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<東京怪談ノベル(シングル)>


崩落
 無二の友イアル・ミラールが魔女結社に捕らわれて数ヶ月が過ぎた。
 イアルの居所は知れている。しかし、ただの人間に過ぎない彼女に、魔女どもの巣窟深くに閉じ込められた親友を救出できようはずもない。
 己が無力を噛み締めるばかりで過ぎゆく日々の中、彼女もまた魔女結社の手に堕ち……すべては終わったかに思われた。
『やっと繋がった』
 ――魔女に心を操られるまま眠りについたカスミの夢に現われたのはイアルだった。
 彼女は自らの元へ来るようにカスミへ語り、そして。
『目覚めなさい。鏡幻龍は今、あなたとともに在る』
 イアルを護る鏡幻龍を托した。

 跳ね起きたカスミが自らの胸の中央に手をあてがえば、心臓の鼓動と重なる強くやわらかな息づかいが返ってくる。
 いる。
 この胸の内に、この世の理を超えたなにかが。
「あなたはイアルじゃなくて――龍なの?」
『そう。あなたの心内にあるイアルの像を依り代にしているの。わたしにはもう、実体がないから』
 イアル……いや、イアルの姿をした鏡幻龍は、魔女どもに弄ばれる中で魔力を奪われつつあるイアルの現状を語り、さらに魔女結社の実験体として使役されているカスミの状況を語った。
「え? 私、そんなっ!?」
『憶えていないだろうことはわかっていたことだけどね。ともあれわたしの力があれば、あなたは魔女の軛から逃れるだけじゃなく、イアルを救い出すこともできる』
「その、私のアレな話は置いておいて――鏡幻龍さんって、石になる以外に力があるの? 私、剣も魔法も使えないのよ?」
 真っ赤な顔を元に戻せないままのカスミが、ためらいがちに龍へと問う。
『純潔の乙女であるあなたなら、わたしの力を余さず使うことができるわ。――残念ながらイアルにはその資格がなくて、だからこそいつも窮地に陥るのだけど』
 ということは、イアルは……と、カスミはあわてて頭を振った。今はそんなことを考えている場合じゃない。
「まずは生徒たちを助けるわ。憂いを断って、全力でイアルを取り戻しに行くためにもね」


「魂に刻まれし真名を取り戻せ、イアル・ミラール」
 長い黒髪を蛇さながらにくねらせ、魔女が拘束したイアルの額を掌で弾く。
「っ! ――あ、わた、し」
「さあイアル、己が身を見よ」
 イアルは言われるまま、仰向けに固められた自分の体を見た。
 皮脂や汚泥、腐肉がこびりつき、どす黒く汚れきった白い肌を。
「いったい、わたしは」
 自由になる首を巡らせるイアル。彼女の目に映るものは、世界と下水とを隔てるコンクリートと魔女どもの薄ら笑い。
「以前と同じよ。おまえは我らが与えた餌で餓えを満たし、下水をなめて餓えを見たしている」
「得意顔で“野生化”を従えていながら、我らの姿を見ればすりつき、腹を見せて情けをねだるあさましき獣、それが君さ」
「ずいぶんと巧くなったのよ。甘えかたも、奉仕のしかたも」
 魔女どもがイアルを貶め、その体に指を這わせた。
「あ――」
 ただそれだけで、イアルの唇から甘い声が漏れ出した。
 わたしの体は、弄ばれることに、慣れている……!?
「名残は惜しいが、これもまた実験なればしかたあるまい。戻れ、“犬”」
 ぶつん。
 イアルの自我が遮断され。
「くぅぅ」
 魔女どもの情けを待つばかりの犬に成り代わった。
「――ずいぶん“犬”の偽銘が馴染んできたようですねぇ」
 魔女どもとイアルの様子を観察していた彼女は、モノクルをふたつ繋げた眼鏡を鼻先から押し上げて言った。
「今やイアルにするも“犬”にするも自在。……しかし、ずいぶんと時を喰われたものよ。これでは普通の“野生化”と手間が変わらん」
 たまらずイアルに奉仕を強いる同胞を見やり、魔女のひとりが肩をすくめた。
「ま、イアルさんと同じように偽銘を刻印した“野生化”もなかなか安定しませんしねぇ。そのへんは研究を進めていくってことで。でも」
 眼鏡の魔女が口の端を吊り上げた。
「イアルさんに関しては、次の段階に進んでもいいでしょうかね」
「次の段階?」
「真名に偽銘を浸透させます。絶対に分離できないように」

 イアル・ミラールという真名に“犬”という偽銘を浸透させる。
 それは真名によって保たれているイアルの自我を衰弱させて削り落とし、剥き出しになった魂へ“犬”の偽銘をより強く刻み続ける作業だ。
「まずはイアルさんの自我を弱らせるとしましょう。イアルさんがイアルさんでいられなくなるくらいに責めて、貶めるんです」
 眼鏡の魔女の言により、さまざまな責め苦がイアルに与えられた。

 下水道の一角に倒れ伏した少女を見下ろす眼鏡の魔女が、背後のイアルに声をかけた。
「よく見ててくださいね、彼女を戻しますよ。魂に刻まれし真名を取り戻しなさい」
「――あ、あれ? う、ち。ここ、どこ?」
「ここは下水道ですがね。あなたが今までなにしてたかは、お仲間を見てもらうほうが早そうですねぇ」
 互いに吠え合い、争い合い、犯し合う“野生化”どもの姿を見せられた少女は、そのおぞましさに耐えきれず、意識を失った。
「起きなさいってば。あなたのリーダーがお待ちかねですよ」
 頬を叩かれ、無理矢理に起こされた少女。しかしその眼からは先ほどまでの知性が失われ、映し出されるものは無機質な野生だけとなっていた。
「グ、ウウ」
「“野生化”に戻っちゃいましたか。偽銘と真名の切り替え、うまくいかないですねぇ。っていうか、うまくいき過ぎるイアルさんが特別なのかも」
 腹を上向けられた蛙のような体勢で、コンクリートの壁に貼りつけられたイアル。口には彼女自身の汚れきった衣服の切れ端が押し込まれていた。しゃべるどころか、舌を噛むことすらもできないように。
「そこで盛ってる“野生化”のみなさんも来なさい。あなたたちのリーダーがお待ちかねですよ」
“犬”となっていたイアルに叩き伏せられ、その支配下にあったはずの“野生化”たちが一匹、また一匹と彼女へ迫る。
「――っ!!」
 イアルは“野生化”に食らいつかれ、くもぐった悲鳴をあげた。
「ああ、そうでした。この“野生化”は全員が偽銘処理されてるんですよ」
 イアルに群がる“野生化”どもへ眼鏡の魔女が手を伸ばし、かるく額を弾いていくと。
「グ、あ?」
 彼女たちの眼にぼんやりとした知性が灯る。
 彼女たちは辺りを見回し、互いに顔を見合わせ、最後にイアルを見たが。
 その汚れきった体から離れようとはしない。さらに強く歯をたて、あるいは体をすりつけていく。
「彼女たち、切り替えはまだうまくできないんですけどね。代わりに人間でも獣でもない半覚醒状態にさせられるようになりまして。――どうです? ただの“野生化”にヤられるのとはとはまたちがうよさがあるでしょう?」
 苦痛とそればかりではない刺激にあえぐイアルへ、眼鏡の魔女がさらに言葉を投げた。
「“野生化”から得た実験結果、今度はイアルさんにフィードバックします。うまくできたらイアルさんはイアルさんのまま“犬”の生活ができますよ。楽しみですねぇ」

 そして実験はイアルと“犬”の狭間に魂を置くことに移行した。
 真名と偽銘を矢継ぎ早に切り替えられ、どちらがどちらともつかない状態を継続させられる。その間に、魔女どもは最大の快楽をイアルと“犬”とに与え続ける。
 生物というものは、苦痛に耐性を持つことはできても快感に耐性を持つことはできないものだ。魔女の執拗な責めに堕とされ続けたイアルは、いつしか自分がイアルなのか“犬”なのかを迷わなくなっていく。
「――ここまで魂が薄れれば、鏡幻龍も力を振るえなくなるらしい」
 イアルの内から魔具を引き抜いた魔女が笑んだ。
 彼女の肉体年齢は三十代の半ばであったはずだが、魔力をイアルからたっぷりと吸い上げた彼女は今や、十代と言っても通るほどの艶と張りを取り戻していた。
「そういえば最近おとなしいもんですねぇ。鏡幻龍っては確か乙女が大好きなんですよ。さすがに愛想つかしましたかねぇ?」
 眼鏡の魔女が首を傾げる間にも、魔女どもはイアルを貪り続けた。
 すえた臭いのする首筋に唇を押しつけ、黒く汚れた汗をついばむ。
 前から、後ろから、左右から、次々と魔具を突き込み、悦びの代償にその身から魔力を掻き出していく。
「さて。次は融合をもっと進めて行きましょうか」

 イアルのように人間と“犬”をうまく切り替えられない“野生化”によってもたらされた、半覚醒という状態。
 眼鏡の魔女は深く貶めることでイアルをそこへ陥れることに成功した。
「“犬”のイアルさん、ご飯がすんだらどうぞ縄張りにお戻りくださいね」
 投げ出された餌を四つん這いで貪った“犬”は汚水で乾きを潤し、下水道を駆ける。その途中、通常であれば雄のみの行動であるマーキングを施して縄張りを主張し、他の“野生化”を組み敷いて犯した――すべてをイアルとして自覚したままに。
“犬”として自分がなにをしてきたかを、自分自身の行動で見せつけられたイアル。彼女はそのおぞましさに怯え、おののいたが。
 魔女どもの姿を見れば、その心は速やかに浮き立ち、期待に塗り替えられる。
 腹を出して魔女どもを待ち受けながら、イアルは自分の自我が、風に晒された砂城のごとく崩れ落ちていくのを感じていた。