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―生まれ変わった白虎―
「んー、まだ匂いが取れない……やっぱり普通の洗濯機ではダメかな?」
山中の動物園から帰還する際、已む無く身に着けていた白虎の着ぐるみ。これの処分について、海原みなもは悩んでいた。
誰かが着用しなければ動く事は出来ないようだが、強い霊力を帯びているのは確かなので、そのまま処分するという訳にはいかない。と言って、本格的に除霊をしてしまうのは、少々忍びない。一度は心を通わせあった仲であるし、何より『彼』はあの動物園の元従業員たちを乱暴な債権者から救った英雄の一人なのだ。
それに、子供たちに人気が出るようデザインされたキャラだけあって、外見も可愛い。キレイにして、中身を詰めれば等身大の縫いぐるみになるのではないか? と、みなもは考えたのだった。
……しかし、長年放置され、染み付いた汚れと匂いはそう簡単には落ちてくれない。
洗濯機の中で何千・何万と回らされた『彼』は、遂に悲鳴を上げて『勘弁してくれ』と懇願して来たのだった。
『洗剤や水だけでは綺麗にならない、それにこの方法では私自身が擦り切れてしまう』
「やっぱりダメかぁ……でも、クリーニング屋さんにお願いしても結果は同じだと思うのよね。どうしよう?」
情が移ってしまっただけに、ぞんざいには扱えない。だからこそ困っているのだが、どうにもならない。
それに、目に見える汚れだけでなく、色々と害のあるものも染み付いているかも知れないと云う恐れがある事から、みなもは独力での解決を諦め、私立探偵・草間武彦の助力を得る事にしたのだった。
***
「あのな嬢ちゃん、俺の職業が何だか知ってるか?」
「探偵さん、ですよね?」
あっけらかんと言い放つみなもを前にして、草間はこめかみを押さえながら項垂れた。何で、俺の処には魑魅魍魎の類ばかりが集まるんだ……と。
しかし、既に目の前にある物件を、無視する訳にも行かない。草間と云う男は義理堅い性根の持ち主、頼まれたら『嫌だ』とは言えない性格の『漢』でもあるのだ。それを悟られるのが照れ臭い為、普段は仏頂面をしているようではあるが。
「その汚れと匂いは、市販の洗剤なんかじゃ落とせないぞ。霊的な力も作用しているからな」
「ああ、やっぱり……では、どうすればキレイになりますか?」
「キレイにして、どうしようってんだ?」
「抱いて寝ようと思いまして」
その発言に、草間は思わず飲みかけのコーヒーを吹き出し、その場から暫く動く事が出来なかった。が、素早く真意を悟った彼は、慌ててその真偽を問い質した。
「……アレだな? 抱き枕にリフォームしてやろうってんだな?」
「そうですけど……他にどんな意味が?」
「いや、一応そいつって『オス』だろ? 抵抗は無いのか?」
「抱き枕が、何をしでかすと言うんですか。いやらしい」
痛烈且つ、尤もな反撃を受け、草間は襟を正して事に臨まざるを得なくなってしまった。
尚、虎が小さくガッツポーズを決めていた事は、彼だけの秘密である。
***
水道の蛇口から水を出し、それをみなもの能力で纏めて、直径二メートルほどの球体を形成した。草間の指示に依るものだが、この時点ではみなもも、これが何をする為の物かは分からなかった。
「これ、どうするんですか?」
「言う通りにしなって。いいか? これは名付けて『クリーニングボール』だ。これを使って、先ずは匂いと汚れをしっかりと洗い落とすんだ」
ふん、と鼻息を一つ。草間は出来上がった球体を見上げて『上々だ』と一言。
「この水の塊には、お前さんの穢れ無き霊力がタップリ含まれている。これにより、邪悪な思念や穢れ、更には表面的な汚れや匂いもすっかり落ちるって寸法だよ」
「虎さんも、残留思念の一つでしょ? 大丈夫なんですか?」
「それは平気だ。ここで落とされるのは、穢れを持ったモノだけだからな」
お前に害を為す者ならば、最初に一体化した時点でもっと違った結果になっている筈だ、と草間は自信たっぷりに答えた。
それならばと云う事で、みなもは虎に『ちょっとの間だけだからね、我慢してね』と語りかけて、水球の中に彼を放り込んだ。
洗濯機と違って、力で汚れを落とす仕組みではなく、分子レベルにまで浸透した霊波が、邪念や汚れをキレイに落としていく。そして水から出された時、虎は薄汚れた灰色から、純白の毛並みを持った清潔な体となっていたのだった。
「わぁ……本当はこんなにキレイだったんだね」
「白虎の名に相応しいな。っと、此処で終わりじゃないんだよ」
と、草間は仕上がりに感心しながらも、まだ続きの工程がある事を示唆した。
「抱き枕ってのはな、定期的に洗濯してキレイに出来なきゃダメなんだ。綿を詰めて密閉しちまったら、ただの置き物と同じになっちまうぞ」
「あ、そうですね。暑い日には汗もかくし、洋服だって毎日洗濯してるんだし」
うんうんと頷きながら、草間は『こうすれば抱き枕としても使えるし、寒い日には着込んでパジャマにする事も出来るぞ』と云う一例を提案してみせた。曰く『中の人』となる人形を拵え、それに虎の皮を着せると云うアイディアであった。
「あったまいい! なるほど、これなら普段は抱き枕、中の人にどいて貰えば洗濯も出来るし、あたしが中に入っても大丈夫な訳ですね!」
「そうだ。一石二鳥どころか、三鳥、四鳥の楽しみ方が出来るって寸法だよ」
みなもはすっかり感心していた。但し、彼を『パジャマ』として運用する際には些かの問題があった。そう、手足を出せないと色々と不都合が生じる点である。
「手首と足首だけ、ファスナーで脱着できるようにしても大丈夫かな?」
『頭部さえ胴体と接合してあれば、手足は分離しても問題は無い』
その回答を聞いたみなもは、決まりだね! とニッコリ。頭部も手足と同様に、ファスナー等で接合できれば大丈夫だと云う虎自身の解説が加えられ、リフォーム方針は徐々に固まって行った。
すっかり清潔になった虎の着ぐるみは、一旦ぬいぐるみのリフォーム専門職人に預けられ、頭部および手足部分の分割機能を付加されるに至った。そしてそれを待つ間、みなもは草間の監修によって『中の人』を作成する事となった。
『中の人』は虎の寸法に合わせた人形を布で拵え、それだけを見ても可愛いと思える外見を形成していった。所謂、フェルト細工の人形を作る要領を応用したやり方である。
そして万一、虎が暴走しても抑えられるよう、人形の中にはみなもの念を封じ込めた呪符が内蔵された。これにより、みなもが着ぐるみを着用しているのと同じ効果が得られると云う訳である。
***
「おかえりなさい、虎さん!」
仕上がって来た虎の着ぐるみを見て、みなもは表情を綻ばせた。
早速『中の人』を入れてみたところ、見事な抱き枕となった。毛並みはフワフワのモフモフ、女子好みの肌触りを甦らせて、虎は文字通り『生まれ変わった』のだった。
パジャマとしてはどうかな? と、みなもは下着姿になって、頭部および手足を分離した状態の着ぐるみを纏った。思惑通り、手足の機能を損なわない、パジャマとしての運用も可能な事が立証された。
無論、手足を装着して頭まで被れば、あの白虎の姿にもなれる。実に面白い、多機能の抱き枕として虎は蘇ったのだった。
みなもによって、荒廃した動物園跡地から『救出』され、彼は幸福な余生を送れるようになったのである。
<了>
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