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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


愚者の影


 両断したかのような半月が、地上を照らす。戦場を、中途半端に明るく照らし出している。
 タイ、ミャンマー、ラオス、3国が接し交わるメコン川の一流域。密林の、いくらか開けた場所である。
「主任……しっかりして下さい、主任!」
 先輩であり上司である傭兵の身体を、ヴィルヘルム・ハスロは抱き起こし、揺さぶった。いくらか怪我をしていても、乱暴に揺さぶったくらいで死ぬような男ではない。
 だが、主任の声は弱々しかった。
「俺は……もう、駄目だ……お前は行け……」
「貴方は我々の上司です! 作戦終了まで、我々を統率する責任がある!」
「我々ったって……生き残ってんのは、お前だけだろヴィル……」
 血と泥と迷彩模様にまみれた顔で、主任は微笑んだ。
 密林のあちこちに、仲間たちの死体を残して来てしまった。遺品を回収している余裕すらなかった。
 奇襲作戦、のはずであった。
 だが武装勢力は、完璧な迎撃の体勢を整えていた。奇襲を受けたのは、ヴィルたちの方である。
 こちらの作戦が、武装勢力側に漏れていたとしか思えない。
「やられたよ……あの、くそったれな情報屋の野郎にな……」
 主任が、言葉と共に血を吐いた。どうやら肺の辺りに、銃弾がめり込んでいる。
 あの情報屋は、少なくとも嘘はついていない。彼の情報通り、武装勢力の中心人物は確かに、この密林に潜んでいた。
 タイの華僑と繋がりを持ち、中国系の資金援助を武装勢力にもたらしている人物。
 彼1人の居場所を、あの情報屋は、広大なゴールデン・トライアングル全域の中から特定して見せたのだ。
 優秀極まる情報屋ではある。引く手数多であるのも当然だ。
 武装勢力側に通じていたとしても、不思議はない。
(それに気付かなかった、私が迂闊であった……という事)
 ヴィルは唇を噛んだ。
 あの情報屋との交渉を行ったのは、主に自分である。
「自分の責任……なんて思うなよ、ヴィル……」
 吐血の咳をしながら、主任は言った。
「この奇襲作戦にゴーサインを出しちまったのは、俺だ……俺たち全員で……あのクソ情報屋に……踊らされてたって事……」
 荒々しく茂みを踏み分ける足音が複数、様々な方向から近付いて来た。
 銃声も聞こえた。ヴィルの近くで、銃弾がビシビシッと地面を抉る。
 武装勢力の、民兵たちだ。
 主任が、ヴィルの腕を掴んだ。
「……頼む……とどめを……」
 負傷者を連れ運んで逃げるのは、もはや不可能だ。
 死にきれぬまま武装勢力に捕らえられたら、死よりも残酷な拷問を受ける。
 ならば、ヴィルのするべき事は1つしかない。
 別れの言葉をかける暇もないままヴィルは、主任の左胸にナイフを突き込んだ。心臓を刺し貫いた手応えを、しっかりと握り締めながら。
 屍を放置して、ヴィルは駆け出した。密林のあちこちから民兵が現れ、小銃をぶっ放してくる。
 今は、逃げるしかなかった。
 空には、叩き斬ったかのような半月が浮かんでいる。
 満月であれば。
 ヴィルは一瞬、本当に一瞬だけ、そう思ってしまった。


「えっ……あの先生、それじゃ……僕が、その……」
 夜見辰貴は言い淀んだ。
 ヤーコフ・グラトコフが、じっと青い瞳を向けてくる。
 まるで熊が白衣を着ているかのような、巨体の町医者である。ロシア人、であるらしい。
 医者と言うよりロシアンマフィアを思わせる凶猛な顔面の中、青い両眼はしかし静謐な輝きを湛えている。
 俯き加減に、辰貴は言葉を続けた。
「……ご存じ、だったんですか? 僕がその……吸血鬼だって事」
「お前ここに運び込まれて来た時、自分がどういう状態だったか覚えてるか?」
 安物の椅子を巨体でギシギシと言わせながら、ヤーコフ医師は言った。
「あれだけ身体に鉄砲玉めり込ませて、生きてられる人間いるわけないだろう。まず人間じゃねえな、とは思うさ」
「どうして……」
 人間ではない自分を、ここで働かせてくれるのか。
 辰貴の口の中で、もごもごと籠ってしまったその問いに、ヤーコフはぶっきらぼうに答えてくれた。
「こんな街だ。人間じゃねえ奴なんざ、いくらでもいる……吸血鬼ってのは、さすがにちょいと珍しいかな」
 ロシアンマフィアを思わせる厳つい顔が、ニヤリと歪む。
「お前……血、飲みたいか?」
「いえ……」
 今なら、そう言える。
 血の味を、忘れるな。不味さを、生臭さを、おぞましい味を、決して忘れてはならない。
 辰貴の母親は、そう言っていた。己の血液を、息子に啜らせながらだ。
 吸血。それが、いかにおぞましい行為であるのかを、自分は知っている。あの時、思い知ったはずであった。母が、身をもって教えてくれた。
 血は、不味い。それも思い知った。あの美しい母の身体から流れ出したものであってもだ。
 内臓が裏返るほどの吐き気を催す、不快極まる味。それを、しかし衝動的に求めてしまう時がある。
 あの少女を見かけた時が、そうだった。
 美しい少女だった。もちろん、外見の美醜で血の味が変わるわけではない。たとえ美少女の肉体から流れ出したものであっても、血液は不味いに決まっている。
 頭ではそれを理解しながら、しかし辰貴はつい、少女を尾け回してしまった。
 血が、欲しくてたまらなかった。
 尾け回すだけで、あきらめる事は出来た。が、それを街中の監視カメラに捉えられてしまったのだ。
(疑われても……しょうがないよな、確かに……)
 辰貴は、そう思う。
 自分が、衝動に負けて人を殺しかねない、おぞましい怪物である事は間違いない。それが判明したばかりなのだ。
 血の伯爵夫人、の末裔。
 あの赤い髪の女性は、辰貴の事をそう呼んでいた。
 血の伯爵夫人なる存在が、一体何者であるのか辰貴は知らない。
 亡き両親は、もしかしたら知っていたのかも知れない。その名を、息子に聞かせるまいとしていたのかも知れない。
 ヤーコフが言った。
「血が欲しくなったら、俺のを飲ませてやるよ。いい感じにアルコールが混ざってなあ、飲みやすくなってると思う」
「……お気持ちだけ、いただいておきます」
 俯いたまま、辰貴は応えた。ヤーコフ医師の青い瞳を、やはり直視出来ない。
 自分の瞳は、血の色をしている。黒ずんだ赤色。
 一見、黒い瞳である。だがよく見ると、赤色である事がわかってしまう。
 だから幼い頃から、人の目を見て会話をする事が出来なかった。
「血が飲みたくなったら、お酒でも飲んでごまかすのが良いでしょうね」
 診察室の片隅でパイプ椅子に座っている男が、ようやく言葉を発した。
 辰貴よりもいくつか年上と思われる、白色人種の若い男。長い脚を組んで座った格好が、ハリウッド俳優の如く様になっている 。
「ヤーコフ先生のようになってしまうかも知れませんが……吸血鬼として後戻りが出来なくなるより、遥かにましでしょう」
「……何だ、起きてたのかヴィルヘルム氏」
 ヤーコフが苦笑した。
「一言も喋らないから、座ったまま眠ってるかと思ったぞ。タイから帰って来たばっかりなのに厄介事に巻き込まれて、かなり疲れが溜まってるんじゃないのか?」
「確かにね、メコン川の密林では死ぬような目に遭いました。その時の事を思い出していたのです……もちろん、お2人の話は聞いていましたよ」
 ヴィルヘルム・ハスロ。
 彼もまた、何かの末裔と呼ばれていたような気がする。赤い髪の女性に粉砕された、あの吸血鬼たちによって。
 確か……串刺し公の末裔、と。
「串刺し公……」
 辰貴は、うっかり口に出して呟いてしまった。
 ヴィルが微笑んだ。
「そう、彼らが言っていた通り……私は、串刺し公の末裔です。それがどれほど禍々しいものであるのか、私自身も把握してはいないのですが」
「あっ、いや……その……」
 辰貴は慌てふためき、くだらない事を口走ってしまった。
「……僕も……血の伯爵夫人、の末裔……らしいです……」
「辰貴君が今日まで知らなかった、その事を……彼女は何故、知っていたのでしょうね」
 ヴィルにとっては、くだらない事ではないようだ。
 彼女とは、あの赤い髪の女性の事であろう。
「ちょっと、これを見てくれ」
 ヤーコフが、大きな手で小さな物をつまみ掲げた。
 ビニールの小袋。中身は、いくつかの金属の粒だ。
 潰れた銃弾であった。しかも、純銀製である。
「辰貴の身体の中から、出て来たもんだ。ご丁寧にも銀の弾丸なんてもの用意して、辰貴を殺そうとしやがった連中……ヴィル氏いわく日本政府の関係者らしいが、とにかくそいつらは知ってたわけだ? 辰貴が、銀の弾丸じゃないと死なねえ生き物だって」
「この弾丸では、吸血鬼は殺せませんけどね」
 小袋の中身をちらりと確認しつつ、ヴィルは言った。
「キリスト教系の、しかるべき白魔術儀式で精製された銀でなければ効果はありませんよ。ただ純銀製というだけではね」
「そう、純銀だ。おい辰貴、こいつは撃たれたお前に所有権があるが」
「……要りません」
「じゃあ俺が売っちまうぞ。何しろ銀だからな、酒代くらいにはなる……辰貴、もう1度撃たれてこい。俺がいくらでも摘出してやるから」
「勘弁して下さいよ!」
 他愛のない会話を聞き流しながら、ヴィルが何やら沈思している。
 腕組みをする姿も様になっている、と辰貴は思った。


 自身が吸血鬼である事を当然、辰貴はずっと隠し通してきたはずだ。
 それをしかし、あの日本政府関係者たちは知っていた。
 一国の政府がその気になれば、国民1人の隠し事を調べ上げる事など造作もないであろう、とはヴィルも思う。
 だが夜見辰貴は、まず誘拐殺人犯として逮捕された。
 その時点ではまだ、単なる人間の一容疑者であったのだろう。吸血鬼であると知られていたなら、拘留中に始末されていたはずだ。
 幸いにしてそれはなく、辰貴は証拠不充分で釈放された。
 日本政府が刺客を放ったのは、その後だ。
(辰貴君が吸血鬼である、と日本政府が確信を抱いたのは……つまり、釈放直後の頃)
 政府が独自の調査で、夜見辰貴の正体を知ったのか。
 あるいは、とヴィルは思う。知らせた者がいるのか。少女誘拐殺人事件の被疑者・夜見辰貴は、吸血鬼であると。
 公園で辰貴に接触を求めてきた、あの赤い装束をまとう者たちか。
 彼らが、主と仰ぐ夜見辰貴を、後戻り出来ぬ吸血鬼の道に引き込むべく、日本政府に情報を流した。それは、ありそうな事ではある。
 そして彼らは直後、あの赤い髪の女性によって、容赦のない殺処分を受けた。
 彼女も、辰貴の正体を知っていた。日本政府に知らせたのは、では彼女か。
 ありえない、とヴィルは即座に否定した。彼女の目的は、生きた夜見辰貴に何かをさせる事であって、彼を政府の刺客に始末させる事ではない。
 そもそも彼女はいかにして、それまで会った事もなかった夜見辰貴の正体を知ったのか。
 知らせて、けしかけた者がいるのではないか。貴女が目的を果たすためには、吸血鬼の力が必要であると。そして、夜見辰貴という吸血鬼がいると。
「けしかける……」
 ヴィルは、思わず呟いた。辰貴とヤーコフ医師が、何事かと怪訝そうな目を向けてくる。
 自分たちも、けしかけられたのではないか。そんな事を、ヴィルは思った。
 あの密林に、武装勢力の中心人物が潜んでいる。そんな情報に踊らされた結果、あのような事になった。
 自分は、あの情報屋に踊らされていたのではないか。
 父・ハスロ博士の最期。ブカレストでの、野良犬のような日々。その後、あのシスターに拾われて平穏に、だが今にして思えば飼い犬のように暮らしていた事。
 ヴィルの全てを、あの情報屋は知っていた。
 過去を、心を、読まれている。引き出されている。ヴィルは、そう感じたものだ。
 同じように、と言うべきであろうか。触れただけで相手の未来を視る事の出来る女性がいた。今は、いない。
 そして、彼女の仇を討つために姿を消した女性もいる。
「ヤーコフ先生には、御報告しておくべきでしょうね……」
 ヴィルは言った。
「彼女を、見つけましたよ」
「……ここへ連れて来る事はまだ出来ない、ってわけか」
「ですが先生のお言葉、と言うより一喝が、もしかしたら必要になるかも知れません」
 あの赤いヘアピースを、カラーコンタクトを、ヤーコフ医師の一喝で吹き飛ばす事が、もしかしたら出来るかも知れない。
 今の彼女は、とにかく正常ではない。正常ではないところへつけ込んで、彼女に何かをさせようとしている者がいる。
 ヴィルがそう感じた事に、根拠はない。
 彼女の背後に、何かがちらついている。そう感じるだけだ。
 今の彼女が、あの時の自分と同じように見えてしまうだけだ。
 あの情報屋を信じ、知らずに踊らされていた、愚かな自分と。
(気のせい、でしょうか……彼女の背後に、貴方の姿が見えてしまうのですよ。私には)
 この場にいない相手に、ヴィルは心の中で語りかけた。
(確認しなければならない。あの奇襲作戦が発覚したのは、単純な我々のミスなのか、それとも貴方の密告によるものか。後者である、としたら)
 復讐をする資格など自分にはない、とヴィルは思う。
 あの情報屋を信じた、自分が愚かであったというだけの話だ。
(正当な報復、ではない……私の、逆恨みと八つ当たりを受けてもらいますよ。情報屋)