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<東京怪談ノベル(シングル)>


ワルプルギスの贄
 なによりも大切な友を意識ある船首像に変え、商材として売りさばかんとした魔女結社。
 イアル・ミラールは燃え立つ怒りを胸に、結社が日本においての本拠としているホテルへ向かい――捕らわれた。
 -196度の液体窒素へ沈められたイアルは強化ガラスケースに収められ、自らの血肉と魂とが凍りつく絶望の像として魔女どもの目を楽しませていたが……。

「すみませんね。あと何百年かは飾っておく予定だったんですが、事情のほうが変わりまして。半年でまたお逢いすることになりました」
 友を船首像に、そしてイアルを氷像へと変えた魔女が、モノクルをふたつ繋げて造った眼鏡を押し上げた。
 ここは中世欧州の姫君が使っていた私室を、当時の品々で再現した部屋。
 空間の半ばを埋める天蓋つきのベッドのまわりには、しどけない姿を晒す十数人もの魔女が群れており、熱く濡れた視線を戸口へと注いでいる。
「姐様方がお待ちですんでね、さっさと運び込んでください。あわてず急いで、慎重にですよ」
 歳若い魔女らが、台座に据えつけられたガラスケースを部屋へと押し込んだ。魔力によって-196度に保たれたその内に在るものは、イアル・ミラール。
「……思い出しますね。ウチの結社が日本に運び込んだあなたはコールタール像でした。辱めるにはいいんでしょうが、運ばされるこっちはいい迷惑でしたよ」
 イアルの姿を見たベッドサイドの魔女たちがざわめき、もどかしい目を眼鏡の魔女へ向ける。
 なだめるようにうなずいた眼鏡の魔女がガラスケースに手を触れた。
「氷を血に。氷を肉に。氷を肌に。氷を命に」
 壮絶な魔力がケースの中で膨れあがり、冷気を押し退けてイアルを包み込んでいく。
 魔力はゆるやかに渦を巻き、イアルの凍りついた肢体をやさしくなぜる。
 と。
 青白く固まっていたイアルの血が、肉が、肌が、命が、解けていった。
 凍りついた人体を解凍する。それは想像以上に難しい芸当だ。魔力による冷凍状態なら、それなりの業を持つ魔女であれば再生できるだろう。が、魔力によらぬ冷凍で変質した血肉や細胞は、溶かしたところで元のとおりには戻せない。戻せないはずなのだ。
「――!」
 イアルの喉から声なき断末魔の叫び声がほとばしった。
 彼女の記憶は、未だ液体窒素の池に落とされたあの瞬間で止まっている。彼女はまだ、凍りゆく恐怖のただ中にいるのだ。
「金切り声はやめてくださいよ。興が削がれますんでね」
 眼鏡の魔女が手に力を込めただけで、強化ガラスが砂となって崩れ落ちた。
 彼女は体を強ばらせ、ついに断末魔の声をあげようとしたイアルの前に立ち。
 顔を引き寄せてその口に自らの口を重ねた。
「……っ!」
 眼鏡の魔女の長い舌がイアルの舌をまさぐり、からめとり、吸い上げる。
 イアルの恐怖が驚愕に侵され、驚愕が甘い痺れに犯されて……
「さあ、下ごしらえはこのくらいにしておきましょうか。姐様方、どうぞ召し上がれ」
 力の抜けたイアルの口から自らの舌を引き抜き、眼鏡の魔女がイアルをベッドへと放り出す。
 果たして。
 魔女どもがイアルに殺到し。
 果てのない宴が幕を開けた。

「っ、あ」
 イアルの白い体を魔女の指が、唇が這いまわる。
 かぶりを振って逃れれば、別の魔女にかき抱かれ、吸われる。
「あ、ああっ!」
 びくりとのけぞった体から意識がけし飛んで……体の奥を激しく突き上げられ、強引に呼び戻される。
 どれほど抗い拒んでも紫煙のようにまとわりつき、彼女を蕩かす悦び。
 いつしかイアルはそれに身を委ね、自ら肢体を、心を差し出していた。
「ん、ふぁっ」
 魔女どもの舌先や爪先、道具には魔力が乗せられており、イアルの魂から魔力を掻き出し、吸い取っていく。
 その攻めに反応した鏡幻龍がイアルを石化し、護ろうとするが。
「乙女の口づけで姫君は息を吹き返す。ほんとちょろいですね、イアルさん」
 眼鏡の魔女が石と化したイアルの唇を舌先でなぞり、自らの唇を押しつけた。
 吸われるにつれ解けていく石化。
「――う、ぁはっ」
「はい、元どおり。唇しか味わえないのは残念ですけど、ひとりくらいは正気でいないといけませんのでね」
 眼鏡の魔女が引いたと同時に、昂ぶった魔女どもがイアルへ巻きついた。
 やわらかくすべらかな渦にその身をすり潰され、イアルはまた意識を飛ばされ――呼び戻されて三度飛んだ。

「ぎ」
 イアルの後ろから激しく突き込んでいた魔女が唐突に爆ぜた。
「あ」
 イアルに吸いついていた魔女のひとりは水分と命とを瞬時に奪われ、塵と化した。
「面倒な感じですね、これは」
 宴の外で観察と記録を続けていた眼鏡の魔女が小首を傾げる。
 この宴はイアルを弄ぶばかりのものではなく、その身に宿りし鏡幻龍の魔力を吸い取るためのものだ。龍の力は結社の勢力をさらに拡大するための礎となるはずだった。
 いや、最初の三日は狙いどおりの流れにあったのだ。多数の女が垂れ流す色濃いにおいは、当事者ならぬ眼鏡の魔女にはかなり厳しいものだったが……。
 ともあれ魔力の護りを失い、悦楽の果てに魂までも魔女どもへ晒したイアル。あとはもう、空になるまで吸い尽くされるだけの贄でしかなかった。
 果たして魔女どもは嗤いながらイアルにのしかかって貪り、今、次々と命を失っている。
「魔力の吸い過ぎで爆発するのは自業自得ですけど、問題は貪るんじゃなく、貪られ始めてるってことでしょうかね」
 つぶやく間にまたひとり、魔女が塵になった。
「餓えた鏡幻龍、思った以上に厄介です」
 自ら魔女どもを迎え入れ、蠢くイアルの肌から立ちのぼる甘い芳香。
 あれが魔女どもを惹きつけ、狂わせ、踊らせている。
「――弱らせてみましょうか。鏡幻龍も、その力の源はイアルさんの魂なんですから」
 眼鏡の魔女は自らの服を脱ぎ落とし、イアルへと向かった。
「姐様方、お邪魔しますよ。イアルさんが人でいるうちは問題が消えないようですのでね。ここはひとつ、結社お得意の手で引きずり堕とすとしましょう」
 イアルの甘い嬌声が一際高く響き渡った。


 ホテルの地下施設を一匹の“犬”が行く。
 他の犬はケージの内に閉じ込められているため、彼女の縄張りが侵される心配はなかったが……時折石像が襲来することもあり、気は抜けない。
 自らの体を念入りにこすりつけ、においをつけていた彼女がふと顔を上げた。
「犬。今日も精が出ますね」
 突然に現われた、いけ好かない、しかし畏れるべきもの。彼女が定めた唯一の敵。
 犬は大きく跳び退き、体を強ばらせて威嚇した。
「ふむ。魂は獣に堕ちてもまだ力は損なわれていませんか。――ああ、そのままで。近づかないでくださいよ。すりよられて服を汚されると困りますんでね」
 モノクルをふたつ繋げた眼鏡を押し上げ、敵は肩をすくめてみせた。
「邪魔をしました。どうぞマーキング作業に戻ってください。後で姐様がかわいがってくださるそうですんでね。こんなに汚れた犬としようだなんて私には信じられませんけど。趣味は人それぞれですからねぇ」
 敵の姿が消え、犬は警戒を解いた。
 なぜ自分がここにいるのか、犬には知れない。
 しかしここには生きる場があり、餌があり、快楽がある。
 犬――本来の名を奪われ、獣に堕とされた彼女は闇に身をすべり込ませ、いくらかの後に与えられるだろう悦びに胸を高鳴らせた。