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花は紫陽花、女は忍(6)
響き渡る轟音。その後を追うように、すぐに次の爆発音が鳴り響く。この爆発は琴美を誘い出す罠であり、彼女を挑発する黒幕の笑声の代わりだろう。
「慎重な方かと思っていましたけれど、存外プライドが高いようですわね。計画を私に邪魔された事に、よっぽど腹がたっているのかしら」
今までは念入りに計画を進めていたのに、ここにきて焦りが現れたのかひどく大胆な作戦に切り替えた相手の思考を琴美は冷静に分析し始める。
何であれ、このまま何度も爆発されてしまってはこの地下基地がもたない。黒幕は何らかの脱出手段を用意しているのか、それとも自滅覚悟で琴美をこの地下基地ごと倒そうとしているのかは分からないが、少しでも早く倒した方がいいだろう。琴美ならこの地下からすぐに脱出する事は容易であるが、ここにはまだ捕まった一般人達がいるのだ。琴美は駆ける足の速度を更に速める。風吹かぬ地下だというのにまるで風を味方につけているかのように疾駆する少女の姿を、目で追える者はこの世にはいないだろう。本気を出したくの一は、誰にも捕えられる事はなく己の行くべき道をひた走るのだ。
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「ようやく見つけましたわよ。あなたが、この事件の黒幕ですわね」
とある部屋の前に立ち爆弾を設置しようとしていた男に向かい、琴美はそう告げる。白衣を着た、いかにも科学者といった風貌の男だ。男は低い声で笑うと、瞬時に琴美との間にあった距離を詰めてきた。そのやせ細った貧相な体とは不釣り合いな程に強力なパンチが、男により繰り出される。
まるで矢を射るかのような素早い一撃。しかし、琴美はその拳を跳躍する事で避け、即座に相手に向かいクナイを投げつけた。迷いなき少女の反撃に、男は一瞬体勢を崩したが悲鳴をあげる事もなくその場へと立ち続けている。クナイには事前に即効性の毒を塗ってあったというのに、その毒が効いている様子もない。琴美は一瞬その大きな瞳を瞬かせた後、全てに合点がいったとでも言いたげに目を細めた。
(この方にとっては、自分自身すらも実験のためのモルモットに過ぎなかったのですわね)
普通の人であれば、決して出せないスピードに威力。毒の効かぬ強靭な体。彼は自らの体すらも、他の実験体のように改造しきってしまったのだろう。
男の計画には気付いたものの、いったい何の目的があって人々の改造をしているのかは今まで不明瞭なままだった。だが、恐らく明確な目的などは最初からなかったのだ。男にあったのは、科学者としての探究心だけだ。自らの技術の限界を知りたいがために、人の人生や自分の命を捧げるマッドサイエンティスト。それが今回の黒幕の正体である。他の改造人間のように自我は失ってはいないようだが、もとより正気ではない男だ。まともに話は通じないだろう。
「俺の完璧な計画に気付く者がいるとはな。だが、お前は良いサンプルになりそうだ。今までは平均的な力を持った者を実験体にしていたが、お前のように強くて賢い者を俺の実験に使ったらどんなモンスターが生まれるのか、実に興味深い」
男は楽しげにそう呟き、「それにお前は美しいからなぁ。捕まえて鑑賞しているだけでも飽きそうにない」と続ける。にたにたと笑いながら、琴美の艶やかな髪や女性らしい魅力に溢れた体を眺めるその無遠慮な視線を振り払うように、少女はクナイを構え直した。
「他人だけでなく自分の事すらも人として見る事が出来ず、ただただ実験を繰り返すあなたこそがモンスターですわ。哀れですわね……私であろうとも、あなたを救う事は出来ませんわ」
ぱらり、と天井から砂埃が舞い落ちてくる。やはり爆発の影響でこの地下基地はところどころ脆くなっているようだ。崩れるのも時間の問題だろう。
「悪いけど、時間がありませんの。もうおしまいにさせてもらいますわよ!」
再び、琴美は駆ける。この街の平和のため、囚われた人々を守るため、そしてこの戦いを終わらせるために。長く伸びた黒髪が揺れ、少女のクナイが哀れな男に裁きを下す。
「そのような小さなクナイで、この俺に傷をつけれるはずが――!?」
改造によりその体は人ならざるものと化し、本来であればどのような攻撃も受けない――はずだった。
「ぐはっ! な、そ、そんな……馬鹿な……!」
しかし、常人離れした速さを持つ琴美が速度を味方につけたその一撃は、ひどく鋭く重い。少女の手により振るわれたクナイは抉るように男の体に突き刺さり、その体を死へと誘う。
鮮血が舞う中、続けざまにクナイがもう一度振るわれる。それは、相手を確実に死へと追いやるための一撃。苦しまずに死ねるようにという思いの込められた、優しき少女の最後の慈悲であった。
◆
狂った男の計画は、その命と共に終わりを告げる。街は平和を取り戻し、彼に利用されていた企業も解放された。
琴美の手により助けられた囚われていた者達も、今ではすっかりと日常を取り戻している。
そんなある日、とある小さな企業に勤めている数人の女性社員達が昼休憩の時間に昼食をとりながら何やら『魅力的な女性とはどんな女性か』という話で盛り上がっていた。
「やっぱり顔がよくちゃダメかしらね」だの「馬鹿ね顔ならメイクでどうとでもなるでしょ。問題は胸のサイズよ」だの「やっぱり職業は重要なんじゃない? あー、こんなとこやめて転職したい」だの。各々好き勝手に口にしてはダルそうに溜息を吐く中、一人の女性が頭に思い浮かべたのは他でもない琴美の姿だった。
その女性は、あの日囚われていたところを琴美に助けてもらった者の内の一人なのだ。自身に満ち溢れた表情で武器を構え敵の元へと向かったり、こちらを安心させるために優しく微笑んだりと、まるで紫陽花のように様々な顔を持つ彼女の姿を女性は決して忘れる事が出来ないだろう。あの花のように美しきくの一は、今日もどこかで誰かを守るために戦っているのだろうか。
(この世で一番魅惑的な女性は、きっとくの一だ。優しくて強い、まるで紫陽花の花のようにどんな姿も魅力的なくの一)
未だに盛り上がってる同僚達の会話を聞きながら、女性はこっそりとそう思い微笑みを浮かべた。
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