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<東京怪談ノベル(シングル)>


薬漬けアイドルの復帰


 溶かして注射する。加熱して、煙を吸引する。飲食物と一緒に服用する。
 やり方に、こだわりはなかった。様々な方法で試し、楽しんだ。最初は、娯楽の1つに過ぎなかったのだ。
 無ければ生きてゆけないものに変わるまで、そう時間はかからなかった。食事よりも、睡眠よりも、必要不可欠なものとなった。
 少なくとも3日は眠らずにいられるし、その間、ずっと楽しい気分でいられた。
 売れないアイドル、という現実を忘れる事が出来た。
 いつ頃から、であろうか。幽霊が見えるようになった。
 いや、もしかしたら妖精だったのかも知れない。前世あるいは来世の自分だったのかも知れない。
 ドアを開けると、グレイエイリアンが立っていた。
 家の中を、小さいおじさんが走り回っていた。
 空を見上げれば円盤とスカイフィッシュが飛び回っていたし、水のある場所ではネッシーやチャンプが泳いでいた。
 夜中に目が覚めると、フラットウッズモンスターが隣で寝ていた。
 皆、瀬名雫を責め立てていた。恨み言を囁き、叫んでいた。
 雫は、耳を塞いで逃げ回るしかなかった。
(許して……オカルト路線を捨てたのは、みんなの事が嫌いになったからじゃないのよォ……)
 心の中で叫びながら雫は逃げ回り、ある時、異世界への入り口を見つけた。
 迷う事なく、雫は飛び込んだ。
 そして、車に轢かれた。
 幸い、1週間程度の入院で済んだ。
 瀬名雫の自殺未遂も7度目か8度目であったから、マスコミも大きく扱ってはくれなかった。
 入院中、雫は死ぬ事ばかりを考えていた。
 そして、彼女に出会ったのだ。
 彼女に支配され、汚染され、その使者となって『虚無の境界』盟主のもとへと赴き、今に至る。
(臭い……汚い、くさぁい……)
 声帯も舌も石に変わって、悲鳴を上げる事が出来ない。
 鼻腔も石化している、はずなのに悪臭だけは感じられるのだ。
 垢の如く苔にまみれた石像。それが、今の瀬名雫だった。
 同じような石像が、もう1つ、近くに立っている。
 若い女の石像、と言うより、女の屍の石像であった。死体を、そのまま石化したかのようである。
 汚らしく苔むした屍の石像を、美しく白い繊手で愛おしげに撫でながら、盟主は言った。
「まだ幻覚が見える? それとも、もう臭いしか感じない?」
 この場所においては、時間の流れさえもが盟主の思うままだ。
 雫の身体は数百年、時を進められ、誰も洗浄してくれない石像として存在し続けている。
 石像であるから年老いる事もない数百年間、雫はずっと幽霊や妖精の恨み言を聞かされていた。生きた日本人形やグレイエイリアンの大群に、裏切りを責められ続けていた。
 それも、やがて聞こえなくなった。
 知覚出来るのは、自身の発する苔の悪臭だけである。
「幻覚も幻聴もなくなって、現実的な臭さだけが感じられる……正常に戻ってきた証拠ね」
 盟主が、満足げな声を発した。
「薬が、かなり抜けているみたい。あと2、300年というところかしら」
(あたしは……いいわ、200年でも300年でも耐えてみせる……)
 声にならぬ声を、雫は発した。この盟主ならば、聞き取ってくれる。
(だけど……イアルちゃんは、元に戻して……お願い……)
 盟主の傍らで、死体の石像が微かに揺れている、ように見えた。
 否、死体などではない。イアル・ミラールは生きている。
 雫は強く、そう思った。
 この盟主がその気にさえなってくれれば、イアルは必ず蘇る。
 思った瞬間、盟主は言った。
「無理。いくら私でも、死んだ人間を生き返らせる事なんて出来ないわ」
 その美貌に、苦笑が浮かぶ。
「だけどね、イアル・ミラールは生きている……心を、ものに等しい状態にまで落とし込んだはずなのに」
(それじゃ……イアルちゃんの、心は……)
「人の、心、精神、意思、魂……そういったものに関する研究、虚無の境界が総力を挙げて進めてはいるけれど。まだまだ、わからない事だらけね。ほら見てごらんなさい」
 イアルの、苔にまみれた石作りの美貌が、濡れている。苔の湿気、ではない。
 涙だった。
「物になりかけていた、はずの心がね……人間の心に、戻り始めている。私は何もしていないのに」
(してよ何か! 何とかして。イアルちゃんを元に)
「……わからないの? ねえ、まずは貴女がわかってあげなきゃ駄目でしょうシズク……」
 盟主も、涙を流していた。
「イアル・ミラールはね、貴女に付き合おうとしているのよ? 貴女の身体から、薬が完全に抜けるまで……何百年でも、何千、何万年でも。貴女と一緒に、石になって」


 3年間は耐えろ、と人は言う。ある意味それは正しいと、俺も思う。
 どんなブラックな職場でも2年3年働いていれば、それなりの戦力にはなる。
 そうなってから辞めた方が、くそったれな会社に対する復讐になるのだ。
 先日、俺はそれを実行した。職場で思いきり、暴言をぶちまけてやった。
 主任は、わなわな震えながら顔面蒼白になっていた。お局様は泣き出した。
 業務に穴を開けて、辞める。立つ鳥跡を濁しまくる。最高の気分だった。
 もちろん俺の代わりなどいくらでもいるだろうが、新人が入って来たにしても1から仕事を教えなければならない。3年働いた人間の穴は、そう容易くは埋まらない。
 というわけで俺は今、無職を満喫していた。
 金はそこそこ貯まっている。自慢にはならないが俺は趣味に金をかけない人間で、ネットだけでいくらでも時間を潰す事が出来る。
 少しばかり気になる動画を見つけたので今、カップ麺をすすりながら視聴しているところだ。
「何だこりゃ……ホラー映画の予告か?」
 予告編、にしては長い。映画本編にしては短い。
 とにかく女が1人、夜の学校の中を不安げに歩いていた。
 そこそこ美人である。いささか微妙な年齢に差し掛かった女優、であろうか。
 見覚えがある、ような気もする。
 とにかく、その女は怯え、逃げ回っていた。夜の校舎の中をだ。
 視聴者から逃げている、ようでもある。
 教室の窓ガラスに、女の顔が映った。
 女は怯えている。が、窓に映った女の顔は微笑んでいる。
 夜の校内あちこちで、闇が蠢いている。それらが時折、人の顔のようなものを形作っている、ように見えた。
 なかなか良く出来た心霊演出ではある。
 幽霊の巣窟と化した夜の校舎内を、ひたすら逃げ回る1人の女。
 やはり見覚えがある、と俺は思った。心霊・幽霊の類と実にしっくりくる芸能人が昔、いたような気がする。
「おいおい、これ……瀬名雫じゃね?」
 不倫、薬物、自殺未遂。様々なスキャンダルを引き起こして一時は話題になったが、やがて忘れ去られた元アイドル。
 ホラー・オカルト系のキャラ作りで局地的な人気は得ていたが、その路線を捨てたのが運の尽きというわけだ。昔からの支持者を失い、新規ファン層を開拓する事も出来ず、やがて芸能界からフェードアウトしていった。そのはずであった。
 消えたはずの瀬名雫が、深夜の学校内を逃げ回っている。
 教室を、体育館を走り抜け、音楽室に逃げ込んだところである。
 楽聖たちの肖像画が、雫を睨む。
 音楽が流れ始めている事に、俺は気付いた。
 ウォーターフォンの音色を巧みに取り入れたイントロが、俺の心を鷲掴みにした。
「……マジ? 今更、新曲?」
 雫を追いかけ回している者たちの姿は、相変わらず見えない。黒い影のようなものが時折、ちらつくだけだ。
 わけのわからないものから逃げ回りつつ、雫は歌っていた。怯えた表情のまま、上手に口パクをしている。
 流れているのは、本当に瀬名雫の歌声なのか。だとしたら、オカルト系アイドルだった10代の時よりも、歌唱力そのものは向上している。
 歌いながら、雫はいつの間にか美術室にいた。
 様々な絵画や石膏像に混ざって、等身大の石像が1つ立っている。
 若い女の像だった。幽霊より恐い、としか思えないほど不気味な石像である。
 雫が、それに身を寄せる。すがりつく。よくわからないものの群れに、追い詰められたところである。
 歌は、サビと思われる部分に達していた。
 悲鳴のような、囁き声のようなものも聞こえる。
 意図的に、幽霊の声を入れているのだ。
「なりふり構わねえな、おい……」
 俺は楽しくなった。
 瀬名雫が、恥も外聞も捨ててオカルト路線に戻り、芸能界に復帰しようとしている。
 潔さすら感じさせるほどの、厚顔無恥。俺は笑うしかなかった。
 何かキラキラしたものが、石像に降り注いでいる。まるで天使か何かが降りて来たかのように。
 死体のようだった不気味な石像が突然、躍動感を得た。
 動き出した石像が、雫を庇うように立って身構える。ダンスにも、格闘技にも見える動きだ。
 それは、石像ではなかった。
 生身の女が、得体の知れないものたちから雫を守っている。しなやかな細腕が、むっちりと肉付きの良い美脚が、瀬名雫の新曲と共に躍動する。それは手刀やパンチであり、回し蹴りや踵落としであり、そしてダンスであった。
 長い金髪がふわりと舞い、格好良くくびれた胴体が柔らかく捻れ、豊かな胸が荒々しく揺れる。
 やはり石像などではない。生身の、若い女だ。瀬名雫よりも若い。20代に入ったかどうか、という年頃だ。
 赤い瞳が視聴者を睨み、愛らしい唇が歌に合わせて動く。雫と比べて、口パクはあまり上手くない。
 ただ動きは凄まじい。こんなにアクションの出来る女優がいたのか。今の瀬名雫に、そんな人脈があったのか。
 黒い影のようなものたちを戦いのダンスで蹴散らしながら、その女は雫の手を取った。
 共に逃げ、逃げながら踊り、歌っている。
 舞台が、いつの間にか夜間の学校ではなくなっていた。
 そこは廃病院であり、血の涙を流すマリア像が置かれた教会であり、大量に立てられた水子地蔵の真っただ中であり、ミステリーサークルの描かれた田園であり、ストーンヘンジであり、モアイの林立するイースター島であり、ナスカの地上絵の真ん中であった。
 黒い影のようなものたちは、そんな場所でも執拗に雫を襲おうとする。そして金髪の女に蹴散らされる。
 光る何かが、2人の女を取り巻いて飛翔する。スカイフィッシュの群れであった。
 ネッシーが、モケーレムベンベが、南極のニンゲンが、市街地に上陸して暴れ回る。
 グレイエイリアンが、空飛ぶ円盤の大編隊で飛来し、大量のフラットウッズモンスターを投下する。
 人類は、滅亡した。
 廃墟の真ん中で、瀬名雫と金髪の女が、うっとりと身を寄せ合っている。
 俺は茶々を入れる事も忘れ、見入っていた。
 動画の片隅に、リンクが貼ってある。
 悪質な詐欺サイトへの誘導かも知れない、などと警戒する事もなく、俺はクリックをしていた。


 生身には戻ったものの、風呂には入らせてもらえなかった。
 苔と悪臭にまみれたまま、瀬名雫は企画書を書かされたのだ。
 缶詰状態で企画を作っている人々の苦労が、いくらは理解出来た、と言っても良いのだろうか。
 ともあれ、雫がイアル・ミラールと出会った時から温めていた企画は、虚無の境界によるプロデュースを得て実現する事となった。
 雫もイアルも、徹底的に身体を洗い清めてから撮影に臨んだ。雫は生身で、イアルは石像のまま。
 撮影の最中イアルは、せっかく洗ったのにまた汚れる事となった。
「……でね、1つ訊きたいんだけど雫さん」
 動画を鑑賞しながら、イアルは言った。
「ここよ、ここ。私の頭に何かキラキラしたものが降り注いで……結果、生身に戻れたのはありがたいんだけど。これ一体、何? 怒らないから正直に言ってごらんなさい」
「はい……ごめんなさい。これはその、あたしの……せ、聖水……です……」
 俯いたまま、雫は正直に言った。
「それじゃないと……石化、解けないみたいだから……」
「……元に戻してくれて、ありがとうね。今までに何回も同じ事あったから、別に気にしてないわよ」
 苦笑気味に、イアルが微笑む。雫はますます、顔を上げられなくなった。
「イアルちゃん、あの……あたしの事、わかるの? あたしだって」
「わかるわよ」
 イアルの赤い瞳が、じっと雫を見据える。
「……麻薬は駄目よ? もう」
「……ごめん……ごめんね、イアルちゃん……」
 雫は涙を拭った。
 薬は完全に、身体から抜けた。
 そのはずなのに、まだ幻覚が見える。
 幽霊が、妖精が、グレイエイリアンが、各種UMAが、小さいおじさんが、巨大なフラットウッズモンスターが、雫を囲んで拍手をしたりクラッカーを鳴らしたり紙吹雪を撒いたりしている。
 雫の復帰を、喜んでいる。
「めでたしめでたし、ね。2人とも、お疲れ様」
 虚無の境界の盟主も、喜んでいた。
「再生回数、887億回突破……虚無の境界への入信者がね、爆発的に増えているわ。貴女たちのおかげよ?」
「貴女は……! シズクの歌を、虚無の境界のPVなんかに!」
 怒り狂うイアルを、雫はなだめた。
「いいのよイアルちゃん……あたしなんてもう、まっとうな事務所に売り出してもらえる身分じゃないんだから」
「だからね、虚無の境界が貴女たちをプロデュースしてあげる」
 楽しげにウォーターフォンを演奏しながら、盟主は言った。
 虚無の境界であるからして、今回使われた心霊演出も幽霊の声も、全て本物である。
「本物のね、終末のアイドルユニットとして……貴女たちを、売り出してあげるわ」