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<東京怪談ノベル(シングル)>


堕ちたアイドル


 オカルト系アイドルなどと持て囃されていたのは、せいぜい22、3歳の頃まで、であろうか。
 いろいろと苦しくなったので、路線変更を行った。
 芸名を、本名である「瀬名雫」に戻して舞台に挑戦した。テレビドラマでも、ちょっとした役をいくつかもらった。雛壇でトークもしてみた。グルメレポートや、司会もやった。AV紛いの映像作品にも出演した。脱ぐのは時間の問題、いや脱いでも売れないだろう、と言われながらだ。
 20代は、迷走の時期であった。
 何人もの芸能人男性に、手を出されたり出したりした。薬物にも溺れた。
 手首には、いくつもの躊躇い傷が残っている。自殺騒動も、マスコミが大きく扱ってくれたのは最初の1度目2度目だけだ。
 イアル・ミラールの事は時折、思い出した。
 辛かった。
(あたしが一番……輝いてた時期だもんね。イアルちゃんと一緒に、いろいろやってたの)
 語りかけてみる。いや、声が出ない。
 声帯も舌も口内粘膜も石化しており、しかも苔が生えている。
 味覚も嗅覚も生きているので、苔の生臭さと不味さが口と鼻腔に満ち溢れ、絶えず吐き気が込み上げて来るが嘔吐は出来ない。
 何故なら、石像だからだ。
 苔むした、石の女人像。それが今の瀬名雫だった。
(……ばちが……当たったのよね……)
 雫は苦笑したかったが、表情筋も石化している。
 苔の貼り付いた石製の頬を、綺麗な五指がそっと撫でる。
「駄目よ……貴女はね、雛壇なんかに座っちゃ駄目」
 虚無の境界の、盟主である。
「くだらないバラエティーの司会なんて、やってちゃ駄目なのよ。貴女のトークスキルはね、オカルト関係の企画でしか活きないんだから」
 容赦のない事を言ってくれる彼女は、瀬名雫の、いささか迷惑なほどのファンなのだ。
「……ねえ、どうして? あんな、つまらない男と不倫騒ぎなんか起こして」
(えー……っと、どの男かな。心当たりあり過ぎて、わかんない)
 不倫騒ぎという事は、それまで愛妻家として知られていた、あの大物俳優であろうか。男なら誰でも良い、という時期が雫には確かにあった。
 その大物俳優は、あの騒ぎが原因で破滅した。雫も、大いに世間から叩かれた。
 知名度は上がったが、芸能人としての売り上げには今ひとつ繋がらなかった。
 盟主が、なおも問いかけてくる。
「……どうして、オカルト路線やめちゃったの? いい歳してピラミッドの呪いだの終末予言だの生きていた恐竜だの言いながらUFO追っかけてる痛い女、なんて書き込まれたから?」
 21歳の誕生日を過ぎた頃から、そんな書き込みが増えてきたのは事実である。
「書き込んだ連中は1人1人、特定してさらって霊鬼兵の材料とかにしておいたから……ねえ『前世少女座談会』と『自動筆記コンテスト』、は無理かしらね。せめて「歴史的人物降霊シリーズ」だけでも復活させてくれない?」
(あんなの全部嘘っぱちに決まってんじゃないの。アレキサンダー大王やトーマス・エジソンが日本語しゃべってる時点で、怪しいと思いなさいよねっ)
 雫の声なき叫びも、盟主には届かない……いや、届いたのであろうか。雫を見つめる、禍々しいほどの美貌が、ニヤリと歪んでいる。
「アイザック・ニュートン、織田信長、クレオパトラに始皇帝……貴女、いろんな偉人になりきっていたわよねえ。特に傑作だったのが『ティラノサウルスの回』。いくらネタ切れだからってティラノサウルスはないでしょうとは思ったけど、楽しかったわよ」
 同企画の打ち切りを決定付けた、伝説の回である。今でも動画サイトで見る事は出来る。
「貴女スタジオで大暴れしてたわねえ。まるで本物の肉食恐竜みたいだった」
(ヤケクソになってただけよ……)
「今じゃもう、あんな番組は作れない……貴女のあの演技力が、大河とか月9みたいに無難な脚本で活かせるわけないものね」
 盟主が、微笑みながら涙を流している。
「いろいろ上手くいかなくて、焦ってたのはわかるけど……ねえ、どうして? どうして、あんな薬に手を出しちゃったの?」
 禍々しく輝く赤い瞳が、涙に沈む。
「それは確かに、あの薬を売りさばいていたのは虚無の境界だけど……」
(ああ……そうだったんだ)
 芸能人やスポーツ選手の間で、流行っていた薬物である。
 雫もそれで、懲役と執行猶予をもらった。
「だけど駄目……貴女だけは、あんなものに手を出しちゃ駄目なのよ。あの薬が、身体から抜けるまで……かわいそうだけど石になっていなさい。何十年でも、何百年でも」
 涙を拭いながら盟主が、もう1つの石像に手を触れている。
 精巧だが躍動感に乏しい、石の女人像。若い女性の死体を、そのまま石化したかのようである。
「安心して。その間……このイアル・ミラールと、ずっと一緒にいさせてあげるから」
 イアル・ミラールの石像……いや、それは石像ではなかった。
 石ではなく、氷。
 綺麗な凍死体、あるいは氷像。盟主の手に触れられたまま、イアルはそんなものに変わっていた。
「貴女も、この子も……一書に仲良く、随分な目に遭ってきたのねえ。ふふっ、その思い出に浸らせてあげるわ。何百年でも、何千年でも」
 盟主がそんな事を言っている間、イアルは楯に彫り込まれたレリーフ像と化した。
 そう見えた時には、生身に戻っていた。
 意識のない、生身の肉体。限りなく屍に近い存在。イアルの心は今、完全に『物』と化しているのだ。
 そんなイアルの肉体が次の瞬間、ブロンズ像に変わっていた。
(そう……イアルちゃんと初めて会った時……あたしブロンズ像だった。臭っっさいコールタールに漬けられて……)
 イアルの事は出来る限り、思い出さぬよう努めてきた。
(今のあたしを……イアルちゃんに、見せられない……)
 路線変更から今までずっと、そんな思いを抱き、迷走を続けてきた。
 迷走の果てに、彼女と出会った。彼女に取り込まれ、支配され、汚染された。
 彼女の尖兵となり、不倫・薬物など問題にならないほどの悪事に手を染めてきたのだ。
 そして今、こんな様を晒している。
(イアルちゃんは……いつも、あたしを助けてくれたよね……あたしが真珠になっちゃった時も、変なバニーちゃんにされちゃった時も、人魚にされて凍っちゃった時も……あの時は、みんなが、あたしの事忘れちゃって……だけどイアルちゃんは、覚えててくれて)
 雫の、眼球も涙腺も石化している。涙を流す事が出来ない。
(今のあたし……イアルちゃんに助けてもらう資格なんて、ない……イアルちゃんを助けてあげたい、なぁんて思うのも……おこがましい、よね……)
 心の中で、語りかける。
 雫に出来る事は今、それだけだ。
(あたし、ね……あれから、悪い事ばっかりしてきた。許してもらえるわけないけど、想像するのは自由だよね……あたし、またオカルト路線に戻ろうかな。幽霊とかネッシーとかグレイエイリアンに囲まれて、終末予言の謎を追っかけたり、青森でキリスト様のお墓を探したり……イアルちゃんと一緒によ。ね、覚えてる? 最初に言った、オカルト&アクションの新感覚エンターテインメント……あたしずっと企画、あっためてるんだから……)