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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ハチミツを巡る冒険
 書斎の中央へ立つシリューナ・リュクテイアの指が中空に踊る。
 まるで編み物でもしているかのような手つきだが、まちがいではない。彼女は編んでいるのだ。魔力を複雑に組み合わせ、超常の力として顕現させる、いわゆる“魔法”というものを。
「ティレ」
「はい、お姉様!」
 シリューナの営む魔法薬屋の店員にして魔法の弟子、そしてなにより大切な妹分であるファルス・ティレイラは元気に応え、用意していた絵本を開いた。
 現われたのは、黄色いオーバーオールがトレードマークののんびりクマさんが住む、おいしいものがいっぱいの森。
「……どうしてそれなの?」
 シリューナのあきれた言葉へ、ティレイラは猛然と挙手して言い返した。
「だってお姉様、文章より絵のほうが“繋ぎ”やすいって言ったじゃないですか! それにホラーとか戦争ものとかだと危ないし! そしたらもう、おいしそうな絵本しかなかったっていうか! しかたなく! ほんとにすっごくしかたなかったんです!」
 だからっておいしそうな本じゃなくてもよかったろうに。小さく肩をすくめるシリューナだったが、あえてツッコミは入れなかった。ティレイラを実験につきあわせているのは彼女だし、必死で言い返されるのも面倒だ。

 今、シリューナは実験を行おうとしている。
 その内容は、本に描かれた世界をコピーし、現実世界の中に用意した異空間の内で再現するというものだ。
 本の世界を安全に旅できる魔法アトラクション。これが完成すれば、ちょっとした流行が作れそうじゃない?
 この実験を思いついた理由を、シリューナはティレイラにそう説明したものだが――本当は、ティレイラが本の世界に閉じ込められたあの事件のことを思い出したからだ。
 ティレがどんなところに閉じ込められたとしても、せめて外からフォローを入れられるよう練習しておきたいのよ。
 こんなこと、けして本人には言えないけれど。

「繋ぐわよ」
 シリューナの術式が絵本に染み入り、情報を魔素に変換。魔力の“線”によって外に用意された水晶球へと流れ込んで“世界”を編み上げていく。
「わー、綺麗な森ですねー。おいしいものいっぱいありそうですー」
 期待と食欲に目を輝かせるティレイラ。
「まだ実験段階だから、本の中のキャラクターを依り代に使うわ。ティレはどのキャラクターになりたいの?」
「この本って主人公のクマさん以外、しゃべるキャラがいないんですよねー。だからクマさん一択です!」
 そうしてティレイラは水晶球の内へ飛び込んで、のんびりクマさんと合体したのだった。


「ほんとに森だー!」
 クマ耳とクマ尻尾をつけたティレイラが歓声をあげた。
 先ほどまで外から見ているだけだった本の光景が今、実際の大きさをともなって目の前にある。
 湿った土のにおい。
 適当な間隔を開けて並び立つ木々の葉ずれの音。
 辺りに満ち満ちる生命の気配。
「なるほどー。なかなかの物件ですねー」
『ティレ、聞こえる? 問題ないようなら、能力が使えるか試してみて』
 空から降ってきたシリューナの声。
 ティレイラは反射的に「はいっ!」と背筋を伸ばし、あらためてあたりを見渡した。
「とりあえず飛んでみよっか」
 背中から竜翼を伸ばしてみたティレイラは驚いた。翼が丸っこくてファンシーな、天使の羽に変わっていたからだ。
「でも、ちゃんと飛べるから問題ないよね」
 ぱたぱた羽ばたいて木々の上へと出てみれば、パステルカラーの青空とお日様が待っていた。あたたかくて、気持ちいい。でも。
「ずーっと、森ばっかり。です」
 眼下に広がる風景は木、木、木。まさに森ばかり。それが地平の果てまで続いているのだった。
『絵本に描かれている風景しかないからよ。……どれくらい再現できているか知りたいから、ティレが思いつく場所をあちこち回ってみて』
「了解です!」
 元気よくシリューナに応えたティレイラは、絵本の内容を思い出しながら「冒険」を開始した。

 木々の間を縫って飛ぶ彼女の脇を、目のくりっとした虫たちが笑顔で通り過ぎていく。
 それを邪魔しないよう、羽ばたきを最低限に抑えつつ、ティレイラは心の中の採点表に赤い丸をつけた。
 虫のみなさん、再現度オッケーです。

 切り株がたくさん並んだ、クマの食事シーンの定番舞台。
 座り心地や日の辺り具合を確かめて、ティレイラはまた赤丸をつける。
 ここなら楽しくごはんがいただけますよー。

 森のただ中に流れる小川。
「つめたっ……!」
 足の先をつけただけで、ティレイラは震えあがった。
 物語中ではよく冷蔵庫代わりに桃やベリーを冷やす場所として登場する川なのだが、その再現度はまさに完璧だ。
 再現度はすごいんだけど……もうちょっとぬるくてもいいかも!
 まあ、それはそれとして。
 よく見知った絵本の世界が目の前に、本物として在る。
 この魔法が完成すれば、きっと世界中の子どもたちをわくわくときめかせるだろうし、大人たちに上質の安らぎを与えることになるだろう。
 ――本(こっち)の世界がリアルワールド! っていう人も出てきちゃいそうだけど。そしたらブックニートとか言われちゃうかな?

 小川を遡って飛んでいくと、ちょっとした崖に行き当たる。ここには確か……。
「ハチミツがいっぱいあるのよね!」
 正確には穴掘りバチ――その名のとおり、崖の中腹に穴を掘って巣を作る蜂だ――の巣があるのだ。
 この絵本のメインストーリーは、クマが蜂の目を盗んでたっぷりのハチミツをゲットするというものなので、つまりはティレイラもたっぷりのハチミツを味わえるはず。
「味を確かめるのも大事な実験だもんね。しょうがないなー。うん、しょうがない」
 言い訳で完全武装を固め、彼女はクマがえっちらおっちら登っていくはずの崖をひとっ飛び。無事に巣穴を発見した。
「絵本でよかった!」
 穴掘りバチの巣穴はすぐわかる。なぜなら入口の外まで蜜で固められていて、黄金色に輝いているからだ。
「固い蜜はおいしくないってクマさんが言ってたし、やっぱり貯蔵庫まで行っとかないとねー」

 巣穴の中はちょっとした宮殿だ。
 固めた蜜のブロックを石畳みたいに敷き詰めた廊下。その左右には蜜を彫った彫刻が並び、蜜のシャンデリアがほんのりと蜜につけた火を灯す。
「ほんとにハチミツだらけ」
 兵隊バチの見回りを、クマに倣って彫像の影でやり過ごすティレイラ。充分に距離が離れたところでこそこそと移動を再開した。
 ちなみに兵隊バチは、顔こそファンシーながら毒針の代わりに毒の三つ叉槍を持っている。侵入者は容赦なくつつかれまくったあげくに追い出されてしまうか、おしおきでしばらく蜜の壁に塗り込められてしまう。
 ――クマさんってこのお話だと、お尻を何回もつつかれて大変な目にあったんだっけ。
 しかしそれはあくまでもクマの話。ティレイラは話の筋を全部暗記したチートヒロインなのだ。
 ――ミッション・ハチミツ、スタート!


 蜜の宮殿内をこそこそ移動し始めたティレイラの背中を水晶球ごしに見やり、シリューナはあきれたため息をついた。
「あの子の食べ物に対する執着心、どこから来るのかしらね」
 シリューナもティレイラも元は同じ竜。それほど心の形成過程に差があるとは思えないのだが……。
 などと思い悩むシリューナだが、彼女は彼女で“美”というものへの異様な執着心を持っている。ようするにどっちもどっちなわけだが、さておき。
「本世界の再現度を知るには都合がいいし……なにより絵本ならティレに命の危険はないでしょうしね。しばらくは傍観かしら」
 ローズヒップの酸味を加えた香り高いアールグレイをひとすすり、シリューナはプレジデントチェアにその背を埋めた。


 一方ティレイラは、蜜の迷路の奥にある貯蔵庫近くまでたどりついていた。
 入口を守る兵隊バチは六匹。クマは見張りの交代時間まで待って、その隙に侵入したのだが。
 ――中からすごいハチミツの匂いしてるし、お姉様も待ってるし。ハチミツの匂いしてるし、ハチミツの匂い……とにかく! 行くしかないでしょ!
 ティレイラは沸き上がる唾をんくっと飲み下し、空間転移魔法を発動した。

(うわぁ)
 忍び込んだ貯蔵庫の中には、大量のハチミツ壺が並べられていた。
 しかもひと壺の大きさはティレイラが抱えきれないほど大きくて、蜜がひたひたに注ぎ込まれている。
(クマのお腹なら、ひと壺くらい大丈夫だよね?)
 つぶやきながら、ティレイラは右手を壺に突っ込み、とろっとろのハチミツをすくい取る。
(おいしい!)
 ひとなめすれば、いろいろな花の香りと甘さが絶妙にブレンドされた味わいが舌先から体中へと拡がった。絶妙! しかも、となりの壺の蜜にはまた異なる香りと甘さがあり、別の壺の蜜はちょっとスパイシーな感じだったりする。
(私、ハチミツニートになっちゃうかも!)
 いろいろな壺からハチミツを掻き出しては口へ運び、含み笑うティレイラ。こうなったら、ここにあるハチミツを全部味見してしまおう。
 と、振り向いた彼女は。
 壺を抱えて貯蔵庫へ入ってきた働きバチたちとご対面。
「ギギー!?」
「きゃー!?」
 ハチミツグルメストーリーから一転、逃走ドラマが幕を開けたのだった。

「ギー!」
 ハチの槍がティレイラのお尻に突きだされる。
「わわっ」
 羽をばたつかせて加速、ティレイラがよける。
『これは絵本にない展開なのよね? 本の中で魔法が使えるのもそうだけれど、登場人物の行動でストーリーが変化するのもおもしろいところね。ただ、商品化するとしたらそれが障害になるわね』
 天の声よろしく降ってくるシリューナの声に、ティレイラは半泣きで訴えた。
「分析はいいから助けてくださいーっ!」
『一度の実験でより多くのデータを得られる機会だもの。もう少し観察させてもらうわ。それに今、ティーカップから手が離せないもの』
「お姉様は邪竜ですぅ!」
『あ、魔法はもう使えないようにしておいたわよ。物語世界の法則を破ってしまうのは興醒めだもの』
「お姉様は邪竜オブ邪竜ですううううううう!!」
 わめくティレイラの行く手を塞ぐ新たなハチ。追ってくる働きバチよりはるかに大きい。多分、ティレイラの二倍はあるだろう。あれは。
「近衛バチ!?」
 女王バチを守る精鋭中の精鋭だ。
 確かに本の中にも出てくるが、クマとの対決シーンなんかなかったはず。
「もう!」
 なんとかその股下をくぐり抜けたティレイラは、速度を上げて一気に外へ向かおうと羽ばたいた――
 と。
 横合いから迫っていた別の近衛バチが、口から液体を吐き出した。
 ビシャっ。
 濡らされたティレイラの体を甘い匂いが押し包む。……これはまさか、ハチミツ?
 ビシャっ、ビシャっ。
 集まってきた近衛バチと働きバチが、ティレイラに次々と蜜をぶっかける。
 かけられるごとに彼女の体は重くなり、羽ばたく速度が下げられる。
 いくら蜜にとろみがあるからって、動きを阻害するほどの重さも粘りもないはず。と、いうことは。
「これってまさか、普通のハチミツじゃないんじゃ――?」
 そういえば、クマがハチにおしおきされたとき、こうして蜜をかけられて動けなくされていた。なぜならハチの吐く蜜には魔法が混ぜ込まれていて、どんな生き物でもハチミツ漬けにする力があるから……!
「忘れてた!!」
 嘆いたときにはもう遅い。
 羽ばたく力を奪われた彼女は蜜の路に落ちた。
「ごめんなさいごめんなさい! やめてーっ!」
 ハチミツ泥棒の言うことをハチたちが聞いてくれるはずもなく。
 かくしてティレイラは壁にくっつけられたうえ厳重に蜜で覆われて固められ、迷路を飾るオブジェにされてしまったのだった。


「結局こうなるのね」
 再現世界へ降り立ったシリューナは、ハチたちから見つけられないよう自らに隠蔽魔法をほどこし、穴掘りバチの巣穴へ踏み込んだ。
 ファンシーで細密な蜜細工の宮殿は彼女の興味を引かずにいられなかったが……今はそれを楽しんでいる場合ではない。
 ほどなくして彼女は、ハチミツの奥に封じられ、悲鳴をあげたままの姿で時間を止めたティレイラを発見する。
「そういえば、幼くして亡くなった我が子をハチミツ漬けにして保存した例があったわね」
 ある意味でこの世界の神たるシリューナに、ティレイラを救い出すことなどたやすいことだ。たやすいこと、なのだが。
 ティレイラの小麦色の肌が蜜の黄金に陰影を差し、得も言われぬ彩を成す。
 それは薬で各部の色合いを微細に調整した銅板画を思わせるが、「ちがう。そんなものでくくってしまえるような彩じゃない」。ティレイラも蜜も、冷たい鉱物ではないから。
「ティレと蜜、互いの有機性と生命力が影響しあっているからこそ、この彩が出せる」
 シリューナは蜜灯を取ってきてオブジェを照らした。
「もう少し明るい場所で――自然光の下でも確かめたいわね。いえ、だめね。強い光で照らせばティレという陰が飛んでしまう。この芸術がただのつまらないオブジェに成り下がってしまう。だとすれば、ライティング! ライティングを調整して……」
 シリューナはさすがに自覚した。
 私もティレの食い意地のこと、言えないわね。
 そしてその上で、彼女は彼女の欲を止めたりはしないのだった。


「うう、髪の毛がベタベタします……冷たいです」
 意外に短い時間で救い出されたティレイラが、情けない顔で髪にこびりついた蜜を冷たい小川ですすぐ。
「この世界を出れば元に戻るわ。再現世界からはなんであろうと持ち出すことはできない。だから、髪を洗う必要もないのだけれどね」
 苦笑するシリューナへティレイラは「早く教えてくださいよー!」と頬を膨らませてみせた。
 その生き生きとしたかわいらしさにシリューナはまた笑みを浮かべ。
 シリューナの手がティレイラの頬に触れ、なぜた。
「蜜の中はどうだった?」
「へ? あ、う、ど」
 突然なでられて訊かれて、どう反応すればいいか悩むティレイラ。
 返答を待つことなく、シリューナは言葉を重ねて。
「私は蜜漬けのティレ、あまりおもしろくなかったわ。こうして触れないし、角度を変えて鑑賞することもできないし」
 お姉様は邪竜ですぅぅぅぅ!!
 ティレイラの絶叫を聞きながら、シリューナは胸中で独り言ちた。
 やっぱりティレは、そうやってくるくる表情を変えながらドタバタしているのがいちばん美しいわ。
 ――こんなこと、本人に言わないし、言えないけれどね。