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その熱を君は知らない(4)
傷つき呻く妖怪達に、琴美は悲痛げにその眉をひそめナイフを向ける。せん滅対象だという事もあるが、瀕死の彼女達を痛みや苦しみから救うには、もはやこの方法しかないのだ。
少女はその優しさを、自らの刃へと乗せる。このナイフは悪を滅する正義であると共に、弱き者を救うための光でもあった。
「今、楽にしてさしあげますわ」
苦しまずに一撃で眠らせようとナイフを振るおうとした琴美は、しかし次の瞬間そのナイフを自らの後方へと向かい投げつけていた。彼女のナイフは、突如現れた氷の盾によって弾かれ宙を舞う。そのナイフを体を振り向かせながら難なくキャッチした琴美は、突然の来訪者に冷静さを崩す事もなく告げた。
「全く、こんなタイミングで現れるなんて空気の読めないお方ですわね。けれど、手間が省けましたわ。貴方様の元へ向かう手間が……」
琴美の鋭い視線が、氷の盾の向こうにいる男を睨みつけた。普段は夜の穏やかな海のように優しげな黒い瞳は、今は荒波のような怒りを灯している。
「貴方様が、彼女達を捕え非合法の武器を製造し、罪なき人々で性能実験を繰り返しているこの組織を作り上げた黒幕ですわね?」
男は肯定だとでも示すかのように、楽しげな笑みを浮かべてみせた。
「その通りだ。俺の製造した武器と人外の力が合わされば、他の奴らでは手の届かぬ人智を超えた武器を製造する事が出来るだろう? その実験体達も、自らの力を有用に活用して貰えて幸福に違いない」
そう語る彼の瞳が正気を保っているという事実が、男が根っからの狂人である事を証明している。彼は本当に、ただ自らの限界を超えた武器を製造したいがためだけに彼女達を捕え、その力を好き勝手に利用したのだろう。彼にとって、妖怪であれ人間であれ、自分以外の者は自分の理想のためのモルモットでしかないのだ。
聞いてもいないのに、男は話を続ける。どうやら、以前誤ってこちらの世界に迷い込んできてしまった雪を操る妖怪の一人は、とある青年に親切にされその青年に恋に落ちてしまったらしい。そして、一度は自分達の世界に帰ったものの、もう一度彼に会いせめて礼をする事が出来ないかと思い再びこの世界にやってきていたのだという。男はそんな彼女を甘い言葉で騙して捕え、武器を製造するための実験台にした挙句、助けにきた他の妖怪達も捕獲したのだ。
妖怪の純粋な恋心と、かつて彼女に優しくした青年の思いやりの心すらも愚弄するその行いに、琴美は迷う事なく床を蹴り相手へと拳を叩き込んだ。正義の鉄槌の如くそれは男の腹部へと叩き込まれ、苦悶の声をあげさせる。
男は慌てて武器を構え、氷の銃弾を発砲しようとする……が、どれだけ引き金を引いても彼の武器は何の反応も示さない。琴美は風を操り、男が気付かぬ内に武器を内部から破壊していたのだ。
困惑する彼の耳に、少女の清らかな声が届く。それはさながらセイレーンの歌声のように美しく、それでいて裁きを下す女神の如く凛としていた。
「身の程をわきまえなさいませ。自分では制御しきれない力を扱う事は、貴方様が思ってる程簡単な事ではなくてよ」
自らの実力をしっかりと把握する事自体も、戦場を駆ける者にとっては大事なスキルだ。しかし、武器を造る立場であり実戦の経験の薄い男はその事が分からず、ただ自分の造った武器さえあればいいのだ、と自らの製造した武器と自身の実力を過信してしまっている。
圧倒的な経験の差、そして計り知れない程の実力差が琴美と彼の間には立ち塞がっていた。その事にすら気付かない男の事が、いっそ哀れに思え琴美は彼に胸中で同情をする。
しかし、無論この外道相手に容赦などするつもりはない。少女はそのすらりと伸びた脚を振るい、男の体へと全力で叩き込んだ。彼女の柔らかな脚の感触や、ふわりと香った甘い香りを堪能する暇すらもなく、男はふき飛ばされ壁へと叩きつけられるとぴくりとも動かなくなった。
後は妖怪達を眠らせてやり、この施設を完全に破壊するだけだ。そう思いながら、琴美は妖怪達が捕えられている方へと振り返ろうとする。しかし、その瞬間、男の遺体に氷の槍のようなものが何本も突き刺さった。
その槍の正体は、つららだ。恨みを晴らすかの如く男の体へと容赦なく突き刺さる、無数のつらら。それを放った正体が何者なのか、すぐに思い当たった琴美は嘆息する。
長く艶やかな黒髪を揺らしながら琴美が振り返った先にいたのは、まるで溶けかかった雪だるまに泥が混じったかのような、おどろおどろしい姿をした醜い化け物だった。捕らえられていた雪の妖怪達が、憎しみを糧とし強大な怪物へと姿を変えてしまったのだ。
うす汚れた巨体にある無数の瞳には理性がなく、恐らく恋をした気持ちも、仲間を助けようとした気持ちも忘れてしまったのだろう。
「早く眠らせてさしあげなければ、こうなるとは思っていましたわ。私が手を下さずとも、黒幕の男はいつかはこの彼女達の悔恨の込もった怪物にやられていた事でしょうね」
地下室内を冷気が支配する。猛吹雪と呼んでも良い程の雪や風が、まるでもがき苦しむかのように暴れ回り始めた。
もはや暴れるだけの怪物と化した妖怪達を真正面から見据え、少女は微笑む。
「ええ、そうですわね。先程言いましたものね。もう、楽にしてさしあげる……と。その約束、ちゃんと果たしてさしあげますわ。さぁ、かかって参りなさい!」
琴美の女性らしい魅力を発している豊満な肉体が、微かに震えている。しかし、それは寒さが原因でも、ましてや恐怖を感じているわけでもなかった。
彼女の心にあったのは、純粋な歓喜だ。先程の男は、弱すぎて準備運動にもならない相手だった。けれど、今自分が対峙しているのは怒りが爆発し怪物と化し、死にもの狂いで周囲へと攻撃を加えてくる脅威だ。
――手負いの獣程、危険なものはない。
「さぁ、貴方様の最期の晴れ舞台ですわ! 武器には収まりきらない程の怒りを、地下に囚われたままでは決して出せなかった力の全てを出し切りなさいませ!」
そうして、季節外れの雪は威力を増して行く。まるで琴美のその言葉に歓喜するように、地下室には吹雪が舞い踊る。
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