コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


その熱を君は知らない(5)
 琴美のそのすらりと長く伸びた肢体へと襲いかかる猛吹雪を、彼女が操る風の力が迎え撃つ。妖怪の研究のために特別な結界でも張ってあったのか、この地下室が冷気や衝撃に強い事は僥倖であった。そうでなければ、怪物と琴美の二つの強大な力がぶつかり合うせいで一瞬の内にこの建物は崩れ落ちていた事だろう。
 たとえそうであったとしても、琴美なら難なく脱出をする事は可能だったではあろうが、敵を自らの手で倒さずに終わってしまうのは少々物足りない。
 眼前の吹雪を強力な風の力でかき消した琴美に、今度は怪物の巨大な腕が迫る。それは絶対零度の手。触れればたちまち凍りついてしまうに違いない。
 しかし、そんな凶悪な手であっても触られなければ意味がない。まるで踊るように、琴美は軽やかな足取りでその攻撃を避けてみせる。雪降りしきる中軽快に戦場を舞う琴美の姿は、まるで雪に愛されし精霊のようだ。
 琴美が避けた事により、怪物の目にはあるものが映る。それは外へと続くのぼり階段。僅かに光が差し込んでくるそこに、まるで惹かれるように怪物は向かおうとする。
 無論、それを琴美が許すはずもない。怪物が、急に歩みを止める。その体からどす黒い体液が吹き出す。琴美とはまだ距離があるし、怪物の周囲にあるのは自らから溢れる吹雪だけだ。自分が操っているはずの吹雪に何故か体を傷つけられ、怪物は困惑するように周囲を見回した。
 そして、雪にまじり、光を反射する銀色の何かが舞っている事に気付く。それは琴美のナイフだ。投てきされたものの本来なら吹雪に飲まれ威力を失うはずだったそれは、琴美が吹雪の流れを読み風の力を操る事でその流れを微調整したおかげで勢いを失う事なく、それどころか吹雪の力すらも味方につけて怪物の体を切り裂いたのだ。
「行かせませんわよ!」
 この怪物を外に出すわけにはいかない。特殊な訓練をし数々の戦闘経験を重ねてきた琴美だからこそ、今こうやって相手と対峙している事に耐えきれているのだ。普通の一般人であれば、怪物と同じ空間にいるだけで凍りついてしまう事だろう。
 季節外れの氷漬けの犠牲者を、これ以上増やすわけにはいかない。
「それに、あなただって嫌でしょう? 自らの手で、愛する人の世界を壊してしまう事は」
 今はもうその恋心すらも忘れているであろうが、それでも彼女自身の手で誰かが犠牲になる事は避けたかった。この怪物は怪異でありながらも、ただの恋する少女でもあったのだから。
 それでも外へと、光ある方へと向かおうとする怪物に、琴美は切なげに眉を寄せる。ずっと閉じ込められ研究に使われていた憎しみが、今の怪物を形どっている。外へと出たいという思いが強いのは当然の事だろう。
「ごめんなさい。それでもその願いを、叶えてさしあげる事は出来ませんわ」
 白い吐息と共に、琴美の扇情的な唇からは言葉がこぼれ落ちる。一度彼女は、長いまつ毛を揺らし瞼を閉じた。次に目を開けた時、その黒い瞳からは悲しげな思いは消え、覚悟の炎が宿る。
 冷気により床は凍っていた。琴美はそれを利用し、普段以上の速度で相手との距離を一息で詰める。ただでさえ目にもとまらぬ速さで戦場を駆ける琴美だ。更に速く駆けた彼女の姿をとらえる事など、たとえ神であったとしても難しい事かもしれない。
 怪物も、無論彼女の姿を追う事は出来なかった。琴美が自身に近づいてきた事にすら未だ気付かぬ怪物は、隙だらけだ。どこからでも攻撃してくださいと言わんばかりのその油断しきった巨体に、琴美の口元は弧を描く。
 次の瞬間、プリーツスカートが揺れた。編上げのロングブーツが床を蹴り上げ、琴美は垂直に跳躍。視線が合ったのはたったの一瞬だ。刹那の後には、琴美は怪物の顔へと狙いを定め渾身の蹴りを叩き込んでいた。
 怪物の体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
 視線が合った時の、最期のあの怪物の表情。それはまるで怪物と化した自らをこの苦しみから救ってくれる琴美に感謝するかのように、ひどく穏やかなものであった。

 吹雪はやみ、地下室を静寂が支配する。それは脅威が倒され、世界が平和を取り戻した合図でもあった。
「任務完了ですわね。あとは、司令へと報告をするだけですわ」
 そう呟き、琴美はのぼっていく。外へと続く階段を。光が溢れる地上へと彼女は向かう。暗く寒い地下など、高みへといるべき琴美にはやはり似合わない。
 階段を一段一段上がるたびに、胸に湧き上がってくるのは高揚感だ。今日もまた、悪を倒し自らの手で世界を平和へと誘った。まるであたたかな炎が灯るかのように、少女の豊満な胸の奥にある心は満たされていく。
 悪に手を染める者は、この熱を恐らく知らぬのだろう。そう思えばますます充足感が胸を浸し、琴美はその愛らしい唇を緩め自信に満ち溢れた美しい笑みを浮かべた。