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<東京怪談ノベル(シングル)>


その冷たさへと口付けて
 季節はかわり、十月となった。少し肌寒くなってきたというもの、室内は暖房器具で常に過ごしやすく心地の良い温度を保っている。
 タワーマンションの高層階。窓から街を一望出来るこの部屋に住んでいるのは、水嶋・琴美という名の少女だ。一度見たら忘れる事が出来なくなる程に見目麗しい美貌を持つ彼女だが、自衛隊に非公式に設立された特務統合機動課に所属しており普段は暗殺や情報収集等の特別任務にあたっている。綺麗なバラがトゲを持っているのと同じように、美しき彼女もまた懐には幾多もの悪を滅してきたナイフを携えているのだ。
 けれど、本日はそのナイフが振るわれる予定はない。先日、季節外れの雪の妖怪とその妖怪を利用していた組織を壊滅させた琴美は、その疲れを癒やすようにと司令から久方ぶりの休暇を貰っていた。と言っても、その時の任務で戦った相手は琴美には少し物足りず、さして疲れてなどいなかったのだが。
(なんであれ、久しぶりの休日ですわ。任務がないのは少し残念ですけれど、今日は楽しむ事にいたしましょう)
 そう思う琴美の視線の先では、はらはらと白い雪が舞っている。ただし、それは妖怪や悪しき組織のせいで降らされているものではなく、スノーグローブの中で舞い踊る可愛らしい偽物の雪だ。このスノーグローブは、先日旅行に行ってきた同僚からお土産にと貰ったものだ。ドーム型の容器の中にガラス細工の幻想的な鳥のミニチュアが佇んでいるもので、土台の部分はオルゴールになっていて優しい音色を奏で、琴美の心を癒やしてくれる。
 瞼を閉じてしばしその音色に耳を傾けていた琴美だが、そろそろ小腹がすいてきたのでその音色を背に受けながら少女はキッチンへと足を向けた。昼はもう済ませてしまったので、今から作るのはデザートだ。頭の中の知識の海からレシピを引っ張り出し、彼女は手際よく準備を進めて行く。
 宝石のようにキラリと輝く容器の中にアイスクリームを入れ、その上にエスプレッソを注ぎ、香りつけにほんの少しのシナモンパウダーを振りかければアフォガートが完成する。椅子へと腰を掛けオルゴールの音に耳を傾けながらも口へとその甘味を運べば、琴美は少女らしく柔らかな笑みを浮かべた。作る手間が少ない割に香りがよく、甘さと苦さが絶妙に混ざり合ったその甘味は、琴美の舌を十分に満足させてくれたようだ。
 丁寧な仕草でスプーンがアイスをすくい、再び彼女の艶やかな唇へと運ばれる。休日にただデザートを食べているだけだというのに、それだけでも琴美の姿は完成された映画のように鮮やかだ。
 デザートを食べ終えた琴美は、容器を片付けると本棚へと向かおうとする。せっかくの休日なのだからショッピングに行こうかとも思ったが、たまには家の中でゆっくりと本を読みながら過ごすのも悪くない。それに、お気に入りの海外作家の新作を先日買ったばかりなのだ。
 オルゴールの音色が途切れたので、今度は音楽プレイヤーを操作し琴美はお気に入りのクラシック音楽を流した。その穏やかな音色に包まれながら、彼女はソファへと座り活字の世界へと浸り始める。

 ◆

 本を読み終わる頃には、世界は夕焼け色に染まっていた。本を本棚へと戻し、琴美はふと窓のほうを見やる。ゆっくりと近づいていき、彼女は窓へとそっと手を触れると外の世界を見下ろした。
 眼下に広がっているのは、いつもと変わらない平和な街の姿だ。その平和を守ったのは、他でもない琴美である。
 悪が完全に滅ぶまで、琴美の戦いは続くのだろう。これから先、危険な任務や強大な敵が恐らく彼女の事を待ち構えている。
 有意義な休日を過ごしていても、琴美の胸を最も踊らせるのはやはりまだ見ぬ任務の存在であった。
「この景色、決して壊させはしませんわ」
 今後も悪を倒す事を胸に誓い、琴美は覚悟の炎が灯った瞳で頷いた。少女の視線の先にあるその街は、今日も彼女に守られている。