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ブラック・カースの厄難
「ティレ、わかっているわね? くれぐれも――」
「気を抜かないこと! ですよねっ。大丈夫ですよーお姉様!」
声をかけてきたシリューナ・リュクテイアへ胸をぽんと叩いてみせ、ファルス・ティレイラは元気よく応えた。
ここはシリューナの知人である魔女が施設長を務める魔法研究施設。
開発中の人造魔力発生機から漏れ出した魔力を吸い、おもちゃたちが魔物化、施設内で大暴れし始めた。シリューナはその施設長から「暴れているおもちゃの捕獲を手伝ってほしい」と頼まれ、ティレイラを伴ってここへ来たのだが……。
『おもちゃどもは小隊に分かれてゲリラ戦を展開! アルファチーム迎撃に移ります、オーバー!』
『ブラボーチームより本部! チャーリーチームは敵の奇襲で全滅! 航空支援を――!』
「こちら本部! 航空支援って、ドローンなんか飛ばしたら乗っ取られるでしょうが! ブラック・カースが行くまでブラボーチームは迎撃に専念! アルファチームはパープル・ウイングと合流後速やかに進軍! チャーリーチームの穴はアタシが埋める!」
ちびっこくてガリガリの体に黒衣をまとったそばかす娘……齢二百を越えるという施設長がせかせか振り返り。
「ってことでブラック・カース」
と、シリューナを見。
「パープル・ウイング」
と、ティレイラを見。
「あとよろしく!!」
適当に決めたのだろうふたりのコードネームを言い残し、三叉路の右路をぴゅーっと走っていった。
「大騒ぎになっているみたいだから、私たちも急ぎましょう」
「はい! お姉様、気をつけてくださいね!」
ティレイラが左路へ駆け込んでいく。
そしてシリューナは残る中央路へ踏み出した。
――心配ね。なにせ武器がこれだもの。
シリューナは手にした魔動式水鉄砲を見やり、ため息をついた。
背中に負ったタンクには、水ならぬ特殊樹脂が詰められている。コンポジットレジン――歯医者で使われる治療用の硬化樹脂――に研究施設製の魔法薬を加えて作ったこれをおもちゃへ当てて固めれば、壊すことなく回収できるというわけだ。
「でも、ねぇ」
もともとおもちゃはハロウィンの際、お菓子といっしょに子どもたちへ配るためのものだという。壊さないにこしたことはない。が、ただでさえ迂闊なティレイラにこんなものを持たせて無事ですむかどうか……。
――心配ばかりしていてもしかたないけれど、ね。
ついつい引かれてしまう後ろ髪を引き抜くように、シリューナは足を早めた。
「アルファチーム、ゴーゴーですよーっ!!」
魔女たちの先陣を切って撃ちまくるティレイラ。動物ぬいぐるみ部隊の強襲を翼で飛び越え、ドール部隊の支援射撃を空間転移でやり過ごして確実に戦果を重ねていく。
「ふう。研究施設はほんと、地獄ですー」
どこかで聞いたようなセリフを口ずさみながらフルオートで樹脂をばらまいていたティレイラだが、引き金を引きっぱなしていた指の感触が唐突に重さを失う。
「弾切れ! ――補給班、補給をおねが」
振り向いたティレイラの目に信じがたい光景が映った。今まで攻勢に出ていたはずの魔女たちが、体を固められて転がっていたのだ。
「あれってまさか――これ!?」
どう見ても魔女たちを固めているのは、魔女やティレイラの武器であるはずの樹脂だ。そうだとすれば、いったい……!?
ティレイラの疑問がびしゃりと塗り固められた。
とっさに空間転移してかわしたティレイラは、本能的に物陰へ跳び込んで様子をうかがう。
キッキッキ、キッキッキ、キッキッキッキッキッキッキ。
魔女たちの後方から這い出してきたものは。
「お猿さん!?」
シンバルを叩いて鳴き声をあげる、古式ゆかしい猿のおもちゃだった。
ただし通常の手のひらサイズではない。全高3メートルに及ぼうかという巨体のだ。
「すごい魔力……!」
人造魔力発生機の近くにあったのだろうか、そのアクリル製の毛皮から大量の魔力をしたたらせ、キッキッキ、キッキッキ。捕らえていないはずのティレイラ目がけて一直線に向かい来る。
「すぐ元のお猿さんに戻してあげる。それで私とお姉様のティータイムにシンバル叩いてもらっちゃうんだから!」
水鉄砲の引き金を引くティレイラだったが。
「あ! 弾切れてたんだった!!」
果たして。
キッキッキッキッキッキッキ――びゅう。
猿は迫り上げた口から液体を発射。
「え!?」
意外すぎて避けられなかった。
液体で全身をずぶ濡れにされ、床に倒れ込むティレイラ。
「なにこれ、なに!?」
翼が動かない。尻尾も動かない。体も当然、動かない。
ここで彼女はようやく思い至る。
あの猿は補給班が運んでいた樹脂のタンクを飲み込み、それを発射して魔女たちを、そして自分を固めたのだと。
――せめてお姉様に伝えなきゃ!
しかし動こうにも樹脂は速やかにティレイラをからめとり、固めていく。
「あ、んっ、ちょっと」
それでも樹脂の拘束から逃れようともがく彼女の両目にひとつのビジョンが浮かび上がった。
自分とシリューナの像が並んで立っている。そのまわりを取り巻いた黒い影が、ふたりに笑声を浴びせかけて……。
この白昼夢は、自分とシリューナの末路を語る予知夢だ。それを覆せるのは自分だけなのに、その自分がこうしてどうにもならない状況に陥ってしまっている。
「お姉様、ごめんなさい――失敗――しちゃ」
フィギュアと化して転がったティレイラを尻目に、猿はキッキッキ、キッキッキと歯を剥いてみせた。
「私は行くわ。後始末、任せたわよ」
担当区域を制圧したブラボーチームを残してシリューナは転進、アルファチームの担当区を目ざす。
アルファチームの支援に向かったティレイラからの連絡が途絶えて二十分が経つ。それまでは度々『お姉様無事ですかっ!?』などといらぬ通信を送ってきていたのに。
――いやな予感、と言うには少しあからさますぎるわね。
口の端に苦い笑みを刻み、シリューナは空間転移。ティレイラが戦っていたはずの戦場に降り立って。
床に伏すティレイラを見つけた。
「ティレ?」
ティレイラは応えない。振り返らない。身動きすらもしない。
――やっぱり。
妹分が最初に心配していたとおりの状況に陥ってしまったことを知り、シリューナは天井を仰いでため息をついた。
樹脂の像を引き起こし、内に封じられたティレイラの生命反応を確認。大丈夫。生きている。
「まったく……竜でよかったわね」
普通の人間なら、樹脂で固められれば窒息して死んでいるところだ。
シリューナは妹分を助けだそうとして、はたと気づいた。樹脂の中和剤を持っていないことに。
「術式だけで解けるかしら」
掌に魔力を集めて編み上げ、樹脂に含まれた魔法を解きにかかる。時間はかかるが、樹脂を割れるくらいまでは持って行けそうだ。
と、いうところまで確認し、シリューナは薄笑みを浮かべる。
「ぎりぎりのところで留めないと――本当に割れてしまったら、ティレのフィギュアを堪能できなくなるものね」
聞こえていたなら「お姉様は邪竜ですぅぅぅぅ!!」とティレイラは叫んだことだろうが、邪竜かどうかはともかくシリューナは常識の枠を超えた美の信奉者。妹分の心情よりも自身の欲が優先されるのだ。
「とは思ったものの、これはなかなか手強いわね……」
さすがはあの魔女が編んだ術式だ。クセが凄まじい。これを程よく中和し、ティレイラが脱出できる寸前の状態までほぐすには、いかなシリューナであれかなりの集中を必要とする。
だから。
察知できなかった。
キッキッキ、キッキッキ……異様な魔力塊の接近を。
「っ!!」
背中から浴びせられた液体がティレイラを固めた樹脂であることはすぐに知れた。
振り向きざまに破壊の波動を乗せた解呪魔法を放ち、巨大猿を崩壊させもした。
が。それによって猿が腹に飲み込んでいた樹脂が爆散し、不十分な体勢にあった自分の全身を濡らすことまでは防げなかった。
「くっ!」
シリューナの体を押し包んだ樹脂が速やかに硬化する。
彼女は全力で解呪にかかったが、樹脂のクセが強すぎてうまく落とせない。しかもティレイラが気になってしかたなくて、どうにも作業に集中できなかった。
あの白いばかりの樹脂にカラーリングを施し、完璧なティレイラ像を作れたら――
欲望が彼女の心をかき乱し、さらに集中を妨げる。
――さすがに笑えないわね、ミイラ取りがミイラになるなんて。それもティレを愛でられないまま……
果たして天を仰ぐ型に固まったティレイラ像の横に、悩ましい表情でそれを見上げるシリューナ像が並ぶこととなったのだった。
「いやいや、やっと片づいたーっとととぉ?」
全滅したチャーリーチームの穴をひとりで埋め、おもちゃどもをもれなく固め落とした施設長は、助っ人たちの成れの果てを見つけて高い声をあげた。
「うーん。パープル・ウイングちゃんはもしかしたらやらかすかもって聞いてたからアレだけど、まさかブラック・カースも、とはねぇ」
頭を右に傾げた施設長に、次々と魔女たちが報告を浴びせかける。
「施設長、おもちゃの損傷率は2・3パーセント! 補充が必要です!」
「我が施設の魔法と技術の粋を結集した“いたずら用水鉄砲猿”はブラック・カース殿にやられました。このままでは二丁目の小林さん宅の次男君が暴れ出すかも」
「今年はどうやら大きいお友だちも仮装して攻め寄せるっぽいです。そっちはどうしましょう? 飴でもくれて追い返しときます?」
施設長は頭を左に傾げ、考え込んだ。
このままでは配布予定のおもちゃが足りなくなる。
大きいお友だちも攻めてくる。
小林君専用おもちゃはシリューナに壊された。
ついでに、慣れない戦いに駆り出された魔女たちにはねぎらいが必要だ。
「……責任、とってもらおっか」
「ワルプルギス始めるぞー!」
施設長の音頭で魔女たちが一斉にグラスを掲げ、「おー」と威勢をあげた。
ワルプルギスとは魔女の宴。酒と煙草と珍味で綴られる、ようするにただの宴会だ。
場の真ん中に据えられたシリューナとティレイラのフィギュアを肴に、魔女たちは今日の戦いについて語り合い、互いに称え合った。
「まあ、アタシの話はつまんないもんだよ。ただ撃って、ただ固めた。ブラック・カースはどうだったんだろうね。ねぇ?」
施設長は人の悪い笑顔をシリューナに振り向けた。
ちなみにシリューナ、数人の魔女によって型を取られている最中である。
「わかってるよ。中からちょっとずつ解呪してるんだって。でもま、出てくるころには試作品もできてるからさ」
水煙草の甘い煙を吐き出しながら、施設長がぱんぱん。手を打ち鳴らした。
「パープル・ウイングの型取りも急いで急いで! おっかない竜の姐さんが這い出してくる前に仕上げるよ!」
その間にも、等身大フィギュアを囲んだ魔女たちは歌い、踊り、酒をあおり、水煙草をふかして笑いさざめいた。言っている内容ややっていることを考えずに影絵化すれば、それはまさにティレイラが見たビジョンのままの光景だった……。
「で。これがいったいなんだっていうの?」
ようやく樹脂の内から脱出してきたシリューナが尖った声音を垂れ流す。
「10分の1“ブラック・カース”と“パープル・ウイング”だけど?」
しれっと施設長が答えた。
ふたりの間に置かれたものは、シリューナとティレイラで取った型を魔力で縮小化。そこへ特殊樹脂を流し込んで造り上げた精巧なフィギュアだ。
フィギュア化だけでも問題なのに、もっと大きな問題がある。ふたりが固められたときのままの姿勢と表情をしていることだ。
こんなものが出回って、さらに知り合いにでも見られてしまったら――商売に障るどころかシリューナのキャラクターが崩壊してしまう。
「問題は着色するか素体で出すかだねぇ」
白いままのフィギュアを前に施設長は悩む。
ちなみに彼女、等身大フィギュア状態のふたりにあれこれ着色してみていた。従来の色を乗せるだけでなく、色違いにしてみたり、アクセサリーを後づけしてみたり、上から着ぐるみを着せてみたりもだ。
「……許可も取らずにいろいろとやってくれたものよね」
殺気立つシリューナの指先から、竜の爪が伸び出した――
「いやいや。だっておもちゃ壊したでしょ? たかだか魔力暴走で動いてるだけのおもちゃ、圧倒的魔力を誇る竜様が手加減もできないでぶっ壊すとかさぁ」
――爪が、力を失くして引っ込んだ。
そんなシリューナを、施設長がさらに追い詰める。
「とりあえずコレは量産して大きいお友だちに配らせてもら」
「それはだめよ! 絶対に!」
あわててフィギュアを奪い取るシリューナを邪魔することもなく、施設長はうんうんとうなずいた。
「そう言うと思ったよ。だから、これ」
そっと置かれたもの、それは。
「これも、私とティレ?」
アニメ調にディフォルメされた、二頭身のシリューナとティレイラ。
竜の着ぐるみをまとったノンスケールのフィギュアは、未だ無着色でありながらなんとも言えないかわいらしさだ。
「名づけて“どらごんロイド”! いやいや、日本になんとかロイドってのがあんのよ。これなら小さいお友だちも大きいお友だちも喜ぶでしょ」
シリューナは顔いっぱいの笑みを称えたティレイラと、口元に薄笑みを浮かべた自分のフィギュアを手に取り、ながめた。
自己顕示欲を覚えたことなどないが、こんなにかわいらしいもののモデルになるのは意外に悪い気分じゃないものだ。
それにこんなものを見せられてしまったら、我慢ができなくなるわけで。
「……色を決めないとね」
シリューナがそのあたりに置かれていたスプレーガンを取り上げた。
「ティレにいちばん似合う色を、ティレの体に訊きましょうか」
未だ樹脂に固められ、七色に染め上げられたままのティレイラへ歩み寄り、オフホワイトの塗料を吹きつけた。ちなみにこれは、その後の彩色の発色をよくするための準備である。
「……妹分、助けなくていいの?」
「そんなことは後よ後。今はもっと大切なことがあるわ」
スプレーガンを手に、シリューナがティレイラへ迫る。
『お姉様は邪竜オブ邪竜ですぅぅぅぅぅぅう!!』
頭に響いたティレイラの念は完全無視。シリューナのワルプルギスが幕を開けた。
ハロウィン当日。
研究施設は多くのオバケでにぎわい、その手におもちゃとお菓子が渡された。
その中でも“どらごんロイド”は一番人気となったが、施設の資金繰りのため、大きいお友だち限定で売り出された10分の1リアルフィギュアもまた同じほどの数が放出され。
シリューナはティレイラと共に各方面からいじられることとなり。
紫の翼持つ竜とそばかす魔女との間でいろいろとあった末、シリューナの魔法薬屋の在庫が微量増えることになる。
そして。
「……まったく、とんでもないことになったわね」
ティレイラが倉庫の掃除に向かった後、書斎でひとり顔をしかめるシリューナ。
そのプレジデントデスクの端から“どらごんロイド”が二体、今日も笑顔を並べて彼女を見つめているのだった。
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