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<東京怪談ノベル(シングル)>


月下の退魔士

 23時を過ぎたオフィス街にはほとんど人の気配が無かった。
 ビルの上に広がる空には、ぽっかりと満月が浮かんでいる。
 今夜の月はとても大きく見える。
 ひときわ高いビルの屋上の鉄製の手すりに、何かが乗っていた。
 黒い大きな体。それは、ぎょろりとした目で地上を見回している。やがて何かを見つけると、大きな口の端を上げ、ニヤリと笑った。
 それはコウモリのような形状の羽を広げると、手すりを蹴って飛び立った。
 月を背に飛ぶその姿は、この世のものとは思えなかった。体長は2メートル以上ある、巨体だ。大きな羽がバサバサと音を立てる。

 バサバサと。
 少女が振り返ると、艶やかな黒色のストレートヘアがさらりとなびいた。少女の視線の先には、地面に着地した悪魔がいた。悪魔はニヤニヤと笑いながら羽をたたむ。
 二人の距離は5メートルも無い。
「これはこれは上玉じゃねえか。ついてるなあ」
 悪魔は下卑た笑みを浮かべる。物色するように、少女を無遠慮にじろじろと見つめる。
 美しい少女だった。端正な顔立ち、黒のロングヘアーに、黒い瞳。
 若さが溢れる健康的な肢体。豊満な胸、くびれた腰、きゅっと上がったお尻、その魅力的な肉体はセーラー服では隠しきれない。
 辺りに人通りはなく、このような時刻にセーラー服の少女が独り歩きをするような場所ではない。まして最近この辺りでは、深夜に人が襲われ無残に殺される事件が相次いでいた。
「きれいな女をいたぶりながら殺すのが大好きなんだよなあ」
 悪魔の目はぎょろぎょろと光り、口からはよだれを垂らしながら、少女に近付いてくる。
 一般的な女性ならば足がすくんで動けなくなるか、パニックで泣きわめくか、あるいは気を失うか、そのような反応をするであろう。
「なんだ、恐ろしくて声も出ねえのか」
 悪魔が笑いながら手を伸ばした。その爪先が少女の目の前に迫っている。
「人間の言葉を話すなんて、それなりに高位の悪魔ですわね、と思っただけですわ」
 少女は片手に何か長いものを持っていた。それは布に包まれている。
 するりと布を外すと、姿を現したのは刀だった。
 少女は驚くべき速さで、しゅっ、と刀を抜いて一歩踏み出していた。
 素早く飛びのいた悪魔の、その眼前には刃先が鈍く光っている。
「お前、何者だ」
「芳乃・綺花(よしの・あやか)と申します。退魔士をしております」
 綺花はそう言うと刀の鞘を地面に置き、両手で刀を構えた。
「通り魔を誘い出し始末するのが、今夜の私の仕事です」
「退魔士だと……テメェら人間のくせに生意気なんだよ」
 悪魔はぎりぎりと歯を食いしばる。そのこめかみに血管が浮き出ていた。
「人間は人間らしく、俺らに怯えて殺されてればいいんだよ!」
 悪魔の爪が空を切り裂いた。
 綺花はその爪を避け宙に飛びあがる。ただでさえ綺花のスカートは丈が短めだが、宙返りをした瞬間に白い太腿があらわになる。しかしそれは一瞬のことで、綺花は悪魔の背後に着地した。着地の反動で、弾力のある豊満な胸が弾む。
「さようなら」
 悪魔は凛とした声を聞いた。
 振り返る間もなく、ずん、と綺花の刀が悪魔の心臓部を一突きした。
 綺花の刀は退魔の力を持っている。その刀に心臓を貫かれ、悪魔は生きてはいられない。
 断末魔の叫びとともに、悪魔の体が崩れていく。やがて砂のようにさらさらと、夜風がふけばすぐに消えてしまった。
 夜風は綺花のストレートのロングヘアーをなびかせた。頬にかかる髪を押えて、綺花は空を見上げた。
 この空の下に、一体どれほどの悪魔が存在しているのだろう。考えても仕方のない事を、思ってみた。
 しかしどれほどの数の悪魔を相手にしようと絶対に負けはしない、と自分を信じている。
 怯えなどはない。
 綺花は人助けにつながるこの仕事に誇りを持っている。悪を倒し、一般市民を助ける事で、綺花自身も満たされた気持ちになるのだ。
 次はどんな任務を与えられるのかと、心躍らせながら、綺花は帰路に就いた。