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狂気の花が咲き乱れる
五感や意識を残されたまま、肉体を石像に変えられる。
よくある事だ、と言っていい。これまで幾度もイアル・ミラールは、そんな目に遭ってきた。
魔女や魔物・魔王の類によってだ。
そうではない、魔力を欠片ほども持たぬ普通の人間によって、こんな事をされるのは初めてだ。
「私を……」
イアルは声を発した。
石化が、いつの間にか解かれている。頭部と、胴体だけは。
四肢は石像のままで、いくら怒りを燃やしても、こうして身をよじるのが精一杯である。
「……どうする、つもりなの……」
「急かさないで。貴女をどういう作品に仕上げるかは、ゆっくり考えないといけないから」
女芸術家は言った。
「芸術家は2種類いるの。締め切りに追われてプレッシャーかけられて、お尻に火がつかないと仕事が出来ないタイプ。時間の制約なしに、のんびり仕事をさせてあげないと壊れてしまうタイプ……私はね、典型的な後者なのよ。だからお願い、急がせないで。私、クライアントに催促されると駄目なのよ」
彼女の、アトリエ内部である。
鑿に彫刻刀、ノコギリ、ガスバーナー、チェーンソー……様々な道具が壁に掛けられ、まるで拷問室のようでもある。
赤い瞳に、怯えの色が浮かび上がるのを止められぬまま、イアルは見回した。気丈さを、懸命に振り絞った。
「殺すなら、早く殺しなさいよ……っ!」
「いいわ、恐怖に耐えて強がっているところ」
女芸術家が、彫刻刀でイアルの頬をぴたぴたと叩く。
「私が今、挑戦しているテーマは『恐怖』。人間はね、喜びを失っても、怒りと悲しみを失っても、恐怖だけは絶対に失くさないから……あの子たちもね、いい恐怖を見せてくれたわ」
「貴女に……鑿やノコギリで、生きたまま削られながら……ッ!」
イアルは歯を食いしばった。
「人は物じゃあない! 人に生まれて、どうしてそれがわからないの!」
「人に生まれて……人として、死んでゆく。それは、そんなに素晴らしい事?」
女芸術家が、理知的な眼差しをじっとイアルに向ける。
「人は死ぬのよ、イアル・ミラール。長くても、せいぜい百年……だけどね、素晴らしい『物』になれば千年、二千年、この世に存在し続けられる。ギリシャ美術やエジプト美術のように」
その瞳の中に、狂気は感じられない。
「亡き王国の時代から、ずっとこの世に在り続けてきた『裸足の王女』……貴女なら、わかってくれるはずよ」
この女性は、狂っているわけではないのだ。
理性を保ったまま、少女たちをオブジェに作り変えている。石化した、だが死んだわけではない少女たちを、石材として扱っている。鑿やノコギリで、切り刻んでいる。
これまでイアルを『物』として扱ってきたのは、魔王であり魔女たちであり、魔族・魔物の類であった。
それらに比べると、この女芸術家は、話にならないほど弱小ではある。何しろ単なる人間の女性、魔力は持たず、戦闘能力など皆無に等しい。
だがイアルは、怒りが恐怖で押し潰されてゆくのを止められなかった。
強大な魔王たちによって石像やレリーフ像に変えられた時でさえ、これほどの恐怖は感じなかった。
「何……貴女は一体、何なの……」
言葉は話せる、だが会話は通じない相手。
それがわかっていながら、イアルは問いかけずにはいられなかった。
「どうして……貴女みたいな人がいるの……?」
「すぐに、いなくなるわ。心配しないで」
女芸術家の優美な右手に、いつの間にか彫刻刀ではなく、絵筆が握られている。
絵の具、ではない何かを、たっぷりと含み滴らせる筆が、イアルに近付けられる。
覚えのある、禍々しい悪臭が、イアルの鼻をかすめた。
「それは……」
「浴びたもの全てをブロンズ像に変える、魔法のコールタールよ。本当はカプセル型の専用機械が必要らしいんだけど……私がね、もっとお手軽に扱えるように改良したの」
「改良……魔女の作ったものを……魔力の欠片もない、貴女が……」
魔女結社の得意客であった、この芸術家は、魔法のコールタールだけでなく石像化の秘薬も購入し、それを独自に解析・調合し、石化を自在に操るレベルにまで達してしまったのだ。
だからイアルを、手足のみ石像のまま頭部と胴体が生身、などという状態に留め置ける。
「大した事じゃないわ。私にとってはね……絵の具を混ぜ合わせて、新しい色を作るようなもの」
言いつつ女芸術家が、絵筆を動かす。
「ひっ……」
おぞましい感触が、イアルの全身を虫の如く這い回った。
格好良くくびれた左右の脇腹に、むっちりと膨らみ締まった太股の内側に、つるりと綺麗な脇の下の窪みに、魔法のコールタールを原料とする絵の具が塗りたくられる。
否、乱雑に塗られているわけではない。
全て、絵であった。
イアルの全身あちこちで、花が咲き、蝶々が舞う。
それら全てが即座に、ブロンズ製の花となり、ブロンズ製の蝶となった。
生身の肌の、部分部分がブロンズ化している。おぞましいまでの違和感に、イアルは悲鳴を上げた。
「やめて……やめて! やめてぇええええええ!」
「その悲鳴を……目に見えるものとして造形出来れば、最高なのだけど」
キャンバスと化したイアルの身体を、女芸術家が見つめている。
これほど真摯で汚れなく、邪悪さの欠片もない瞳を、イアルは見た事がなかった。
「とにかく。貴女を使って出来る限りの事をさせてもらうわ、裸足の王女……私には、もう時間がないのよ」
イアル・ミラールが、切り刻まれていた。
そして、わけのわからぬ形に組み立てられていた。あるいは、破片の1つ1つが奇怪な置物と化している。
それらの醜悪さを表現するための言葉が、茂枝萌の頭には浮かび上がって来なかった。
嫌悪感だけが、湧き上がって来る。
それでいて、目をそむける事が出来ない。視線が、心が、引きつけられてしまう。
鬼気迫るほどにおぞましいもの、でありながらイアル・ミラールの原形を確かに感じさせる。
そんなオブジェの群れを見回しながら、茂枝萌は言葉をかけた。
「人を嫌な気分にさせるものを、命削って作り上げる……お金のためじゃなく自己満足でね。芸術家っていうのは、まったく何と言うか」
「私、お金はもう要らないわ。意味がないから」
このアトリエの主人である女芸術家が、鑿を使いながら振り向きもせずに言う。
材質は不明である。石膏の類、であろうか。
とにかくイアル・ミラールの形をしたものが、彼女の手によって、そうではないものへと変わりつつあった。
「ここを探り当てるまで……随分と、時間がかかったのね。IO2って、もっと鼻の利く猟犬みたいな組織だと思っていたけど」
「迂闊だった。貴女、とっくの昔に魔女の連中と……縁、切っちゃってたのね」
魔女との関係。その線から、萌はイアルの行方を追っていた。
「見つからないわけだわ……だけど貴女、魔女の後ろ盾もなしに随分と大胆な事してるね」
萌は、高周波振動ブレードを構えた。
「死ぬ覚悟は出来てる、ってわけ? じゃあ遠慮なく行きたいところだけど」
「死ぬ覚悟なんて、出来るわけないでしょう? だけど死はやってくる……」
女芸術家が、軽く咳き込んだ。
微量の血飛沫を、萌は見逃さなかった。
「その前に、悪あがきをしているだけ。私はね、自分の生きた証をこの世に残したいの。千年、二千年、この世に残るようなものを……その望みも叶わず殺されるのも、まあ芸術家らしいとは思うわ。やりたければ御自由にどうぞ」
「貴女は……」
ブレードを構えたまま、萌はちらりと視線を動かした。
イアル・ミラールが、そこにいた。
石像にされたり、ブロンズ像にされたりと、様々な目に遭ったのだろう。
今は、石化している。恐怖に身をよじる女人像……だが、無傷である。
あの手鏡の力で鏡幻龍に働きかければ、簡単に元に戻す事が出来る。
「せっかく手に入れた『裸足の王女』に全然、手をつけていないの?」
「出来なかったわ。『裸足の王女』は至高の美術品……私ごときが、鑿や彫刻刀を打ち込むなんて」
女芸術家が、またしても血を吐いたようだ。
「出来る限りの恐怖を与えて、いろんな形に身をよじらせて、石に変えたりブロンズで固めたりして……型を、取っただけよ。そこに色んな材料を流し込んで、レプリカを作ったの」
かつてはイアルの形をしていた、醜悪奇怪なオブジェの群れを、彼女は一瞬だけ見回した。
「満足のいくものなんて、永久に作れない……そういうものだって気がしてきたわ。満足出来ないまま、私は死ぬ。余命1年だって言われたのが、もう3年くらい前。それから騙し騙しでやってきたけど、もう限界ね。あと1ヶ月、保たないと思うわ」
「その間、そっとしといてあげたいところだけど」
高周波振動ブレードを、萌は彼女に突きつけた。
「もう1つ、取り戻さなきゃいけないものがあるのよね……ガーゴイルにされた女の人がいると思うんだけど、どこ?」
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