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<東京怪談ノベル(シングル)>


−196度の末路
 魔女結社。
 それは歴史の裏で暗躍してきた秘密組織であり、女を“美術品”として売りさばく闇商の名である。
 数ヶ月前。イアル・ミラールの無二の友である響・カスミは、この結社の手で意識ある船首像に変えられ、半年もの間七つの海をさまよった。イアルの救出があと一歩遅ければカスミは好事家の手に渡り、魔女結社をさらに肥え太らせたことだろう。
 ――絶対にゆるさない!
 激しい怒りを胸に、イアルは結社の足取りを追った。無論、巧妙に隠されたそれを見つけることは難しい。顧客筋をたどろうにも、そのような人物は物理的にも魔術的にも相応の守りを張り巡らせているため、接触することは不可能だ。
 ままならぬ状況に歯がみするイアルだったが、しかし。
 思わぬ筋からひとつの情報がもたらされ、状況は一転する。
「オークション、行ったことがあるの」
 新たな家族となった少女がイアルに切り出したのだ。
 両親の死後、その遺産を狙う親族に追われた彼女は人間に絶望し、孤独に心を切り裂かれた。その果てに少女は、人ならぬ人――心を獣に堕とされた少女、心のみならず体までも石のガーゴイルに変えられた女で、その胸に空いた孤独の淵を埋めようとした。
 本当なら、ようやく居場所を得た少女に過去を思い出させたくなかったが、しかし。
「あたしがしたこと、忘れちゃいけないって思うから。それにもう二度とあんな人たちを作らせちゃいけないって」
 血の気を失くした青白い顔を、それでもまっすぐに上げて言う少女。
 イアルは彼女を抱きしめ、誓う。
「私が魔女結社を潰す。この剣に誓って、かならず」
 少女はオークション会場である都内の高級ホテルの名をイアルに告げた。
『……オークションは毎月13日、21時より開催されます。今さら止めはいたしませんが、乗り込むおつもりならば相応のお覚悟とご準備を』
 今も魔女結社に身を置くメイドからの連絡を受けたイアルはうなずき、その肢体をドレスで鎧った。
 かくして彼女は巣窟へと足を踏み入れる。

                   *

 会場へ入るためのチェックは存在しなかった。この時間、この会場に来ることのできる人間はすなわち魔女結社の「客」であるということなのだろう。
 と、いうよりも、このホテル自体がすでにひとつの「隠れ家」であることをイアルは察していた。なぜならホテルの塀に、均等間隔で隠蔽と人払いの術式が埋め込まれているからだ。おそらくはこの13日のみ術は切られ、客が出入りできるようにしているのだろう。
 急がず、見回さず、堂々と、イアルは進む。
 20時をわずかに過ぎたばかりだというのに、会場は多くの好事家で賑わっていた。
 年齢も性別もまちまちでありながら、一様に子どもさながら眼を輝かせる人々。いわゆる名士の格にあるはずの人間が欲を取り繕おうともしないとは……。
 不自然さにイアルは眉をひそめたが、会場を薄く満たすにおいを嗅ぎ、得心した。これは薬の香りだ。おそらくは人の理性をゆるめ、本能をむき出す効力を持つ。
 ――罪悪感を消して、積極的に商品を買わせようというわけね。
 古い手だが、使い続けられるだけの実績を持つ手ではある。イアルはなるべく空気を深く吸い込まないよう呼吸を整え、会場へ視線を巡らせた。
 搬入口はどこ?
 歩き回るうち、入り口の外からホテルの地下へ繋がる階段があり、そこに複数の魔女が詰めていることに気づいた。商品を入り口から会場の奥まで運ぶことで、客にゆっくり品定めさせるつもりのようだ。
 ヒールには半ばから簡単に折れるよう細工をしておいた。イアルは外の空気を吸いに出る体で入り口を出、さりげなくかがみ込んでヒールを折った。こうして足元の安定を得て階段へ、路に迷ったふりをしながら近づいていく。
「お客様、こちらは立ち入りを禁止させていただいております」
 すかさずイアルに体を寄せる魔女ども。
「ちょっとだけ確かめさせて。私の連れがこっちに行ったのを見たのよ。……それともあなたたち、物を売るだけじゃなくて浮気の斡旋もしてるわけ?」
 他の客に聞こえないよう声のトーンを落として言いながら、階段を降りる。一、二、三……あと二段。踊り場まで着けば、少なくとも入り口のあたりから見とがめられることはなくなる。
「お客様。それ以上は、本当に」
 踊り場へ達したイアルの前に回り込んだ魔女どもが、列を成して行く手を阻む。手の内に隠した極短杖――魔女が使う暗器――には攻撃魔法が封じられており、魔女が解放の句を唱えるだけでその魔法がイアルを撃ち据えるだろう。
 撃たせれば、ね。
 魔女の制止に踏み出した右足を踏み止める――と見せかけ、その足を軸にしてイアルは身を翻した。
「がっ!?」
 たっぷりと遠心力を吸った左の踵が先頭の魔女のこめかみにめりこみ、意識を吹き飛ばす。
「雷よ!」
 このあたりはさすが護衛役といったところか。魔女どもは混乱しながらも、崩れ落ちた同僚の後ろから反撃してきた。
「でも焦りすぎだわ」
 イアルは薄く笑む。
 魔女どもの反撃は、互いに死角をフォローし合うことも撃つタイミングをずらしてイアルの回避を妨げることもない、単純な一斉攻撃に過ぎなかった。
 だから。
 魔女を蹴りつけた反動で回転しながら深く身を沈めたイアルを容易く見失う。
 あちらこちらへ目線を迷わせる魔女どもの足元でイアルはさらに回転を速め、呼び出した魔法銀のロングソードを薙いだ。
 脚を断ち切られ、崩落する魔女ども。
 我が身に訪れた現実に気づき、激痛と恐怖とで声をあげようとした魔女どもの喉元へ次々とイアルの切っ先が打ち込まれ、声ごとその命を消滅させた。
 目撃者はいない。でも、騒ぎが起こるのは避けられないわね。
 死体を片づけたいところだが、その間に誰かが来ては意味がない。それならばここで得たわずかな時間を活用し、少しでも深く斬り込むほうがいい。
 ――ふと、イアルは思う。
 自分の兵法は王女が身につける作法の域を完全に超えている。ましてや敵地への潜入など、高貴なる者に学ぶ機会があろうはずもない。
 いったい私は、誰?
 イアルは沸き上がる疑問を振り切るように、階段をひと息に駆け下りた。
 今は悩むべきときではない。成すべきを成す。それだけを考えなければ。

                   *

 ペルシア絨毯と黒曜石、香水のランプで飾られた一階とはちがい、地下はコンクリートが剥き出し、さまざまな臭いで満ち満ちていた。
「グォ、ガァ!」
「ウルルルル」
 扉を開け放たれた広間の内には檻が並べられ、野生化させられた少女たちがうなり声をあげている。
 また別の広間にはガーゴイルに変じられた者が、そしてレリーフとして封じられた者が、豪奢な台車の上に陳列されてお披露目のときを待ち受けていた。
 イアルの胸を激情が焦がす。なにも知らない人を獣や石に堕とし、商品として売りさばく魔女どもの傲慢さに。
 しかし同時に、得体の知れない恐れがにじみ出し、怒りの熱を冷やすのだ。
 私はこの光景を見たことが、ある?
 いや、ありえない。イアルがレリーフにされたのは中世で、目覚めた――再び知覚を得たのはわずか数年前。さすがに数年の記憶が失われるほどぼけているつもりはないが。
 ……私が知覚しているのは数百年前のこととここ数年のことだけ。その間のことはなにひとつ知らない。でも、“その間”ここにいたのだとしたら?
 ガシャリ。どこかで鉄とコンクリートがぶつかる音がした。音源は多分、野生化少女の檻がある部屋だ。興奮した少女たちが、檻の中で暴れているのか?
 かならず助けるから。あと少しだけこらえて。
 こみ上げる不安を胸の奥へ押し込め、イアルが先を急ごうとしたそのとき。
「ウォォォン!!」
 野生化少女の群れが彼女へ襲いかかったのだ。
「やめてっ!」
 飛びついてきた少女の肩をカイトシールドで押し放し、イアルは広間の扉へ駆けるがしかし。
「グォッ」
「ウルルルル、ウゥッ」
 すでに少女らが塞いでおり、イアルは進むことができない。いや、剣を振るえば簡単に切り抜けられることはわかっている。それができないのは、イアルが少女たちの事情を知っているからだ。彼女たちを無傷で還さなければ。彼女たちのために、そして家で待つ“妹”のために。
 剣を握り締めたまま、イアルはじりじりと後退し。
 その背が、ついには壁に押しつけられた。
「さすがはご家族ってとこでしょうかね。こんな簡単に罠へ引っかかるんですから」
 少女たちの後ろから姿を現わした魔女が、嘲るよりもむしろ慈しむ表情で言った。
 イアルは知らない。その魔女がカスミを連れ去り、船首像とした魔女であることを。
「罠だと見破っていただけないように伝達を最小限に絞ってたんですよ。そのせいで何人か死んだのは残念ですけど、ま、あなたの価値がそれだけ上がるってことでよしとしましょうか」
 魔女が手の内にあるものをイアルに見せた。極短杖ではない。ボタンがふたつ縦に並んでいるだけのスイッチだ。
「私をおびき寄せた理由はなに?」
「結社の命令に理由なんか添えられてませんのでね。知らないから答えられないって感じですね」
 魔女がスイッチを押した次の瞬間、床が抜けた。
「っ!」
 反射的に壁へ剣を突き立てたイアル。そのまわりを取り巻いていた少女たちはそのまま下へ落ちていき、激しく沸騰する液体に触れた瞬間――凍りついた。
「魔法でもなんでもありませんよ。ただの液体窒素です。前と同じコールタール像じゃ芸がありませんからね。今度は氷の像になっていただこうかと思いまして」
 なぜそのことを!? イアルは懸命に足がかりを探しながら叫んだ。
「――あなたは誰!?」
「それをお教えする権限はありませんのでね。というわけで、ごきげんよう」
 魔女は生き残りの野生化少女に「落とせ」と指示を出した。
 果たして。
 少女たちが身動きのとれないイアルへ飛びついて。
 自分たちごとイアルを液体窒素へ引きずり落とした。
「あ――!!」
 皮が、肉が、血が、骨が、凍りついていく。
「今度お逢いするのは何百年後になるかわかりませんが、そのときはもうちょっと賢くなっててくださいよ。今のままじゃ、ちょろすぎて楽しめませんので」
 最後に残されていた脳神経の先まで固まりきったイアルの耳に、その言葉が届くことはなかった。

                   *

 結界で護られた魔女の巣窟の奥底に、真新しい強化ガラスケースが設置された。
 液体窒素と同等の極冷に保たれたケースに収められたものは、凍りついたイアル。
 助けを求めるように突きだされた手は、なにをつかむこともできないまま虚空に掲げられ、その大きく開かれた唇は声なき断末魔の悲鳴をあげ続けている。
 その無様を見やり、魔女どもは嗤う。
 そして今宵も敗者の像を取り巻き、饗宴を繰り広げるのだ。