠の美に封じ込めたいと思いながら、ティレが魅せてくれる一瞬の美に出逢い続けたいとも思うなんて」
矛盾したシリューナの心。でも。
「だからこそ、ティレと過ごす時間がこれほどに愛おしい」
シリューナは小さくうなずき、歩みを早めた。
家へ急いで帰ろう。
いつティレイラが帰ってきても、かならずその手で迎えられるように。
ティレイラという、「ティレイラ」であることの天才が織りなす美を、けして見逃さないために。
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