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<東京怪談ノベル(シングル)>


メイキング・オブ・炎上物件


「あら、いらっしゃい」
 エントランスホールで、1匹の大型犬が、にこにこと笑いながら太一を迎えてくれた。
 いや、よく見ると犬ではない。
 どこか艶かしい、人間の女性のボディラインを残した狼……人狼の牝である。
 イヌ科の動物の顔など見分けはつかないが、誰であるのか太一はすぐにわかった。
「貴女は……」
「私たち今、こちらの魔女様の使い魔をしておりますの。こら、御挨拶なさい」
 もう1匹、いくらか小柄な牝の人狼が、階段の近くで、何だかよくわからない生き物たちと一緒にはしゃぎ跳ね回っている。
 跳ね回りながら、こちらに駆け寄って来る。
「こんにちわっ」
 小柄な人狼が、ぺこりと頭を下げる。
 よくわからない生き物たちも、ぴょこぴょこと、お辞儀らしき動きをした。
 全員、この邸宅の主である魔女の、使い魔なのだろう。
「はい、こんにちわ……ええと」
 太一は、いくらか言葉を選んだ。
「貴女たち、ここの魔女さんに……その、捕まってしまったんですか?」
「拾っていただいたんです。私も娘も、魔女様は可愛がって下さいますわ」
 とある村で、いささか不幸な目に遭っていた母娘である。
 母親は難病に罹り、娘はかいがいしく看病をしていたが、村人たちは冷たかった。
 救いの手を差し伸べたのが、この邸宅の魔女である。少なくとも本人は、救ったつもりでいるようだ。
 確かに、母親の病気は治った。人間ではなくなる事によってだ。
 人間が罹る病気なのだから、人間ではない生き物に変えてしまえば治る。発想の転換、とでも言うべきか。
 それはともかく、事の顛末を魔女がブログで自慢したりしたものだから、大いに炎上した。
 その事で相談したいから来て欲しい、と魔女に言われ、太一はこうして魔女宅を訪れた。
 松本太一。今日は、冴えない万年平社員48歳・本来の姿である。
 地味なスーツ姿のサラリーマンが、しかしあの時の『夜宵の魔女』であると、この人狼母娘にはわかってしまうようだ。
「ここの魔女様は優しいよ」
 人狼の娘が言った。
「あんたもさ、あたしらと一緒に使い魔やろうよ!」
「私は、会社がありますので……」
 社畜という言葉がある。会社という強大な魔王に使役される、使い魔たちだ。
 人間ではなくなってしまったにせよ、こうして可愛がられている人狼母娘の方が幸せなのかも知れない、と太一は思わない事もなかった。


 書斎か、研究室か、応接間か。
 その全ての機能を備えている、と思われる部屋で、魔女は太一に紅茶を振舞ってくれた。
「ごめんねー、わざわざ来てもらって」
「構いませんよ。ここも例によって、時間の流れが違う場所みたいですし……会社を休まなくて済むのは助かります」
「はー、社畜ちゃんは大変よねえ。ま、やりがい感じてやってるんなら止めはしないけど……経営者って連中はね、やりがいってものを上手に利用してくるんだから。気をつけなさいよね」
 給料の出ない長時間残業が全く苦にならない仕事環境というものは、確かにある。
 そういう環境を、空気を、作れるかどうかが、経営者や上司としての腕の見せ所であろうと太一は最近思うのだった。
 魔女が、太一の両眼をじっと覗き込んでくる。
「今日は……あいつは、いないの?」
「この中に、入ってもらっています」
 太一は、スマートフォンを掲げて見せた。
「魔女さん、炎上してしまいましたよね。コメント欄に呪いの言葉を書き込まれたり、魔法のウイルスやらサイバーゴーストやらを送りつけられたりで」
 それらがネット回線内で暴走し、無関係な人々の端末にまで実害をもたらしている。
「そうそう、そうなのよ。それで、あたしが責任取れとか言われちゃってー。この話、前したっけ?」
「ええ。それでですね、あの人が今この中からネット回線に入り込んで、復旧作業をしてくれているんです」
「へえ、あいつが? ネットの海で暴れまくるモンスターどもを、退治してくれちゃってるわけ」
 艶やかな水着姿でネットの海を泳ぎ回り、おぞましい怪物たちと戦い続ける女悪魔の姿を、太一は思い浮かべた。
「珍しいわねえ。あいつが、人助けみたいな事するなんて」
「人助けは、してくれますよ」
「そう? だとしたら……あんたの影響かもね」
 魔女が微笑む。太一は、落ち着かなくなった。
 自分が、あの女悪魔に何か性格的な影響を与える。そんな事が、あるのだろうか。
「それで、あの……私に、相談したい事とは」
「それなんだけどね。1つ訊きたいんだけど、あんたって人間?」
「……そのつもりでしたが最近、あまり自信がありません」
「ま、元々は人間だったのよね。LUCAから何億年もかけて進化してきたホモ・サピエンスよね。じゃ問題なし……っと」
 言いつつ魔女が、太一の、額か眉間か判然としない部分を人差し指で軽く突いた。
 いわゆる「第三の目」の位置である。
 何かボタンを押された、と太一は感じた。
 次の瞬間。太一の全身から光が溢れ出し、拡散し、周囲に浮かんだ。
 光をインクとして書かれた、それらは無数の文字あるいは記号。数式、のようでもある。
 そんなものの列が、呆然とする痩せ型の中年サラリーマンを、螺旋状に取り巻いている。
「あの……これは?」
「うっふふふ。これはね、あんたの遺伝子に記されている究極の個人情報よん」
 魔女の綺麗な指先が、螺旋状の文字列あるいは数式を突き回す。タッチパネルを弄っているようでもあり、鍵盤を弾いているようでもあった。
 太一が思わず見惚れてしまうほど優美な、その動きに合わせて、文字か記号か数字かわからぬそれらが形を変えてゆく。数式らしいものが、組み換えられてゆく。
 自分の情報が組み替えられているのか、と太一が思ったその瞬間。
「うっ……!?」
 何とも表現しようのない感覚が、全身でぞわぞわと蠢いた。
 麻酔なしで手術をされているような感覚。無理矢理にでも言葉にすれば、そうなるか。ただ、痛みはない。
「あ、あの一体、何を……うっ、うおおおおおおおおお」
「ちなみに、これ動画撮ってるから」
 光の鍵盤を弾きながら、魔女は言った。
 どこかにカメラがセットされているのであろうが、太一にはわからない。
「ほら炎上しちゃったじゃない、あたし。でもやっぱ見てもらいたい技術ってのはあるわけで」
「技術……って、まさか……」
 自分の身体に何が起こっているのか、太一はおぼろげに理解した。よくある事、とは言えるか。
「私を……人狼に……?」
「あたしね、性格ズボラだけど……この生体錬金術だけはね、けっこう真面目にやってきたわけ」
 魔女の言葉に合わせるかの如く、太一の肉体がメキメキと震えながら変異してゆく。
「真面目に磨いてきたものって、やっぱり自慢したくなるじゃない。歌ってみたとか作ってみたとか動画って基本、自分のスキル自慢のためにアップするようなもんだから」
 そういう言動を晒すから炎上するのだ、と太一は思わない事もなかった。
 とにかく、腹が苦しい。胸が妙に重い。腰から両脚にかけても、何やら変な感じがする。
 ダイエットをしているわけでもないのに腹が凹み、胴がくびれ、反対に胸と尻で余分な肉が膨らんでゆく。
 女性の体型であった。それもグラビアアイドル顔負けのプロポーションである。
 彼女が初めて、太一の中に入って来た時。あの時と、似ていると言えば似ている。だが違う。
 あの時は、まるで自分が何かの蛹で、美しい蝶々あるいは凶悪な毒蛾へと羽化してゆくような感覚があった。
 現在、この魔女によって施されているものは違う。これは羽化と言うより、改造である。自分が、何か違うものへと作り変えられてゆく。
 まあ、よくある事ではあった。
「人間、だけじゃないけど生き物の遺伝子にはね、大昔からの進化の記録ってものが内蔵されてるわけよ」
 螺旋状に旋回する光のタッチパネルを手際良く操作しながら、魔女が謎めいた説明をしている。
「アメーバみたいなのから、お魚になって、陸に上がって、哺乳類になったり爬虫類になったり空飛んでみたり……あんただってね、もしかしたら人間じゃない、お猿になってたかも知れない。鳥さんになってたかも知れないし、昆虫になってたかも知れない。Gになって今頃、カサカサ這い回ってたりしてね」
「そ、それ……勘弁して欲しいですぅ……」
 声が、おかしな感じに裏返り、上擦って澄み渡る。それは、若い女の声だった。
 魔女が笑う。
「最初の方で動かないって選択をしていれば、植物になって今頃、綺麗なお花になってたかも知れないし。そういうのの中からね、こう……適切なのをチョイスして、設定して」
 女性の肉体に変わってゆく、と言ってもいつも通り『夜宵の魔女』へと変身しつつあるわけではない。
 体毛が、凄まじい勢いで生え伸びてゆく。柔肌が、容赦なく毛深さを増してゆく。
 それは、獣毛であった。
「あんた今頃……こんな感じの、可愛いワンコになってたかも知れないってわけ」
「わんこと……人狼は……違うと思いますけどぉ……」
 すらりと伸びた鼻面で、太一は泣き声を発した。
 見事に完成した牝の人狼を、じっと観察しながら魔女がぼやく。
「こんな動画アップしたら……また噛み付いてくる奴いるんだろうなぁ。生き物を弄ぶな、とか言ってさ。ま、炎上すらしない作品よりはずっとマシって事で」
 他人から非難されてまで自慢したいものがある。
 羨ましい、と太一は一瞬、ほんの一瞬だけ、思ってしまった。