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<東京怪談ノベル(シングル)>


―白虎の後日談―

 白虎の着ぐるみを、女子中学生――海原みなもが持ち帰ってしまってから、数日が経過した。
 それまで『彼ら』の幻術によって隠蔽されていた動物園は、無残な廃墟として姿を晒し、訪れる人々を驚かせる事となった。
 分けても、みなもたちを駅まで案内する役を担ったタクシーの運転手は、実際に園内で『喋る虎が二本足で立ち上がり、人間の少女に姿を変えた』現場を目撃している為か、未だ動揺を隠せないようであった。
「な、嘘じゃなかっただろ?」
「そりゃー、実際にこの目で見て来たんですからね。もう疑ったりはしないですよ。でも、白い毛並みの虎が近寄って来た時は肝を冷やしましたよ。食われる! と思いましたからねぇ、マジで」
 青い顔色を隠そうともせず、冷や汗を拭いながらあの時の運転手は語る。自分が見たのは虎の怨念だったのか、少女の亡霊に化かされていたのか……彼は未だ混乱から覚めていない様子だった。
「でも社長、あの動物園は何で急に見えるようになったんです? 僕は何度もあの道を通ってますが、あの時まであんなモノは見た事なかったですよ?」
「俺に訊かれたって知るかい。ただ、行楽客で賑わってた頃の動物園を知ってただけの話でよ。だから電話を受けた時は驚いたが、違和感は無かったよ。何せ昔は、あの動物園からの送迎依頼で忙しかったからなぁ」
 煙草の煙を燻らせながら、タクシー会社の経営者は語る。自称の通り、彼は在りし日の動物園を何度も見ており、自らも車を駆って送迎に奔走した思い出もあるのだ。その彼の言に嘘偽りなど、あろう筈は無かった。
「寧ろ、俺としては忽然と、跡形もなく消えていたのを見た時の方が驚いたよ。なんせ、あんだけの広さだからなぁ」
 そう、経営者や従業員が居なくなり、廃業したとは言っても、工事業者の手によって撤去されない限りは建物跡がその地には残る筈である。しかし、そんな様子は全く見せずに、動物園は忽然と消えてしまったのだ。債権者たちも逃亡した従業員たちを追う手掛かりを失い、右往左往したという。
「でも、今はしっかりと見えてる訳ですよね? あれって何故なんですかね?」
「だから、知らねぇってばよ。オマエ、虎が化けたってぇ女の子と、連れの男を乗せて走ったんだろ? 話聞かなかったのかよ」
「あの客たちは、濡れた服がどうとか、駅から先はどうやって帰ろうかとか、そんな事ばかり話してましたからね。動物園の事なんか、一言も喋らなかったですよ。僕が訊いても、惚けて有耶無耶にしてましたし」
 だから、自分も化かされて、幻覚を見ているのではと思った……と、運転手は回想した。しかし、あの時支払われた運賃と、領収書の控え、薄汚れた着ぐるみや繋ぎ服から付着したシートカバーの汚れなど、彼らを乗せた物的証拠はしっかりと残っているのだ。疑う余地など、少しも無い筈……なのに、納得は出来ない。そんな感じの印象を、彼は未だに持っているようだった。
 然もありなん、突然現れた動物園の廃墟から呼び出しの電話があり、行ってみたら虎を連れた男に迎えられ、その虎は人語を喋って自分を呼び止め、果ては二本足で立ち上がって、人間の少女に姿を変えたのだ。これを見て、化かされていると思わない者の方が異様だと主張する彼の言は、間違ってはいないのだから。

***

 そして更に数日後。消えた動物園が再び現れたと聞いた債権者たちが、警察の人間を連れて現地へと訪れた。
 しかし、どんなに調査しても証拠物件は見付からず、現場に残された指紋は、あの雨の日にそこを訪れた二人の物だけで、彼らが債権者たちの追う対象で無い事は明確だった。
 無論、経営者や元従業員の名は割れているので、そこを手掛かりに調査を……と云う声も上がった。が、そんな事は動物園の閉鎖後、直ぐに行われて、かれこれ十余年。今更調査を再開したところで、無駄である事は分かっていたのだ。
 では、当時の経営者や元従業員たちは、どのようにして逃げ遂せたのか……そこが大きな謎として残ったが、無人となった動物園は、もはや何も語らなかった。

***

「……で、俺んトコに行き着いたって訳か?」
「アンタが、あの事務所内に入った、最後の一般人なんだよ。なぁ、何か証拠は無かったか?」
 そんな事を言われても……と、話を持ち込まれた私立探偵・草間武彦は困惑した。
 何しろ、彼らがあの事務所棟内に立ち入って色々と物色したのは確かだが、目的は雨宿りと嵐からの避難だけ。強いて言えば、あの現場からタオル数枚と衣服2着を持ち出したのみで、他には何もしていないのだ。なのに『何か無かったか』と問われても、答えに困るのは当然である。
「お待たせ致しました、粗茶で御座いますが」
「有難う……おお、随分と若いお嬢さんだな。探偵さんよ、アンタの娘かい?」
「失敬だな。俺はまだ独り身だし、こんなデカい娘が居るほど歳喰っちゃいねぇぞ。なぁ嬢ちゃん?」
 コーヒーと茶菓子を運んできた、海原みなもが唐突に話を振られて驚き、肩を竦めた。
「そういやぁ、あの時は探偵さん、アンタともう一人いたって話だよな。それはもしかして、このお嬢さんかい?」
 その問いに、草間が答えるより早く、みなもが自分で『そうですよ』と答えていた。
 白いスーツに黒のシャツ、そして周囲には黒服に身を包んだ護衛と思しき男たち。どう見ても筋者と思しき彼らに睨まれれば、普通の女子なら竦み上がってしまうだろう。だが、みなもは堂々と、胸を張って答えていた。
「あたしは、偶然あの場所に避難して嵐をやり過ごし、濡れた服を何とかする為に建物内を物色して着るものを探しました。が、それだけです。他には何も弄ってはいないし、あった物を処分したり破壊したりはしていません」
「俺も同じだ。とにかく寒かったんでな、体を拭くものと着替えを探すだけで精一杯だったよ。そりゃあ、何か燃やせるモンは無いかとも思ったよ? けど、生憎何も無くてな。暖を取る事も出来なかったさ」
 草間の証言は、そのまま『事務所内に書類の類は一切なかった』と云う主張に直結した。隠蔽しているのでは? との発言もあったが、それは『俺たちは雨宿りをしただけだ。調査の為に立ち入った訳じゃない』と、草間が突っぱねた事で否定された。

***

 無駄足だったか……と、諦めて引き上げていく債権者たちを見送った後、草間とみなもは『やっぱり来た』と言いながら顔を見合わせ、そして笑った。
「お約束の展開でしたね。でも、真相を話したところで信じては貰えないでしょうしね」
「いいんだよ、せっかく逃げ延びている人をピンチに追い込むのは趣味じゃねぇ。勿論、借りた金を返さねぇのは問題だがな、そこを追求するのは可哀想すぎるだろ。事情が事情だしな」
 そうですね、と相槌を打ちながら、みなもがクスッと笑う。だが彼女は知っていたのだ。経営者や元従業員が辛く苦しい思いを重ねて逃げ延びた事情、それを守ったのが動物たちの残留思念であるという真実を『彼』から聞いていたから。
 尚、その『彼』であるが。
 あの雨の後、しっかりとクリーニングされて、更に内部に綿を詰めて改造され、抱き枕としてみなもの傍に置かれているそうである。だから彼女は彼と会話をし、事の真相を全て知ったのだ。
 草間もその事は知っていた。が、敢えて追及する必要も無かろうと、その件に関する全てを忘れる事に決めていた。

<了>