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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


チャリオット


 その赤い髪が被り物で、赤い瞳がカラーコンタクトである事は、よく見ればわかる。
 血のような炎のような赤色は、しかし彼女の内側から滲み出ているようでもあった。
 禍々しく真っ赤に燃え盛る何かを、この女性は心の内に秘めているのだ。
 それが彼女の目から眼光となって迸り、夜見辰貴を射すくめている。
 傍らに立つヴィルヘルム・ハスロなど居ないかのように彼女は、辰貴だけを見据えている。
「血の……伯爵夫人……の末裔? 僕が……?」
 辰貴が怯え、訝しんでいる。
「一体、何を……」
「ま、わかんないだろうね。いきなり出て来た奴に、こんな事言われたって」
 ヘアピースにカラーコンタクト、ワンピースドレス……身にまとう全てが赤一色である女は、微笑んでいる。
「めんどいから説明はしない。あんたはただ、僕と一緒に来ればいいのさ」
 真紅の長手袋に包まれた繊手が、1枚のタロットカードを軽やかに翻した。
 鱗粉のような光が少量、キラキラと散った。
 それと共に、カードの絵柄が変化する。
 白と黒、2頭の馬が馬車を引いていた。乗っているのは、豪壮な甲冑に身を包んだ1人の騎士。
 馬車と言うより、戦車である。
 そんなカードを掲げたまま、赤い女は告げた。
「よく見てごらん。この馬ども、手綱が付いてないだろう? 制御の利かない暴れ馬が引っ張ってる戦車、それに乗っかってるのが夜見辰貴あんただよ」
 カードの中で戦車を駆る若い騎士は、辰貴と同じ顔をしていた。
「聞けば、世間の連中に随分ひどい目に遭わされてるみたいじゃないか。どいつもこいつも轢き殺しながら、思うまま暴走してみるがいいさ」
 赤い唇がニヤリと歪み、赤い瞳がニコリと細まる。
「……この『戦車』のカードに導かれて、ね」
「…………」
 辰貴が無言のまま、ゆらりと歩き出した。
 掲げられた『戦車』のカードに引き寄せられるかの如く、ヴィルの傍らを通り過ぎようとする。
「……行ってはいけない、辰貴君」
 よろめき歩く辰貴の細い腕を、ヴィルは容赦なく掴んだ。
 握力には自信がある。
 だが辰貴は、痛そうに顔を歪める事もなく、どころか何かしらの表情を浮かべる事さえなく『戦車』のカードを見つめている。
 その両眼が、先程よりもずっと赤みを増していた。
 心肺に戻り、充分に酸素を与えられた、新鮮な血液の色。
 見据えながら、ヴィルは言った。
「確かに君の心は、まるで静脈血のように疲弊しきっていました。酸素を補給する必要がある……とは言え、それは君が君自身の意志で次の一歩を踏み出すためです。他人の提示したカードに操られてはいけない」
「余計な事しないでよ外人さん。どこの国の、馬の骨か知らないけど」
 夜見辰貴だけを見据えていた赤い瞳が、じろりとヴィルに向けられてくる。
 エメラルドグリーンの瞳で眼光を返しながら、ヴィルは言った。
「ヴィルヘルム・ハスロ、と申します。ルーマニアの、馬の骨ですよ」
「ふーん、そう。じゃ僕も名乗っておこうかな……雛月だよ」
 言いつつ彼女は、右手で『戦車』を掲げたまま、左手でフィンガースナップを鳴らした。
 パチッ! と高らかに音が鳴り、微かな光が生じてキラキラと散り、そしてもう1枚のタロットカードが出現した。
 右手に剣を、左手に天秤を持った女神が、描かれている。
 ヴィルは、まず会話を試みた。
「それは……確か『正義』のカードですね」
「タロット知ってるんだ?」
「職場の仲間に、占い好きな男がいるのですよ。縁起の良し悪しを気にする人間が我々の業界、少なくはないもので」
 会話の中から、相手の戦力を読み取る。情報を得る。弱点を突き止める。
 まずは、敵に関する情報なのだ。個人と個人の殺し合いであろうと、国と国との戦争であろうと、変わりはない。
「日本では……験を担ぐ、と言うのでしょうか」
「ははん。好きな女の、大事な所の毛をねえ、お守りにして持ち歩いたりするアレ?」
 雛月が笑う。
 品の悪い笑み。品の悪さを、しかし装っているだけかも知れない。ヴィルは、そう思った。
 その笑いが、ピタリと止まった。
「……で。僕の邪魔をするなら、この『正義』のカードでヴィルヘルムさん、あんたを裁かなきゃいけなくなっちゃうわけだけど」
「『塔』のカードで落雷を起こし、『戦車』のカードで辰貴君を暴走させる。それが貴女の力であるなら」
 辰貴の腕を掴んだまま、ヴィルは見つめた。掲げられたカードの中で剣と天秤を持つ、女神の姿を。
「察する所……その女神の剣で、私は斬り殺されてしまうのでしょうか」
「そして、あんたの生首が天秤に乗っかる事になる」
 雛月が言った。
「そうなりたくなかったらね、夜見辰貴の身柄を引き渡して欲しいのさ。何、ひどい事をするわけじゃあない……暴れ馬の戦車に乗って、とことん突っ走る。それが一番、そいつにとっちゃ幸せなのさ。どいつもこいつも轢き殺して、全身に返り血を浴びる。それが一番ねえ」
「全身に……血を……」
 辰貴が呻く。
 その腕を掴む手に、ヴィルは力を込めた。場合によっては、関節を外して動きを止めなければならなくなるかも知れない。
「貴女は、何を得るのですか」
 ヴィルは訊いた。
「辰貴君が、血を浴びる。そして人間ではないものとして覚醒する……そんな事が本当にあるとして、貴女はそれによっていかなる利益を得るのでしょうか。首を刎ねられる前に、お聞きしておきたいところですが」
「そう……天秤に乗っかる覚悟は出来てるってわけ。じゃ教えてあげるよ」
 雛月が、真紅のルージュを歪めて白い歯を見せた。まるで牙を剥くかのように。
「その夜見辰貴君にはね、どうしても吸血鬼として覚醒してもらわなきゃなんないのさ。大物クラスの吸血鬼に、ちょっとやって欲しい事があるからさ」
「大勢の吸血鬼を狩り殺しておきながら、今になって吸血鬼の力が必要と。そういう事ですか」
 ヴィルは微笑んで見せた。
「何と身勝手な……と、私が吸血鬼であれば思うでしょうね」
「吸血鬼どもは僕から大切なものを奪った! だから狩り殺したのさ!」
 雛月は激昂した。
「だけどね、その大切なものを……もしかしたら、取り戻せるかも知れないんだ。それには大物吸血鬼の力が必要だって、つい最近わかったとこでねえ。身勝手でも何でもいい、吸血鬼って連中はとことん利用してやる! 邪魔する奴は片っ端から、正義の女神の天秤行きさ!」
 掲げられたタロットカードは2枚とも、物質ではないだろう。この雛月という娘の、恐らくは黒魔術の類が目に見える形で発現したものだ。
 吸血鬼が、実在する。
 ワラキア公国の時代から生き続けてきたシスターも、かつていた。
 黒魔術と呼べるものがこの世に存在するのも、間違いない事であろう。
 雛月の黒魔術は、しかしなかなか効果を表さなかった。
「……おい、どうした正義の女神」
 何事も起こさぬ『正義』のカードを掲げたまま、雛月は怒り、いくらか狼狽している。
「早く、その外人の首を刎ねろ! そしてお前の天秤を傾けるんだよ、悪の側にっ!」
「常に悪であろう、と貴女はもがいている。私には、そう見えます」
 ヴィルは言葉を投げ、雛月の神経を逆撫でした。
「私ほどではないにせよ、貴女は今まで殺戮の道を歩んでいたのでしょう? 人間も吸血鬼も、分け隔てなく殺してきた」
「当然。お前も殺してやるよ、くそ外人!」
「殺す相手を、貴女は貴女なりに選んできたはず。心のどこかで、無意識に……その『正義』のカードで裁くにふさわしい相手ばかりを、貴女は選んできた。違いますか、雛月さん」
「何を言ってる……!」
 雛月が、怒り狂い始めている。『正義』のカードの中で、しかし女神は動かない。ヴィルに向かって、剣を振り下ろそうとしない。
「僕が……悪い奴ばかりを選んで殺してきた、とでも? まるで正義の味方みたいに!? 笑わせるな! そりゃ今まで僕が始末してきたのはクズ野郎ばかりさ。当たり前だろ、ゴミ掃除みたいな仕事なんだから!」
 この女性が、強大な魔力を持ちながら、それをタロットカード占いに則った形でしか発揮出来ないのは、何故なのか。
 何かが、何者かが、彼女を縛り付けている。ヴィルは、そう感じた。
 占いで金を稼いでいた女性が1人いる、とも思った。黒い占い衣装を、悪魔の翼のようにはためかせていた娘。
「……僕はね、やれるよ」
 雛月は言った。
「死んで当然のゴミクズ野郎だけじゃない、赤ん坊と母親をまとめて焼き殺す事だって出来る! お人好しの年寄り夫婦を切り刻む事だって! 仔犬と仔猫を、串刺しにして火にくべる事だって」
「出来ませんよ、貴女にそんな事は」
 ヴィルは断言した。
「その正義の女神は、貴女の心の表れです。貴女に出来ない事は、彼女にも出来ません」
「僕が……お前を、殺せない……とでも……ッ!」
「私がどういう者であるのかを知れば、貴女も……この男は殺しておかねば、という気になってくれるかも知れませんが」
 ヴィルは苦笑した。そして思う。
 自分は、大勢の人間を殺してきた。仕事だからだ。正義の味方を気取って、悪人ばかりを始末してきたわけではない。
 だが。命を奪う相手を、自分は全く選んでこなかった、と言えるのだろうか。
 いくつもの武装勢力を殲滅した。麻薬を売りさばき、女子供を奴隷として扱うような輩ばかりであった。
 だから皆殺しにしても良い、と自分は全く思わなかったのか。
 ルーマニア軍にいた頃は、数多くの味方殺し・上官殺しを実行した。
 民衆に無法を働くような者たちだから殺しても良い、という正当化を、自分は全くしていなかったのだろうか。
「人を殺すための言い訳……それを、きっと正義と呼ぶのでしょうね。それがなければ、なかなか人殺しなど出来ないものですよ」
 武装勢力の者たちも同様だ。皆、宗教的正義や人民の誇りを声高に叫びながら、罪なき人々を大いに殺戮していたものだ。
「雛月さんの心には今、私を殺すための言い訳がありません。だから、正義の女神は動かないのですよ」
「役立たずが……ッッ!」
 雛月が『正義』のカードをぐしゃりと握り潰した。光が、キラキラと散った。
 その煌めきが、新たなるカードを形成しつつある。
「僕を論破したつもりか……論破して、いい気になってる奴にはこれだっ!」
 雷に打たれて砕ける、巨大な塔。
 そんな絵柄のタロットカードが、雛月の左手に出現していた。
 出現しただけだ。何も、起こりはしない。
「いい気になってる奴を、得意の絶頂から叩き落とす『塔』のカード! おい、どうした! その雷で、ドヤ顔のくそったれ外人をさっさと灼き殺せええええええッ!」
「雛月さん……私はね、得意の絶頂で戦った事なんて1度もありませんよ」
 相手が得意の絶頂でなければ、『塔』のカードは力を発揮しない。
 雛月の黒魔術は、やはり完全に、タロットカードの解釈に縛られている。
「戦場での私は、いつも無様に怯えています。今だって、そうですよ」
「お前……っ! 何だ、何なんだよお前は一体……!」
 雛月が、後退りをしている。
 その左手で『塔』のカードが、まるで幻影であったかのように弱々しく消え失せた。
「くっ……な、なら次は『力』で押し潰す……いや、それとも『審判』で……あうっ!」
 異変が起こった。雛月が右手でつまみ掲げている『戦車』のカードにだ。
 白と黒、2頭の馬が、荒々しくいななきながら、それぞれ別方向に駆け去って行く。
 戦車が真っ二つに裂け、そしてカードそのものも左右にちぎれ、キラキラと光に変わって飛散した。
 雛月がよろめき、大木にぶつかった。
「よっ……夜見、辰貴……お前ぇえッ!」
「僕は……わからない……」
 辰貴は呻きながら、雛月を見つめている。
 他人と目を合わせないようにしながら生きてきた青年が、雛月の赤く険しい両眼を、まっすぐ見据えているのだ。
「両親に言われた通り、人として生きるべきか……人ではないものとして、生きるべきなのか……それは、だけど僕が決める事……貴女に、決められたくはない」
 辰貴の両眼も、赤い。疲弊した、静脈血の色……いや、いくらか赤みが鮮やかになっているのか。
 とにかくそれは、夜見辰貴自身の、瞳の色である。
「貴女の瞳は……本当は何色なのですか、雛月さん」
 ヴィルは問いかけた。
「カラーコンタクトも、ヘアピースも……出来れば、外してはくれませんか。貴女は、もしかしたら……」
 その先の言葉を、ヴィルは呑み込んだ。
 1人の女性を、自分は今、捜している。手がかりは全く掴めていない。
 こんな所に、いるはずはないのだ。
 この雛月という女性を見た瞬間、しかしヴィルは感じた。今までの情報が、全て彼女に繋がったと。
 根拠のない、思い込みのようなものだ。
「……お前、だけど吸血鬼としての魔力が、目覚めかけてる……みたいだね」
 辰貴を睨み返しながら、雛月が言う。
「僕の……カードの力を、自力で破るなんて……」
「違いますよ。辰貴君は『戦車』のカードを、魔力の類で打ち破ったわけではありません」
 雛月の言葉を、ヴィルは断ち切った。
「白と黒の、2頭の馬……それは辰貴君の心です。人と吸血鬼、2つの道のどちらを往くのか。その迷いが今、彼を引き裂こうとしている。『戦車』のカードが意味するもの、それは一直線の暴走ではありません。2頭の暴れ馬に引きちぎられる心……葛藤です。というのはまあ、占い好きな傭兵仲間からの受け売りですがね」
「ヴィルヘルム・ハスロ……お前の顔と名前、覚えたよ」
 大木にすがりつき、よろめきながらも雛月は、敵意漲る声を発した。
「立て続けにカードを出して……魔力を、使い果たした。僕のその不覚は認めるよ。次は、こうはいかない……今、ここで僕を殺しておいた方がいいぞ」
「私にもね、貴女を殺す言い訳がありませんから」
 ヴィルは言った。
「……雛月さん。貴女が吸血鬼に奪われた大切なもの、それが物品あるいは誇りや尊厳といったものであるなら、取り戻す事は可能です。僭越ながら、私にお手伝い出来る事があるかも知れません。ですが」
 エメラルドグリーンの瞳が、赤いカラーコンタクトに向けられる。
「それがもし人の命であるならば、もはや取り戻せはしません。吸血鬼の力をもってしても、たとえ神や悪魔にすがったとしても……死んだ人間を生き返らせる事など、出来ないのですよ」
「…………ッッ!」
 憎悪の絶叫、の代わりのような眼差しでヴィルを睨みながら、雛月がよろよろと歩み去って行く。
 見送りながら、辰貴が言う。
「ヴィルさん……僕は、また助けてもらって……」
「私は何もしていませんよ。彼女の魔力を打ち破ったのは、辰貴君自身の、意志の力です」
 魔力の類ではない。
 この青年に、そんなものは必要ない、とヴィルは思う。
「あの『戦車』のカード、辰貴君ではなく私に向けられていたら……果たして一体、どんな事になっていたか」