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<東京怪談ノベル(シングル)>


醜悪なるもの


 イアル・ミラールは20歳のままである。
 17歳であったはずの瀬名雫は、しかし29歳になっていた。
 イアルが石像と化している間、12年が経過したわけではない。
 時の経過が全く意味を持たない場所に今、2人はいる。
「未来から来た……って事?」
「まあ、そういう事。サンジェルマン伯爵とか、ジョン・タイターみたいにね」
 謎めいた事を言いながら雫が、イアルの背中を流してくれている。
 温泉、であった。
 虚無の境界の、盟主の私室に2人ともいたはずである。
 ポスター、CD、書籍、アクセサリー……室内にある物ほとんどが、アイドルとして現役であった頃の雫に関連した品であった。
 そんな部屋の風景が、いつの間にか雪の露天風呂に変わっている。
 大雪だが、寒さは感じない。
 イアルは、深くは考えない事にした。ここでは全てが、盟主の思うがままなのである。時間も、空間も。
「それにしても……ねえイアルちゃん、大したもんじゃないの。あたしたちの動画」
 雫が笑った。
 調子に乗った感じの、不敵な笑顔は、12年経っても変わりはしない。
「887億回よ? 再生回数。ま、虚無の境界のプロデュースあってのものだとは思うけど」
「いろんな異世界に、配信されてるみたいね……それにしても」
 雫の歌に合わせて踊り、戦っている自分の姿を、イアルは思い出した。
 鏡幻龍の戦巫女として、聖なる舞踏を会得してはいる。あれと同じ要領で、やれない事はなかった。
 とは言え出来栄えは不安であったが、上手く編集してもらったおかげで、まあ見られる映像にはなっていたと思う。
 それも、雫の歌があってこそだ。
「あの歌……十何年かぶりの新曲、って事でいいの?」
「そうなるのかなあ。ちなみに作曲してくれたのは虚無の境界のアーティストさんで、作詞はあたし。12年分の鬱憤みたいなものを書き殴ってみたんだけど、まあ歌にはなってたかな」
「いい歌だと思うわ。ちょっと聴く人を選ぶとは思うけど」
「それは、まあね。あたし自身、そういうアイドルだったし……変に一般受け狙って大失敗しちゃったのが、この12年間だったわけで」
 雪の舞う夜空を、雫は見上げた。
「原点に、戻らなきゃね。ここの盟主様が、あたしたちの事プロデュースしてくれるみたいだし」
「……虚無の境界の、専属になっちゃうわけ? って言うか、まさか私も? ねえちょっと」
「当然。イアルちゃんと一緒なら、どんな汚れ仕事だって出来ちゃうよん」
「貴女ねえ……」
 イアルは、呆れながら安堵した。
「……何であれ、貴女が自分を取り戻したみたいで良かったわ。もしまた変な薬に手を出したりしたら私、ぶん殴ってでも止めるからね」
「あたしと一緒に、お仕事してくれる? 盟主様がね、次のPV撮りたいんだって」
「……それ、お仕事なの? まあシズク1人を虚無の境界に、置き去りにするわけにもいかないし」
 言いつつイアルは、ちらりと視線を動かした。
 岩の大浴場に、何者かが歩み入って来たのだ。
 盟主であろうか。ならば、雫にきちんとギャラを支払うよう言っておかなければならない。
 言おうとして、イアルは息を呑んだ。
 鏡が置いてある。一瞬、そう思った。
 豊麗な胸と尻の膨らみをビキニ状の甲冑に閉じ込めた、1人の女戦士。
 兜から溢れ出した金髪は、まるで金色の炎のように揺らめいている。
 炎のような鮮血のような赤い瞳が、こちらに向かって眼光を燃やしている。
 鏡幻龍の力を発現させた時のイアル・ミラールが、そこにいた。
 よく見ると違う。自分を模して造られた、恐らくはフレッシュ・ゴーレムの類であろう事は、イアルが見ればわかる。
 だが。そこに宿っているものは、イアル自身だ。
 かつてイアル・ミラールという存在を構成していたものの、恐ろしく重要な一部分だ。
 それが、言葉を発した。
「こうやって直接、物理的に御対面するのは……初めてかねえ」
「誰……」
 雫を背後に庇って立ちながら、イアルは問いかけた。
「貴女は、一体……誰?」
「そいつを知ったら、あんた……どうなっちまうのかねえ。良心の呵責ってやつに押し潰されるか、それとも開き直って逆ギレするか」
 イアルを模した何者かが、微笑んだ。
 自分は雫と違って芸能人ではないから、鏡で己の笑顔をチェックしたりはしない。
 自身の笑顔というものを、イアルは生まれて初めて目の当たりにした。
 おぞましい、とイアルは思った。
「とにかく……そこから、出て行ってもらうよ」
 おぞましく美しく微笑む女戦士が、言葉と共に踏み込んで来る。
 そこ、というのがどこなのか、イアルにはわからない。この温泉の事か。
 考えている余裕もなく、イアルは応戦しなければならなかった。
 女戦士の、拳をかわした。手刀をかわし、肘打ちをかわした。
 そこまでが精一杯だった。
 むっちりと力に満ちた太股が、膝蹴りの形に跳ね上がって来る。
 かわそうとするイアルの身体を、女戦士の両手が掴み押さえている。いつの間にか、捕えられていた。
 捕えられたまま、イアルはへし曲がった。息が詰まった。
 腹に、膝蹴りを叩き込まれていた。
「ぐっ……えぇ……ッ」
「ふん、思った通り……鏡幻龍の力は、奪われたままかい」
 女戦士が、へし曲がったイアルの身体を抱き捕える。運び去ろうとしている。
「はいそこ、お持ち帰りは禁止」
 雫が言った。
「イアルちゃんはね、あたしのパートナーなんだから」
「おばさんは引っ込んでな。こちとらね、お年寄りに暴力振おうって気はないんだよ」
 女戦士がそんな事を言った、次の瞬間。
 何かが起こった。何が起こったのかは、わからない。
 わからぬままイアルが、どうにか呼吸を回復させ、よろよろと身を起こす。
 女戦士は、石像と化していた。
 石化している時の自分の姿というものを、イアルは見た事がない。見せつけられた気分である。
 おぞましい、とイアルは思った。自分はこれまで幾度も、合計すれば凄まじい年月に渡って、こんな醜悪な様を晒していたのか。
 思いつつ、問いかける。
「……貴女が、やったの? シズク……」
「まあね」
 雫は、澄まし顔である。彼女が何をやったのかは、わからない。
 訊いてみても良いものか、とイアルが思った、その時。
「お見事……彼女の力を、上手く使いこなしているようね」
 虚無の境界の盟主その人が、いつの間にか温泉に浸かっていた。
 湯に盆を浮かべ、燗酒を楽しんでいる。
 左手でお猪口を、右手で防水デジタルカメラを掲げながらだ。
「一応、撮っておいたわ。次のPVに使えるかも知れないから」
「貴女ね……!」
 激昂しかけたイアルをなだめるように、雫が苦笑する。
「20歳ピチピチのイアルちゃんならともかく……落ちぶれアイドル29歳の温泉入浴シーンなんて、需要あるわけ?」
「私から見ればね、29歳なんてまだいくらでも磨ける年齢よ」
「貴女が本当は何歳なのか、ちょっと気になるところだけど」
 言いつつイアルは温泉に入り、湯の中で盟主と対峙した。
 そして、石像と化した女戦士に親指を向ける。
「……あれは一体、何なの」
「新しい霊鬼兵の試作品よ。まあ見ての通り、貴女をモデルに造ってみたわけだけど」
 盟主が、優美に禍々しく微笑んだ。
「外見だけじゃないのよね。薄々感づいてるとは思うけれどイアル・ミラール……貴女から抜き取ったものをね、CPU代わりに埋め込んであるわ」
「それは何?」
「……知らない方が、貴女のため。それより飲みなさい」
 盟主が、お猪口を差し出してくる。
 引ったくるようにしてイアルは受け取り、注がれた燗酒を飲み干した。
 霊鬼兵に埋め込まれ、その人格を成しているものが一体何であるのか。自分は、本当は知っているという気がした。
「いい飲みっぷりじゃないのイアルちゃん。だけど程々にね」
 そんな事を言いながら雫も湯に浸かってお猪口を持ち、盟主に酌をさせている。
「あたしもね、薬やらなかったらアルコール依存症になってたってくらい呑んだくれて……いろんな人に、迷惑かけちゃったから」
「薬物、お酒、自殺未遂に男性問題……ありとあらゆるトラブルを引き起こしていたものねえ貴女」
 雫と乾杯をしながら、盟主が言う。
「で……どうするの? 虚無の境界の専属アーティストになってくれるのはいいけれど、それなら彼女と話をつけてもらわないと」
「わかってる。あたし……殺される、だけじゃ済まないかもね」
 雫は、お猪口の中身を飲み干した。
「だけどね、あたし……芸能界で、不義理な事やらかしてばっかだったから。ここらで筋、通しておかないとね」